11:ともに朝廷を支えるべきでは
和やかだった雰囲気に一石を投じたのは、リスティニカ姫だった。
「クロエ殿下は、実はお暇なのですか?」
午後のお茶の席だった。
対面を果たしてから四日、セドリックに促される形ではあるが、クロエはリスティニカの滞在する離宮に日参し、セドリックを交えてとはいえ、ともに時を過ごしていた。
婚約者としてはごくまっとうな行動だとセドリックが力説するクロエの行動が、しかし姫君にはお気に召さないのか疑問があったのか、唐突にそう聞いてきた。
婚約者とはいえ一国の、それも彼女の祖国に比べて明らかな大国の皇子に対してあまりと言えばあまりの単刀直入さ加減だが、四日間の交流でクロエとリスティニカもそれなりに打ち解けてはいた。その打ち解けた気安さが少々あからさまに出てしまったのだろうと、年端もいかない──とまでは言わないが、まだ十五歳の(エクスダリアでは未成年である)姫の不調法にいちいち目くじらを立てるのも大人気ない。
と、少々むっとした気持ちを宥めるクロエの隣で、セドリックが遠慮なく笑っている。挙句、「お飾りの第二皇子ですからね、まあ、暇といえば暇ですよ」などと、クロエの代わりに答えている。
内容はともかく、その口調は底抜けに明るく皮肉の類は含んでいない。だからこそ、クロエも気を悪くすることはない。
「お飾りの? ですが、クロエ殿下も皇家直系の皇子でございますでしょ。今は皇帝陛下が病床に臥しておられる折ですし、リオラント殿下とともに朝廷を支えるべきではありませんの?」
理路整然と疑問を述べる姫に、セドリックは表情を改めた。
宰相である父に確認したところ、この姫は祖国で王位継承権を有していただけでなく、実際に王位を望まれてもいたらしい。
上にひとりずつ兄王子と姉姫がいる状況で末の姫が王位に望まれるというのは、エクスダリアでは考えられないことだ。兄と姉とは母親が異なるそうなので、そのあたりの思惑もあるのだろうが、それにしても聡明さを買われていたのだろう。
少なくとも、無能な王を戴いて宮廷を牛耳ろうと目論む廷臣たちの思惑ではないだろう。この姫が王となれば、廷臣たちに専横を許すとも思えない。しかも、彼女を王にと望む声は、特に官吏に多かったのだというのだから。
「政治は兄上に任せていればいいんだ」
突き放したようなクロエの言葉に、セドリックは物思いから醒めた。
クロエの声音には羨みも嫉妬も、諦念すら感じられない。その覇気のなさがクロエを皇太子に推す一派の泣き所なのだが、当のクロエはそれを分かったうえであえてそう振舞っているのだろう。己が帝位を望んでいないことを、その態度で示している。──しかし、それで収まるほど彼の周囲は穏便ではないことを、クロエは分かっているだろうか?
皇帝陛下の病状は芳しくない。誰も口に出しては言わないが、このまま身罷られる可能性も視野に入れなければならないと、考え始めている者は少なくない。
リオラントもクロエも、どちらも後継者として指名されていない。今のまま皇帝陛下が身罷れば、いくらクロエが帝位に野心なしと言ったところで、彼を担ごうと目論む連中が黙っているわけはない。
クロエはこれまで、自ら動かないこと、宮廷に、政治に背を向けることで、己の意思を示そうとしてきた。
だが、相手はそもそも、クロエの意思を尊重するつもりなどないのだ。彼らはクロエのためにクロエの帝位継承を願っているのではなく、自らのためにクロエが帝位につくことを望んでいるのだから。
クロエがどれほど拒もうとも、彼がいずれ政争に巻き込まれることは避けようがないように、セドリックには思える。そんな時、このすべてを拒絶するやり方は、むしろ裏目に出るのではないかと思うのだ。
そんなセドリックの危惧も知らぬげに、クロエはまるで他人事のように続けた。
「兄上は政治向きにも明るいし、官たちにも慕われている。政治に興味もない第二皇子が対抗心で口を出したところで、混乱させるだけだ」
だから任せておけばいいのだと、クロエは以前から、そう言って政治向きには一切関与しようとしなかった。それは徹底していて、与えられた所領──ファルティス領に関しても、最初からまるっきり人任せで、口出しすらしない。
皇統直系の皇子に与えられる領地は、帝都を含む帝領に隣接し、帝領とともに一括で統治されるのが慣例だ。リオラントのジルフォンド領も、実際にリオラント本人が統治しているわけではない。実際問題としてクロエが所領を統治する必要性はないのだが、それにしても無関心に過ぎるきらいはある。
尤も、クロエのそんな態度を問題視しているのは、主にクロエの母である皇后の生家を中心とした大貴族の派閥──クロエ派で、要するにクロエがあまりに政治に関心を示さないことが、クロエの帝位継承に対する不安材料と考えられているからだ。そしてクロエは、それを分かっていて、あえて政治に関わることを拒否している。
しかし、いくら政治や帝国統治に無関心を貫こうとも、それでクロエ派の貴族たちが諦めるとも思えない。彼らには彼らの野心があるのだから。
物思いに沈むセドリックの傍らで、リスティニカとクロエのやり取りが続いている。
「……口を出す理由は、対抗心なんですの?」
静かに言って、リスティニカがクロエを見た。その瞳は、静かにクロエの反応を見ている。
「政にも、興味はおありではない?」
「ああ、まったく」
対するクロエは、リスティニカを見もせずに、そっけなく答える。
「それでよろしいのですか?」
リスティニカの眉が、僅かに顰められる。それよりも顕著だったのが、声音の変化だった。
それまで、ただ疑問に答を求めているふうだった淡々とした声音に、はっきりと鋭さが増したのだ。
その変化を感じ取ったのだろう、クロエもリスティニカへと視線を向けた。その視線を真っ向から受けて、リスティニカは強い眼差しでクロエを見返した。