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第一話 夢

 ……夢を見た。


 不意に漂ってきた何かが焼けるような匂いに、渦を巻くように混乱していた意識がはっきりとし始める。

 まるで長い瞬きをしているようだ。漆黒の闇からゆっくりと、いたって自然な行為と、それとは真逆のどこまでも不自然な現状の中、開かれた俺の視界に飛び込んできたのは巫女服に身を包み目尻にうっすらと涙をためた美しい少女だ。

 目の前の少女は一体だれなのか、ここはどこなのか。スローモーションのようにゆっくりとすぎる時間の中で、俺は自分の目に飛び込んでくるあらゆる非現実を受け取り、ようやく自分が何をしようとしているのかを理解した。


 炎に包まれる神社の中で、俺は名前も知らない巫女を救おうとしていたらしい。

 なぜそんなことをしようとしたのか。そんな当たり前の疑問の回答は俺自身にも分からない。しかし、俺はその巫女をなんとしても救おうとしていたのだろうということは想像がついた。

 よく見れば、俺の体はあちこちに細かい傷がつき、腕も足も、体中が悲鳴を上げている中で巫女に襲い掛かろうとしていた”化け物”の盾になろうとしていたのだ。

 巫女の敵対者は異型の化物が二匹と少女が一人。おそらく少女が従えているのだろう、人の体躯で、顔は耳まで裂ける大きな口と左右の釣り合っていない目が特徴的な二匹の異型の者は、今まさに手にしていた大剣で巫女に斬りかかろうとしていた。


 もちろん俺は巫女を助けるべく異型の者を止めようとした。

 だが、突如としてこの状況に放りだされた俺には文字通り何もできなかった。

 巫女を助けなければという感情とは裏腹に、ただ呆然とその様子を見つめ続ける俺の目の前で、巫女に刃が振り下ろされる。

 「やめろ!」と叫ぼうとしたのに口から漏れるのはかすれた、まるで自分のものだとは思えないような声。

 そんな俺の願いが届くわけもなく刃は巫女に迫る。有り得ない非現実に焦燥と絶望が俺の心を染め上げる。

 やめろ……やめろやめろやめろやめろ!!!

 もやは声すら発せなかった。本当ならすぐにでも巫女を救うべく駆け出したかった。敵の注意を引くために大声を上げたかった。しかし、今俺の行動を抑制するのは非現実による焦燥と絶望だ。それは次の瞬間恐怖へと姿を変える。

「あっ……や、やめ」

 恐怖に硬直し、情けなく泣き言を発す。今の俺にできる目いっぱいの抵抗だ。

 微塵も揺らがず振り下ろされる大剣を見据え、諦めがついてしまったのであろう目の前の巫女と目が合った。一瞬、ほんの一瞬だけ、その顔がどことなく嬉しそうに微笑んだような気がした。

「えっ」

 その笑みを確認する間もなく、巫女の姿が視野から消滅した。

 炎に照らされた刃が、その身を一瞬輝かせ容赦なく巫女を切り裂いたのだ。

 薙ぎ払われ両断された巫女の鮮血が床を、壁を、目の前に立ちすくんだ俺を染め上げる。

 生暖かい鮮血を全身に浴び俺は、ただ絶命した巫女を見つめる。もはや逃げ出すこともできない。俺はひたすら死体となった巫女を見つめる。

 即死だったのだろう。痙攣すら引き起こさずに巫女は動かなくなる。光なく開かれたままの眼と両断された身体が、彼女の死を物語っていた。

「……そ……んな」

渇ききった口からもれた声は絶望に染まり、己に対する後悔で満ちていた。

 己に対する後悔? それが一体何に対しての後悔なのか、混乱の中にある俺には分からない。

 巫女を助けられなかったことか? 人の死を目の前で見てしまったことか? いや、違う。助けられたのに助けられなかった自分に対するものだ。

 助けられた? 一体何を根拠にそんなことを思っているのか、俺はただでさえショッキングな光景を見せられ混乱する頭で必死に考る。自然と浮かんだ後悔の意味を理解しようと必死に思想を巡らせるが次々と自分に流れ込んでくる現実に俺の頭はショート寸前だ。


「これが、守り人? 到底信じられないな」

 そんな混乱の中、異型の者を従えた少女は、俺とはまた違う失意の眼差しで床に転がった巫女の遺体を見据えていた。ゴーグルの奥の瞳を細め、既に死体からは興味を失った様子で心底面白くなさそうにあたりを見渡している。

 その少女は、まるで”殺す”という行為になんの感情も抱いていないという雰囲気だ。今まさに目の前で、人が殺されたのだとは到底思えない落ち着いた姿に驚かされる。……いや、それもそのはずだ。彼女が従えていた化け物が巫女を殺したのだし、彼女の落ち着きも当然のことか。

 ここまでくれば俺の注目は巫女から謎の少女に切り替わる。まるでどこかの魔法使いのように黒を中心にしたローブに身を包み、顔には大きなゴーグルと顔の下半分を隠す金のマスクをつけている。

 そのせいで正確に顔を判断できないが、見た目だけなら中学生くらいだろうか。

 しかし、その容姿に似つかわしくない、彼女が背負う大鎌と真紅の瞳は少女がただものでは無いことを感じさせていた。

「まあ、いいさ。それで? お前さんはどうするつもりだ?」

 

 やがて、状況観察にも飽きたのか、少女は未だ呆然と立ちすくんだままの俺に問いかける。

「おっ、おれは……」

 そこから先が答えられない。俺は、どうすればいい? 守ろうとしていた存在は殺された。ここがどこかは知らないが、おそらく俺に生き残るという選択肢はないのだろうという想像は容易についた。

「お前さんは知りすぎたのさ。そして持ってしまった。皮肉なもんさ。そうなっちまったら私はお前を殺処分しなきゃならない。それが私達の仕事なんだ」

「……何を言ってるんだ?」

 少女は俺に説明してくれたのだろう。自分が何をしてしまったのかを。


 だが、気づいたら炎上する神社にいて、何故だかわからないがとても大切な存在であるはずの巫女を守ろうとしていたのだ。

 ここに来てやっと頭と口が回るようになってきた。人間という生き物はどんな環境にも差はあれど慣れが生じてくる。混乱が収まれば次にやってくるのは困惑だ。

「忘れたとは言わせんぞ? お前さんの行動は逐一見させてもらっていたしな。ぼろが出るまで張り付いていてやっと見つけた標的よ」

「俺を、見ていた?」

「お前さんまさか本当に覚えていないのか?」

 何度考えても少しも心当たりがない。困り果てた様子の俺を見て今度は少女のほうが困った表情を浮かべた。

「なぜだ?」

 と、問われましても。互いの間に妙な無音の時間が生まれる。ほんの数秒の間だが、あたりには異型の者の吐息と、木が燃える音だけが絶え間なく聞こえ続けていた。

 

 その静寂を破ったのは第三者の声とドアの開閉音。かなりの緊急事態なのだろう。慌ただしく開け放たれたドアの向こうにいたのは、古びた神社には似つかわしくない格好をした女だ。

「リン、時間です。警備が勘付きました」

 神社内に駆け込んできたのは、いま自分の目の前にいるゴーグルを掛けた少女 リン の部下であろうメイド服の人物で、まだ生きている俺を見て目を見開いた。

「ああ、そうだったな。ちょっと不思議な事があって」

「……不思議な事? 後ほど詳しく聞くので今は仕事を執行してください」

 仕事を執行する。その言葉の意味を俺は理解した。

「仕事って、嘘だよな?」

 俺の引きつった笑顔を見てリンは瞳を細めると鎌を振り上げる。

「執行する」

 俺の願いなど聞き受けてもらえるわけがないとわかっていても黙って殺されるわけにはいかない。

 逃げなければ……逃げなければ、殺される。


 死の恐怖に、足がすくみ全身がこわばるのが分かった。

 自然と呼吸が乱れ、激しいめまいに襲われる。いや、これは夢だ。そう夢だ。ちょっとリアルな。

「やっ、やめ」

 思想とは裏腹な俺の懇願が最期まで行われることはなかった。

 まさに一瞬。少女の鎌は俺、清水雅俊を文字通り切り裂いた。

 死の恐怖を感じる暇もなく意識が遠のく。痛みも感じず、俺の体から鮮血とともに命の灯火が抜けていく。

 ああ、これが死ってやつか……冷たく恐ろしい死を実感しながら、俺の意識はなんとも呆気なく途絶えた。

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