あなたと鬼平を
がっつり鬼平だしちゃっているけど、ガイドラインに引っかからないか心配です…
毎日の朝のラッシュ。
実家から通勤する私は1時間、電車に揺られている。
その時間が、私の読書時間。
活字中毒気味の私の至福の時間。
ふと、隣の隣に立っている男の人が読んでいる本が自分の読んでいる本のシリーズが同じということに気付いた。
池波正太郎先生の『鬼平犯科帳』
すごく面白くて、文庫で24巻(プラス番外編)あっという間に揃えて、何回も何回も読み返している。
どちらかというとドラマの方が有名らしく、同年代の人に鬼平犯科帳の面白さを語っても、年寄りくさいとか言って笑われてしまう。
ドラマは観てないですけどね、面白いよ。ホント。
からかわれるのが嫌で、周りに言わなくなったし、本にはきっちりカバーをかけて何を読んでいるかわからなくした。
『鬼平』を読んでいる彼は、見たところ同年代っぽい。
1巻じゃなく3巻を読んでいるのもいい。
『3巻は左馬之助がいいんだよね!』
と、ワクワクしながら相手の顔を伺いみてしまう。
彼は、淡々と読み進める。
たったそれだけなのに、今日は朝からウキウキしてしまった。
***
それから、毎朝のようにそっと探してしまう彼の姿。
私が乗った駅から3駅目から乗り、私が降りる駅の一駅前で降りることがわかった。
乗るところを見たら、目が合って気不味い思いをしたので見るのはやめた。
本を夢中になって読んでいると駅に停まったことに気付かなくて、隣に彼が立っていてビックリしたこともある。
ここ、二人揃って鬼平読んでる…!
テンションがあがる。
まるで好きな人を待っているようで、毎朝がちょっと楽しい。
ちょっと彼にも気付いて欲しくなって、カバーを外した日もあるけど、やっぱり恥ずかしくて次の日はきっちりカバーをつけた。
今日の彼は10巻。
読むのは遅いのか、何度も読み返しているのか、ちょっとゆっくりめだけど今日も読んでいるのが嬉しい。
ちらちら見すぎたのか、見ていると目が合ってしまうのであまり見ないようにして、気配だけを感じている。
最近、帰りの電車でも、偶然彼が乗っていないかな…なんて探してしまう。
鬼平仲間
ちょっと話をしてみたい。
なんて、最近思うようになって、自分でもびっくりだ。
実際には話すことなんて、できないけど。
***
毎朝同じ電車、同じ車両に乗る彼女。
彼女が目に留まったのは、たまたま目線の先にいただけだからだった。
けれど、みんなスマホをいじっているか、疲れた顔をして窓の外眺めている中、カバーのついた文庫本を凛とした佇まいで読む彼女は、好感がもてた。
なんとなく、眺めていると彼女の口元がゆるむのが見える。
笑ってる…?
そのまま見ていると、眉が下がったり、唇をすこし尖らせたりしていて、見つめていなければわからないくらいの細やかな変化だけれど、顔が変わっていて面白かった。
彼女はいつも夢中で本を読んでいる。
俺より先に乗っていて、俺より後に降りる彼女。
気付けば、毎朝彼女が本を読んでいるところを見てしまう。
あんなに夢中になって読んでいる本は、いったい何だろう?
彼女が珍しく本から顔をあげ窓の外を見ている。
窓の外はなんの変哲もない景色が流れているだけにみえる。
彼女にはどう映るのだろうか…と彼女に視線を戻すと彼女の目には涙がいっぱいたまっていた。
なんでもない顔をして、涙がこぼれないようにしている。
俺はつい口元がゆるみそうなのを必死で隠す。
彼女は落ち着いたのか、また手元に目線を落とすが、またすぐに窓の外を見始める。
可愛すぎだろう。
あんな顔を俺の前でも見せてくれたらいいのに。
本の題名を知る機会は、ほどなく訪れた。
隣に立っていたときに、電車が急停止をし彼女が本を落としてしまったからだ。
拾うとき、題名がわからなかったので意図的にカバーが外れる持ち方をして、表紙をみた。
「鬼平犯科帳 池波正太郎 著」
「………」
「あ、あのっ。ありがとうございます」
彼女に手渡す。
彼女は恥ずかしそうにしていたが、「すみません」ではなく「ありがとう」と言った彼女に完全におちてしまった。
***
鬼平犯科帳
時代小説はおろか小説自体、最近は読むことがなくなった俺でも知っている。
というか、小説だったんだ。ドラマは知っていたけど、原作があったとは知らなかった。
その日の帰り、本屋に寄ってみてみたら、たくさん並んでいてびっくりした。
こんなに長いシリーズなのか。
彼女は何巻を持っていたっけ?
そこまで見ていなかったが、夢中で読んでいた顔を思い出し、好きなんだろうな。と思った。
彼女に近づきたくて、1巻を買ってみた。
時代小説なんて、読みにくそうだし、ちょっととっつきにくいよな。
と思っていたのに、俺はドはまりした。
なんといっても、登場人物がいい。
みんな魅力的で、生き生きしている。
鬼平こと長谷川平蔵の懐の広さは、もちろん悪党たちも一本筋が通っていてかっこいい。
男なら憧れるような人物がたくさんでてくるのだ。
彼女が読んでいなかったら一生読まなかったと思う。
彼女に新しい世界を見せてもらったようでうれしかった。
俺は毎日、『鬼平犯科帳』の文庫を持って電車に乗る。
彼女に気づいてもらえるように。
***
たまたま彼女の隣に立てた日だった。
いつかみたいに電車が急停車した弾みで彼女がぶつかってきた。まぁ、彼女だけじゃなく、おっさんたちも一緒にのしかかってきたんだが。
とっさに両手で彼女を支えてしまい、顔を赤くした彼女を見て「これじゃ痴漢だ」と焦って「すみませんっ」と謝る。
まずい、まずい。と思っていたら、彼女は落ちてしまった俺の本を拾い上げてくれ「ありがとうございました」と、はにかんだ。
俺は「ありがとうございます。」と本を受け取ったあと、ドキドキしながら「以前と逆ですね」と言った。
彼女は明らかに覚えていない顔をした。
俺はガッカリしたけれど、そんなもんだよなーとちょっと遠い目をし、気を取り直し「本、いつも読んでいますよね。お好きなんですか?」とせっかくのチャンスを生かそうと話を続けた。
彼女は、「は、はい。好きです。」と顔を赤くした。
うわっ、かわいい。
これが俺を好きっていってくれてたらなぁ
自然と顔が赤くなっていくのがわかる。
彼女は「あのっ、鬼平、読んでますよね?…私も鬼平好きなんです…」
そっと自分のカバー付きの文庫をひらき、『鬼平犯科帳 21』とみせる。
知ってます。
なんて言ったら、どんな顔するだろうか。
自分でも気持ち悪いと思うので今は言わないでおこう。
もっと、少しづつ色々話したい。
「読んでみたら面白くて。最近は小説読んでなかったんですけど、これはハマりました。」
彼女はぱぁっと顔を明るくする。
「登場人物が魅力的なんですよね!」
少しずつ色々な話ができたらな。
もっといろんなことを教えて欲しい。
こうして毎日、あなたと鬼平を