5:婚約の段階で機嫌をとる必要はないだろう。
エクスダリア帝国宰相の息子であるセドリック・ド・ツヴェルフは、離宮に籠り気味の第二皇子クロエとともに、ランスフォードの姫が滞在している離宮へと向かっていた。
乗り込んでいる馬車はツヴェルフ家のものだ。現在クロエが起居している離宮へと乗りつけ、驚くクロエを有無を言わさず押し込み、彼の婚約者の元に向かっているという次第だ。
何故セドリックが、主であるクロエに対して拉致まがいの行動に出たかというと、クロエが自身の婚約者であるランスフォードのリスティニカ姫に未だ対面すらしていないと宰相である父から聞かされ、皇子と姫の関係改善を促すよう求められたからだ。
確かに、いずれ夫婦となる二人が(予期せぬアクシデントがあったとは言え)未だ顔すら合わせていないというのは問題だ。と言うか、当初の予定ではすでに婚儀も済ませているはずの二人が、未だ顔を合わせてもいないとは、正直セドリックは考えていなかった。
皇帝の急病という不測の事態を受けて婚儀が延期された、そのことは仕方ない。仕方ないことなのだから、婚約者としてクロエが姫を訪ない、状況を説明しているものとばかり思っていたのだ。
そもそも、エクスダリアの宮城についた姫を出迎えるのは、婚約者であるクロエの役目のはずだった。皇帝急病の報に混乱する中、出迎えられなかったのは不可抗力としても、ならばなおさら、それを弁明し姫の理解を得なければならないというのに、クロエはそれすらしていないと言う。
いくら国同士の思惑による政略結婚の相手とはいえ、まがりなりにも婚約者に対して、会いにも行かないクロエの態度は、さすがに問題だろう。
政略が基本にある王侯貴族の婚姻において、夫婦仲が良好でないことなど多々あるが(現に、第一皇子リオラントに嫁いだセドリックの姉と夫との仲も、とても良好と言えたものではない)、それでも今回の婚姻には、エクスダリア、ランスフォード両国の和睦と同盟という政治的な狙いがある。せめて表面を取り繕うくらいはしてもらわなければ、今後の両国関係にも響きかねないのだ。
その辺りの事情が分からぬクロエでもないだろうに、彼は馬車の窓に視線を向けたまま、不機嫌さを隠そうともしない。
「婚約者と言っても、俺が望んだわけではない。婚姻すれば、妃として相応しく遇するさ。だが、婚約の段階で機嫌をとる必要はないだろう」
自分の意思など一切考慮されない婚姻を押し付けられたクロエの不服も分からないではないが、それを言えば条件は相手も同じだ。
「いずれ妻になる婚約者相手に『機嫌をとる』なんて考えている時点でどうかと思うよ、クロエ。不満は分かるが、もっと相手のことも考えるべきじゃないか?」
「相手のこと?」
「相手の姫はまだ十五なのだろう? 十五の姫が、たったひとりで異国の地に嫁いできて、それだけでもさぞ心細い思いをされているだろう。なのに、仕方のない事情とは言え婚儀は延期、その上、国に入って五日が経つと言うのに婚約者は会いにも来ない。どれほど不安に思っていらっしゃるか……せめて離宮を訪ねて安心させて差し上げるのは、婚約者として当然のことじゃないかい?」
滔々と〝婚約者としての正しい行動〟を語るセドリックに、半ばうんざりと、クロエは問いかけた。
「仮にも一国の王家の姫が嫁ぐのに、侍女のひとりも連れずに来たと思うのか?」
「『たったひとりで』というのは言葉のあやだよ。ちなみに姫が連れてきたのは侍女がふたりきりだ。ほとんど単身と言っていいんじゃないかい」
花嫁を迎えるにあたって、エクスダリア側は十分な数の女官や召使を用意している。侍女のひとりも伴わない輿入れであっても困ることはないのだが、隣国とはいえ異国からの輿入れだ。姫の年齢が十五ということもあって、長く姫に仕えている侍女が従っていると聞いた。
十五の娘が異国に嫁ぐのだ。それくらいの配慮は許されるべきだろうと、クロエも思う。その娘を娶るのが自分でなければ、全面的にセドリックに同意しただろう。
「……セドリック。お前、肖像画を見たか?」
自分が抱いている感情をどうすればこの朗らかな友人に伝えられるのか、正しく伝えられる気がまったくしないまま、クロエはセドリックに尋ねた。
「見させてもらったよ。異国的だが美しい姫じゃないか」
あっさりと頷くセドリックに、クロエは嘆息を零した。やはり、この根っからひとの善い男には、クロエの抱く屈託など想像の埒外なのだろう。クロエは窓外を流れる景色を見やったまま投げやりに言った。
「お前、あの肖像画がどれほど本人の姿を正確に写し取っていると思う?」
その問いに、セドリックは曖昧に笑ったまま答えない。
王侯の肖像画がかなりの度合いで美化されて描かれることは、いまさら言うまでもない。まして、それが見合い代わりに交わされる物ならば。
自国内の婚姻であれば、さすがに実物を知らぬままということはないが、国を跨いだ王族同士の婚姻であれば、互いに肖像画で相手の容姿を確認したのみで婚約を交わすことは珍しくない。クロエとランスフォードの姫との事例が特別ということはなく、前例はいくらでもある。──不幸なことに、実際に顔を合わせてみれば相手が肖像画とは似ても似つかぬ(とまでは言わずとも、かなり異なっていた)という例も、少なくない。
己の婚約者の姿を未だ知らないクロエと同様、セドリックもランスフォードの姫の姿を知らない。肖像画を見た限りでは、異国的ではあるがなかなか美しい姫だという印象を持ったが、果たして実物はいかほどだろうと、僅かながら楽しみにしているところもある。
とは言え、そうして物見高く楽しめるのはそれが他人事だからで、その姫を娶らねばならないクロエとすれば、面白がってはいられまい。
まして、エクスダリア皇家は、その直系に限れば、長らく自国内での婚姻によって存続してきたという歴史もある。異国の姫を妃に迎えた記録は、ざっと三百年ほど遡らなければ見当たらない。そのため、異国の姫を娶ることそのものに抵抗があるのも理解はできる。
しかし、二人の婚姻はエクスダリア、ランスフォード二国にとって意味があり意義のあるものだ。個人的な感情でどうなるものでもない。
ともすれば重苦しい沈黙が降りそうな道中、セドリックはなんとかクロエを宥め賺し、せめて婚約者との初対面に仏頂面はよすように諭しているうちに、気づけば馬車は目的の離宮の目前に迫っていた。