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2018年3月11日 首都地下鉄駅(1)

 地下鉄駅構内は人で賑わっていた。だがそれはやがて来るであろう地下鉄を待つ乗客たちではなく、命の脅かされない安全を求めて辿り着いた避難民たちだ。


誰も彼もが状況を理解できてはおらず、まだ受けた衝撃を呑み込めてもいない。怒声が聞こえる、嗚咽も聞こえるし、子供の泣く声も聞こえる。唯一静かに統制の取れた様子で彼らを守る警察官たちもそれを抑える余裕も方法も持ち合わせてはいなかった。


「駿、大丈夫だよね?」

「ああ、ここならあいつらも入ってこれない」


 不安げな少女に駿と呼ばれた少年は安心させるように頷く。まだ幼さの残るその容姿から見ると二人は高校生くらいだろうか。派手さの控えめな風体、ごく普通のカップルと言った様相だった。


「なに、いざとなったら茜は俺が守るよ」

「…………死なないでね」


 おどけるように続けた駿に、けれど茜と呼ばれた少女は不安げな表情を見せる。彼の愛情を信じているからこそそれが致命的な事に繋がるのが怖かった。


「あー、なんだか俺達物語の主人公とヒロインみたいだな」


 そんな彼女を慰めようと駿はおどけた口調を続ける。実際に状況だけ見てみればドラゴンに襲われてここに避難してきたわけで物語のような話だ…………まあ、主人公と言い張るには同じ境遇の人間がここにはたくさんい過ぎるけれど。


「それじゃあ私はお姫様?」


 表情は固いままだが、駿の気遣いに茜も乗って見せる。


「それだとドラゴンに攫われなきゃならなくなるから他にしてくれ」


 苦笑して駿は肩を竦める。


「他って例えば?」

「読書好きの高校生とか」

「なにそれ」


 趣味が読書の茜はおかしそうに彼を見返した。


「それじゃあ駿は運動好きの高校生?」

「身の丈に合ってるだろ?」

「うん、そだね」


 楽し気に茜は微笑む。


「…………いつまでここにいればいいのかな?」


 けれどこんな状況ではそれも長くは続かない。むしろ気分が落ち着いたからこそ冷静に今の状況を思考できてしまう。


「自衛隊が出動したって話だけど」


 しばらく前から圏外になったスマホをちらりと駿は見つめる。報道機関はまだまともに機能していなかったが、SNSで自衛隊が出動したという話は見かけた。


「自衛隊なら…………勝てるよね?」

「大丈夫だって」


 警察では火力不足であっても自衛隊であれば十分にドラゴンを打倒できるだろう。ファンタジーから出てきたような怪物相手でも、現代兵器には現実の強さを思い知らさせるだけのポテンシャルがある。


「今日中には安全な場所に移れるさ」


 いきなり現れたドラゴンにはインパクトがあったが空を埋め尽くすような数が現れたわけでもない。相手が逃げると全滅させるのは難しいかもしれないが、少なくとも自分達を安全な避難所に移すくらいのことは問題ないだろう。


「…………なに、この音?」


 けれどそんな駿の言葉に相反するように茜は状況の変化を聞きつける。人々が騒めく喧騒の中にあって太鼓のような音が彼女の耳には届いていた。一定の速度で叩きつけるような音が連続して響いて来る…………しかもそれは次第に大きくなってきた。


「足音か、これ」


 大きくなったその音は駿にも聞き取ることができた。他の避難者たちも気づき始めたのかざわめきが大きくなり、警官たちが皆へと落ち着くように声を掛けながら音の方角への警戒を強める…………音は地下鉄の線路の上りの方から聞こえてくるようだった。


「もしかして…………あのドラゴン、かな?」

「それはない」


 確かにあの巨躯でも入れるくらい地下鉄の路線は広いが、聞こえてくる音の質とはあのドラゴンは噛み合わない。聞こえてくる足音は数が多いし、それほど重量があるようにも聞こえないからだ。


「そうだよね! それじゃあきっと自衛隊の人達だね!」


 不安を紛らわすように茜が明るい声で言うが、握り合う手は明らかに強張っていた。そして同じ不安を周囲の皆も感じているのかざわめきが減って近づく足音が大きく聞こえる。誰もが近づく足音の正体を伺って息を呑み、警官たちも避難者を守るように線路側へ移動して壁を作った。


「茜」


 駿にできることはそれほど多くない。ただそれが起こった時に彼女とだけは離れないようにしっかりと抱き寄せる。伝わって来る感触は彼女が震えていることを教えてきて、先ほど自分の口にした守るという言葉を改めて意識させる。


「全員線路後方を注視」


 警察官たちも警戒はしていた。隊列をしっかり組んで拳銃なりショットガンをいつでも発砲できるように構えている…………もちろん相手があのドラゴンであれば効果はないが、避難者を逃がす時間稼ぎくらいにはなったはずだ。


 だが、現れたのは群れだった。多数の捕食者たちによる大波…………それを押し留めるには彼らはあまりにも無力すぎた。


「う、撃てっ!」


 それらが見えたその瞬間に、警察官の誰かが叫んで発砲が始めた。駿に確認できたのはそれくらいで…………すぐに悲鳴と怒号と逃げ惑う人々の波に巻き込まれて状況はわからなくなった。


「こいつら止まら……………ぅぎゃああああああああああああああ!?」


 だが警官たちの挙げたと思われる悲鳴はその中でもはっきりと聞こえた。


「駿!?」

「逃げるぞ!」


 それ以外の選択肢などなかった。避難者たちの流れもそうなってしまっている。このまま留まれば人の群れに踏み潰される………駿は茜の手を引き人々の殺到する出口の階段へと向けて足を向けた。


「う、うわ……助け、ぎゃああああああああああああああああ!?」


 後方から裂くような悲鳴が聞こえる。それは追いつかれればそうなるのだと分かりやすくその場の全員に教えていて、人の流れは他人を押しのけて進みだすまでに加速した。何とかその流れに遅れないように階段を駆け上り走り続けるが、混乱も相まって自分がどこに向かっているかすらわからなくなる。


「きゃっ!」

「茜!?」


 悲鳴と共に手を強く引かれて駿が振り返ると転ぶ茜の姿が見えた…………その後ろから寛恕のが見えていない群衆も。まだ小隊の確認できていない脅威よりも彼らに踏みつぶされないかの方が大きな問題だった。


「こっちだ!」


 慌てて茜を抱き寄せて横へと転がる。運のいいことにそこには売店があって無人となったカウンターへと入り込むことができた。

 

 そのまま隅まで寄って茜を抱きしめてしゃがみ込み、喧騒の全てが早く静まり返ることだけをひたすら祈った。


                ◇


「…………静かになった、か?」


 どれくらい経ったかの感覚もないまま駿が小さく呟く。悲鳴も怒声も銃声も誰かの足音も今は聞こえない。二人の位置からはカウンターの向こう側がどうなっているのかはわからない。見えるのはレジや割りばしやスプーンなんかの配布物だけだ。もちろん立ち上がるだけでそれは解消されるのだが…………それには勇気が必要だった。


「駿…………」

「大丈夫だ」


 だがその勇気を与える者ならすぐそばにいる。茜は座らせたまま駿は慎重に身を起こしてカウンターから外を覗き込む…………意外にも、というかそこは普段と変わりない通路のように見えた。


 もちろん喧騒の跡を示すように靴跡や誰かの脱げた靴や上着だったり鞄なんかが放置されたりはしているが、死体や血だまりのような刺激物は見当たらない。


「…………」


 だがそれよりも重要なのは元凶である正体不明の捕食者が付近にいるかどうかだ。駿はカウンターから見える範囲で様子を伺うが、とりあえずその姿も足音も確認はできなかった。


「茜、動けるか?」


 本音を言えば駿もこのままここでじっとしていたいが、状況が分からない。隠れていて救助が来るかもわからないし、かといってスマホは圏外だから助けを呼ぶこともできない。ここで確証の無い希望に縋るよりは確実に人のいるであろう地上を目指すのが正解だろう。


「うん、足は大丈夫だから動ける」


 強がりではなく茜はしっかりと頷いた。先ほど転びはしたが、あれは足を挫いたとかではなく純粋に躓いただけだ。多少擦り傷は出来たがそれも我慢できる範囲で済んでいる。


「よし、なら行こう」


 手を貸して駿は茜を立ち上がらせる。駅は広いが外に出るだけなら十分と掛からない。経路もそれこそ迷路化というくらいにはあるから、途中で何かに遭遇したとしても避けることもそう難しくはないだろう…………慎重に、先を伺いながら行けば問題ないはずだ。


「…………大丈夫、だな」


 念の為にカウンターからもう一度通路の両側を確認して二人は出た。ホームへ降りる階段が目に入ったが迷わず駿はそれに背を向けて通路を歩き出す。握る手の感触から茜があちらを気にしていたのが伝わるが、戻ったところで悲惨なものを見るだけなのは明らかだろう。


「念の為に一方後ろにいてくれ」

「…………うん」


 ふと思い駿が頼むと茜は素直に隣から一歩後ろに引いた。これでいざという時には駿が彼女の盾になりやすいし、見せたくないものがあった時はそれを隠せる。


「出来るだけ静かに行こう」

「うん」


 頷く茜に改めて駿は歩き出し彼女の手を引く。人のいない通路は足音が良く響く。それを抑えようと慎重に歩くと思いのほか進むペースは遅くなる。それはもどかしいが安全を考えると開き直ることもできない。


「…………」


 十字路が見えて駿は足を止める。そこを右に曲がれば一番近い出口への階段が突き当りにあるはずだった。しかし彼の目にはその右側の通路から何か赤いものがはみ出しているように見えたのだ。


「ちょっとここで待ってて」


 十字路まで二メートルほどのところまで近づいて駿は茜にそう告げた。彼女は何か言おうとしたが、結局何も言わずに頷く。ちょっとした確認だからそう心配しないで欲しかったが、無理もない状況ではあるので、苦笑しそうになるのを彼は抑えた。


「…………っ」


 ゆっくりと右側の通路を覗き込んで駿は息を呑む。予想はしていても見たくはなかった光景がそこにはあった…………血だまりと、散乱する人だった物のパーツ。それらの数は明らかに足りてない事からそこで起きたことは想像がつく…………喰われたのだ。


「駿…………?」


 不安げな声に思考が戻る。ここでただぼうっとその光景を見ているのは自殺行為だ。幸いにしてその光景を作り出したものはいないようだが…………いつ現れるともしれない。早急に正しい判断を下してこの場を離れなければいけない。


「大丈夫、でもここは真っ直ぐ行った方がよさそうだ」


 努めて何でもないように駿は茜に答えた。けれど現実がそれで変わるわけでもなく、結局は彼女に告げなくてはならないことがある。


「ただ通路を渡る時は目を瞑ってくれるか?」

「っ!?」


 それがどういう意味なのか理解できないほど茜は愚かではない。


「…………うん」


 けれど旬の気遣いを無下にすることも、その現実を直視する勇気も茜にはなかった。言われるがまま目を瞑り、ただ駿に手を引かれるままに歩を進める。


「もういいぞ」


 言われて茜が目を開く。見慣れた背中がすぐに見えて、その向こうにはそれまでと変わらない通路が広がっていた。後は振り返らずに進み続けるだけでいい。


 カツン


 だが、背後から音が聞こえた。硬質なものが固い床を叩く音。その音を前にして振り返らないという選択肢はない。


「ひっ!?」


 思わず喉の奥から悲鳴が飛び出す。トカゲのような目に長く裂けた口、小さく見える両手の先には長く鋭い爪。その全身を支える両足の先にも湾曲した大きな爪があった。体長は尻尾も含めれば二メートルはあるだろうか…………いつか映画で見たような群れで狩りをする恐竜の姿を思い出す。


 それが一匹、ところどころに血に塗れた姿で二人を見ていた。

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