2018年3月11日 首都上空(1)
相変わらず機体が飛び上がる瞬間には体が押し潰されるような感覚を覚える。けれどそのすぐ次の瞬間には視界一杯に空が広がって、自分が重力の軛から解き放たれたことを認識させてくれる…………ああ、自分は空に居るのだと。
「各機、編隊姿勢を取れ」
しかし今はその余韻に浸っている余裕はない。自分は隊長であり、果たすべき任務があって空に飛び立ったのだ。
「「「「了解」」」」
すぐに無線から部下達の返事が聞こえ、彼を先頭として編隊が組まれる。幾度となく行った訓練には自信がある。ここから例え彼がどれだけ無茶な機動を行っても、彼の部下達はそれに忠実に着いてくるだろう。
「目標到着時刻は五分だ。それまでこの編隊飛行を維持する」
「「「「了解!」」」」
再び即座に応答が返る。彼らは隊長である秋人の命令には忠実だ。その信頼が頼もしくもあり、だからこそ釘を刺しておかねばならない。
「俺達はこれが初の実戦となる」
あえて緊張が伝わるような声色で秋人は言う。
「しかも相手は訓練で想定されていない相手だ。ある程度の動きは映像で見ているとはいえ、交戦した際にどんな反応を見せるかはほとんど未知数と言っていい」
無線の向こうからはじっと秋人の言葉を聞く気配が伝わってくる。緊張はしているが恐れてはいない…………ちゃんとそう伝わっているだろうか。伝わっていると信じる。
「だから正直に言って俺も正しい指示を下せるかどうかわからない。出来得る限りのことはするつもりだが間違った判断を下す可能性は低くない…………だからここで命令しておく。俺の判断が間違っていると思ったらその指示に従う必要はない。正しいと思う自己の判断を優先しろ」
軍隊において上官の命令は絶対だ。例えそれが間違った命令であると理解しても本来であればそれを破る事は許されない…………だから秋人はあえてそれを破る事を許可する命令を下した。少しでも部下達が生き残る可能性を高める為に。
「忘れるな、至上命令は生きて生還することだ」
それはブリーフィングで司令官が出撃するパイロット全員へと下した命令でもある。だが別にそれは命を大切にしろというようなヒューマニズムではない。
軍隊とは合理的な観点から見れば兵士一人の命でいかに多くの敵を殺し、または多くの味方を救うかを追求する場である。それは専守防衛を信念とする自衛隊でも変わりはなく、隊員一人の命でいかに多くの国民を救うことが出来るかを追求する。
だからこそ自分たちパイロットは簡単に死ぬわけにはいかない。パイロットを育てるのには時間かかり、相応に金もかかる。普通の兵士以上のコストのかかっている自分たちが簡単に死んでは税金の無駄遣いだし、新たなパイロットを簡単に補充することは難しい。空が戦場であることを考えればパイロットは生きて戦い続けなければいけないのだ。
「いいか、死ぬな。必ず生きて帰れ」
必ず生還し国民を守り続ける…………それが理想の軍隊なのだから。
「「「「了解!」」」」
力ある返答。それに秋人は唇を緩める。そろそろ目標空域だ。
「行くぞ!」
ここから先は戦場だ。
◇
秋人達の乗る戦闘機が目標である空域に辿り着く頃には、街の至る所で銃声や爆破音が鳴りやまず響いていた。無論それは上空の秋人達からは見えも聞こえもしないが、管制からの報告という形で事態の変化は知ることが出来る。
「どうやら陸自は作戦予定時刻に間に合ってくれたみたいだな」
いくら秋人達が厳しい訓練を行っているとはいえ、高層ビルの立ち並ぶ街中まで降りての戦闘は無謀としか言いようがない。だが目標は捕食の為にそのほとんどが街中に降り立っているのが現状だ…………故に秋人達が到着する前に陸自による攻撃が行われ、Dを空に追い立てる手はずになっていた。
「目標上がってきます! 数五!」
緊張の籠った声で秀介が報告するそれを秋人もレーダーで確認する。慌てて、と言っていいような様子でドラゴンが5体空に向かって羽ばたいてくる。陸自の兵器がどれだけ彼らに有効だったかは確認できないが、それがドラゴン達にも予想外のものであったには違いない。ひとまずは自分達の庭である空に退避する心積もりだったのだろう。
「だがここは俺達の庭でもあるんだよ」
秋人は呟くとその五つの影を睨みつける。
「降下してすれ違いざまに機銃で迎撃する」
「「「「了解」」」」
応答と共に機体をこちらに上るドラゴンへと傾ける。半ば垂直に落下する勢いで機体が加速してすぐさま彼我の距離が差が縮まっていく…………僚機の様子を気にする余裕は無かった。相対速度を考えれば接敵するのは一瞬だ。降下しているのだから直後に機体を引き上げる必要もある…………即時の判断力が求められる状況だ。
「…………」
無心でただ先のドラゴンを見る。その姿は瞬く間に大きくなっていき…………それがサッカーボールほどの大きさに見えたところで秋人は機銃のトリガーを押し込んだ。コンクリートすらも簡単に砕く無数の弾丸が、吸い込まれるようにドラゴンの身体へと撃ちこまれていく。その事に高揚を覚えながらも自然と手は動き機体を制動、すり抜けるようにドラゴンの横を通り抜けていく。
「命中弾多数!」
「こちらも同じく!」
「同じく!」
「たっぷり叩き込んでやりました!」
頼もしい部下の報告に秋人は唇を緩める。
「気を緩めるな! 一旦上昇し飛行生物Dの撃破を確認する」
「「「「了解!」」」」
返答を聞くが早いか操縦桿を引き機体に制動をかける。一気に重力が体にのしかかり押し潰されそうな感覚を覚えるが、その代わりに期待はUを描くように再び空へと機首を向けて舞い上がっていく。
「!?」
だがその瞬間、秋人の眼前に影が映る。
「…………回避っ!」
咄嗟に叫ぶ。それに僚機が応える事を祈りながら自身も即座に機体をロールさせて目の前の影を躱す。すれ違いざまに仕掛けられる恐怖はあったが、相手もまだこちらの速度に不慣れなのか幸いにして無事通り過ぎた。
「後方警戒っ!」
だがまだ油断できない。
「後方に付かれていますっ!?」
悲鳴のような報告。戦闘機と違って向こうは羽ばたくことで急激な制動をかけての方向転換が可能だ。こちらがすり抜けた直後に上昇してこちらを追ったのだろう。
「加速して一旦引き離すっ!」
言うが早いか機体を急加速させる。再びの加重。しかし上昇に関しては羽ばたくしかない向こうと戦闘機には大きな差があるはずだ…………間違いなく引き離せる。
「D、後方500メートル…………諦めた模様!」
「よし、編隊を立て直して旋回する」
「「「「了解!」」」」
◇
ドラゴンから距離を採れたことで多少の落ち着きが戻ってくる。視認で確認するとドラゴン達も突如現れた空を飛ぶ脅威に戸惑っているのか高度を上げようとせずに留まっている。仮に向こうがこちらに攻めようとしても速度の差は体感したから逃げるのは問題ない…………だが自分たちの仕事は逃げることではないのだ。
「各自報告」
秋人が命令すると各自問題なしという返答が戻ってくる。
「猶予は少ないが考え無しに再び攻撃に移るのは無謀だ。まずは状況を確認したい…………機銃による攻撃は効果があったか否か?」
機銃が命中したのは間違いない。しかしドラゴン達は即座にこちらへの反撃に出たし、今も落ちることなく空を飛んでこちらを伺っている。
「効果は…………あったと思います」
少しの間をおいて修介が返答する。
「すれ違いざまでしたがDの胴体に機銃による損傷を確認出来ました。だから効果がないわけではないと思います」
修介の動体視力は非常に高い。その意見は信用に足るだろう。
「損傷の度合いはわかるか?」
「…………あまり多くは無かったように見えました」
「そうか」
修介の返答にしばし思案する。
「つまり機銃は効果があるが、そうでない場合もあるという事になる…………恐らくは角度の問題だろう。Dの表面はびっしり鱗に覆われている。角度が浅いとその鱗に弾かれて逸れてしまうに違いない」
「だとするとあの鱗は相当な硬度という事になりますね」
「ああ、歩兵の火器で相手をするには少し厳しいだろう」
別の部下の言葉に秋人は頷く。思えば先に地上部隊から僅かなりとも兵器の有効性を聞いておくべきだった。そうすれば機銃による効果がどれほどあるかは予想できたし、反撃の可能性に備えることもできただろう。
「それにタフだ」
少なかったとはいえ目視で複数確認できる程度には機銃の弾は貫通しているのだ。人間とは体躯が比べようもないとはいえ、平然と飛んでいられるのは強い生命力ゆえだろう。それを殺すにはもっと大量に損傷を与えるか、正確に急所を撃ち抜く必要がある。
「一番いいのは頭を潰す事だろうが……」
「さすがに目標が小さすぎますね」
戦闘機に取り付けられている機銃は精密射撃を行えるようなものではない。体躯に比べれば小さな頭だけ、しかも動く目標に狙うのは至難の業だ。
「つまり数を当てるしかないってことですね」
「…………もしくは機銃よりも強力な火力を叩きこむことだ」
そしてその兵器は機体に搭載されている。
「首都上空でミサイルの使用、ですか?」
部下から上ずったような声が返る。搭載されたミサイルは戦闘機における最強の牙だ。ロックオンして放てば対象がいくら逃げようが追跡して必ず命中させる…………そしてその威力は改めて確認する必要もない。
「必要とあれば許可されている」
だがミサイルはあまりに強力過ぎる。そしていくら誘導するとはいえ必中というわけではない。不確定要因があれば当然ミサイルは相手からそれてしまうし、それが街中に誤爆すれば生まれる被害は言うまでもない。地上には陸自が展開しているし、民間人の避難も完了はしていないのだから。
「繰り返すが今回の我々の任務には全員が生きて帰還することも含まれている。飛行生物Dの総数が現在確認されているだけだとは考えにくい。今後の防衛のためにも我々は得られた情報を持ち帰る必要がある」
それが結果としてより多くを救う事に繋がるのだから。
「もちろん現状ではまだ使用に至る段階ではない。だがそれが必要だと判断したら使用に俺の判断を待つ必要はない…………先にも言ったが全て事後承諾で許可する」
未知の相手に対して優先されるべきは個々の判断。それが間違っていた場合も含めて隊長である秋人は全ての責任を取る覚悟がある。
「だがとりあえずはまだ必要とされる場面ではない。もう一度降下して奴らを叩く………今度は標的を絞って集中砲火を仕掛けるぞ」
「密集隊形を取るという事ですか?」
「そうなる…………が、連中は映像で見た通り火を吹くこともできる。即時散開できるように心構えはしておけ!」
「「「「了解!」」」」