2020年8月15日 アメリカ合衆国サハラ砂漠
広く晴れ渡った空は雲一つない。広大な砂で埋め尽くされた世界最大の砂漠であるサハラであればそれを遮る建造物は一切ない…………けれど代わりのものが雲霞の如くせめぎ合いその空を埋めていた。その片側は人類の空における決戦兵器たる戦闘機。機種も様々なら翼に描かれる国のマークも様々。各国が各々の現存する戦闘機を全て投入した人類最後の連合軍であり最後の空の牙。
それに対するは砂漠に作られた巨大な巣穴から飛び上がり続けるドラゴンの群れ。その数も種類ももはや数える気にもならないが、ただ一つ言えるのはその数は明らかに人類の飛行戦力を上回っているということだけだ。
しかし人類の戦力は空だけではなくむしろ地上がメインだ。空同様に残る戦力を各国が惜しみなく搔き集めた渾身の機甲師団。ずらりと並ぶその戦車の数はそれだけで都市の一つを吹き飛ばせそうだ…………無論、それだけではなく戦闘ヘリに装甲車から歩兵が運用する携帯兵器に至るまでありとあらゆる兵器がそこには揃っている。
それ等だけを見れば兵竜がメインであるドラゴンの地上戦力を殲滅しうるように思えた。
けれど、それらがぶつかり合った結果は…………これからわかる。
◇
「さて諸君、外では地獄が始まったところだ」
絶え間ない銃声や爆音が外から鳴り響く中で、その軍用のテントの中だけは外の争いとは無縁であるというように静かだった。もちろん防音なんて気の利いたものではない…………ただ、そこにいる誰も外の音などないかのように過ごしているというだけだった。
「だが我々がその地獄に突入するにはまだ時間がある」
そう言って男が自分以外の人間を見回す。テントの中に居るのは彼を含めて六人。その全員が日本人で軍服を身にまとっていた。年齢は皆それなりに高く、平均すれば三十代後半といったように見えた。
「そんなわけで、外の地獄がもっと佳境になるまで話をしようじゃないか」
男がそう提案するがテントの中の反応は薄い。だが誰も返答しない空気に耐えかねたのか一人が手を挙げて口を開いた。
「高橋班長」
「なんだね、木林」
高橋と呼ばれた男が聞き返す。
「その意図は何でしょうか」
「ふむ、話をするのに理由が必要か?」
再び尋ね返すと木林はそれに頷く。
「はい、こう言っては何ですが、我々の作戦内容からするととても雑談などしたくなるような精神状態ではないかと」
「確かにそうだな」
高橋は頷く。
「だがな、だからこそだ」
そして続ける。
「この作戦に雑談もできんような精神状態のやつを連れて行くわけにはいかんのだよ」
そう言って木林を見返す彼の手にはいつの間にか拳銃が握られていた。それと今の言葉の意味との関連性はすぐに頭に浮かび、信じられないものを見るように木林が高橋を見る。
「そ、それは?」
「見ての通り拳銃だが?」
何を聞くことがあるのかというように高橋は木林に聞き返す。
「ふむ、まるで俺の頭こそが狂ってるとでも言いたげな視線は心外だな」
肩を竦め、高橋はテントを見回す。概ね皆が木林と同じ視線を彼に向けていた。
「諸君らは今の状況を正しく理解しているか?」
それは確認する必要もないことのはずだが、認識が足りないのであれば確認の必要がある。
「理解しているつもりだ」
片手をあげて年嵩の隊員が答える。緑岡と名前を高橋は記憶していた。
「本当に?」
しかしそれを信じぬというように高橋は聞き返す。それが本当なら彼はそもそもこんな質問をしていない。
「本当に我々がこれから行う作戦の重要さを理解しているのか?」
尋ねて、テント中からは見えないはずの空を高橋は見上げる。
「雷竜」
呟いたその名は人類にとって最も忌むべき竜。
「あいつは最初歩く電気ナマズなんて呼ばれていたな。空を飛ぶことも出来ず水場で体内で発電した電気を流すくらいのことしかできなかった…………ところがこいつは発電の際に微弱な電磁パルスを発生することがわかった」
もちろんそれは微弱と表現した通り警戒するようなものではなかった。ごく稀に接近し過ぎていた装甲車などが機能停止にさせられていたくらい…………のはずだった。
「しかしあいつらはそれがこちらの兵器に有効であることに気づいた。とある生物学者はあのドラゴン共の生態を繁殖というより工場生産に近いと表現したらしいが………正にその通りだった。微弱であったはずの電子パルスは強化されて有効範囲が拡大し、地を這うだけだった雷竜は宙にまでその行動範囲を伸ばした」
それが量産されてどうなったかわからないものは人類にはいない。それまで数々の兵器によってドラゴンに対処していた人類はそのほとんどが無効化されて一気に劣勢に陥った。特に航空兵器を無効化されたことが痛く、自由に空を飛べるようになったドラゴンたちによって人類の領域は次々と失われていった。
「人類が全ての兵器にEMP対策を完備した頃にはもはや手遅れ、残された戦力ではどうにもならないほどにドラゴン共に地上は支配されてしまった」
それが今の人類に突きつけられている現状。
「で、それを打破するための作戦が今行われているわけだ」
鳴りやまない激戦の音がそれを物語っている。
「人類の残る戦力全てを結集してな」
それは国籍も性別も職業も関係なく戦える人間を投入していた。この決戦で勝てなければ本当に後の無い最後の賭けだった。
「だがさっきも言った通りその戦力じゃ勝ち目は無い」
「…………数が違いますから」
そう、数が違う。その差はもはや圧倒的であり皆がどれだけ奮起してもいずれ飲み込まれるしかない…………それでいてドラゴンはこの砂漠に居るだけが全てではないのだ。すでに世界中に定着してしまっている。
「その劣勢を覆すためには奴らの女王を殺すしかない」
追い詰められる中でもドラゴンの生態に関する研究は進んでいた。彼らは常に上位個体が下位個体を産みその逆はない。つまりは女王竜が将竜を、将竜が上位竜を、上位竜が兵竜をといったようなピラミッド構造をしているのだ。
つまりは頂点である女王さえ倒してしまえばピラミッドはいずれ崩れる。人類の勝機はそこにしかないと全てを懸けたのが今回の作戦だ。
「だから外の囮が奮闘している間に俺たちが小型の核爆弾を持って巣に突っ込むわけだ」
もちろん核爆弾にはEMP対策が施してある。本来ならそれをミサイルで打ち込んでやりたいところだが、ドラゴンたちはミサイルをすでに知っていて芸出来してくる上に女王竜の正確な位置がわからない。万が一取り逃がせばもう二度と機会は巡ってこない故に確実な手段が求められた。
「つまりは」
それこそが重要であるというように高橋は皆を見回す。
「俺たちは作戦が成功しても確実に死ぬ」
女王竜をその目で確認して起爆スイッチを押すのが任務。時限装置や遠隔起爆なんて不確実な方法は選ばない…………失敗した場合もやはり同様だ。自ら起爆した核爆弾で死ぬか、ドラゴンに食い殺されるかの違いでしかない。
「だからどうせ死ぬからなんて自棄になられちゃ困るわけだ」
あくまで高橋は淡々と事実のみを述べるような口調だった…………しかしそれを聞く誰もが侮辱されたかのような表情を浮かべる。
「失礼ですが班長」
「ん?」
問い返す高橋の視線の先にある木林の顔には怒りすら滲んでいた。
「この場に死を恐れる様な覚悟の無い人間はいないかと」
当然だが作戦内容は事前に通達されている…………その上で皆志願してここに居るのだ。今更死を前に自棄になるような隊員はいないはずだ。
「そうだろうな」
だがそんなことは高橋にもわかっている。わかった上で告げている。
「だが事前に念入りな準備をしても作戦の前にはもう一度銃のチェックを行うものだ…………それに仲間の前で言葉にするとしないのでは覚悟の質にも大きな違いが出る」
自分の心の外に出すことでその言葉には自分と他者に対して責任が生まれる。それは実力を十二分に引き出す原動力になるし、同時に逃げることを許さない枷ともなる。
「失敗が許されない作戦なんだ。必要以上に慎重になっても不思議ではないだろう?」
尋ね返す高橋に林は憮然とした表情を浮かべる。
「つまりは我々に死ぬ覚悟があるか話せと?」
「そうだ。きちんと死ぬための理由も付けて話してもらう」
「!?」
「出来れば国の為とかそういう建前じゃないのがいい」
軍人であれば誰もが抱いている忠誠心ではあるが、死を前にした時によすがになるのはもっと身近なものであるはずだ。
「ま、その為に死ねるって言うなら否定はしないし尊敬もするがね」
とはいえ大きなものの為に死にたいという気持ちだってあることは高橋も理解しいる。
「さて時間がそう余っているわけでもない…………お前から話せ」
高橋は木林を見やる。
「自分からですか?」
「嫌なら後でも構わんが?」
覚悟という点で見れば評価が一つ下るだけだ。
「いえ、自分からで構いません」
首を振り、木林は続ける。
「それに誰から聞いても事情は大体同じだと思います」
「かもしれんな」
高橋は否定しなかった。
「私がこの任務に志願したのは報酬として家族が優先的にシェルターへ入居できるからです」
「それが命に足る理由だと?」
「戦後の家族の安全の為に命を懸けるのはそんなに不自然ですか?」
尋ねる高橋を木林は真っすぐに見返す。
「いや、妥当な理由だろう」
肩を竦め、彼はそう答える。
「ここで勝ってもドラゴントの付き合いは終わらんのだからな」
シェルター。城塞都市とも呼ばれるそれは、巨大な塀によって囲まれた巨大な地下シェルターだ。都市が一つ丸々地下に作られたようなその施設は今回の作戦と並行して建設が進められている。そこに入居できるということはこの作戦が終わった後に政府から保護される数少ない国民になれるということ…………逆に言えば入居できなかった国民は政府から保護されなくなるということだ。
今回の作戦に人類は戦力のほとんどをつぎ込んでいるが、仮にここで勝利してもドラゴンを駆逐することは叶わない。これ以上ドラゴンは増え続けることがなくなるというだけで、各地に根付いてしまった女王竜以外のドラゴンたちは残る…………そしてそれを排除するだけの力は人類には残っていないのだ。
故に全ての国家はその国土を大幅に縮小する。都市一つ分のいくつかのシェルターを唯一の国土として残し、そこに入りきらない国民は切り捨てられる。この任務に志願するだけで家族が審査の厳しいシェルターへの入居を認められるのだから破格の報酬といってもいい。
「皆も同じか?」
高橋が見回すと他の隊員もそれぞれ頷く。
「光永の家族は皆亡くなっているはずだが?」
無神経とも言える言葉を高橋は隊員の一人へと投げかける。
「ええ、だから親友とその家族に報酬を譲りました」
しかし気にした様子も見せず光永と呼ばれた隊員は答えた。
「なるほど、皆覚悟が決まっているようで何よりだ」
確認は終わりというように、高橋は銃を腰のホルスターに戻した。
「ちょっと待ってください」
けれどそこに木林が待ったをかける。
「なんだ?」
「まだ班長の理由を聞いておりません」
「ふむ、確かにそうだな」
人に言わせておいて自分は隠すなど道理に反する。軽く見回してみれば他の隊員も林に同意のようで、言わなければどうなるかという敵意すら滲ませていた。
「まあ、一つは俺も同じ家族の為だ」
もちろんこれまで国民を守るために戦ってきて他の人達を見捨てる事に躊躇いがないわけではない。しかし現実は容赦なく選ぶことを突き付けてきて、高橋も一人の人間である以上は家族を優先することに迷いはなかった。
「一つということは他にもあるので?」
「当然だ」
むしろそちらが本命とでもいうように高橋は頷く。
「ざまあみろと言ってやりたくてな」
「…………?」
意味が分からず木林も他の隊員も高橋を見返す。
「考えてもみろ、人間はいつか必ず死ぬ」
それが外的要因であれ寿命であれ不滅の人間はいない。
「俺はどうせ死ぬなら自分が納得する死に方をしたい…………老いぼれて病院のベッドの上で人類の先行きを暗い気持ちで考えながら死ぬなんて御免だ」
「だから戦って死にたい、と?」
「違う、聞いてなかったのか」
やれやれというように高橋は頭を振る。
「俺はざまあみろと言ってやりたいんだ…………あのくそったれなドラゴン共の親玉であるっていう女王様にな」
それでも理解できないという表情の木林達に高橋は続ける。
「人類があの突然現れたドラゴン共にどれだけ辛酸をなめさせられた? 人類の現状は絶滅の一歩手前で女王様は自分たちが負けるなんて欠片も考えてもいないはずだ」
今回の作戦に対しても最後のあがきくらいにしか感じていないだろうし、実際にそうなのだから疑いもしないだろう。
「そんな相手に仕返しができる最大の機会だぞ? 俺たちが運んできたものがどんなものであるかも理解できない相手を前にざまあみろと笑ってやって起爆する…………最高の気分で死ねそうじゃないか」
何の悔いもなく、スカッとした気分で死ねるだろうと高橋は思う。
「あの、班長」
「なんだ」
「正気ですか?」
「この上ないくらい正気だが?」
平然とした表情で高橋は答えた。
「いえ、正気かもしれませんがその考えはまともだとは思えません」
「そうか」
別に高橋も理解されたいと思って話したわけではない。
「ですが」
堪えきれないというように木林の唇が緩む。よく見てみれば他の隊員も同じようにその表情が楽し気に崩れていた。
「それはとても面白そうです」
それから数時間後、サハラ砂漠の地下で巨大な爆発が起こって周囲を大きく揺らした。
爆発の直前にその地下の奥底で数名の人間が楽し気に何か叫んだが、それを聞いた者は当事者以外には存在しなかった。
◇
女王竜
ドラゴンの生態系における頂点であり全てのドラゴンの始祖。基本的にドラゴンは上位の存在が下位の存在を産みその逆はない。その為女王竜を倒しさえすればドラゴンたちはやがて滅ぶのではと考え、人類の残る戦力全てを投入した討伐が行われた。しかしそれでは種としてあまりにも脆弱であり、女王が空白となった時に種の滅びを回避するための本能がドラゴンたちに眠っている可能性は非常に高い。
まだ続きます。