第十一話 護衛官として
現在歴より一年後。
フィルバート王国郊外。
何が好きで、俺こと清水 雅俊は薄暗い密林を駆けているのだろう。蒸し暑い密林に苛立ちを覚えながらも俺は空を見上げてため息をつく。
今夜はあいにくの曇り空。たまに天を仰いでもそこにあるのは木々の葉と分厚い雲だ。今の俺の気持ちを表現するのにはもってこいの曇天の元を駆け抜ける。
時折、葉や枝が引っ掛かり小さな切り傷ができるがそんなことにかまってはいられない。
全く……傷口に汗が染みる。気温こそ高くはないものの、先ほどからの全力疾走がこたえているのだろう。額を汗が滴り落ちていた。
「各地上部隊へ。ターゲットは現在も指定区域内を逃走中。追跡を続行し何としても対象物を奪還せよ」
堅苦しい指示を発している上空追跡用の有人飛行偵察機が、俺の上空を通り過ぎていく。
地球でいうところのヘリコプターのような容姿をした偵察機のプロペラの風圧に思わず顔をしかめながら、改めて空を仰ぐ。自身が着用する暗めの迷彩が、偵察機に取り付けられた大型のライトによって浮かび上がった。
今俺は、王国の護衛官として現場に駆り出されていた。
一年前。リンたちと交戦した後、俺は半ば強制的に異世界に連れてこられた。
右も左も分からない異世界で、俺は紗代の専任の護衛官であり師匠となった「エルネスト = ルースロ」という人物に出会い、そこでこの世界についての説明や歴史、剣術などといった戦闘スキル等々を徹底的に叩き込まれた。
いくらヴェルフィアがついているとはいえ、当時の俺では一兵も相手にできない。
上層の人間からは、そんな人間を護衛官として紗代の側近にするなど言語道断だという意見も多く見られたのだが、「ヴェルフィアの選んだ逸材だ。現状だけで判断するのは間違いではないか」という意見に助けられ訓練期間が設けられた。
訓練期間という名目で俺に与えられた時間は十ヵ月。そこで一定の成果を上げられなければ、護衛官は諦める。というのが王国の出した条件だった。
猶予期間があるとはいえとても安心していられるような状況ではなく、異世界からやってきた一般人に剣術などを教えてくれる者など当然いなかった。兵士たちからは白い目で見られるし、誰の救いも期待できない。先の全く見えぬ現実を前に途方に暮れていた時、救いの手を差し伸べてくれたのがエルネスト師匠だった。
エルネストはどちらかといえば冷静沈着といったイメージの上級護衛官だ。まだ若く、整った顔立ちに、銀縁メガネがよく似合う。
しかし若き上官の実力は王国内で五本の指に入るほどで、さすがは紗代の護衛隊を率いているだけあって実力はあるらしく、エルネストと令器の恩恵なしで、剣術のみの模擬戦闘を行い勝てる者などいない。と他の兵士たちからは恐れられている程だ。
あまり人にものを教える経験のない立場にいた彼は、実戦という形で指導した。
はじめは剣の握り方から徐々に慣れていくことにしたのだが、たとえ訓練用の木刀であっても、実際に手に持ち振ってみると剣術というのがいかに難しいか思い知らされた。
力みすぎると隙ができ、軽く持ちすぎると相手の強攻撃で剣がはじき飛ばされる。そうなれば斬撃は生身の身体に叩き込まれる。その度、すさまじい威力の斬撃が俺の身体を直撃した。
斬撃が直撃し吹き飛ばされる俺を見て、素っ頓狂な声を上げ、医療スタッフを呼びに走るエルネストの背中を何度見送ったことか。
最初の一ヵ月は本当に散々だった。実戦では相手に触れることもできず、訓練用の木刀で吹っ飛ばされる。毎日あざを作ってはエルネストの呼んできた治療スタッフにお世話になる日々が続いた。
朝、日が昇るより前に起きてと剣を交える。昼はこの世界について勉強し、また夕方から剣を振る。訓練期間中は毎日のように朝から晩まで鍛錬と勉強を続ける。そんな生活を続けていた。今思えばよく耐えたものだ。自分にあれだけの根性があったのだと驚いたのをよく覚えている。
初めはろくに成果も出なかったものの、やはり習うより慣れよというだけあって、剣術の訓練を続けわずか二か月後。唐突に成果が現れた。
「……!」
その時のことはよく覚えている。エルネストの斬撃をガードし隙を見つけ反撃できるようになっていた。
反撃といっても些細なもので、すぐに切り返されるのだが、目に見える成果を出した喜びはいまだに忘れられない。
そのころからだろうか。俺の中で何かが芽生えた。まるで体内の歯車が回り始めたように、剣術は身体能力と共に爆発的に向上していった。
あれだけ一方的だった模擬戦は、いつの間にか俺から攻め入るようになっていった。上下左右様々な位置から飛んでくる斬撃を見切り、かわし、攻め込む。それはいつしか形を成し、まるで剣舞のように互角の斬り合いになっていた。
初めこそ二人の訓練を見て俺のことを馬鹿にしていた兵士たちは、いつの間にか二人の剣舞に見惚れるようになっていた。
そして十ヵ月後。
俺はエルネストを相手に一歩も引かぬ打ち合いをできるほどに成長していた。
もちろんこれは、互いに令器の恩恵を受けていない生身の場合だが、上層部を納得させるには十分すぎるほどの結果だ。
これで晴れて王国公認の護衛官に任命され、ようやく仕事を始めたのだが……ここ二ヵ月護衛と名の付く任務をこなしていない。段々と自分が護衛官なのかわからなくなってきた。
「おいベネデット! さっさと足止めしやがれ!」
耳に取り付けた無線機から、鼓膜を破壊しかねないほどの罵声が脳に響き渡る。
なにも全体無線で怒鳴り散らさなくてもいいのに。付近に展開中の部隊も、先ほどからさっぱり進展のない現状に苛立ちを感じているようだ。
「各地上部隊へ、陽動、待ち伏せ共に失敗。対象はいまだ指定区域内を逃走中」
ベネデット有人飛行偵察機からの報告に舌打ちが飛ぶ。
まったく、簡単な任務のはずだったのに。俺は無線を手で覆うと聞こえないようにため息をつく。
そもそも今回の事件は、持ち出されていたフィルバート王国の機密資料を再び王都に輸送しているときに起こった。
犯行は素人が行ったのだろう。……なぜかって? でなければ紙の機密資料を乗せた装甲車を「火炎火力砲撃」なんかで吹っ飛ばしたりしない。もちろん機密資料の破壊が目的であるならば大成功だったろうが、連中は炎上する車両から資料を持ち出したのだから笑いものだ。
危うく機密資料すべてが灰に代わるところだった。盗賊集団は燃え盛る装甲車の中から何とか機密資料を奪い逃走したというわけだ。
この時点で王国軍司令部から、暇を持て余していた我ら巫女護衛隊と陸軍の飛行偵察小隊に出動要請がなされたのだが、ここで悲劇が起きた。
盗賊集団は整備道を逸れ、何を考えているのか普段人間がほとんど踏み込むことのない密林へ逃走路を変更したのだ。
こうなると機密資料を奪還するためには、モンスターのうろつく夜の密林へ突入するしかなく、さらに二つの機動隊を投入し追跡を試みてはいるのだが、一向に相手との距離が縮まらない。待ち伏せ作戦も陽動作戦も相手の恐ろしい強運により回避され現在に至る。
「エルネスト師匠、ちょっと」
このままではらちが明かない。ここは少し思い切った作戦に出ることにした。
「なんだ? 良い策か?」
俺の呼びかけに答えたエルネストは息を整えるとメガネの位置を戻す。
その顔には何か良い策があるのだろう! という期待がにじみ出ている。
「まあ、いいかといわれればいい……かも」
「とりあえず言ってみろ」
エルネストに背を押され、たった今考え付いた作戦を説明する。
「なるほど。相手の裏を突く良い策だ。しかし、走れるか?」
「ええ……もちろんです」
ほぼ即興の大胆な作戦……正直、やめておけばよかったと後悔しているが今更引き返せはしない。今唯一幸いなことは、後続の部隊のように重装備ではないことだ。俺もエルネストも、持ち合わせはわずかな生命維持に必要な物資と令器のみ。先回りするにはもってこいの状況だ。
「ベネデットより地上第二第三歩兵小隊へ。誘導作戦Cを実行。各隊作戦に備えよ」
ベネデットから送信されてきた作戦の概要を見て、第二、第三小隊面々は苦笑いを浮かべ立ち止まる。
「アンセルム五一よりベネデット。なんとも彼ららしい作戦だ」
歩兵小隊の隊長は皮肉交じりに吐き捨てると踵を返す。
「だな、ベネデットアウト」
有人飛行偵察機が作戦参加のため遠ざかり、辺りは静寂に包まれる。時折聞こえるのは自分たちの胸元に下げられた小銃がならす金属音と装備のこすれる音のみ。
「アンセルム五一、戦線を離脱」
小隊は来た道を引き返し始めた。後を第四小隊と上級護衛官に引き継いで。