2018年3月11日 首都地下鉄駅(4)
駿と茜が階段を上がって改札口に出るとそこは静寂に満ちていた。先ほどまでの喧騒が嘘のようで逆に不安すら感じられる。上がってすぐに見える範囲では恐竜もどきの姿はないし、耳を澄ましてもその足音は聞こえない。
「高崎さん、大丈夫かな」
不安そうに茜が駿に声を掛ける。最初は高崎を信用できないような態度を彼女はしていたが今は心から心配しているように見えた。
確かに彼はいきなり駿に恐竜もどきに腑分けをやらせたりと滅茶苦茶に見えたが、結局のところ彼は徹頭徹尾二人を生還させることを優先していただけだ…………自分自身の命を代償にすることすらも計算に入れて。
「大丈夫にするために急ぐんだよ」
これが仕事だから気にするなと高崎は別れ際に言った。だが例え人の命を救う仕事に望んで就いたのだとしても、自分の命の懸かった瀬戸際でそれを優先できる人間が実際にどれだけいるのだろうか…………そんな人を死なせたくない。
「でも、その為には慎重に行かないとな」
「…………うん」
あの恐竜もどきに見つかったらそれこそ全てが台無しになる……………それに駿にとって一番優先しなくてはならないのは高崎ではなく茜の命だ。
「…………」
最悪自分の命を犠牲にしてでも彼女は逃がす。その決意を込めて駿は高崎から託された拳銃を握り締める。渡された時に軽く使い方を高崎から説明されたが安全装置は外したままにしてあった。駿は別に銃マニアというわけでもなく知識はゲームや漫画程度。
そんな人間がいざという時に冷静に安全装置を解除してなんてことができるとは自分でも思えなかった。
「駿…………」
「あ、うん。大丈夫だよ、大丈夫」
安心させるように駿は笑みを、どうしても固くなる笑みを浮かべる。流石に引き金に指はかけていないがそれでも何かの拍子に引き金を引いてしまわないか不安だ。それに何よりも拳銃と言うものは重かった…………両手を使って胸元で維持しているだけでもとり落としそうになるくらいだ。
「何があっても茜だけは絶対に守るから」
「死なないでね」
改めて駿が口にした決意に、以前とは違う重さで茜が同じ言葉を繰り返す。あの時と状況は随分と変わってしまっていた。駿も茜も物語の主人公でも何でもないのに互いの命が危ぶまれる状況に置かれてしまっている…………だが、現実とはそんなものなのだろう。
「もう死ぬようなことなんて起こらないって…………外までほんの五分くらいだし、そこまであいつらはいない」
気休めにしか過ぎないがそれは事実だ。改札口を通り過ぎて出口までの広い通路が一望できるようになったがそこに恐竜もどきの姿は無い。しかしその道中にも合流する通路は無数にあるし、そもそも外に出れたからといって安心とも限らない。
そもそも二人はドラゴンから逃れて地下鉄駅に避難したのだし、線路から現れた大量の恐竜もどきは恐らくその大半が外に出ている。救助に来たという自衛隊の部隊を見つける前にそれらに遭遇したらアウトだ。
「行こう」
「…………うん」
だがそれでも二人に進まないという選択肢はない。出来る限り足音を静かに、けれど足早に周囲へ気を配りながら、広い通路の端を壁に寄り添うように歩く。
横道にそれる通路を見つけるたびに心臓を跳ねさせながら様子を伺い、何もないことにほっとする間も惜しいと素早く通り過ぎる。時折後ろを確認することも忘れなかった。
「駿、あれ」
不意に茜が足を止めて通路の中央の方を指さす。そこには赤い血だまりがあって、しかも少し引きずったような跡があった。それを見て他の場所も注視してみると同じような跡がいくつもあるように見えた。
「死体を回収…………したのか?」
それはそういう跡に見えた。血の色が赤いから死体は人間だろう。恐竜もどきが運ぼうとしたならもっと後は続いているはずだ。あれは担架か何かに死体を載せて運んだ跡のように駿には思えた…………それならば、回収したのも同じ人間ということになる。
「つまり一掃できたのか?」
死体の回収をするということはそれだけの余裕があるということだ。つまりは地下から溢れてきた恐竜もどきは撃退できたということ…………しかしそれなら自分達のような生き残りを探すために手が割かれてもおかしくないのではないだろうか。それとも一旦余裕ができた後に不測の事態でも起こったのか。
「駿」
「あ、うん…………進もう」
茜の声に駿は我を取り戻す。今の状況に関係のない思考ではないが、意味のない思考であったのも事実だ。結局二人は進むしかないのだからどうせ答えは目で確認できる。今考えるだけ無駄だ。
「あいつらの死体もあるね」
「そうだな」
出口が近づくにつれちらほらと恐竜もどきの死体も転がっていた。見たところ全身が銃弾で穴だらけになっており高崎のように急所を狙うのではなく物量で倒したのがわかる。その数が少なくないことが駿と茜をどこか安堵したような気分にしてくれた。
「出口だ」
その気分のまま二人はその目の前まで辿り着く。駅の正面に広がる交差点。ドラゴンの襲撃のせいか少し荒れてしまっているし、日が暮れたのに街灯が壊れていて普段の明るさはどこにもない…………だがそれでも、外の光景はこれまでの閉塞感を払拭してくれた。
「茜」
「駿」
二人は頷いて外へ通じる真四角の枠を通り抜けようとする…………けれど、その視線の先に躍り出るように恐竜もどきが一匹走り込んで来た。
「!?」
近い。反射的に駿が思考したのはそれだけだった。恐竜もどきは出口の向こうのおよそ二十メートル。距離はあるように見えるがこれまで見た恐竜もどきの身体能力を見ればすぐに詰められる距離だ…………しかも向こうは明らかにこちらを認識している。
「駿、戻ろう?」
茜が彼の裾を引く。けれど駿はそれを振り払った。戻ったところでいずれ追い詰められるだけで意味がない。助けがいる可能性があるのは駅ではなく外なのだから。
「茜。俺があいつを引き付けてる間に助けを呼びに行ってくれ」
「駿!?」
ほとんど悲鳴のように茜が駿の名前を呼ぶが彼の覚悟はとうの昔に定まっている。見たところ恐竜もどきは一匹だけだし手傷も負っているようだった。それであれば素人にすぎない彼であっても一矢報いて茜を逃がすチャンスはある。
「一発撃ったら走るからな!」
叫んで拳銃を両手で構える。狙いは一応定めるがどうせ素人が当てられる距離じゃない。万が一の誤射だけは無いようにしっかりと両手で固定し、撃つのは一発だけだと自分に言い聞かせて引き金を引いた。
予想はしていても実感のなかった反動が肩を跳ね上げて駿をのけぞらせる。それでも心構えをしていたおかげで間違って連射することもなくすぐに体勢を立て直す。銃弾は当然のように恐竜もどきから大きく外れたが、元より当てるつもりは彼にはなかった。今の一発はここに銃を撃てる存在がここにいると知らせる狼煙代わり。
「わぁあああああああああああああああああああああああああ!」
勇気を振り絞るように叫んで駿は走り出す。今の銃撃が切っ掛けとなって恐竜もどきもこちらへ向けて走り出していた…………そのことに焦りはない。どうせ早いか少し遅いかの違いでしかないのだ。一つだけ不安だったのは茜がちゃんと続いてくれるかだったが、彼が走り出した以上その覚悟を無駄にするほど彼女は愚かな女ではなかった。
彼我の距離はあっという間に縮まる。
組み付く、組み付かれる。
いずれにせよ、ただその心臓に拳銃を押し付ける事だけに集中する。もう他のことは何も考えなかった。目の前に恐竜もどきが迫る、迫る、迫る。集中し過ぎて距離感ももうわからなくなっていた…………ただ、そのタイミングがもう少しでやって来ることだけはわかった。
「駿っ!」
しかしその声ははっきりと聞こえた。その声色は咎める、悲哀…………違う、警告? それに気づいた瞬間に足を止める。勢いが付き過ぎていても連れるように転んでしまったがその先で恐竜もどきも転んでいた…………側面から大量の銃撃を受けて。
「え」
自分がそうなる可能性を作ったにもかかわらず駿はその光景に呆けてしまった。少し前まで自身の思考の大半を占めていた死ぬ覚悟が霧散してどこかへ行ってしまったせいだろうか。何が起きているのかわからないままその場に彼はへたり込んだ。
その後ろから誰かが抱き着いて来る感触、駿にできたのは自分に回された手を弱弱しく握り返すことくらいだった。
そんな風に気が抜けたまますぐに、二人は自衛隊によって救助された。
◇
その日の内に帰れないという駿の予想は当たったが、代わりに安全な避難所にという予想は外れた…………結局最終的にその日駿が腰を押し付けた場所は病院だった。真っ白な壁に消毒液の臭いのする病室。そのベッドに寝そべりながら、その隣には茜が寄り添っていた。
最後に遭遇した恐竜もどきは自衛隊の部隊の追走から逃げてきたものだった。駿による銃声でその位置が分かり速やかに駆除、そのまま二人は救助されたのだ。そして事情を説明すると検査が必要かもしれないと駿は病院に搬送されたのだ。血液検査など色々されたが、今のところ恐竜もどきの血液の影響で問題があったとは聞かされていない。
「高崎さん無事でよかったね」
「ああ」
本当にその通りだというように駿は頷く。救助されてすぐに二人は高崎のことを自衛隊員に伝え、それからすぐに救助隊が派遣された。そしてしばらくすると高崎は無事に救助されて病院に送られたと伝えられた。
最初は少し善意の嘘を疑ってしまったが、伝えに来た隊員はそのことを察したのか気を利かせて連絡を取って直接高崎と話させてくれた。民間人に道の生物の解剖をさせさらには銃を貸与したことで処分があるだろうと陰鬱そうだったが、声そのものはしっかりとしていて二人の無事にも安堵してくれていた。
「後で自衛隊の人に処分が軽くなるように頼まないとな」
「そうだね」
結局全ての行動は二人を助ける為で、それは結果として実になっている。助けられた身としては少しでもできることをしなくてはならない。
「…………結局、守られてばっかりだったな」
高崎が頼れる大人であっただけに際立って駿にはそう思えてしまった。
「そんなことないよ」
けれど茜はそれに首を振る。
「駿は充分私を守ってくれたよ」
「いやでも…………」
二人を守って大怪我までした高崎と違って駿はただ茜の手を引いて逃げていただけだ。最後だって相打ち狙いで恐竜もどきに挑もうとして、結局は自衛隊の人達に助けられた。彼自身に達成感を得られるようなものは何もなかったのだ。
「駿はあいつらと戦ったりしたかったの?」
「いや、そんなことはないけど」
そういうことは誰だって一度は夢想するだろうが、今の駿は無理だと分かっている。仮にそんなことをしようとしていたら真っ先に死んでいただろう。
「ちょっと残念だけど…………やっぱり私達って物語で活躍できるようなヒーローじゃないんだよね」
それでも、と茜は続ける。
「あいつから私を連れて逃げてくれて、二人でここに無事にいる。駿にとっては満足できないことかもしれないけど、あの時駿が引っ張ってくれなかったらきっと私は死んでたよ」
それじゃあ駄目なのと茜が尋ねる。
「駄目なわけないだろ」
駿にはそれ以外の答えは見つからなかった。
「そうだな、うん…………高望みし過ぎか」
ぼんやりと天井を見つめる。
「うん」
それに茜は微笑んで頷く。
「何の変哲もない高校生にしてはよく頑張ったな」
「そうだよ」
それでやっと駿は自分を認められた。そして切にこんなことがもう自分と茜の身に起こって欲しくないと願う。自分たちが平凡な一般人であるなら今回生き延びられたのは相当な幸運だったと思うしかない。
空を飛んでいたドラゴンは航空自衛隊が全て倒したらしいし、地下から出てきた恐竜もどきも陸上自衛隊がほとんど倒して今はもう掃討作業に入っていると聞いた。それだけを見れば数日と経たないうちに自分達は日常に戻れるだろう…………けれど、その正体は何もわかっていないし、今回現れたのが全てとも限らない。
「駿?」
「なんでもないよ」
漠然とした不安を抱えたまま、今はこの瞬間を大切にしようと駿は笑みを作った。
◇
兵竜
上位竜が生み出す使い捨ての個体。非常に単純な肉体構造をしており活動するのに必要な器官以外持っておらず、食物をエネルギーに変える腸や体の毒を分解する腎臓のような器官も存在しない。そのため胃は存在するがそれは食物を運ぶための保管袋以上に意味はなく、生まれ時から持っているエネルギーを使い果たしたら死ぬ。
血液はある種の劇薬のような成分を含んでおり見た目の構造以上の運動能力を引き出す。もちろん反動と副作用で肉体は壊れていくが、その限界とエネルギーを消耗しきる時期は一致している。少量であれば兵竜の血は一種のドーピングとして人間にも利用が可能。
単純な構造ゆえに急所が脳と心臓のみであって死に難く、痛覚も存在しない事から即死しない限り動き続ける。口径の小さな銃器では倒せないためより火力の高い重火器か、一息に首を切断できるような大ぶりの刃物などでの対処が望ましい。




