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13:優先すべきは民の求めと──なにより、君自身の

 張りつめたような沈黙の後、口を開いたのはクロエだった。

「なるほど姫は、国のため、エクスダリアからの婚姻の申し入れを受けたわけか。──己の身で民と国の安寧を買ったと。ご立派な覚悟だな」

 クロエとしては精一杯の皮肉であり、意趣返しだっただろう。

 それに、リスティニカは静かな笑みで応えた。

「そうですわね。この身で民の安寧が贖えるのならば、安いものですわ」

 声音は穏やかで、皮肉は含んでいない。それは彼女の本心なのだろう。


 ふっと、セドリックは知らず詰めていた息を吐き出し、笑った。

「そこまでだ、クロエ。君の──僕たちの負けだよ。姫君の言っていることは正しい」

 言うと、恨みがましい目でクロエが睨んでくるが、セドリックはそれを笑顔でいなした。

「姫君の言うとおり、統治者は国と民を背負っている。背負っていると、自覚するべきなのだろう。統治の先にいるのは帝国の民だ。なら、君に皇族としての責務を果たすべく求めるのは、皇帝陛下でもリオラント殿下でもなく、民だ」

 セドリックの言に、クロエは黙したまま。反論がないということは、クロエもそれは認めるのだろう。

「皇帝陛下もリオラント殿下も、君の助けを必要としないと、君は言う。けれど、君の動機は本来、陛下やリオラント殿下の意思であってはならないのだと思う。優先すべきは民の求めと──なにより、君自身の意思じゃないか?」


 クロエはずっと、父や兄の助けとなることを望んでいたはずなのだ。

 望みながら動かなかったのは、自分の行動を野心ある廷臣たちに利用されることを、自分の存在がリオラントの妨げとされることを恐れたから、なのだろう。

 だが、それではいけないのだと、セドリックは改めて思った。

「君が政治に関わろうとしない、その理由は知ってる。だから、仕方ないとも思っていた。──けれど、それは結局、誰のためにもならないのだと思うよ」

「お前まで、そんなことを言い出すのか」

「本当は、もっと早くに言うべきだったんだろうね。臣下としても、君の友人としても」

 苦く笑うセドリックに、クロエは顔を顰める。そんなクロエにまっすぐ視線を据えて、セドリックは言葉を継いだ。

「君は、帝国の統治にかかわるべきだ。帝国の皇子として、宮廷に関わらないというのは怠慢だよ。なにより、それは君の望むことじゃないはずだ」


「だが、セドリック。俺は兄上の妨げにはなりたくないんだ」

 苦しげに、クロエは呟く。それが紛うことなき彼の本音であることを、セドリックは知っている。

 クロエは幼い頃から、本当にリオラントを慕っている。慕っているからこそ、心ならずその未来の妨げとなることを恐れ、望まぬ対立の末に疎まれることを恐れている。だが、恐れるのと同じくらい、或いはそれ以上に、リオラントの助けとなりたいとも、願っているはずなのだ。


 クロエ自身は帝位を望んでいない。そのことは再三明言している。

 しかし、彼の帝位継承を望む者たちには、クロエ自身の意思を尊重するつもりなどないだろう。彼らは彼らの理屈と野心によって、クロエが皇帝となることを望んでいるのだから。下手に理由を与えればこれ幸いと暗躍しかねない者たちにその契機を与えないために、クロエは宮廷に背を向けた。

 (リオラント)が帝位に就くことを望めばこそ、己の望みを封印した。

 おそらくは彼自身が他の誰よりも、己の立場を、置かれた状況を、歯痒く思っている。


「君の危惧は分かる。──でも、クロエ。君の望みを、君は知っているはずだ。それは、誰に非難されるものでもない。むしろ、君の立場では果たすべき責務でもある。君を利用しようとする者たちのために君が自分の望みを殺して、まして『責務も果たさない』と誹られるなんて、馬鹿みたいじゃないか」

 そう、馬鹿みたいだ。クロエは己の責務を果たすことを望んでいる。動機はどうであれ、皇帝を支え、宮廷の一助となることを望んでいるのに、周囲の思惑でそれが叶わず、それで責められるのはクロエなのだ。

 クロエの望みも葛藤も、理解できるが故に、セドリックはこれまで、クロエを強く諫めることができなかった。けれど、ずっと思っていた。このままでいいはずがないと。

 今、その思いはより強く、焦燥のように胸を焦がす。


 しかし、クロエは唇を噛み、苦々しく零した。

「だからといって、いまさら俺がしゃしゃり出て、なにができる。無駄に宮廷を荒らすだけじゃないのか。国のため、民のためというなら、宮廷を混乱させることなく兄上が帝位を継がれるのが最良だ。そのためには、俺は──」

「なにもしないほうがいい?」

 静かに、クロエの言葉の先をリスティニカが引き取った。静謐な瞳がひたとクロエを見据える。

「そうして、兄上様が皇帝となられた後は、どうなさいますの? 帝国統治の重責のすべてを兄上様に任せて、殿下は今と変わらず隠居なさいますか?」

 厳しいほど凛とした声音で、リスティニカが問う。それでいいのかと。

「兄上が帝位に就かれた後でなら──」

「殿下が政に関わっても、兄上様の立場を脅かすことはない? 本当に、そうお考えですか?」

 冷徹な指摘に、クロエは言葉を呑んだ。


 リオラントが帝位につけば、それでクロエ派がおとなしくなるだろうか。

 答は、おそらく『否』だ。


 宮廷をほぼ二分するクロエ派とリオラント派の対立はいまだ顕在化してはいないが、それでも亀裂は明らかで、誰がどの陣営に属しているか、或いは繋がりを持っているか、渦中にいる者たちには瞭然だ。

 リオラントが帝位についたとして、その亀裂や軋轢がそれを境に綺麗さっぱり消えるはずもない。クロエ派の中には燻りが残るだろうし、リオラント派の中には疑心が残るだろう。

 かといって、リオラントの宮廷からクロエ派を一掃することも、現実的ではない。有力貴族が多いことはもちろんだが、そのような報復人事は、リオラントの好むやり方ではないだろう。

 しかし、同時にリオラントは実力主義でもある。大貴族であっても能力が伴わなければ、優遇はしないだろう。


 今のセドリックにさえ、リオラントの宮廷で要職につけず不満を溜め込みそうな貴族を、軽く四、五人挙げることができる。そうなった時、彼らがなにを考えるかも、容易に想像がついた。

 リオラントにはいまだ、子がない。このままリオラントが帝位についても、後継たるべき子供はおらず、第一帝位継承者は弟のクロエとなる。リオラントに子供が──後継者たる男児が生まれる前にリオラントが位を下りるか、身罷るようなことがあれば、帝位を継ぐのはクロエだ。

 クロエの帝位継承権が失われない限り、クロエ派の野望が消えることはないだろう。しかし、リオラントに子供がいない現状で、クロエが己の帝位継承権の放棄を望んでも、宮廷はそれを認めない。実際、認めてこなかった。

 クロエが自分の望みを叶えたいと願うなら、この現状で、戦わなければならない。

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