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「……んあっ?」
いつもと違う寝心地を感じながら目が覚める。どうやら考え事をしているうちにいつの間にか寝てたらしい。
もぞもぞと布団から這い出てとりあえず周りを見渡してみる。そこがいつもの光景じゃないことを確認し、本当に一人暮らしの生活が始まったんだなって改めて実感した。
スマホを確認すると、朝の5時を回るところ。施設にいた頃の習慣も、一人暮らしが始まったからといっていきなり変わることはないみたいだ。
いつもなら、すぐに洗面を済ませて職員の人と一緒に朝食と昼の弁当を作ったあと、施設の連中を叩き起こすのが毎朝の日課だった。けれどもう、その必要はないんだなって思うと少しだけ寂しい気持ちになった。
と、そこで自分がひどく空腹なことに気づく。
「そいえば、晩メシ食ってねぇ…」
昨日はあれだけ一日中動き回って腹も減ってたはずなのに、シャワーを浴びたあとはメシを食うことも忘れてすぐ布団に入った。
慣れない長距離移動で想像以上に疲れてたからか?
それもあるだろうけど、やっぱり一番の原因は…
「昨日のあれだろうな…」
隣の美女との別れ際、どうして身体があんな反応したのか分からない。
ただ、本能が危険と訴えかけているような感覚だった。
そして、同時に感じる懐かしい感覚が俺をより一層困惑させる。
(どこかで会ったことあるか?いや、あんな美女一回みたら絶対覚えてるだろ。それとも美人すぎて触れるのをためらったとか?それだとあんな反応にならないよな。…まさか!あの女たちに受けた度重なる仕打ちから女性恐怖症になったのか!?だとしたらあいつら許さねぇ!!この先俺の人生、責任とってもらっ……わなくて結構ですはい。)
幸か不幸か、彼女たちとの多くの思い出が俺を冷静にさせてくれた。
(てか、引っ越して最初の朝でなんでこんなモヤモヤしなきゃいけねーんだよ。)
カーテンを開けると、空がぼんやりと明るくなって小鳥たちのさえずりが聞こえる。
当たり前だけど、この光景は向こうと変わらないんだなって思った。
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顔を洗って軽い朝食を済ませたあと、今後の予定をいろいろと考えてみた。
明日の入学式の準備はほとんどできているし、生活必需品も、今は最初から用意したもので足りている。バイト探しは大学が落ち着いてから決めたいし、となると最初にすることといえば…
(やっぱり、この周辺の把握だな。)
以前きたときの散策だと、何がどこにあるかさっぱり分からなかったし、そもそも迷子にならないようにするだけで精一杯だった。
スマホの地図アプリも地元では使う必要がなかったから慣れていないし、こういうのは自分で歩き回ったほうが道も覚えるし何よりちょっと冒険っぽくて楽しい。
そういえば、子供の頃も冒険とか言って近くの山に遊びに行ってたっけな。最終的には迷子になって町の大人たちが大捜索。山の中でピーピー泣いてるとこを発見されたあと、こっぴどく叱られたんだっけな。
あれ?俺ってじつは方向音痴?
そうと決まれば、さっそく衣装ケースからデニムと無地の白いTシャツを取り出して着替え、上から薄手のパーカーを羽織り、ワックスをつけて髪を整える。
そして、サイフとスマホをポケットに入れて準備完了。お気に入りのスニーカーを履いて、いざ!都会の町へ!
「あっ!昨日のお隣さん!!」
冒険を開始して2秒後にいきなりボスとエンカウント。
このとき俺の顔は引きつっていたかもしれない。
「お、おはよう…」
「うん、おはよ!よく眠れた?」
「そうだな、うん。よく寝れたと思う。」
「よかったあ!昨日は疲れてたみたいだから、少し心配だったの。」
「あぁ、もう大丈夫だから…」
おい俺!いくらなんでも返しが下手すぎるだろ!!
さすがに最初の俺と違いすぎて彼女も怪しむんじゃないか?
と思ったらそんな様子はなく、ふわりと花が咲き誇る笑顔でこっちを見ている。
明るくなった空の下で見る瑠璃川 翡翠は、やはりびっくりするほど綺麗だった。いや、その全貌が見える分、もはや綺麗、美しいといった言葉だけでは表現しきれないほど輝いて見える。
少し大きく見えるベージュのニットセーターに淡い色のふんわりとしたスカートと黒いショートブーツ。
雑誌から春のコーディネートを纏ったモデルが飛び出してきましたって言われても全力で信じちゃうレベル。
「これからお出掛け?」
「えっ?あぁ、この辺りをぶらぶらする予定。」
「うそ!?私もこれからこの辺りを周る予定なの!」
まじかよ。
「ふ、ふーん。それは奇遇だな。」
「すごいね、昨日から偶然ばっかりだ。ちょっとだけ運命感じるね…」
そう言いながら、彼女は少しうつむき加減で目線を逸らした。頬も、ほんのりと赤くなっている気がする。
「あはは、今のは私の中で言ってみたい台詞ベストテンだったけど、言ってみたらやっぱ恥ずかしいや…」
それにしても…
「ねぇ知ってる?この辺りってけっこう有名なカフェがたくさんあるんだって。」
なんでだろうな。
「私って甘いものが大好きでね。なんと、すぐそこによく雑誌で取り上げられてるすごく有名なケーキ屋さんがあるのです!」
こんなに美人でかわいいところもあって、非の打ち所がないのに…
「しかも!そのケーキ屋さんはカフェも一緒にやってて紅茶も有名なんだ!」
俺は彼女のことが…
「ねぇ?聞いてる?」
「うおい!?」
びっくりした!ってかちかいいにほいちかい!!
「えっと、有名なカフェがあるんだっけ?」
「そうそう、そこがすぐ近くなんだけどさ…」
「そうなんだ、よかったじゃん。」
この子、ほんと心臓に悪いわ。向こうは楽しそうに話してるけど、正直おれの心が保ちそうにない。
ここは早いところ退散して…
「よかったら、今から一緒に行かない?」
(はっ?)
「はっ?」
ちょっと待て。思わず心と口がリンクしちゃったけど、まさか誘われた?
「せっかくお隣になったんだし、親睦会も兼ねてどうかなぁって。」
「そ、そうだな…」
彼女は後ろに手を組んでニコニコとこっちを見ている。
これから同じ大学に4年間も通うことになるし、居住場所も隣なんだから必然的に顔を合わす機会も多くなる。
予定だって急ぎの用事があるわけでもないし、なにより、こんな美女から食事に誘われることなんか一生に一度もないだろ。
悪くない話どころか、あまりにも魅力的な話。誰もが羨むシチュエーションだ。
でも、いま俺の頭の中では必死に断り文句を探している。
「あっ、朝ごはん食べてないならサンドイッチとか軽食もあるらしいよ?でもね、甘いものに目がない私としてはやっぱり有名なショートケーキを食べて欲しいわけでしてね!あっ、そのほかにも——」
「あ、あのさ!!」
「……?」
このままだと瑠璃川に押し切られる気がしたから、多少強引にでも割り込まねばと、つい大きな声を出してしまった。
瑠璃川本人はというと、特に気を悪くした様子もなく首を傾げている。
別の女性がしたらあざとく見えるような仕草でさえ、瑠璃川がするといちいち絵になる。
「今日はさ、その…この辺をブラつきながらいろいろ買い物もする予定でな。それで…そう、今から行っても丸一日かかると思うからさ、誘ってもらって悪いけどまたの機会でいいか?」
我ながら下手くそな言い訳だと思う。すこし無理があったか?
瑠璃川を見ると、少し落ち込んでいるように見えた。
「そっかぁ…引っ越したばっかりだもんね。必要なものもいっぱいあるだろうし、うん、仕方ないね!そしたらまたの機会にだね!」
と思ったら、すぐに元気を取り戻して眩しい笑顔が戻ってきた。
そのことに罪悪感を覚えた俺は頭を下げた。
「せっかく誘ってくれたのに、ごめんな…」
「ちょっとちょっと!頭なんか下げないでよ。急に誘った私も悪いし、これから機会なんていくらでもあるから!」
「ねっ?」と優しい笑顔で許してくれたことにまた罪悪感が上乗せされる。
「それじゃ、私こっちだから。早く行かないとすごい並ぶらしいから。」
「あぁ、ほんとごめんな。」
「もう、謝るの禁止!またの機会に、でしょ?」
「…そうだな。それじゃ、気をつけて。」
「うん、旭くんもねっ!」
こうして、朝のちょっとした騒動は幕を閉じた。
俺はその場で息を大きく吐いて、ようやく落ち着きを取り戻した。冷静になったところで少し考えてみる。
瑠璃川と話して分かったこと。それは、彼女は超絶美人で超絶かわいくて超絶いい子だということ。以上おわり。だって、それしか分かんなかったし…
となると、やはり問題があるのは百パー俺だったみたいで、どうやら俺の心と身体のセンサーが完全にぶっ壊れてるみたいだ。
だってあり得ないだろ?あんな良い子に対して———
「怖いって感じるとか…」
最後まで恐怖を拭いきれなかったけど、瑠璃川に変なとこなんか一切なかったし、むしろ俺が挙動不審になってても引いたり嫌悪することなく終始笑顔で話しかけてくれた。
うん、完全に俺がおかしい。以上おわり。
一人暮らしに舞い上がりすぎておかしくなったか?
なんにせよ、かなり失礼な態度をとってしまったことには違いない。もしかしたらあれがラストチャンスだったかもしれないけど、同じような機会があればオゴらせてもらおう。
俺は彼女が原因ではないということに安堵し、ようやく冒険を再開した。
遠くからジッと見つめる、瑠璃川の視線に見送られながら。
さぁ、はじめましょう。