第六十三話 タイムリミット残り五日
あのあと夜中の集いは、辻巡査と大鐘巡査らが来る前に解散。そのまま就寝しようとしていたところに担任の大川先生から連絡が入り、明日の朝七時前に職員室に来てほしいと伝達された。
その後、微睡に落ちて今は翌日の水曜日、明朝四時四十分。母の最長タイムリミットは残り五日。
朝日がカーテンの隙間から差し込み、鳥の会話で目が覚めた通はベッドの横にいたスライムに朝食を作るように命令。
天音が外を散策しているあいだに、早起きをして誰にも己の心情を外部に漏らさないよう母の姿形を朝一番に探るが足元に変化は無い。
プル情報では足の爪先から彫像化が始まると聞き及んでいた。ホッと一息して心を落ち着かせたその時、幼いころ熱で寝込んだ場面がちらついた。
(昔と正反対だ…………)
母が幼い頃に、お粥を作ってくれて食べさせてくれた記憶が蘇り、たちまち感情的になって自然と涙がこぼれた。
(俺はあの時と全く変わっていない)
泣き虫のままで、母に対して何もできないでいる。目が覚めれば伝えたいことが山ほどある。
日本を代表する若手社長から直々にスカウトされ、母が働かなくてよくなるほどの資産を譲り受けたこと。
命を落とすかもしれないダンジョン最前線に、親友の鋼を巻き込んで挑戦していること。
学校に通っているのに髪色が水色になって退学になるかもしれなくて困っていること。沢山秘密にしてしまっている。
母との思い出に浸っていると、それは期せずに訪れた。
【もういいだろう? お前は頑張った。もう諦めて休むべきだ。お前のことを思って俺は忠告してるんだぜ?】
(やめろ!)
時間が経ち、少年時代とは変わり精神は成熟しつつある青年。通の胸に宿ったモンスターが苦労するのを避けるように、壁が存在しない平坦な道に誘う。
【いいじゃないか、これまで自分の叶えたい、やりたい願望を我慢して暮らしてきたんだ。少しぐらいズレたって誰も文句は言わないさ】
母を病魔から解放すれば親孝行できる目前まで生きてきた、通に芽生えた負の感情。
【親がいなくなれば、小言を言われることなく、あの金は使い放題! 目覚めた力で富、名声、権力、女さえ全てが思いのままだ! なあ、頭では理解しているんだろ? どこにも慈悲はないと。わかる、わかるよ、父がそうだった! 神などいない、世界は悲しみの上で成り立っている】
(黙れ、黙れ、黙れ! それ以上、俺に語りかけるな!)
【つれないこと言うなよ兄弟。俺はお前で、お前は俺だ。認めろ! 賢いお前ならわかってるだろ? 病神クレハの気まぐれ次第で、お前が今まで守ってきた約束、努力、行い全てが否定されて無に帰すと】
(駄目だ…………ここにいたら心が折れる)
憤りを感じながら病状の進行は抑えられていると割り切り、現実に目を向けて自分の頬を両手ではたいて活を注入。己の亡霊から逃げるように寝室を後にして、通は寝間着から着替えて、水髪を隠すため帽子を深く被って家の外へ出た。
霊体の天音は通が活動したのを察知したようで、こちらに向かってきている。感力が上昇したことで得られる五感効果を実感して、天音が飛んできている西の方角に走り出す。
【通君、おはようございます】
通は正面から手を振り挨拶してきた天音に、走りながら挨拶をした。
【今日になって急にジョギングをするなんて…………気晴らしですか?】
「ええ。家にいると母のことが気になるので、動いて気を紛らわせないと」
向かい風のなか軽快な動きで坂になっている道路を駆け上がり、途中で犬の散歩をしていた近所の人に挨拶をしてすれ違い、息を切らすことなく登りきって目の前の坂道を下っていく。
【通君、ペースが早いですよ!】
朝が早くても外で活動している住民はいる。周囲の目もあるため、天音から注意を受けるが通は速度を緩めなかった。落としたらアイツが現れる。思い浮かべないよう、振り切るには全力に近いスピードで走る必要があった。
その速度は交通標識が掲げる時速五十キロメートルより速く、道路を走行する前方にいた黒のミニバンを追い越してしまうほどで、運転手が走り去る通に度肝を抜かれていた。
視線に気づいた通は横道に入り運転手を撒き、立ち止まる。一キロメートル以上を時速五十キロメートルを上回る速さで走り抜けたというのに体は疲れ知らずで、息も平常時のままで一切乱れがない。
「本当に人間を辞めてしまったのかもしれない」
【えっ?】
思い詰めた一言を呟き、走り出す通。今日は少し様子がおかしいと感づいた天音は、追いすがるかたちで背中に憑りつく。
通は西から東にある海へ向きを変え、追い風を利用して加速、全力で駆け抜ける。
海に近づくにつれ「潮の匂いを」肌と鼻で知覚して、防災教育で知ったある文章(詩)の一文を思い浮かべた。
『おまえは誰ともつながってなどいない、一人で勝手に生きろと、何処かの誰かが遠まわしに言っている』
被災者を形成していた環境すべてを波に押し流された後、己の心境を綴った文章。体験。あきらめに似た悟り。
(それと比べれば俺の苦しみは、いくらかマシだ。支えてくれる仲間がいて、母が助かる希望も残されている。それにまだ海を嫌いになっていない)
通は潮風を帯びながら天音と共に海へ辿り着いた。沖の方には数隻の船が動きを止めて漂っている。
【通君! 靴が砂だらけになってしまいますよ!】
通は運動靴にもかかわらず砂浜に靴跡を残し、砂で汚れると反対した天音が通の立場を考えて優しく接しているのは知っているが立ち止まることはない。
我儘な行動に出ても天音は付き従うことしかできない。悪いと思っている、罪悪感はあるが、それがどんなに有難いことか例の文章で痛いほど身に染みていた。
【通君?】
波打ち際までやってきて動きを止めた通。プルからの情報でどうしてもやっておきたいことがあった。
「伝えるのが遅くなってすみません天音さん。今から深層――――深海三千メートルまで沈みに行くんですが付き合ってくれませんか?」
【えっと…………よく聞き取れなかったので、もう一度お願いします】
「今から深海三千メートルまで沈みに」
【はいぃ――――!!? (深海三千!? もしかして入水自殺をするつもりですか!? だから今朝から様子がおかしかったんですね!?)駄目です、絶対ダメですよ通君! 人生を投げ出したらいけません!】
「え! ちょっ! 天音さん!?」
霊素を解放して通に抱き着き、意表を突かれた通はそのまま天音の柔術で砂浜に押し倒され、意地でも海には入らせないと警官逮捕術の寝技で拘束される。
【海に入らないと約束しなさい! そうしたら拘束を解きます!!】
「いだだだだだ!!? 勘違い、勘違いをしてますよ天音さん! 俺は技能を習得するために潜るんです!」
【えっ!? で、でも、許しません! 沈むではなく潜ると最初から言えば、私が誤解することはなかったのですよ!!】
天音が身体を密着させるが、触れ合う感触を楽しむ暇も無く激痛が襲い、不純な感情は瞬く間に四散した。
魔技を使えば逃れることは可能だったが、説教をしてくれる彼女が落ち着きを取り戻すまで通は抵抗らしい抵抗をしなかった。




