第三十九話 トゥエルカ・ナハラ・カーティル(下)
人間一人を楽々と天井まで引き上げる恐るべき相手の力を前にして体がすくみ、トゥエルカ・ナハラ・カーティルが残していった金縛音波の効果が切れるが、自在に手足を動かすことができない人間体の四人。唯一肉体の枷が外れている天音が通の身を案じ駆け寄る。
【大丈夫ですか通君!?】
守ってくれた人の両肩を霊素を纏わせた手で掴み、瞳をじんわりと滲まして心配する天音。
「だいぶ痛みますが…………調査に支障はないです」
【どういうことですか!? どう見ても続行不可能な大怪我ですよ!!】
「理由はすぐに分かります。プル」
痛みを我慢している通に近寄ったプルが自身の液体で傷口を消毒殺菌し、核に収納していたタオルで額をグルグル巻きにしてから、一匹のスライムを生贄に捧げる。
『スライムサーヴァントを主人に捧げ「生命転嫁」が発動します』
『負荷として十秒間行動ができなくなります』
一体のスライムが消滅し、青く輝く生命の残滓が通を対象に渦巻き溶け込んでゆく。
その光景を五人とスライムが見守り、事象が収まったあと通は血塗られたタオルを取り外し、新しいタオルをプルから受け取って、プルの体液で濡れた頭部を拭き取っていく。
タオルに血痕が付着しないことから患部は完全に塞がったと読みとった一同は、安心して深い息を吐いた。
「……やべえ……今の俺が標的にされたら普通に死ぬ自信あるわ……ホバリング待機してから予備動作なしで左右に垂直移動するから、全然動きが読めねぇ」
譲り受けた光黒バットに体の重心預けて脱力する鋼。
「にしても今の蜂はなんだったんだ? 嵐のようにやってきて嵐のように去っていきやがった」
壁に寄りかかり、何もできなかった己と葛藤しながら今の戦闘を脳内処理で掘り下げる辻巡査。
天音とプルがタイミング良く挟撃できたが奴は一発も被弾することなく避けた。後ろに目ん玉がついているのか疑ってしまう、尋常じゃない卓越した空間認識能力とスピード、更に人間を凌駕するパワーが合わさった相手。
背後から斬りつけても、空中バク転スピンからの噛み切り、毒針突きで返り討ちにされる光景が鮮明に浮かび上がり、挑むには早すぎる相手と断定したところで、身体の芯から震えているのを辻巡査は今頃になって認識した。
「辻巡査、大丈夫ですか?」
「なにがだ大鐘? 言っとくがこれは武者震いって奴だぞ!」
あくまで恐怖心を武者震いと言い張る辻巡査。
「まあ、それは置いとくとしてだ。大鐘、お前はどう感じた?」
「先程の昆虫ですか? そうですねぇ。モニターに映し出された蜂型よりふた回り以上大きかったので、恐らく成長すればああなるのでは?」
冷や汗を垂らし、冷静に分析する大鐘巡査が正しければ、今回のダンジョンにはあのクラスがまだ多数生息していることになる。
それが事実ならダンジョン攻略は絶望的に等しい。
「それは違いますよ」
大鐘巡査の意見に真っ向から口を挟み否定する通は、プルから得たダンジョン情報を照らし合わせ、共有することにした。
「まず奴の正式名称ですが『※トゥエルカ・ナハラ・カーティル※』といい、米印が名前に付いていることかられっきとしたネームドです。つまるところ特殊個体で、他と一線を画す実力を持ったボス級に準ずるレアな生物です」
――パン! と手を叩き、何かを懐かしそうに思い出した鋼が硬質バットを引きずってくる。
「ああ――――とあるゲームであったな、確か○○○の迷宮で徘徊型のFOE的な奴!」
【あっ! 私それハマってましたよ! 戦闘中に割り込まれて手に汗滲む展開でハラハラドキドキしながらプレイしてました。面白いですよねアレ】
危機的状況だったのにもかかわらず仲良く意気投合しだす二人。通も鋼から面白いと言われて始めたユーザーだが、シビアな話の途中なので混ざるわけにはいかない。
「て、ことはあれか? ゲーム設定の極悪非道な徘徊型モンスターが、いまリアルでその辺を闊歩しているのと変わりないと。この答えで合ってるか天鐘?」
「ぶっちゃければそうなります」
いわゆる無理ゲーに頭を抱え、途端に騒ぎだす辻巡査。
「滅星の野郎は何がしたいんだ? 俺たちが成長する前にダイバーを皆殺しにでもするつもりか!?」
「あながち、間違いではないかも」
「どういうことだデイジー?」
今まで無言だったデイジーが、持論を唱えて会話の輪に加わる。
「あちら側はこの程度で不平不満を吐き出すヘタレは必要ないと思っているんでしょ? だって優しく接する必要なんて、宇宙人にはどこにもないんだから」
【でも、あの異星人は、私たち人類と手を取り合いたいとおっしゃっていましたよ?】
「それは表面上の話でその気にさせ、裏では必要な人材を獲得するために積極的に手回ししているに違いないわ。特に今回のレベル2チケットを配布された百人は目をつけられている可能性が濃厚よ、注意してね通君」
「……薄々勘づいてたけど、デイジーさんが言うなら間違いなさそうだね」
注意したところで、軽くあしらわれる姿を予見できる通。嫌がっても強引に魔法で従わせることを平然としてきそうで気分が滅入る。
「それと通君が説明した蜂型昆虫の名称なのだけれど、何故かアラビア語が使用されてるのよね」
デイジーの何気ない一言で、皆の視線が天才留学生に注がれる。そこにあるのは尊敬の眼差し。
「まずナハラはアラビア語で蜂を意味するの。次にカーティルは暗殺者を表す言葉なの」
「暗殺者……」
言われてみれば確かにあれは暗殺者そのものだと、デイジーの説明に納得するクランメンバーたち。
「総合すると、ここトゥエルカを縄張りとしている殺人バチね」
「デイジー、何か対策はないのか?」
「そうね……虫が嫌う匂いを焚けば、もしかしたら近寄ってこないかも知れないけど、地球の昆虫とは生態が違うでしょうし、あまりお勧めできないわ。逆に興奮して発生源に集まってきたら目も当てられないから、静観するのが賢い選択なのかもしれないわね」




