ワタルとマコトとルミと
「え、いや・・・音楽は聴くだけでいいかなって・・・」
僕がそう返すと、彼は一瞬目を見開いてはすぐに目を細め、溜息を吐く。
「お前、すげえいい声質してる。磨けば光るぞ」
彼はそう告げると、徐に懐からスマートフォンを取り出し、耳に当てる。
「ルミ、すげえいいボーカル見つかった。初心者だけど」
冷めた顔をしているが、彼の口角が少し上がっているのを薄暗い部屋で確認できた。
「あの・・・僕がボーカルって?」
彼が電話を終えると、僕は思った事をそのまま口に出す。彼は二度目の溜息。
「理解が遅い、お前は今勧誘されてるんだよ。バンドに」
彼は睨み付けながら押し迫るような形相で顔を近付けてくる。
「でも、バンド組んでるよね?」
僕が尋ねると三度目の溜息。
「お前ライブの時最初から居たろ?解散ライブって言ったの聞いてなかった?」
彼は完全に呆れ返った様子で質問してくる。
「ノリの悪い奴は見れば一発で新規だってわかるし、目立つんだよ」
彼は僕に真顔でそう伝える。
「ごめん・・・」
僕は何だか解散ライブを台無しにしてしまった様で気まずかった。
「いや、寧ろ最後まで新規が参入し続けてくれる事は嬉しい、お前もバンドをやってみればわかる」
彼は微笑みそう告げる。
「ボーカルはバンドの顔、責任もあるけどその分人気も出るしトークも巧くなり、感受性は豊かになる、そして何より・・・お前の日常を変えられる」
最後の一言が決定打となった。
僕は日常に満足していない。日中はラーメン屋でバイトして、夜は少し読書をして就寝。これまでそんな生活に不満を垂れなかったのは、外の世界を知らなかったからに他ならない。
「でも、なんでそんな事を初対面の人が知って――」
僕は疑問を投げかける。
「ワタルでいい。俺も昔はお前みたいに何もなかったからわかるんだ」
「俺たちがやるのはヴィジュアル系の中でもキラキラ系と呼ばれるジャンル、近代のヴィジュアル系界隈では最もウケのいいタイプだ、やってみないか?」
そんなもの、聞かれなくても答えは決まっている――。
「やるよ、バンド」
僕が決意を言葉に出すと、ワタルは微笑む。
「よく言った。じゃあうちのバンドの説明に入る。まずスタジオ練習は週1、メンバーには日曜日の昼を空けてもらう。そしてライブは3ヵ月に1回とクリスマス。曲は2ヵ月に一曲。当然、最初は簡単な曲で様子を見る。メンバーもまだお前含め3人しか決まっていない。まあどっかで声かけるけどな」
ワタルは早口に説明する、全ては理解できなかった。
「ま、待って。ライブの頻度高くない・・・?」
僕が突っ込むと、「普通だ」と返された。
「ちなみにライブに掛かる費用は箱代、衣装代、メイク代がメインだ。ざっと見積もって、安く見積もって総額50万は超えるな。割り勘で1人10万ってとこか」
その言葉を聞いて僕は戦慄する。
「え・・・10万?」
僕の月の収入が10万弱なので、3ヵ月に1回給料の殆どが消える事になる。
「スタジオ連や新曲CD発行の金は計算に入れてないがな、とりあえずライブの費用だ」
僕は頭の中が真っ白になる。表向きには真っ青だろう。
「そんな大金パパッと用意できる訳が・・・」
僕が目を伏せると、ワタルは「付いて来い」と言い放って僕の手を引く。
そして一つの部屋のドアに手を掛ける。
中では、茶髪ショートヘアでボーイッシュな感じの女性がスマホを触っていた。
「あ、遅いよワタル。その子が例のボーカル?」
女性は喋りながら此方に歩いてくる。
「えっと・・・この人は?」
僕はワタルに質問する。
「ルミだ。これから組むバンドのベーシスト、節約術に詳しい」
ワタルが紹介すると、ルミは両手を軽く振る。
「気軽に呼び捨てしてちょうだい、ちなみにワタルの職場の上司よ」
ルミはそう告げ、名刺を手渡してくる。
「ちょ、ちょっと待って、考える時間が欲しい!いきなりだし・・・」
僕は軽く抵抗し、ルミの名刺を受け取らなかった。
「・・・1週間やる」
ワタルはそう呟いた。
「ちょ、ワタル、そんなに急かさなくても――」
ルミが静止するが、ワタルの耳には届かない。
「1週間でバンドをやるかどうか決めろ、決まったら連絡してこい」
ワタルはLINEのQRコード画面を提示してそう告げる。
僕はLINEを交換し、そのまま帰宅する事となった。