スマホの中に閉じ込められた!?
『ご視聴ありがとうございました。チャンネル登録と応援よろしくお願いします!』
「配信お疲れ様……っと、クロちゃん相変わらず腹黒だったな。素の声が出てたけど、それも魅力なんだよな」
電脳美少女クロのYouTubeにコメントを打って送信すると椅子の背もたれに体を預ける。きしむ音からして安物の音だ。それは自分の今の地位を表しているかのように……
彼女のコメント欄があっという間に埋まると、スマホで別のYouTubeチャンネルに画面をタップして、Vtuberプレイ・モアちゃんのチャンネル登録者数に三百十二人の数字が目についた。三百十二人。群雄割拠のVtuber界の中では非常に低い数字だ。電脳少女クロちゃんは、五十三万人とかの有名漫画の敵キャラの戦闘力ほどの人数がいる。一方のモアは銃を持ったおじさんほどに低い戦闘力だ。
「やっぱり少ないよな応援してくれる人。この前の生放送の再生は二百程度だったし。やっぱり人気者になりたいな」
ひときわ目を引くサファイア色の大きな瞳と片耳にヘッドホン、腰まである青い長髪の上にちょこんとベレー帽をのせた十代後半ぐらいの少女の見た目をしたプレイ・モアというVtuber。この子の中の人をやっているのが俺だ。
プレイ・モア――愛称モアちゃんは、ある企業が開発した電子頭脳AIで、色んな人やゲームと交流して学んでいきたいという。無論それはただキャラとしての設定の中だけの存在だ。
昨今のVtuberが流行り、俺もVtuberとして名乗りを上げた。
Vtuberデビューのため必死にバイトして、他のVtuberと交流がしやすい3Dモデルが作成できるスマホアプリ『カスタムチャット』をダウンロードして専用ヘッドセットを購入した。
金に糸目はつけなかった。先ほどのヘッドセットも、Vtuber専用AIアシスタント『SIRU』が内包されている。新型と聞いて発売開始当日に寒い冬の中、何十時間も並んで待ってだ。
もちろん声に至っても、購入したボーカロイドと連携させて喋らせている。俺は男だ。女の見た目で男の低い声を発してしまっては、ものの数秒でブラウザバックされてしまう。そういうVtuberもいることにいるが、それで上手くいっているのは芸が上手い一部のみだ。
しかし、大学生という身分では学業との兼ね合いという制約がある以上、金銭面での疲弊が起きるのは自明の理だ。
Youtuberが商品を購入してレビューをするように、Vtuberもゲームを購入して実況や物まね企画などを行うのだが、そういうのは大抵バックに企業がついている。個人でやっている人はどうしてもその面では弱く、中の人の芸人技術というべきものに大きく左右されやすい。何か光るものさえあれば、視聴者が拡散してくれて有名Vtuberと交流できる可能性があるが、あいにくまだその光るものが見つかっていないようだ。
『ツイッターにメッセージが一件届きました』
SIRUから通知が届くと、ツイッターのプレイ・モアの公式アカウントに『今日は配信しないのですか』というメッセージが一件ある。応援メッセージはありがたい。
たった一件だけでも、配信を続けたいというやる気を後押しさせてくれる。しかし、問題は何をすればよいかだ。毎日動画投稿をするためにもネタは不可欠だ。新しいゲームを実況しようにも今月の生活費がいろいろとピンチで、それを買う費用もない。配信もモアを動かすのも全て一人でやらないといけないから、今から無料のゲームを手あたり次第探すの二も手間がいるのだ。
ツイッターのタイムラインが流れて何か良いネタはないかと考え込んでいると、その中にあるプロモーションに目が留まった。
それは3Dモデルを使った新作交流アプリ『VRシェア』の広告だった。すでに3Dモデルによる交流アプリはあるのだが、詳細を見ると俺の持っているVRヘッドセットの開発会社が協賛しており、かなり規模が大きいアプリのようだ。
「今なら先行登録者様限定でβ版を体験できますか、よしこれをネタにしてみるか。他の実況者とかVtuberもこぞって参加するかもしれないし、交流を深めてコラボ企画とかに参加できるかも」
こういうところは、現実でも電脳世界でも横のつながりは大事だ。
運良く、実況ネタができたことに気が楽になった。モアちゃんをこの差を埋めるためにも他のVtuber――例えば電脳少女クロちゃんとかにコラボ企画に招かれてプレイ・モアを知ってもらわないといけない。この子を引っ張り上げるには、よくも悪くも中の人兼プロデューサーである俺の手腕にかかっているのだ。芸も仕事も全部だ。
とても大変だが、チャンネル登録者数が増えて、この子の話がネットで語られることの喜びはかえがたい。
「よし、登録完了。ツイッターに生放送の告知もしたし準備完了。今日も頑張ろうなモアちゃん」
運よく先行登録者枠に入れた。そしてVRシェアに入る前に生放送のライブ配信画面を開く。
生放送というのは、どこかバイトに入る前に似ている。体がこわばって緊張する。自分が自分でなくなる怖さだ。けどそれを振り払うために――いやここから先はモアちゃんになるのだ。実際にするのは彼女なのだから呼びかけたのだ。けど彼女は返事を返さない。ただにんまりと視聴者に向けるための笑顔をしているだけだ。
そうだよな。俺が言ってもモアちゃんが「頑張ろうね」と返すはずがないのにとちょっと冷静になって馬鹿げていると思いながら、ヘッドセットを被ると同時にアプリを起動する。
――バチッ!!
ヘッドセットの中に小さな火花が散った。俺の思考が正常なら、すぐにヘッドセットを外していたであろうが、俺の頭はズンと脳の中に漬物石を乗せられたかのように重くのしかかって倒れてしまった。
綺麗な星空? いや波だ。いくつもの細くて白い波が星空に見えたんだ。けどどうして、波が上にあるんだ? 意識がはっきりしないまま、目が覚めると逆さまの光景が目に入った。さっきまでパソコンの前で生放送配信をしていたはずだ。なのにどうして外にいるんだ? 思考が空回りしている。
「ここどこだよ?」
『現在地は○○市○○町です』
無機質な機械音が俺の耳の中に響く。
「SIRU?」
『はい!』
「なんでSIRUが」
『どうお答えしたらいいのかよくわかりません』
それはこっちの台詞だ! だがSIRUがあるならどこかにスマホが落ちているはず、と辺りを見回すがどこにも長方形の機械は落ちていない。SIRUの声は驚くほど傍で聞こえてたのに、どこにも本体が落ちていない、矛盾に満ちたこの世界の象徴である海の空を見上げると、フリーズした。空に『19:30』という数字とその下に小さく今日の日付と曜日が浮かんでいる。
おかしな空、しかし見覚えがある。いつも何気なく目にしている数字と文字の配列。俺が持っているスマホのホーム画面だ。手を前に出すと数字と文字がすぅっと消え去り、代わりに彩り豊かな様々なアイコンの星々が出現した。どれも俺がダウンロードしたスマホのアイコンだ。
つまりこれは……俺はスマホの中に閉じ込められた? 頭の理解が追い付かず髪に手をやると、手が止まる。髪に絹が垂れている。いや、髪自体にはそんなものはないのだが固さといい色といい明らかに人工物でないものがある。引っ張ってみるとそれと一緒に頭もつられて引っ張られていく、不思議と痛みはない。これは髪ではあるが、本物の髪ではない。
「鏡……カメラ、カメラだ」
ぐにゃりと世界が歪むと、まるでスライダショーのようにカメラの画面が横から出現した。画面を自撮り用に切り替えると全く異なった自分の顔が現れた。サファイアの瞳と片耳にヘッドホン、腰まである青い長髪の上にちょこんとベレー帽をのせた十代後半ぐらいの少女。間違いなく、自分のVtuberプレイ・モアだ。だが声だけは、ボーカロイドを通していない俺の声であった。声だけそのままだなんて、これが本当のバーチャル美少女受肉? なんて皮肉を心の中で一つ思うがすぐに焦りの色に染められた。
「なんで、俺がモアちゃんに? つか俺の本当の体は……? そうだSIRU、LINEを呼び出してくれ! それとツイッターも」
リアルでの外部との連絡が取りたい。まず俺の体が今どうなっているのか知りたく、大学の友人にLINEにメッセージを入れて俺の部屋に来るように「大至急俺の部屋に来てくれ!」と送信した。あとはツイッター、もし運営側の何らかのミスで発生したのなら、他にも同じ症状になっているやつのツイートが流れてくるはずだ。
青い鳥のアイコンを開く前に、突然画面の上に一件の着信メッセージが降りてきた。
『私の声聞こえている?』