第二十八話 ブドウ×ワイン×ジュース?
僅かなアルコール臭と嗅いだことのない不思議な匂いが充満する車内で、挨拶を交えながら仕事中にお酒を飲んでることを面白半分に通たちは咎めた。
「二人とも、こんな朝っぱらからお酒を飲んでいてもいいんですか?」
「こ、これには複雑な、大人の事情があってだな……なあ大鐘?」
「はい……実は鳳月総帥にすすめられまして…………頂けるものが大変貴重な赤ワインでしたので…………誘惑に勝てず…………」
「本・当かなぁ~~?」
【嘘でしたら私、佐々岡警部に言いつけますよ?】
学生の興味本位の視線よりも、同僚である天音の言葉の方が遥かにパンチが利いている。もはや顎の内角深めにクリーンヒットしたアッパーカットだ。ノックダウン寸前である。
怖い霊体の疑いを晴らすには、原因元となった人物に助けを求めるしか道はない。同僚の後輩に追及される二人が憐れに映り、通が間髪を容れずに間に入る。
「鳳月さん、公務中の警察官に何故赤ワインを勧めたんですか?」
俺、気になりますと答えを尋ねる通は天然で、事態を急速に悪化させるだけだ。
「私は彼らと親睦を深めようと無理を承知で辻、大鐘巡査にお酒を飲ませただけだ」
「強引ですね……でもこれって賄賂罪になりません?」
「ははっ、心配しなくとも該当しないから安心したまえ。警察上層部とは公約したが、私は彼ら二人と明確な約束を交わしてはいない」
天音を横目で見ると渋い顔で頷いていることから刑法で罰せられないことがわかる。その間に鳳月は変わった形のワインボトルを手に取り、名称を伝えた。
「彼らに勧めたのはヴィンテージ物のロマネ・コンティだ」
ロマネ・コンティ。世界で有名な高級赤ワインの名だ。天音が物欲しそうな表情をしているがありありと読み取れる。
【職務中にずるいですね――――二人とも言い残すことはありますか?】
かりそめの笑顔のはりつけた天音。冷房が利いた車内でも背中から脂汗が流れ警官服まで湿らす辻、大鐘巡査。
蘇生が完了し仕事に復帰しても天音は神隠しに遭ったため、上司である佐々岡警部にリムジン内の案件を告げ口主張しても本来ならば通ることはない。
だが天音は新人にもかかわらず物覚えと要領が良く、真面目な事務仕事により署内では定評があり、上司にも気後れせず物事を包み隠さず伝えるため管轄内では非常に信頼されていて、中間の立ち位置である本件を黒に持っていく実力は持ち合わせている。
お茶目で容姿端麗、状況判断能力も優れており上司たちの受けもいい。そんな彼女が強気で報告すれば引け目を感じている二人の巡査が追及され、署内で窮地に陥るのは間違いなかった。
「どうした二人とも顔色が悪いぞ? もしかして悪酔いでもしたのか?」
「そういうわけでは……」
この中で唯一天音を視野に入れることができない鳳月が心配そうに両者を覗き込む。
「二人とも災難ですね」
「どういうことだい天鐘君?」
「いえ、こちらの話です。それより早く出発しましょう鳳月さん、リムジンは悪目立ちします」
「それもそうだ」
天音以外がU字型ソファーにキチンと座り、車内マナーが完了したのを見計らい、鳳月が行き先を乾運転手に伝えた。
「乾、例の場所だ」
「はい。わかっておりますとも鳳月坊ちゃま」
「鳳月さん。例の場所とは?」
「それは着いてからのお楽しみだ」
リムジンのスピードに振り落とされないように通の背後に天音は憑りつき、通の自宅を離れてから鳳月が学生三人にグラスを手渡し、ワインラックから一本のボトル瓶を引き抜いた。
通達の心配をよそに鳳月はコルク栓を抜き、中身を注ごうとしてくる。自分の手前にグラスを傾けて注がれないように拒否をする三人。
「取り締まる人がいるのに未成年である私達に飲ませる気?」
「安心したまえ、これはワインではない。ただのグレープジュースだ」
「それならやましいことはないわよね? 表のラベルを見せてもらえるかしら?」
鳳月が見やすいようにとボトル瓶を半周回し表を見せる。警戒するデイジーは記載されたラベル面を口に出して読み取った。
「ブルゴーニュ、フランシュ、コンテ地域圏。フランス産の…………はぁ、ここまでする必要が本当にあるのかしら?」
読み終えたデイジーは小さく笑み浮かべながら真意に気づき、ソファーに脱力しながら背中を預けて呆れ顔になって鳳月をみつめた。
「流石はデイジー嬢。情報通りにフランス語を全文解読して理解してくれたようだ」
「デイジーフランス語習得してるのかよ!? なんて書かれてたんだ?」
「これ、鳳月総帥専用のグレープジュースよ」
「専用?」
「文字通りの意味よ鋼君。親愛なる鳳月総帥に味わってもらうため、ワイナリーのドメーヌ達、目利きの熟練生産者が腕によりを込めて製造されているのよ。総帥への感謝の言葉が記載されてるから間違いないわ。一般的には感謝の手紙で済ませるのだけど、わざわざラベル面に書かせてある所がどれだけ相手が気を使っているのか手に取るようにわかるわ」
お酒ではないと判明した途端。飲食業を担う予定の鋼が好奇心に勝てず、真っ先にグラスにお酌しやすいように鳳月へ縁を傾ける。
「鈴原君。グラスは人に向けるものではない。真っ直ぐに立てておくものだ」
注意する鳳月に悔しがる鋼。隣のデイジーが口を震わせて笑いを堪え忍んでいるのが見えて、恥ずかしさで落ち着かない様子。
「今後君達は未来で有名人になる可能性がある。だから今からでも遅くはない。最低でもディナーのマナーだけは学ぶ努力をしたほうがいい」
「それは僕たちも含めてでしょうか?」
「当然だ。世界の著名人が君達個人に対して交渉のテーブルを設ける場合も想定している。天鐘君の仲間としてやっていくのなら近いうちに必ず必要となる」
質問した大鐘巡査の問いの答えを言い切った鳳月の表情に歪みはない。将来的に訪れる問題として肝に銘じ、鳳月が酌を注いでくれた縁が深いグラス内の飲み物に口をつけ、口内で泳がして芳醇な味を堪能して口当たりがいい飲み物を通たちは飲み干したが、唯一リムジン内で残り僅かのロマネコンティを名残り惜しそうにチビチビ飲み進める辻巡査に悲劇が襲った。
「っ! 危ない!!」
乾運転者が声を荒らげ、本の一瞬急ハンドルを切り車体が大きく揺れた。その反動で警官服にシミになり易いワインがいくらかこぼれた。
「やっべ、シミになる!」
動揺する辻巡査が所持するハンカチで悪あがきする。もちろんそんなもので予防線になるわけがない。
「鳳月さん! ソルト! お塩あるかしら!」
「最善策を知っていたか、さすが英国子女だ」
「褒め言葉はいいから早く!」
鳳月はアクシデント対策としてしっかり準備してい
たようで、ワインをこぼした時の対処法を心得ていた。
「おおおっ!?」
警官服が濡れた部位に大量の塩が投下され、こぼれた場所にたっぷり盛り塩をして辻巡査が揉みこむと、真っ赤なシミが魔法のように塩に吸い取られていく。
「多少は後に残るが、我慢してくれないか」
「自分、こんなの気にする細かい漢ではありませんから」
大人の会話で場を収める二人。一部始終をハラハラ見守っていた乾運転者が申し訳なさそうに謝罪した。
理由を聞くと、ダンジョン沼らしきものが道路脇にスパークを発生させて現れようとしていたらしい。
それに合わせて回避動作をしたとのことだった。
それから大鐘巡査が警察署に連絡を取っていると、小型モニターに映るダンジョンに関するニュース速報から一転して、ヘリコプターから中継している空中の場面に切り替わる。咳き込む女性レポーターの声色で、全員の意識がモニターへ向く。
画面には朝でも紫色の異質な点滅を続ける巨大な塔の姿があった。
「皆様、見えますでしょうか!? 信じられない光景です! 私はいま、一晩のうちに富士山よりも高く、隣に、富士の樹海の中に建設された建造物を空中からお届けしています!!」
滅星の統治者が作り上げた、世界に一本だけ存在する交信塔。世界各国からも取材用のアポをいち早く取り付けた番組スタッフや、権威のある研究者。偶然にも滞在していた親日大使を乗せた軍用ヘリも交信塔周辺を飛び交い緊迫する事態になっているものの、叩き落とせる力があるあちら側は沈黙を保ち、攻撃を仕掛けてくることはなかった。
「はい……はい。はいっ!? 今! 政府から電撃発表がありましたっ! 建造物の名称が『富士の魔塔』に正式に決まったようですっ!」
ヘリの不快なプロペラ音を耳に残しながら場面が切り替わり、国会中継現場が映し出された。首相が代表として粛々と声明を打ち出し、緊急事態の鎮静化を図ろうと各国に向けて協力要請を打診したとのことだった。
「細根首相も海外からの圧力には逆らえなかったか」
「も? ですか?」
「ああ、私の専用回線に多方面の友人から連絡が舞い込み、建造物の調査許可が欲しいとお願いされていてね。無下にできない信頼できる人物だけに、首相の秘書あての通話番号を教えたんだが…………見事、首相を陥落させたようだ」
陽の光に当たることのない情報を知り、政界って怖いなと感想を抱き、世界の荒波に呑まれる自分を想像すると笑えない。鳳月の指令で同じ目に遭う可能性があるのだから。
「細根首相の発表は賢明な判断と言えるだろう。隣国が世界の危機だと称し、制空権を無視してやってきても不思議ではない。それほど世界にとって魔法は脅威だ」
天鐘達は鳳月の仮説を強く否定できない。人類を魅了する、力の象徴とされる魔法の建造物が日本だけにあるのなら、いつ強硬手段に打って出てもおかしくはない。通例なら世界中から非難されるが、時と場合によっては簡単に世界常識が覆る。
それだけの事象が昨夜にて起きてしまったのだから日本も焦るし他国も焦る。滅星の統治者は平和的に事を進めたいだろうが、これは人類のモラルの問題。統治者のトリスが見かねて介入するかもしれないが、それを逆に利用して隣国が都合の良いように情報を操作、捏造、改ざんし、間接的に推し進めてくるかもしれない。もちろんかの国の目標終着点は日本とトリスが裏で密約を交わし、世界を手中に収めようとしているだの、でっち上げ、陥れる形として。
「他国の横やりで現場の混乱が極まってますね」
通の意見に満場一致で同調し、押し黙っていた現職警察官が不満げに現状を語りだした。
「俺達警察官も新たに発生したレベル1ダンジョンの対策に手を焼いている。市民が勝手に挑戦しないように通行の制限を設けているが、ダンジョン沼の位置を掴めていない箇所も何か所かある。全て封鎖するには人手が圧倒的に足りない」
「それにダンジョン処理するにも今朝からは新条例を適用させて、市役所で許可を得た住民と共に入らないといけませんから、突入するまでに危険を言い聞かせ、足並みを揃えないといけないので無駄な時間が生じるんですよ。非常に効率が悪く、後回しになってしまう仕事も気掛かりでストレスが溜まります」
警察官の鬱憤、内情を生で聞き、いろいろと苦労していることが伝わってくる。ガス抜きとしてワインの誘惑に屈するのも今回ばかりは黙認しようと、学生三人の意見は固まった。
「人類全体が移り変わりが激しい展開に戸惑っているのも理解できるが、今は一つ一つ問題を取り除いていくしかないだろう。まず手始めに世界で流行している病を治療する特効薬作成に尽力することを第一としよう」
鳳月の意見に賛同してから十分が経過した。
人里を離れ急勾配の山道路をエンジン音を響かせながら登り、頂上付近から目に飛び込んできた光景に通は息を呑んだ。




