第五十九話 ヘアカラー
通はデイジーの許しを得る条件として、指定された焼き肉店に一時間半滞在していた。
店先の額縁看板には「和牛庵」と力強い達筆文字で刻まれている。
時は水無月、火曜日の午後八時。会計小切手には二十万の文字。
スマホ買い替え時に銀行から下ろした手持ちの諭吉八枚では足らず、通は鳳月に頼み資源取引査定額から天引きする帳尻合わせを二人の間で取り決めた。
木札に筆で書かれていた「神戸牛リブロース大判ステーキ、百グラム五千円」の文字に、残高不足と頭によぎり度肝を抜かれたが、親睦を深めようとデイジーの提案で鳳月と乾運転手を巻き込んだのは正解だった。
そんなこんなで食事会が終わり一名不満顔な霊体もいるが、満腹になった七名は店先の庭にある足場の切り分けられた石畳上を歩み、周囲を彩る風流な竹のアーチをくぐり抜ける。
「デイジー嬢、なかなか通だな。ダイバーシティ内でここを選ぶとは」
「ふふふ! 電波技能を駆使してリサーチ済みよ。私の眼が青いうちは、美味しいと噂される肉の店舗位置を逃がすことはないわ!」
「デイジー、肉のことになると我を忘れるな……」
「食事で二十万も請求されたの生まれて初めてだよ……」
【肉体を取り戻したら絶対に奢ってくださいよ通君!!】
苦い経験をした通と天音をよそに一同がリムジンに乗り込み、乾運転手が車の向きを変えてダイバーシティの検問所を通り抜け、クランメンバーの目的地まで走行する。
「また明日な通」
「髪の毛、戻るといいわね」
「治らなかったら担任に事情を説明して、一週間ほど学校を休むことにするから…………」
鋼とデイジーが通の家に預けておいた荷物を回収して、車の中に運び入れる。
「鳳月さん、乾さん。デイジーさんを頼みます」
「心配いらない、通君に譲渡した住宅なら警備員と防犯装置も完備している。大事になることはないだろう」
「そうそう。今のデイジーなら返り討ちだろ」
「鋼君、一言余計よ」
「いててて、耳引っ張んなよ!」
デイジーの身辺強化のため、住まいをマンションからダイバーシティにある通の持ち家へと、一時的に移すことが決まった会話を終えて、胴長の車体姿が地平線の彼方へと消えていく。
鍵を開けて家に入り玄関の戸を閉め戸締りすると、母の世話をするため家に残していたスライム達がボール状になって転がってきた。
「出迎えご苦労様」
【主人のご帰還を喜んでますね】
スライムの様子からして母親はまだ無事。容態が気になってる通は母の寝室に移動する。結界内で静かに眠っているが予断は許さない。
【良かったですね。変わった変化はありません!】
そばにいても力になれることはない。近くにいるだけで精神が削られる。
通は少しのあいだ安らかに眠る母の顔を拝んでから泣く泣く寝室を後にして自室に戻り、電気をつけ天音が見たいチャンネルを出した後、家の留守電を確認する。
内容は母の勤めている会社の仕入れ先と納品先でダンジョン沼によるトラブルが発生。水、木、金と三日間休業の連絡が入っていた。
鳳月が語った内容が正確さを示すように、レベル1ダンジョン沼の数は劇的に増えている。TVを点けて映ったところも黒々とした液体が波紋する不気味な闇沼を撮影していた。
いま国内で確認されている沼は、一つの都道府県につき百五十から三百ほどあり統計で約一万件。海外全域を合わせると判明しているだけで前代未聞の三千万件に近い。
これでは人手が不足するわけだと、米大統領が不承不承で規制解除に踏み切ったのも共感でき、進んで悪役を買ったことに同情すらできる。
唯一の救いは沼が捕食しなくなったことと侵入制限を課したこと。未発達の子供が被害に遭わないように滅星が調整してくれたので、批判は最小限になったといえよう。
しばらく生活リズムがダンジョン沼で狂わされると感想を抱きながら、通は先を見つめて風呂場に向かう。
ヘアカラーを落とそうと天音の方法を孤軍奮闘して試してみるが虚しく、洗い流しても色彩が落ちることはなかった。
入浴を終えて次に洗面台で鏡に映る自分を見ながら色染めも試すが、塗ったそばから黒色素が水色髪に吸収されていき上手く染まらない。
無駄だと匙を投げた通は、重い足取りで階段を上り自室に入る。
【通君、気を落とさないでください。明日になれば色素が抜けて黒髪になっているかも知れませんよ!】
天音の慰めは通の胸には響かなかった。都合の良い奇跡は起きるはずがない。
明日の学校、今の地毛で通学風景をシミュレーション。全身の力が抜ける感覚を味わいながらデスク前のマイチェアに腰をかけた。
「担任に説明して諸事情で一週間休むことにします。これで気兼ねなくレベルアップに専念できるので、最終的には良かったのかも知れません」
【ものは考えようですね】
通は学校から出された課題を片付け、担任の大川先生に現在の髪色問題について写真付きでメッセージを送ると、すぐに担任から電話がかかってきた。
「通君、本当に色が落ちないの?」
「はい。どうやっても黒髪に戻らないので、一週間ほど諸事情として学校をお休みしたいのですが……」
清涼高校学内。通の授業態度は極めて真面目で、ヘアカラーを変える性格でないことを把握している大川先生に、ダンジョンの後遺症と伝えたところ。
魔魂水晶化現象のような不気味な病魔があるのだからと、疑うことなく簡単に生徒の言葉を信じた。
通の日頃の行いが実を結んだ結果だった。




