第三十三話 天鐘通の過去①
おかげさまでPV30000とブックマーク数が100近くになりました。ありがとうございます!
これからも毎日コツコツ執筆していく予定なので、どうかよろしくお願いします。
※本日5話一挙に投稿しました。
※序章の導入部分は通視点になっており、第一章は通に焦点を当てた物語になっています。
※ 第三十三話 天鐘通の過去①から第三十六話 天鐘通の過去④まで一度に読む事を推奨します。
●愛別離苦のアウロラ序章
皆の姿が見えない深淵の狭間、沼に引き込まれていく感覚が支配した空間。
通は瞳を閉じて父が亡くなる前の過去を思い返していた。
それは遅咲きの桜の花びらが全て舞い散った、小学四年の誕生日を迎えた翌日の出来事だった。
午後の授業中に教室の後ろのドアが開き、クラスメイトの前で伝えられた凶報。
「通君! 君のお父さんが倒れたらしいから今すぐに帰宅しなさい!!」
先生に急かされてランドセルに教材、筆記用具を入れて、本棟から離れた別棟三階の教室を後にする。
階段を普段より高い高さから飛び降り、足裏がじんじんするのを我慢して下駄箱で上履きから靴に履き替え校舎を出た。
まだ初夏になる前の時期。
全力で家まで走ったことで、体中から大量に分泌された汗が衣服と肌を重ね合わせ、ベタリと張り付く感触がとても不快に感じられて気持ち悪い。
庭に車が止まってないことから両親はまだ帰宅していないとわかった。
冷蔵庫を開けて冷えたオレンジジュースで喉を潤していると庭に敷いてある砂利が音を鳴らし、乗用車がやってきたと気がついてコップを置いて、玄関先まで飛び出した。
「とおるっ!」
若々しい母が勤め先の営業服姿で目を充血させながら、背が小さい俺を引き寄せギュと力強く抱きしめた。薄っすらと香る柑橘系の匂い。母が愛用している香水の良い匂いが俺の鼻をくすぐったのを今でも覚えている。
「先生から事情は聞いてるわよね?」
「うん」
母が運転する軽自動車に乗車し、庭先から道路に出て、父が担ぎ込まれた病院に向かう。
母が受付職員の人に来訪を告げ、俺は母の手に引かれてエレベーターに乗り、父が運ばれた四階の病室に騒がないよう静かに入る。
室内には三人の患者さんがいる相部屋で、父は窓側のベッドに横たわり目を閉じて眠っていた。
外見の変化は見当たらず、俺には健康体そのものに見えた。
「昇さんの奥さんですか?」
「はい。昇の妻の天鐘恵梨香です」
担当医と話す母は俺に見せたこともないくらい真剣な表情で、医者の話を食い入るように聞いている。
その日のうちに精密検査が実施され、疲れて寝てしまっている父より早く担当医から通告された病状に、母は自宅で俺にしがみついて大声で泣いた。
「泣かないでよ、母さん」
「うん…………ごめんね…………ごめんね」
子供の俺に初めて弱音を吐き、何度も謝り続ける母から聞いた病名はTVでよく報道される何かの癌。
俺はTVで完治可能な病気として理解していたので、当時は気楽に考えていた。
――――ガラガラガラガラ。
夜の21時に帰宅することが多くなった母の顔は悲しみ疲れでメイクが崩れて酷いものだった。
「母さん大丈夫?」
「…………大丈夫よ。父さんがね、明日退院してくるから、今週の土曜日の朝から家族旅行に行くわよ」
「ほんと――!?」
「だから予定を空けておくこと! 母さんとの約束よ」
「わかった!」
母の柔らかな手と俺の小さな手で指切拳万の約束をして眠りにつき、何事もなく父が木曜日に退院。
旅行先は二人が初めてデートした記念の場所である東京ディズニーランドに決まった。
両親の寝室にある写真立てに当時の写真が飾ってあるので、二人が好きなところと十歳の俺でも読み取れる。俺は久しぶりの家族旅行を心待ちにしていた。
当日を迎え、俺は熟睡中に父に叩き起こされた。楽しみにして寝つけなかったのが悪い。
「とおる、おはよう」
「う……んっ…………おはよ……」
「ほら、しゃっきとしろ」
父が俺の頭に手を乗せて、面白がって左右に揺さぶってくる。意識が覚醒して俺が父の腕を掴み外そうとするがビクともしない。
「起きたか?」
「うん。だから頭から腕どけて!」
俺の怒りで父が「悪かった」と謝り、部屋から出て階段を下りていく。
俺は荒らされた髪の毛を整えてから、のそのそと自分のベッドから降りて朝五時半の早い朝食を済ませ、準備万端の家族三人が玄関に集う。
「今日は私が運転するからあなたは休んでいて」
「世話をかけて悪いな」
「退院したばかりだから仕方ないわ……」
そう言って玄関を出て鍵を掛けて、母が自分の軽自動車ではなく、父のレクサスCTに乗り込んだ。
「今日はコッチで行くわよ」
「母さん、運転大丈夫? 事故起こさない?」
「通は心配性ね? いったい誰に似たんだが――――」
母と一緒に父の顔を伺うと、後頭部に手を当てて照れている様子だった。
家を出る時、三人一緒に点検をしていたけど母は二回で終わらせて、父と俺は何回も確認していたから間違いない、俺は父親似だ。
父は体調が優れなく助手席に座って出発してから、ものの数分で眠りに落ちて静かになり、俺は後部座席を独占して母と会話をしてはしゃいでいたのを覚えている。
これが家族水入らずの最後の旅行になるとはつゆ知らずに。
母の無難な運転で目的地に到着。俺たち家族は仲良く手を繋いで入場料を支払い入園する。
「父さん! 次あのバスに乗ろう! 母さんも早く、早く!」
「急かすな通」
「そうよ、父さん病み上がりなんだから」
父は俺が見ている時、片時も母の手を離したことがない。喧嘩をしても父が数分で頭を下げて謝り、大事になったことも一度もない。母は父を尊敬していつも笑顔だった。
俺はそんな温かい両親が大好きだ。
「あ――楽しかった!」
「子供の体力は底無しだな」
「ふふ、元気に育っている証拠よ」
「恵梨香さんのおかげで通を安心して任せられるよ」
沢山の乗り物に乗って笑いあったり、周りにいた入園者に頼み三人が映った写真をいっぱい撮った。
それから昼食を取ってトイレに行きたくなった俺は家族のもとを少し離れ、問題に気づいた時、立ち尽くしてしまう。
「…………やらかした」
本日二度目の失敗。トイレ探しに戸惑っていた俺は用をすませたのはいいが、ディズニーランドの広い敷地内で迷子になっていた。
小四で迷子になってしまった事実をプライドが認めず、己の力だけで探すが見渡しても見覚えのある景色はなく、初めて訪れた場所なので土地鑑もない。
周囲のカップルや親子連れの人が、この夢の時間を満喫していて誰も俺を気にかけてくれる人はいなかった。
独りぼっち。
言い知れない疎外感が俺の心に灯り、必死になって首をキョロキョロさせて園内を探すが、人がごった返していて両親の姿を見つけられず、困り果てた俺が下を向いて歩いていたら突然、黒い影が差し込み。
――――ドン!
不意に訪れた衝撃に俺は耐えきれず、尻餅をつく形で地面に手をつけて倒れこんだ。
「すまない! 怪我はないか……」
見知らぬ髭を生やした若い大人の男性が、俺を上から見上げ悲しみに満ちた眼で手を差し伸べてくる。俺は彼の手を取り、事情を素直に話し助けを求めた。
「通君か、わかった。そこのベンチに座って待っていなさい」
そう言うと彼は近くのアイスを販売している売店に行き、俺を指差して話してからトッピングされたアイスを二つ持って、俺がいるベンチまで戻ってくる。
「通君はバニラとチョコ、どっちがいい?」
「断然チョコ!」
俺がチョコを一口食べると、彼がアイスを食べ終えた頃には両親に会えると話してくれた。
一分一秒でも早く会いたい俺は、急いで手持ち部分のコーンまで食い終え、アイスを奢ってくれた彼を覗く。
目線があった彼は笑顔の正反対の表情で、自分のアイスが溶け始めているのに口にすることはなかった。
「お兄さん、悩み事でもあるの?」
「ん…………ちょっと……な」
ここ数日。母の様子を気にかけていた俺は、人が発するある種の感情に敏感になっていた。
「良かったら聞くよ? アイスのお礼しないとだし」
「いや、君に話しても解決しない問題なんだ……」
目が潤んでいる。よくよく観察すると目の下に黒化粧したクマも出来上がっている。
「お兄さん、最近の母さんに似てる」
「……どういうことだい?」
「母さん、毎日隠れて泣いてるんだ。聞いても、なんでもないって言うから詳しく聞けなくて…………胸がモヤモヤして、一緒にちゃんと傷つきたいのに…………力になれないのが悔しいんだ」
俺はわずかの間で彼のことが好きになっていた。だからか知らないか、自分の胸のうちが自然と口からこぼれ落ちていく。
「…………そうか、それは通君に話すべきではないと考えた母親の優しさだよ。君が愛されている証拠だ。だから母を大事にしなさい」
「うん。あっ! アイス溶けてるよ!」
アイスが黒のズボンに落ちた部分が白く染まる。そんなことは些細なことだと、拭き取るそぶりも見せなかった。
「お兄さん、早く食べないと」
「……あいにく、私はお腹が空いていなくてね。通君が代わりに食べてくれないか?」
「いいよ。そのかわり悩みを聞かせてよ? 二本も貰うんだから、それくらいは仕事しないと」
手渡されたとろけてるバニラを吸うように食べていると、彼が目と口を閉じて鼻で息を吐いた鼻風が、俺の腕に当たった。
「私は…………取り返しのつかない罪を犯したんだ」
「んんっ!?」
びっくりした俺の気管に勢いよく吸っていたバニラが物理的にぶつかった。それを外に吐き出さずに無理矢理飲み込む。
「全然悪そうな人に見えないけど?」
「誉め言葉をありがとう――――何故だろうな、君になら語ってもいいと囁くもう一人の自分がいる」
「えっ! それはすぐに病院に行って診てもらったほうがいいよ!」
俺はTVでやっていた多重人格者を思い出し、本気で彼のためを想って心配したけど、彼は首を横に振って病気を否定する。
「病気ではないから大丈夫だよ――――通君、聞けば必ず後悔するが…………それでも私の罪を聞きたいかい?」
「うん。興味あるから聞かせて!」
俺は話してくれる気になった彼に耳を傾けて、真剣な眼差しを真正面から受け止めた。
「あれは自分の迂闊さが招いた事故だった」
彼が語る内容は一言で言えば子供の俺でも引く、神も仏もない残酷な物語。
彼女との婚姻が決まった当日。
飲酒したのにもかかわらず、今日ぐらいはいいだろうと、彼女を家まで送迎していた最中に大型トレーラーとの正面衝突。
事故が起きる瞬間、彼女が反射で身を挺してお兄さんをドアの方に押してくれた結果、ぶつかった衝撃で外に投げ出され軽傷だけですんだが…………その代わりモデルの仕事をこなす彼女の肉体はトレーラーに圧迫され、見るも無惨な姿に変わり果てていたとのことだった。
「今でも私の両手には救出しようとした時に付着した彼女の生温かい血の感触がのこっている。私の思い上がりが――――彼女の夢も希望も未来も全てを壊したんだ!」
俺にはただじっと聞いていることしかできない。聞くべきではなかったと後悔した。俺でさえ聞いていて辛いのに、本人が背負ってる十字架の重みは、子供の俺には見当もつかない。
「お兄さん。これで拭いて?」
「…………ありがとう」
俺は涙を流した見ず知らずの髭のお兄さんに青のハンカチを渡した。その間にドロドロバニラアイスを美味しく完食する。
ハンカチを返してもらい、顔を見ると喋る前よりだいぶましになっていた。
「今の私は抜け殻も同然だ」
「お兄さん、抜け殻は勲章なんだよ! 蝉の抜け殻カッコいいじゃん!」
夏休み、いつもクワガタやカブトムシを取りに行く時に発見する蝉の抜け殻を、俺は鋼や友達と揃って胸バッチとしてくっつけている。それを元気づけようと必死に仕草をして伝えた。子供の勲章として。
「あ、お兄さん初めて笑った」
「ははっ、君は不思議な子だな」
「とおる――――!!」
「っ! かあさん!」
ここから姿は見えないが、遠くから俺を呼ぶ母の声が座るベンチまで聞こえてきた。
「通君、迎えが来たようだから私に構わずに行きなさい。私の顔はひどい顔だろう?」
「うん。他人に見せられないね」
「ははっ、正直で結構。早く戻って母親を安心させてやりなさい」
「お兄さん、アイスありがとね――――バイバイッ!」
「通君、私の方こそ礼を言う。今日、君に巡り会えて本当によかった。またいつか会おう」
お互いに手を振って別れ、俺は無事に母の声を頼りに再会を果たした。




