第三十八話 トゥエルカ・ナハラ・カーティル(上)
その時だった、通、辻巡査、大鐘巡査、三人の耳元に微かな羽音が同時に届く。
「聞こえましたか?」
「ああ」
「前方に昆虫が居ますね」
三人が顔を合わせ、弛緩していた雰囲気が一変して緊迫化し、男性陣が各自武器を構える。
「俺、何も聞こえないぞ?」
「鋼君はしょうがないとして、やっぱり日本人は特殊体質なのね」
【特殊体質ですか?】
天音も霊体で極めて稀な存在であるが、今のデイジーは命が関わっているため、ツッコミする余裕はない。
「科学雑誌に掲載された内容だけど、日本人とポリネシア人だけが虫の音を左脳で認識していて、私たちからしたら雑音でしかない音を言語として聞き取っているそうよ。人体の神秘ね」
「よく知ってるな、初めて聞いたぞ」
「だって雑学だもの」
デイジーが恐怖心を軽減させようとうんちくを話してるあいだにも通路の先、曲がり角の奥から耳障りな羽音が近づいてくる。
ここは推奨レベル16の魔物が徘徊する奴らのテリトリー、通以外が交戦するのはリスキーだと、通は挑戦する前に決めていた行動を取り、プル、リリー、ロードの擬態を解除する。
命令を受けてブレスレットに化けていたスライムが本来の姿に戻っていき、デイジーのスマホをリリーに持たせて実況中継できる形を取った。
「前方に進軍して敵と思わしき生物を排除、素材を回収したのち、先の部屋まで進め」
腕を一本生やし、敬礼してから42匹のスライムたちが一斉に飛び跳ねて行軍する。通路の角を曲がり、姿が見えなくなったところで各自が所持するスマホの画面に注目した。
デイジーの電波能力が仲介役を果たし、リリーが撮影する動画が手元の液晶パネルに画像として現れる。
そこには宙を舞い、接敵しようとしている二十匹以上の蜂型昆虫の群れが映し出されていた。
【どちらも大歓迎ですね】と、通のスマホを肩から覗き込む天音。
「うっ、きもい……」と鋼の隣にいるデイジーが嫌悪感丸出しにした時、戦いのゴングが鳴った。
人顔サイズの蜂型昆虫がプルたちに接近する前に水弾が炸裂し、五体が地面に落下。
リーチは圧倒的にスライムたちに軍配が上がるのを本能で理解し、昆虫たち全てがスピードを落とさずに四枚の翅で羽ばたき回数を引き上げ殺意を解放。蜂の目、黒き膜翅目を爛々と青く輝かせ、玉砕覚悟でスライムたちを猛スピードで強襲する。
「「…………」」
これ序盤だよね? と、この場にいたクランメンバー全員が昆虫の異様さに同じ感想を抱いているあいだにも、争いは次のフェーズに移行する。
針を向けて突進する蜂と真っ向勝負を決めたスライムたちの前衛半分が飛び掛かり、足止めして蜂の進行速度を遅らせるが、回避に成功した残り七匹が前衛の隙間をかいくぐる。
『80の経験値獲得』
「うおぉぉぉ――――!!」
一人、レベルアップで野生の雄叫びを上げる鋼。
時は止まらず、後衛に控えていたプルたちが一匹に対して三体で対処する。スライムたちは針で刺されながらも疑似腕で蜂を捕まえ、控えていたスライムが蜂たちの生命線である翅を乱雑にむしり取った後、体内に招き入れて吸収、消化していく。中には溶かされずにスライム核へ生きたまま収納される蜂もいる。
『プルのレベルが上がりました』
『レベルが上がりました』
『プルのレベルが上がりました』
『レベルが上がりました』
『プルのレベルが上がりました』
『レベルが上がりました』
次々と黄色い文字で経験値獲得のメッセージが流れ、他のメンバーもレベルが上昇。
「うおぉぉぉ~~~~!!」
「ぐうぅぅ……!」
「んんっ!!」
鋼は相変わらず五月蠅いが、辻巡査は辛うじて湧き出る高揚感を理性で抑えつけ、デイジーは口に手を当て必死に声が漏れないよう塞いでいる。その一方で通、天音、大鐘巡査は影響がなく平気な顔で彼ら三人を眺めて、レベルアップ後の快感は個人差があると自覚した。
「っ! 何か来る!?」
「えっ?」
天井のサンタンが不規則に揺れていることに着目し、何者かが近づいてきていると一人察知した通は、咄嗟に魔力を消費してスライム一匹を空中に壁代わりとして召喚する。
天井の異世界植物サンタンに紛れて近づいていた、ひときわ大きい一体の隠密蜂が、飛び出したと同時に召喚されたスライムに接触してふらつき、二回転して体勢を崩す。
通の瞳に映った、緑色の魔素を体中に覆い、常時技能バフを得ている蜂型昆虫の個体名が【モンスター図鑑】の技能効果で頭上に表示される。
『※トゥエルカ・ナハラ・カーティル※』
初めて名前に米印が付いているのに気づき、空中でホバリング待機中の蜂を特殊個体と判断して睨みつけていると、プルがスライムを引き連れて通路に引き返してきた。
疾走しながら放つ複数の水弾が宙を飛び交うところに、天音も負けずに魔弾生成した弾丸を前後挟み合う形で浴びせるが、かのネームドは弾幕を見切り緑色の障壁で防御せずに余裕を持って回避する。
――――GYEEEEEE!!!
その時、蜂型昆虫が金切り声『技能「金縛音波」』をあげ、聴覚を持った人間体を金縛り状態にする。
【あっ……】
トゥエルカ・ナハラ・カーティルの複眼を含めた5つの黒き膜翅目が天音を映しだし、霊体を視認できていると天音は瞬時に認識すると、ネームドの姿が突如揺らいだ。
奴は緑色の障壁を解除して技能「陽炎」を行使。天音の背後に一瞬で移動し、霊素で構成された首部分を食い千切ろうと噛み口に大量の魔力を纏わせ、強靭な顎を横に大きく開いていた。
「天音さんっ!!」
一撃必殺技能「暗殺」を把握していた通の傍にいたスライムがいち早く擬似腕を最大本数の四本伸ばし、ギリギリのところで歯を閉じられないよう全力で抵抗する。そこに、ただ一人、奴の発した金縛音波をレジストした通が援護しようとダッシュし、天音が危機を脱して身を引く。
手が届く位置まで下降したネームドまで駆けつけた通が、針を避けて後ろに回り込んで右翅を両手でつかみ、お返しと言わんばかりに背負い投げでスライム方面の地面へ叩きつけようとモーションに入るが。
――BUBUBUBUBUBU!!
投げられている一瞬にスライムの擬似腕を細い蜂腕で強引にひとまとめにして噛み千切り、拘束が弱まったことでトゥエルカ・ナハラ・カーティルは障壁を纏いトップスピードで天井付近の横壁まで錐揉み回転して飛び上がり、通もろとも勢いよく激突した。
「とおるぅぅ――――!!」
最低でも時速六十キロメートルは確実に出ている。重傷コース間違いなしの衝撃中心地点に土埃が舞い、その反動で通は握りしめていた翅を離し、八メートルほどの高さから地面に対して真っ逆さまに落ちるが、プルが弾力あるベッドに変化して落下の衝撃を四散させる。
【通君!!】
地面に放り出された通が頭部を押さえて立ち上がる。額から伝わる大量の血が、重力によって地面に流れ落ちて事故の凄惨さを物語っている。
――――BUUN――――BUUN!!
眼下に這いつくばる通たちを上空から観察し、数的不利を理解すると後ろ向きのまま群生するサンタンに飛び込み、葉と葉が擦れて音を出すことで羽音をかき消して行動する非常に隠密性が高い、知恵ある特殊個体は通たちの前から姿を消した。




