嫌煙化になる前に、ちょっと立ち止まって
私は、近年に見る喫煙者への肩身の狭くなるような現状に疑問を持った。
新幹線からは喫煙車両が消え、日本航空も分煙を廃止した。これらは今に始まったことではない。
JT調べによると男性喫煙率が80%を越えていた50年前に比べ、今では28%にまで減少している。これは誰もが満足する社会への道筋なのか。私はそうは思わない。
元来、たばこは麻薬とは違い違法ではない。従って個人の趣味嗜好や健康に国や行政、はたまた他人が介入するのは違和感がある。2020年の東京オリンピックに向け、飲食店での全面禁煙化が推し進められるなか、本当に全面禁煙化が正しいことなのか。
確かに、喫煙に際する周りへの影響に代表される受動喫煙は由々しき問題である。副流煙に含まれる有害物質は主流煙を大きく上回り。受動喫煙による非喫煙者への健康被害は有ってはならない。但し、それは分煙である程度は改善することが出来る問題だ。仕事場や公共の施設であっても喫煙ルームを作り、喫煙者と非喫煙者を物理的に乖離してしまえば受動喫煙で健康被害が出たと断定されるまでの副流煙を吸うことはない。分煙効果判定基準策定検討会報告書概要によれば、発生源が定まっている場合にのみ有効だと言う換気による分煙方法が効果絶大だと示している。
では、何故喫煙者は嫌われるのか。街で通りすがる喫煙者に健康被害を訴えたい気持ちも分かる。しかし、それでは排気ガスを撒き散らす自動車をも批判しなければいけない。たばこ臭いと言ったって香水が苦手な人だっている。
オリンピックに向けて成立された改正健康増進法では多くの人が利用する施設の屋内を原則禁煙にするというものが含まれる。私はこの改正案の成立も甚だ疑問だ。改正の趣旨には、望まない受動喫煙を無くす、と言うものがある。これを実現することはたばこが合法である限り不可能である。もしこれで受動喫煙による健康被害を訴え、たばこを違法にするならば、排気ガスを出す自動車も違法にしなければならない。
これに対する反論として、影響の重さによる無差別を指摘する人が居るかもしれない。ただし、JTによれば受動喫煙の疾病リスクについては、これまで国際がん研究機関を含む様々な研究機関等により多くの疫学研究行われているが、肺癌や脳卒中等の疾患について、受動喫煙によってリスクが上昇するという結論は科学的に説得力がある形では得られていない。さらに、周囲の人の吸い込む煙の量は非常に僅かであり、たばこを吸う人の数千分の一程度であるとの報告もある。とのことだ。喫煙者が大幅に減った今、果たして望まない受動喫煙による健康被害は排気ガスによる健康被害を上回ることが有るのだろうか。
ともすれば、子供の遊んでいる公園で喫煙しているならまだしも。灰皿があり、喫煙が認められている場所での喫煙をも規制したり、批判的に捉え。休日のドライブを規制せず、批判しないのは差別行為である。
飲食店などの施設の全面禁煙、喫煙者への禁煙の強要は、喫煙者の趣味嗜好の自由を脅かすものであり、有ってはならない。最近では喫煙者を採用しないという企業が出てきた。それは24時間吸ってはいけないということ。家で吸って会社では吸わないという人も採用されない。それは喫煙者というだけでその人が全否定されているようなものだ。
共同空間では分煙で問題か解決するのに何故全面禁煙を推し進めるのか。そこに倫理的問題が有ると思った。
行き過ぎた規制はファシズムを生む。これ以上禁煙ファシズムが蔓延しない為にも、人の時を想い、吸う人も吸わない人も心地よい世の中へ変わっていって欲しい。