第六十四話 深海三千メートル
【いいですか? これからは現地に着く前に話してください。再利用ダンジョン前のときに私、言いましたよね?】
通がこれからやろうしていることは水精召喚士になった時に知り得た情報で。つまり伝える時間は十分あったことになる。過失は自分にあり、怒られるのは当然だ。
【まあ……いいですけどね事情が事情ですし。疲労が溜まっていたのでしょう】
「すみません……何を言っても言い訳になりますが、昨日はとても濃い日常だったので失念していました……」
戻らない髪色、母親の状況、デイジーのジャッジが不幸にも重なり、精神的に参っていた通は「プルちゃんのお部屋」を終了させたのち思考を放棄。ベッドに入って横になり、まぶたを閉じて早々に眠りについていた。
【それで手口はどのように?】
天音の許しを取りつけて、通は【秘密技能:水の加護】を習得したことにより使用可能になった特殊防壁を自身の半径二メートルを包み込むように球体状に展開した。
「この状態なら■■■■で、海水に触れずに海中内の空気が取入れ可能になり、酸素を維持することが容易なので海に入っても問題ありません」
【水使いの技能をですからその辺りも完備しているんですね】
「そのようです。天音さんは霊体なので関係ないかもしれませんが、離れたりしたら大変なので背後にいてください。では行きます」
周囲に人の気配はない。
通は迷うことなく海水に浸かり、地面から足が離れ、海中に身を投じた。
(ここで海流を操る)
水操作で渦巻く海流の力を利用して、勢いに乗り海底へと進んでいく。
その時、技能の断片が集合して『海流』の技能を悟る。
(そうか、ダンジョン以外で習得した場合はメッセージが流れないのか)
それはダンジョン沼内部の力が現実世界まで干渉していないことを意味する。
通がひとり合点していると背後霊化した天音が、心配そうに口を開いた。
【魔力は最後まで持ちますよね?】
「大丈夫です。魔力が百五十あれば計算上足ります。三千メートルまで潜る際にかかる圧力で、防壁を水圧圧縮で必要以上に強化しなければいけない場合、もしかしたら足りないかもしれませんが、危険と判断したらすぐに引き返しますし、水精召喚士になったことと、水系統技能のお陰で従来の七割削減できてますから」
【それならいいですけど、くれぐれも無茶はしないようにしてください】
天音に迷惑をかけ、薄暗い海中を暗視で大中小の魚をくっきりと確認。衝突されないように警戒しながら潜っていき、しばらく海中を進むとフワフワ舞う物体が彼らの行く手を遮った。
「クラゲが大量にいますね……」
【不気味な光景です。ひっ! しょ、触手がこっちに反応を!? 気味が悪いので迂回して避けましょう!】
刺激しないよう遠回りして移動。光が届かなくなったところから暫く海遊すると会いたくなかった大きめのシルエットが向かう先の海底に薄黒く浮かびあがる。
「今度はサメとエイがいます」
【えぇ!? サメですか!? ど、どうします?】
「寄ってきたら魔技で撃退しますが離れましょう。サメとエイ、両方とも危険ですが今の俺だとエイのほうが脅威ですね」
通は釣りを嗜む鋼の祖父からエイの中には、捕食・防御のための発電器官を持っていると聞き及んでいた。
【はあ~~。そうなんですね。都会育ちなので勉強になります】
電撃が通りやすい海中で放電されれば広範囲に拡散される。
射程内に入れば危険なので、察知されないうちに離脱して距離を取った。
それからしばらくして深海に棲息する、地上では滅多に見られない珍妙な生物をできる限り避け《魔技:水壁》の水中では透明になる特性を巧みに操り、場を切り抜け、技能習得条件を満たした目的地である深海三千メートル地点で停止する。
【静かで……この世の終わりのような場所ですね】
水音のみが支配する光が差し込むことはない深淵。この広大な海の底で今も人知れず眠っている人類の数は不明だが、残された人のことを思えば絶対に仲間入りをしたくないのは確かだった。
「さっさと終わらせて帰ります。深水の活力よ集え! 身体水力強化!」
通を中心に六芒星魔法陣が足元に敷かれ、海の底で青白い光を発生させた。
それにより体内水分と深海の水力が通の詠唱に共鳴反応を引き起こし、体内の水分に魔法の力が宿り活性化。追随して新たな技能【水人化】も目覚め、身体改造魔技をその身に習得させる――――とそこへ通が解き放った閃光に呼応して、五メートル級のサメが七匹、海水を引き裂いて猛然と間合いを縮めてきていた。
【やるしかなさそうです!】
天音は《魔技:霊魔弾》を作り迎撃態勢になるが、血で興奮するのでジッとしていてくださいと言われ、魔技をキャンセルして通の行動を見守り背中に隠れる。
「疑似なる深海に蠢く者よ! 主の命により腕を捧げろ! 深海に潜みし悪魔の腕!!」
自分の背より三倍大きい五芒星が背後に現れ、召喚攻撃に位置する《魔技:深海に潜みし悪魔の腕》が発動。
ど太く巨大な六本の蛸腕水触手が召喚され、海中で唸りを上げて力強くサメに絡みつき瞬時に拘束する。
残りの一匹が接近するが《魔技:水壁》でサメの周囲を取り囲み、拘束を解除した後に海流と水操作で七匹全部を戻ってこないように他の生物もまとめて遠くに押し流した。
【あはは……まったく……呆れてしまう力ですね? 水中で通君に勝てる生物は、異星人を抜きにすれば存在しないでしょう。海の生物が簡単に押し流されてしまう力に敵うはずありません】
通が使っている力は自然の力の簡易バージョン。本物の災害には劣るが能力は本物でちっぽけな人間が抵抗するには無理がある。通が放つ激流に呑み込まれて即アウトだ。
「名目上、職業が水使いですから、自分有利な領域内で負けるわけにはいきませんよ」
立ち話でもなんですし、帰りましょうかと、背を向けて浮上しようとした通に、天音は待ってくださいと背後から声をかけた。
【通君…………何か聴こえませんか?】
「……冗談を言うのはやめてくださいよ天音さん。こんな世界の果てで難聴にでもなりましたか……」
水音しか耳に入ってこないが、天音の深刻な顔から自分には聞き取ることのできない、謎の音声が存在しているのかもしれないと考えた通は、全神経を集中させる。
「……俺には何も……」
【っ! この下から悲しみに満ちた泣き声が! はっきりと聞こえます!】
「この下って……海の底からですか! 水深三千メートルより深い! まさか!?」
通は思い浮かべてしまった。海に漂う霊体を、誰にも見つかることなく嘆いてる霊魂を! 仲間である天音に語りかけているのだと!
「天音さん! 気味が悪いので今すぐ浮上します!」
【ま、待ってください。この声、動物の声に近いです!!】
「へっ? 動物ですか?」
【そうですよ! いったい何を想像したのですか!】
「それは…………ありきたりな……ですよ」
話が食い違っていて通は死者の声、天音は生者の声として推論していたため、通の説明を受けた天音は、歯をガチガチさせ身内を怖がりだした。
【と、と、とおるくん! す、すぐに海面へ避難しましょう? 私、ゆ、幽霊ダメなんですよ!!」
幽霊が幽霊を怖がるとかギャグか! とは突っ込まない優しみの男、通。
さっきと正反対の格好だが冷静になって考えてみると、このまま帰ったらスカッとせず、絶対気になって眠れない。
「天音さん、俺には謎の声が聞こえないので恐らく危害をくわえてこないかもしれませんが、天音さんは声を聞いてしまったので、このまま立ち去ったら呪われてしまうかもしれません」
【そ、そんな! 私、幽霊なのに祟られてしまうんですか!?】
真に受けないでください。ジョークですよ? と不安を解消するつもりが、天音は冗談として受け取らず、泣きそうな表情になり煽った形になってしまった。
そこまで純粋に信じ込んでいるとは露知らず、怖がらせてしまったことに後悔するが、確認しなければ呪われると口車に乗せて、怯える天音に声が聞こえる先を案内してもらう。
「まだ下ですか?」
【声は近くなっています…………】
帰りたい、今すぐ引き返したいと泣く天音に案内され底が見えてきた。天音は海底から伝わる波動を感じ取り途端に元気を取り戻す。
【この下から聞こえてきます! 大きさからしてやっぱり人間ではないです!!】
「天音さんには何が見えてるんですか?」
【巨大な青色のオーラがこの下に埋もれています!】
それが声の主と理解して、一面が砂に覆われた箇所を海流と水操作を使い、離れたところから砂を巻き上げ除去していると、軽く目視で計測しても二十メートルありそうな巨大な骨の塊が砂煙に隠れて舞い上がった。
【通君! その骨が声の主です】
「これは……クジラの骨? かな」
クジラの骨なるものを傷つけないように水操作でゆっくり海底に寝かす。不思議なことにバクテリアの分解が進行している形跡がない、見事なクジラの屋台骨だった。
「天音さん、この骨の言葉わかります?」
【それが、海中に放り出されたあたりから声が途切れてしまったんですよ】
クジラの骨が天音だけに語りかけてきた不可解な謎。
深海三千メートルより深く潜る予定ではなかったこともあり、じっくり考える猶予はない。
通はスマホで暗闇の中で写真を撮ってからトークンスライムを召喚してクジラの骨を回収。
スライムをトークンに戻してから、海流操作を完璧に自分のものにして時速百キロメートル以上のスピードで急浮上した。
海面近くまで浮かび上がったところで一時的に待機して、霊体の天音に周囲に住人がいないか探らせてから浜辺に上がる。
特殊防壁を人知れずに解き、スマホを覗き込むと時刻は五時四十分。通は朝のジョギングを急いで終わらせ、ポストにある新聞を左手で持って玄関のカギを開けた。




