リ・マジカル
太陽はみな平等に照らすような態度をしているから、僕は苦手だ。多くの人はそこまで嫌いじゃないかもしれないけれど、僕は違う。だって、僕は人の形をした別の存在だから。
それ以外にも朝が嫌な理由があって、彼と出会うことになるからということもある。それについてはそれを断ち切れない僕の責任もあるけど。
「ふふっ、綾お姉さま……よく寝ていらっしゃいますか……?」
朝日をあまり見ないようにしていた僕は、世界へと目を回す。彼女が口にしたように、僕は女性として生まれてきた雨宮綾。そしてこちらの様子をうかがっているのが妹の雨宮雫。
「ふふっ、あぁ、お姉さまのお部屋の匂い……はぁはぁ……。今日こそは、お姉さまを起こして差し上げて、そしてあわよくば……」
「もう起きてるけど……」
寝ることは表裏一体。この世から自らを突き放すという意味では、人が僕らと同じような存在になるようなことだけど、でもこの世界に自分をゆだねているという意味ではこの世界に残っていられる。
「お姉さま! なんで、なんでいつも私よりも先に起きてしまうんですか⁉」
「勝手に目が覚めちゃって」
ほんとは違うけれど、僕らの理屈は詩の中の竜だから、これでいい。現にこの世ではいまだにいじめはなくなってはいないし、魔女なんていやしないのに魔女狩りをしていたころから人は何も変わっていない。
「目覚めないでください!」
「でも、今日は平日だから学校に行かないといけないし……」
「それも! この雫、学校では授業中お姉さまと接することができなくなってしまうのには常々疑問を感じていました!」
雫はセーラー服を着ているので一目瞭然だけど、僕と雫は女子高生。朝には学校に行き、夕方まで勉学に励む。
しかし、それにしてもなぜ僕にここまでこの少女は惚れこんでしまったんだろう。たぶんそれは僕が魔法使いだから。魔法で現実が歪んでいるんだ。
「そんなわけで今日の、いえ、今日からのお姉さまは私と一緒に引きこもってください!」
「そっ、そんな……」
家の中でただ何もせずに過ごすだけの生活。けっこういいかもしれない。
……それに、何も恐れる心配がない。
「安心してください。私がちゃんと在宅勤務の仕事で養いますから」
僕の目に部屋の鏡が移る。
「って、だめだよ! そんなの。僕だって早く一人前の人間になりたいんだから!」
その言葉は慌てて捲し立てられた。そしてそのあと、自分にも言い聞かせるように、早く僕も人間になりたいともう一度頭の中で復唱してみる。僕は人間じゃないけれど、ここまでしてくれる雫のためにも、僕はその夢を捨てるわけにはいかない。
「そんなぁ……。でも、きっとお母さんもその方がいいって言ってくれます!」
今回も何とかやり遂げることができたと一安心する。誰かと関るのは苦手だ。この世界で溢れる水に対して僕は油だから。もっと言えば、体の中に猛毒を飼っているから。親友には抑さえつけられないこれを抑えられるのは一人しかいないから、そのためにこの世界に生まれ落ちた。
僕が生きているのは都会とは呼べないようなとある町だ。この世界に来た時、この町に関する知識は一切持っていなかったので、その時に比べたら、数か月経った今は外を歩けるようになっている。そんな町で僕は人間のふりをするため、見た目に合うような生き方という意味もあり学生をしていた。
ある程度馴染んだとはいえ、今でもこの生き方に緊張している。人ではないということがばれてしまったら僕がどうなるかは火を見るより明らか。それを考えるだけで体が震えそうになる。
とはいえずっと考えたり言い続けてると、それが力となり現実に干渉できるようになることは、僕が一番よく知っている。だから、そんな僕が登校前にいつもやっていることがある。自分のスマートフォンを開いていつも通り操作していく。目当てはそこに表示された、いくつもの文字。この文字を書いている人の中に僕はいない。そのほとんどが、僕の魔法に魅入られ邪教の使徒と化した人たちだ。
彼らのおかげで、僕らはこの世界の人間ではないんだと再確認することができる。
身を引き締め、この世界に降り立つんだ。もう元の場所に僕の居場所はない。
僕にだって、人間として生きる権利があるはず。それに、今のところは社会に存在を認めてもらえている。
「お姉さま! まだ身支度が終わらないのですか?でしたら私が手伝ってあげます!」
雫、ありがとう。僕が今でも生きていられるのは君のおかげだから。彼女は人間として接してくれている数少ない相手。
本当は感謝の気持ちを伝えてあげたいけど、そんなことを口にしてしまっては、親友を裏切ることになってしまう。きっと普通の人間なら何も考えずに感謝の言葉を言うことができるはずなのに。
だからできるだけ考えないように、一応完成した身支度の確認に集中する。慣れた今でもやはり間違いがないかどうしても気になってしまう。グレーのチェックスカートに夏用の上着。胸元に付いたピンクのリボンはかわいらしくて少しお気に入り。胸辺りまで伸びた髪の毛も丁寧にとかして頭の右側と左側に結び止めが来るようにリボンを結んで。
よし、完璧。今日も可愛く出来てる。目の前の少女を確認してから、ニコッと笑顔を見せてみる。これなら大丈夫かな。
「お姉さまー? まだですかぁ? あっ、お姉さま、今日もとっても可愛いです!」
いつも学校に行く前にはこの恰好をしているが、僕を待ちきれなかった妹は必ず初めて見た時のような反応で褒めてくれる。
でも、きっと世間から見たら雫の方が可愛いに違いない。だって僕みたいな偽物だらけなのは、いくら魔法で着飾っても見抜かれてしまうことがある。
「どこか変なところとかない?」
「まったくないです! もしあったとしても、そういうところに気づかないお姉さまもおっちょこちょいで可愛いですから」
「そっ、それじゃあ困るんだ。何か変なところがあったら……」
女の子は見た目が大事。それはもちろん雫も知っているはずだけど、僕はたぶんそれ以上に大事にしてる。だからたまに気になった時にはこうやって雫に聞いているんだ。
「ふふっ、冗談ですよ、お姉さま。お姉さまが慌てるところを想像したら、つい言っちゃいました」
言葉通りいたずらっ子のような笑顔が僕に渡されたから、それを僕は何も考えずに受け取る。僕は笑顔が好きなはずだから。何も考えなかったことはちょっと危なかったと思いながらも、考えないようにした。
だって、僕は笑顔が大好きだから。
それからすぐに雫が作った朝ごはんを食べてから学校へと向かった。
雫に作ってもらうのは申し訳ないけれど、料理だけはどうしてもできなかった。ほかの家事は代わりに自分でやったりしているが、これに何の意味があるのかは正直わかっていない。だって、人じゃない僕を、雫がどう思っているのかわからないから。彼女の心は人間の物なんだ。
僕が教室に入るということは、僕自身が何者であるのか体現していると言ってもいい。いつもそう。これであってるんだ。みんなは人間だから自分と違う存在に恐れを持って当然だし、悪いのはそんな世界に潜り込んでる僕の方だから。
歩いているだけで僕に関らないように、みんなが畏怖をぶつけているのが目に見えてわかる。目を合わせないようにしようとしてたり、体を遠ざけてたり。彼女らは僕を嘲笑しているわけじゃなくて、本当に恐れているんだ。それははっきりとわかる。やっぱり僕が異形の存在だから。
こんなんじゃだめだけど、なんとかしなきゃとは思うんだけど、そんなことしちゃだめだって気持ちも同時に起こる。今ここにいる、この世界を共有している人たちと僕の見ている世界は違いすぎるから。
僕は猛毒で、彼女らはきれいな水。でも、僕自身これでいいと思ってる。優しい雫は近づいてくるけど、それ以外の人は近づいてこなくていい。
「あっ、あの……」
振り返ると、そこにいた人はクラスでも目立ってるタイプの人で、元気のいい感じの人だったはずの人。名前は秋島さん。
でも、やっぱりいつも舞台袖から彼女を見ている時と今の雰囲気はやっぱり違う。華やかな演劇のような明るい一生を演じる彼女が、僕と話すのはどんな気分なんだろう。
声の質であんまりいい気分じゃないのはわかる。僕が都落ちしたことを知っているわけではないにしても、僕からにじみ出る異形を無視することは出来ないよね。
「えっと、秋島さん、ですよね」
そうだよという返事が来て安心した。この人みたいな人は見てて憧れる。きっと今いるような、明るい壇上にいるだけで大変なことはいっぱいあるのは間違いないけど、それでも物語の主人公みたいだから。
見てて幸せになれるようなおとぎ話は必ず悪者も存在する。それは魔女だったり、性格の悪い人だったり、魔王だったり、ドラゴンだったり様々な形をしているけど、それが僕。
僕が悪者だから、求められる物は不快にさせる行為だ。ほんとは僕もみんなのためにそうしたいと思わなくもないけど、親友のためにそうは出来ない。
「で、何か用、ですか?」
彼女らを必要以上に不安にさせたくないという思いで口にする。こうすると僕の異形としての力を実感してしまうから嫌だけど、我慢しないと。おじゃましている側があまりえらそうな態度はとれない。それに、激しく動くことは中身がこぼれる原因にもなるから。
「昨日、これ落としてたから。雨宮さんのだよね?」
そこにあったのは、僕が使ってた消しゴムだった。そういえば昨日家でないことに気づいたけど、秋島さんのおかげで持ち主の元に戻ってきたことになる。
一日別の家で過ごしたそれを見つめて、彼らのような物もそれなりに大変そうだなと思っていた。いなくなってもこうして所有者を名乗る人の元に戻ってくるんだから。誰かに所有されることはこういうことなんだと、改めて実感する。
「あっ、はい。ありがとうございます」
これにそんな自我なんかないんだから。彼らが大変だなんて考えは捨てて、秋島さんに向き直る。この世界の主役は彼女らであって、息をしない物じゃない。脇役に向けていた方が僕としては楽だけど、そうはいっていられないから。
人間と接しているって事実が怖くてたまらない。でも、やらなきゃ。だって、人間は一人では生きられないし、親友がそれを求めているんだ。
「そういえば、今日は一時間目の体育出れそう?」
僕は体育が数ある授業の中でも苦手だ。理由は想像通りで、学校でやるスポーツは概ね誰かと接することになるから。週に何度かあるその時間は、人間には何でもないのかもしれないけど、僕にとってはそうじゃないんだ。
だって、世界に動きが起こると、風が吹いて積み上げた砂は一瞬で消えてしまうから。
「たっ、たぶん出れると思う」
僕のような魔女が異端審問官の巣の中に飛び込む無謀さは、他人がみたらきっと滑稽なのかもしれないけど、でも、これが僕と親友の二人で一つの限りなき願いだから。
遠い昔。あの頃の綾は、きっとどこにでもいる小学生だったと思う。本人はそうだったけど、周りから見たらは少し違うかもしれない。
お母さんが明るくて、仲良しで、とても幸せそうにしてて。母子家庭でお金は少ないけれども、綾本人も幸せだった。そういう意味ではもうその時から人じゃなかった可能性はある。
そんな、何年の前にさかのぼったある日のことだった。当時は小学校の低学年。その時の気持ちを一言で表すなら、今の僕が他人と接する時のような気持ちだったはず。相手がなにであったのかははっきりと見えていたけど、なんでそうなったのかは確証がない。
大人になったらまた違う行動をとるかもしれないけれど、子供の世界は狭いから、逃げるという選択肢がない。いつも見えてる家の玄関も、まるで異世界のよう。なんの特別な力も持ってない当時の綾が歩くにはあまりに危険すぎた。
「あら、お帰りなさい」
この時に綾が見たお母さんは、僕らのような存在に見えていた。それは相手も似たような物だったに違いない。その言葉に帰ってきた返事とかから感じられる様子で想像するに、僕らではないにしても、僕の世界の生き物に見えたはずだ。
「おなかすいた?」
いくらそれがこっちの人間になっていたとしても、他人からの見た目は同じ。恐らく軽く察しはついていたんだろうけどお母さんは敢えてそれを無視しているようで、いつもと同じ反応を見せてくれた。
綾はこれを疑問におもっていただろうが、今の僕からは、彼女なりの優しさだったに違いないと見える。
でも、それを感じ取った本人はそれを知る由もないだろう。
なぜなら、その頭の中は、ほとんど恐怖が押し込められていたからだ。
「えっと、うん……」
子供というのはまだ周りが見えていない物だから、この時は運よく後回しにできたくらいにしか思っていなかった。でも、いつかやってくるであろう不安はただただ大きくなるばかりで。その蛇口握るには、目線が低すぎて反対方向へと自分で捻ることはできないのだ。
その日のおやつには綾が好物にしている、お芋と豆腐で作ったプリンが出てきた。製菓カップに入れる物だからそんなに大きくないけど、湯船のお湯をあふれさせるにはこれだけで十分だった。
これはただおいしいから好きというわけではない。物心がついた頃にお母さんが作っているのを見て、褒めてもらいたい一心で手伝いたいって綾が言い出したのが始まりで、それからことあるごとに作業の一部を手伝ってはほめられを繰り返していたのだが、その時に初めてお母さんが声を聴く前に作ってくれた。
綾の目からあふれた水が零れ落ちる。二つの感情がぶつかり合って、波が起き、次から次へと溢れる物が抑えられなくなっていく。
「ごめん、なさい……」
「どうしたの?」
そう聞かれたとしても、声にできなかったはず。だって頭の中で自分から言い出せなくて申し訳ない気持ちと、話したらお母さんがどこかへ行ってしまうような気持ちと、いつも優しいお母さんに許してもらいたいという気持ちの三つがぶつかり合って、もう自分でもわかんなくなっちゃってるから。
でも、なんとかお母さんに自分の事実を知ってもらいたくて、波のように震える手で綾はその原核を吐き出したんだ。それは今日返された算数のテスト。その内容は決して難しいわけではない。でも、その点数は決して直視できるようなものじゃなくて。
「そっか。これのせいだったんだね。ちょっと難しかった?」
そんなことない。テストが難しかったわけじゃない。そうであったとしても、そんなことはあってはいけないんだ。
だって、お母さんは魔法使いだから。
このテストからは難しさが消されてた。
誰もいないトイレの個室に籠って、一人でじっと綾のことを考えていられる時間は、僕という異界から落とされた植物が太陽に当たっていられるような時間であった。でも、たとえどんな形をしていても僕自身は植物だから、太陽は雲さえ現れればいとも簡単に遮られてしまう。僕らのような魔女は、他人に恐れをなし、魔女だと知る者の前以外では魔法は使えないんだ。
「あの、雨宮さん、いるよね? そこにいるんだよね?」
ずっと僕一人だったこの場所にやってきた雲は、同じクラスの山口さんだった。髪型は黒の三つ編みで、緑色の縁をした眼鏡をかけていた。秋島さんとはまた違ってクラスでは少数のそこそこ仲がいい人と、必要な時だけ一緒にいるタイプの人だった。何でここまで来たんだろう。
「はっ、はい。えっと、いますけど……」
「授業、もうすぐ始まるよ。今日も出ないの?」
何でそんなことを言うんだろう。それを例えるのであれば雪だろうか。きっと不良のような人が聞いたら、歩くのに邪魔な物を踏む音に聞こえるだろうし、心が弱ってる人が聞けば、物語の中で降る音のように聞こえる違いない。
そして僕はそもそも人じゃないから、どんな姿をしていようと外へ出るわけにはいかないし、もし親友が聞いたら地上へとやってくる前に消えてしまうような形をしていた。
「……はい。ごめんなさい、やっぱり、難しいです」
今日も努力しようとはしたけども、性質の違う僕らが同じ物しかいないあの場所に居続けるのはあまりに苦しかったんだ。現実は魔法に勝る強さを持つから。
今僕が見える世界には僕しかいない。個室の向こうには山口さんがいるけど、それも彼女だけだ。そのせいで、明かりが入りにくいこの場所は、太陽から離れているようで落ち着くはずなのに、足で踏みしめているトイレの床がはるか遠くに見えて落ち着かない。
それもそうだ。山口さんのような人間が僕は最も苦手だから。人には秋島さんのような明るいタイプの方が苦手に見えるかもしれないけれど、僕らが最も恐れるのは彼女のような存在なんだ。
「そんなに、体育やりたくないの?」
その言葉に対して謝る以外のことが僕にできるだろうか。だって僕は特別な事情があるというわけでもないはずなのに、こうして現実逃避しているのだ。山口さんだって可能なのであればこうしたいと思っているはずなのに。
「そう、です。ごめんなさい……」
「じゃっ、じゃあ、私もここで休んでもいいかな……?」
まるで時計塔の鐘がなるような、僕の視線を奪う力を持った声だった。でも、それは対象を持たない力。無数の人間に向かって投げられるはずのそれが、たった今は僕にだけ対象を取って投げられてる。
その鐘が鳴り終えても、壁の中からその歯車をのぞき込もうと僕らは顔を上げた。この音はどこからやってくるの?
だって、今の僕に手向けられる物は、何にせよ人に向けられるものではないと思っていたから。どうして、なんで。世界には人が大勢いるのに、なんで壁を隔てた向こうにいるはずの僕なんだろう。
「私も運動苦手なんだ。だから休ませてほしいなって」
渦巻くこの感情を僕はよく知っている。人間が魔法使いに向けるそれと同じだ。でも、この感情は押し殺さなければ。これは人間が抱くものであって、魔女が持っていい物なんかじゃない。彼女らに喜ばれるようなことをしなければ。異端を狩る者たちは決して消えてないんだから。
「じゃっ、じゃあ、お願いします……」
これでいいんだ。僕の意志は隠しておかなければいけない。いくら壁で覆ってもなんの意味もないから、僕にできることといえばそれを自らの手で殺すことくらい。そうすれば苦しみは軽いし、命まで狩られずにすむ。
「やっぱり気になるよね。なんでこんなことするのかって」
驚きのあまり、化け物でも見たような声をあげてしまった。それは比喩のようで比喩じゃない。僕にとって、壁をすり抜けてくるそれは一番の敵を呼び覚ましてしまうかもしれない。命まで狩られずにすむなんて、甘いことは言っていられない。どうすれば、どうすれば……
このままじゃ、また……。もう次なんかない。僕が何とかしないと、今度こそ、大切な人は、僕が守るって決めたのに……
でも、どうしたら、どうしたら……
「あの、雨宮さん、何かあった?」
僕の体がどんどん僕の体でなくなっていく感覚。必死に抗おうと、両腕で借り物の命を抱きしめる。これは僕の物なんだと、教えつけるように。のたうち回り、壁に体をぶつける。
僕に何ができる? 約束を果たすことができるの?
ここにとどまること以外にできることなんて、ありもしなかった。
僕の体を見る。それは、青い蛍光色の光で染まっていた。ほとんど灯りがないはずなのに、僕自身の体だけは光に染まって正しい肌の色が見えない。
辺りを見渡す。大きな配管の中にいるようで歩こうとすると、足音が遠くまで響き渡った。
前を見ると、月明かりに照らされた荒波の海と、それとここを隔てる数歩先に見えるガラスの壁に非常口の光が反射して見えている。
振り向くと、どこまでも続いているかのような薄暗い道と、非常口のマークなのかわかりにくいレベルで遠くに緑色の光。そして、そっちからかすかに聞こえてくる笑うような声。聞こえてくるのはそれだけだった。
視線を前に戻し、そのまま後ろに歩き出した。
とどまろうと努力し続けた結果、僕は逃げ出した。それを記憶と違うような世界を見た時に知った。目の前のカーテンも、温かい布団の中に入れられていた事も、それに気づいた瞬間から僕には居心地が悪くなる。これは人の物だから。
壁の向こうから声が染みたあの後、あんまり何があったのか覚えてない。でも、ここにいるわけにはいかないという思いで、温かさを跳ね除けて外の世界に出ようとする。この場所は危険だから。
「あっ、起きたんだ。よかったぁ……」
この保健室にいつもいる先生と一緒にいた山口さんが話しかけてくる。彼女は心配そうな顔をしているが、それ以外には特に問題はなさそうでとりあえず安心。何もなくて本当に良かった。
まだ、僕が生きていられる時間はある。
「壁になにかぶつかるようなすごい音が何回もして、そのあと、雨宮さんが倒れる音がして……。すごいびっくりしちゃった」
そうだ。あの時の僕はこの体を渡さないために耐えようとして、体を痛めつけたんだ。
近づいてくる二人を視界に入れてても体が何ともないからとりあえずはそっちに集中しよう。そして、それと一緒にやってくる自責。結局殺そうとも生かそうともせず、厄介になったら逃げだすことしかできないくせに、これじゃまるで赤ん坊みたい。
「過呼吸だったみたいなの。倒れた時、頭は大丈夫だった?」
「今のところは、何も問題ないです。でもちょっと、だけ、頭がぼーっとします」
やっと自分のことを考えられさせられてから、頭の調子に気づいた。でも、調子の悪さは僕自身が逃げた代償。この苦しみは魂にまで刻み付けなければならない。
それなのに先生から心配されているのはとてもよくない。余計なことを言ってしまった。でも、訂正すればもっと心配させるに違いない。
「そう。じゃあ、もうちょっと休んでる?」
「……そうします」
自分のせいなのに、使わせてもらってごめんなさい。僕がやったことは謝ることすら許されないんだ。できることと言えば、心の中で申し訳なさに打ち震え、もうこんなことをしてはいけないって思うだけ。
だからって、どうすればいいの? 毛布を顔の前まで引き、考え込む。
人間として生きることをやめるのは、僕が死ぬことと同義だ。僕自身はそれでもいいけど、まだそれには時が早すぎる。でも、限界の日はもう近い。
どうすればいいんだろう。毛布に閉じこもってても何も解決しないけど、今はそれくらいしかできない。いつも寝るときにしているように、足を曲げてから自分を抱くようにする。こうして自分の世界に閉じこもることで、二人の声がよく聞こえてくるんだ。
生きるのって、なんでこんなに難しいんだろう。
死ぬのって、なんでこんなに難しいんだろう。
なんでそんなに生きたいの?
なんでそんなに死にたいの?
「そんなの、わかんないよ……」
「雨宮さん、何か言った?」
声を聴いたから慌てて毛布をどかし、世界に目を戻す。山口さんが僕の方へ知らないうちにやってきていた。普段なら足音で気付けるものだけど、閉じこもってたら聞き逃してしまった。
これはまずい。気をしっかり持たないと。何ができるかわからないけど、僕は空を見上げて天界を目指したら、太陽の眩しさに焼け死んでしまう生き物だから。
「いえ、別に、何でもない、です」
何もないという言葉は、本当は最もよくない。少なくとも僕にとっては。だって、それこそが異形の根源だからだ。そうであることが嫌なのであれば、魔法でそれをなくしまえばいい。でも、それができない理由は僕がまだ未熟な魔法使いでしかないことに尽きる。
「そうなのかな? でも、すごく何かありそうな顔してるけど……」
きっと今の山口さんは鏡だ。だとしたら、少しは関りやすい。
と一瞬思ったけど思い直す。あっちは審問官で、こっちは魔女。相反するそれらが向き合えるだろうか。そんなわけはない。民意を借りて平和という物を守る彼女が手を差し伸べても、握る権利なんて生まれた時から僕には奪われている。
「そういうわけじゃなくて、ちょっと、山口さんに、迷惑かけちゃったかなって」
「迷惑だなんて、これくらい大丈夫だよ」
ボールを投げたらそれを山口さんが取ってくれて。僕ができないような人間の返しをしてくれた。僕だったら異形としての違和感を隠しきれないはず。
その理由は魔法使いだからの一言で終わる。それも僕はまだ生まれて数年。だから魔法に頼らなければ生きていけないんだ。
「困ったときはお互い様なのかな? 私もすっごいドジでいつも失敗ばっかりで、周りにあきれられてばっかりだから」
言われてみるまで気づかなかった。いつもクラスで席から動かず静かでいるから、あんまり動くところを見ていなかったからだと思う。本当は僕もそうしたいけど、でも僕を取り巻く異形がそれを許してくれない。
「自分でも注意してるんだけどね、転ぶ時もいつ転ぶかわかんないし、みんな転ばないのに……。なんでなんだろう、雨宮さんも転ばないよね?」
転ぶことがどういうことなのなって考えてみた。転ぶことは、その原因が何にせよきっと不注意があったからだと、少なくてもそう思ってる。僕の場合それがあったらそのまま奈落の底まで真っ逆さまだけど。死ぬことを許されない僕にとって落ちることが何を意味するのかは全く想像もつかないが、絶対にあってはならない。
「あっ、そうだ! 寝てていいよ? さっき目が覚めたばっかりだから辛いよね?」
「じゃっ、じゃあ、そうさせて、もらうね」
親友の言葉に服従しなければ。文句を言わずに、毛布を肩まで引っ張って横になる。これを使えば、体から出ていく物がほとんど包み込まれ、それが安心にもつながる。
恐怖と安心は表裏一体。僕の根源と今僕を守っているこれは同じ。今この状況は慣れていないということもあって、これに助けられている状態であった。
別に今日雫や秋島さんと会話している時と、僕の気持ちは何も変わんない。でも、それは生まれる前からずっと変わってなかった。
「で、さっきの続きだけど、実は今日もトイレに入る時に段差で躓きそうになっちゃって……」
きっと、さっき僕が閉じこもってたトイレの入口のことだ。あれはまるで密林にいる猛獣のようで、僕自身もたぶんいい獲物だからたびたび危ない目になってる。魔女の住む場所は人目のつかない暗い所と相場が決まっているとはいえ、その時の相性によって変化するものだ。
「あの段差は、危ないよね」
「わかってくれる!? あれのこと誰にもわかってもらえなかったから、ちょっとうれしいなぁ」
僕は魔法を使ってない。それなのに、目の前の人の感情を変えることができた。山口さんの今までのイメージだと、消えていそうな笑顔が引き出されてる。
同じように見えてる僕と山口さんの二つの感情に、どれほどの差があるのかは僕にわからない。
どっちも文字だけだと同じ。でも、この二つは絶対に塗り替えられない差がある。
「なんであんな段差なんかあるんだろう。邪魔だからなくなってくれればいいのに」
邪魔なのは僕も親友も一緒。他人を団結させたり、物語を盛り上げるために出てくる必要悪以外に僕が存在する理由なんてあるだろうか。でも、そんなの僕にできるくらいだから誰にだってできると思う。
「そうだね。でも、工事とか必要だから、大変なのかも」
目の前の笑顔をまねてみる。そうすれば、邪魔な物はいらないってきっと思えるはず。魔法使いの武器は魔法だから、それを使わない手はない。魔法は自分にだってかけられる。
代償は何度やっても慣れないけども、そんなの我慢できる。僕は生かしてもらってるだけで幸せだから。
「やっぱりそうだよねぇ。スロープとかを後から取り付けるとかできないのかな?」
「それはそれで、大変そう。どれくらいなのか、わかんないけど、お金もかかりそうだし……」
そう簡単にできてはいけない。邪魔者は消す方が楽だ。
「うちの学校はお金とかそこまで持ってなさそうだから無理なのかなぁ。それに、他にももっと直さなきゃいけないところがいっぱいありそう」
山口さんが考えてるように、僕もそうしてみる。どう思うって聞かれることだってあるから、それで詰まって不審に思われないように。
お金は魔法なんかよりも強力だからいろんなことができるって思うと、夢が広がっていて。
でも、そんなことをしてはいけない。慌てて思考を放棄する。お金の力なんて考えちゃだめだ。僕は悪い魔法使いなんだから。
だったらどうやって生きればいいんだろう。最低限使うのはいいけども、その力を使わずしてこの世界を生き抜くことができるのかな。
魔法もちゃんと使えない、お金もまともにない。考えは強く引けば強く引くほどに、防波堤を叩く力も高まる波のよう。それを起こして決壊する日を今か今かと待ち望んでいるのはいったい誰なのか。
「雨宮さんはどう思う?」
「えっ、それは……」
思った通りだ。でも、解答は用意してない。早く答えなきゃ、答えなきゃと焦る気持ちばかりが自動生産されていくのにそれを管理する人はいない。際限を知らずに作られ続けるそれは、出荷されてその業務を終えるまで溢れ続ける。
「あの、僕は転校してきた、ばっかりだから、まずは、山口さんの意見、聞きたいな」
何とか必死に単語を、短い時間で選びながら紡いでいった。それを終えるとラインが止まり、頭の器が一瞬だけ軽くなるがそれは加工を受けて戻ってくる。
この世界にとどまることだけなら異形であるこの身にもできたけど、当然ながら節理はそれを許ず、禁忌を侵したことを呪いとして一生背負い続けなければならなくなってしまったのだ。
もし綻びが少しでもあればと不安になる一方で、山口さんの様子を確認すると、考え事の方へ戻っていっていた。きっと学校の不満のことを考えているんだろうけど、でも、僕が熱を毛布の中で溜めているように、正義感は眠りから覚めているのかもしれない。それを考えたら加工が止まることなんてあるだろうか。
「うーん……絶対無理だけど、やっぱり一番不満なのは学校の位置かなぁ。ここって若干駅から遠くない?」
僕は家から徒歩で通っているからあんまり詳しくないけども、決して都会ではないから駅は少ないはず。それを考慮すればきっと遠くてもおかしくはない。
「そうだね、ちょっと遠い気がする」
「ね。冬とかほんとここまで来るだけで一苦労だよ」
それは僕も同じのような気がする。家から学校までの距離をまだ冬に歩いたことがないけど、きっとそうだ。この前の冬の経験は、この土地で体に染み付いた物だからそれで間違いはない。
「あっ、そういえば駅から遠いから帰る方向が違う友達と一緒に寄り道しにくいみたいな話も聞いたことあるよ」
友達と一緒に何かするなんて経験はおろか、誰かと親しく何かをした経験なんて雫とくらいしかない。こんなすべてにおいて半端者の僕を好いてくれている、あんなにやさしい妹は、まれに僕らの仲間なんじゃないかと思ってしまうことがある。
その気持ちはすぐに捨ててるけども。僕はどんなにつらくても一人でいなきゃ。雫も悪い魔法使いの仲間なんて思われたら。いつかやってくる王子様か審問官に倒されてしまう。その時、雫には僕を踏んでもらわなければいけない。悪い魔法使いの仲間だと彼らに思われたら僕だけでなく眷属にも未来はないはず。
「……楽しそう、だね」
絶対にやってこない未来。それを一瞬でも想像してしまった。一瞬でも眷属ができると思ったけれど、それはだめだ。忘れなければ。だって、僕は魔法使いだけどたぶんその相手は魔法使いじゃない。そんなの親友が許してくれない。それに、僕自身そんなことは望んでない。楽しそうなんて嘘だ。楽しくない、楽しくない、楽しくない。
家族でもない相手と仲良くするのなんて楽しくない。
「実は私もあんまり経験ないんだ。でね、もし、よかったら一緒にやってみない?」
その声をする方をじっと観察すると、せわしなく手を動かし、もじもじしてて、目はまだ僕らには見えない世界をのぞき込んでいる。それはきっと勇気のいることだった。
「ごめん、それは……」
「あの、まだちょっとしか話してないけど私は雨宮さんと会話出来て楽しくて、もし予定があるならだめかもだけど、それなら別の日とか……!」
僕の世界の定理を覆すような言葉を叩きつけられ、僕の頭は震える。
なんで近づいてくるの。わからない。僕に何の魅力があるの?
雫には家族だからって理由があった。でも、今迫りくる物にそれはない。こないで。僕は自分じゃ何もできないんだよ? 僕は何も決断できずに、ただずるずるとこの世界に堕ちてきただけ。人間にも、悪魔にもなれないその中間の魔女なだけ。
きっと彼女を傷つけても言い訳するんだ。だって、僕は魔女だもん。もっと言えば、これは僕のせいじゃないって。でも、何度も繰り返し続けてきたその言葉は、しょせん言い訳にしかすぎない。
僕自身がそうしたんだから。
「無理、です! それは無理なんです! ごめんなさい!」
だから、何があっても親友に僕以外の人を傷つけさせない。
「そっか。これのせいだったんだね。ちょっと、難しかった?」
「違う、そうじゃないよ……」
小学生の綾にとってのすべては、目の前にいるお母さんであったのは間違いないことだと思う。それほどに小学生の視野は狭いし、力は何もない。
この世界にとどまらせてほしい。あの時考えていたのはそれに尽きていた。綾は人間だから当然と言えば当然。日々呪われながら生きる僕とは違うんだ。
「じゃあ、他に何かあったの?」
ペンでも餅でも人は殺せる。生みの親の想いとは相反する形でそれは力を得ることもあり、子供にとってのお母さんの言葉はまさにそれ。互いの心が作り出した弦が擦れ合っても、何かを奏でることは出来ていない。
その言葉を口にするのはとても苦しい。理由は数々の人々によって魔法をかけられているから。本来この世にありもしない力。それを使いこなす姿を何度も見ているからこそ、その危険も知っている。
「お腹が痛くて、どうしても、我慢できなくて……。全然時間がなかった……」
こんなの傍から見れば宿題をやったけど、家に忘れたと同じような物。これは嘘じゃないし、綾はどこにも嘘という単語を使ってなかった。でも、多くの何も知らずにこれを聞いた人は嘘だって思うに違いない。
どこにもありもしないのにあたかもあるようにできる不思議な力が、この言葉には眠っている。
「ごめんなさい……。お母さんが、あれだけ応援してくれたのに……」
この言葉が魔法なだけじゃなく、もっと言えばお腹が痛いなんて、我慢すればいいだけ。だから、綾はお母さんの期待を裏切ってしまった。まるで自分のことのように一緒に勉強してくれて、綾の不安がいなくなるまで応援してくれたのに。
でも、綾は今も昔もお母さんのような立派な魔法使いにはなれてない。
お母さんが綾の強い不安に力を加えると、それはまるでいなくなったかのように遠くまで飛んでいくが、それはどんな形になるかは別にして、振り子のように強く推した分だけ強い力を持って戻ってくる。
「テストは出来てなくてもいいの。だって、綾が頑張ってて、それでできるようになってること、お母さんちゃんとわかってるからね」
たかが小学生の何度もあるテストのうちのたった一回の記憶。でも綾はあの日から魔法の力に囚われてしまったんだ。
あの後山口さんは気分を落ち込ませたようにして、謝ってから帰った。その背中を見てもそれに向ける選別はない。これが僕の選んだ道なんだから。
それから僕は少しだけ休んで、二時間目の間には教室に戻れた。周りは僕に奇異の目を向けていたけれど、それもすぐになくなった。お前にはそれがお似合いだとでも言うように。僕自身もおかしなやつはそうあるべきだと思ってる。
「お姉さま! 愛しい妹がやってまいりました!」
少し離れた距離にある教室の入口から、いつもの声がした。それは僕にとっての時計塔に近い存在、雫だ。いつもお昼休みになるとやってきている。それに興味を示す人ももちろん何人かはいる。太陽のように眩しい彼女がクラスでは真面目な優等生で通っているというもだから、やっぱり彼女は魔法使いなのかもしれないと考えそうになる。
「さぁさぁ、今日も愛情をたっぷり込めて作りましたから、たくさん食べて、元気を付けてくださいね!」
景気のよく出されるお弁当箱。こうして毎日のように僕の教室に通って、隣の席を陣取っている。
本当はこんなこと許されないけど、拒絶することはもっと許されない。雫を受け入れることで苦しむのは現状僕だけだ。本人も理由はわからないけど、いつも楽しそうにしてくれてる。でも、まれに考えるのは、雫は月なんかじゃなくて、実はただの人口の灯りなんじゃないかということ。僕にできるのは虫のように飛ぶだけで月の真意なんか読めるわけない。
「今日もありがとう。いただくね」
「いえいえ、これもお姉さまのためですから。はい、あーん」
アスパラのベーコン巻きを僕の口元へと運ぶ雫。これは過程違うけれど、僕と同じようにここへと流れ着いた物。
雫の愛が生まれ変わった時に妥協した結果、こっちがいつも最初の一口だけは受け入れるという決まりになっている。
「おいしいですか?」
前にアスパラのベーコン巻きを食べた時と変わらない味。これで僕は雫を月だと見極めて羽ばたける。例えこの体が毒の鱗粉を落とすものだとしても。
なんで雫はここまでの事ができるんだろう。僕は具体的に何かを教えたわけでも、お願いしたわけでも、ましてや魔法を使ったわけでもない。でも、確かにいつも料理をしてくれる。
「うん。今日もよくできてるよ」
「本当ですか!? ありがとうございます!」
これは作った人の答えを待つ真剣な表情も含めて、綾が食べていたごはんと同じだ。だから、綾が食べてどんな表情をしていたのか想像していつも真似ている。
逆に僕らは人間じゃないから感情もその逆になってしまう。でも、やっぱり謝ることは出来ない。
「そういえば、聞いてくださいお姉さま! さっきの授業の先生が終わりを二分も遅らせたんですよ!」
目の前の顔が怒りの物へと変化させられる。その目まぐるしい感情の変化はまさに人間の感情そのもの。僕のほとんどはたった二文字で収まるから。
「二分?」
「そうなんです! 私がお姉さまといられる時間を奪い取るなんて……。いったい何の恨みがあるのでしょうか⁉」
雫が水も肥料も注いでくれるのに、僕は花を咲かすことは出来ない。それでも、いつまでも土の渇きが満たされるのはなんで? 水だってただじゃないのに。
「先生だって完璧じゃないから仕方ない所も……」
雫のおいしい料理や会話で少し気が紛れてしまったけど、今のは間違いだったかもしれない。
「かの教師は先週も遅らせていました! 仮に故意じゃなかったとしても、教師としての意識の低さを感じます。私が矯正しなければ……。はっ! でも、そんなことをしたらお姉さまと一緒にいる時間が……!」
自分の考えでおろおろしだす僕の妹。それに僕も感染してしまう。
そして、きょろきょろしているうちに、目が投げられてたボールをキャッチするも、それを慌てて明後日へと投げる作業をした。理由は一つ。相手が山口さんだったからだ。そして彼女に投げたそれは、ブーメランのように僕へと戻ってきた。
「どっ、どうしましょうお姉さま⁉ このままでは、やつの術中にはまってしまいます!」
我慢しなければ、これくらいなら僕は何度もしてきた。むしろ何も悪くない彼女が、僕のせいで何か傷ついていなければいいけれど。でも、幽霊が見えないのは僕ら魔法使いも例外ではない。違いは自分の物すらも見えないことだけ。今どんなことを考えているんだろう。どんなことを思っているんだろう。見えてるようになる時もあるけれど、それはどうあっても幻になってしまう。
「お姉さま? どうしました?」
果てしなく何もない砂漠の向こうに見える幻を求めて探しさまよい続けていると、この世界にないような、どこかから声が聞こえる。目の前にいる雫は僕の方をのぞき込むようにしていて。僕は顔をあまり見られたくないから。慌てて視線のぶつかり合いを逸らす。
「ちょっ、……ちょっと考え事してただけ」
僕の頭は人間ほどよくできてないから、何かをしているときに声をかけられるだけで心臓が飛び出しそうになってしまう。魔法も使えないし、魔女として生きるために、こんな山口さんからも、雫からも、目を背けてしまう中途半端な何もできない存在になってしまったんだ。
「お姉さまの考え事? 雫にも聞かせてください!」
僕に興味がありますと口を閉じながら言う。でも話すことなんて何もない。だって、それは何の意味もないんだから。雫のようにくるくる回りたいのに、山口さんのように様々な形を作りたいのに、あるのは無機質な裁断機だけだ。
「それは……」
「安心してください。どんな話でもお姉さまの話だったら最高ですから」
ほんとは答えたくない。でも、だめだ。僕はみんなに生かしてもらってる側なんだから。
「今日、一緒に帰り遊ばない、って、誘われたんだ」
こんなことを雫に言ったらどうなるかなんて目に見えてる。本のページを戻したような物だ。ごめんね雫。僕は君みたいな魔法使いではないんだ。
その笑顔がまぶしくて、短い間だけど同じ道を歩いてきたはずなのに、たどり着いた先は全くの別物だった。太陽の世界と月の世界。同じ世界を生きているように見えて、それは足の裏を合わせてそれを足場にして歩いているような物。
なのに、こんなこと……
「ほんとですか!? 早速おめかししなければ、今のお姉さまにはどんな服が似合うのでしょうか・・・。妄想ははかどりますが、やっぱりお姉さまを最高に飾れるのはお姉さましかいません! 時間が足りません。今すぐ家に戻って衣装を選びに行きましょう!」
「しっ、雫、怒らないの?」
「怒る? 何を言っているのですか? 愛しのお姉さまが晴れ舞台に出るというのに怒るなんてありえませんよ!」
僕らが違う場所を歩いていたのは、互いが足裏を合わせて歩いていたからと思っていたら、それは雫の足なんかじゃなくて、ただの泥濘だったんだ。それに足を取られるのが辛くて、足の裏だからと言い訳してたら、たどり着いた先は砂漠のど真ん中だった。
なのに雫がいるのは都会の地下アイドル。足元いると思ってた雫がいたのは天の上。
本当に雫がなんで僕の事なんか好きでいるのかわからないよ……
「晴れ舞台って、そんなすごい物でも……」
「すごいですよ! 私以外にもお姉さまのすてきなところを見てくれる人がいるなんて、すごくないわけないじゃないですか!」
ぐいぐいと僕の手を引っ張っていく雫。それぞれの歩幅はやっぱり違う。これを歩いていると言っていいのだろうか。ただ雫の歩いた足跡を歩いているだけなのではないだろうか、砂の山を崩さないようにしながら。
「でも、おめかしって言っても、授業は……」
「うっ、それは確かに……。いえ、お姉さまは美しいんですから、おめかしなんかしなくてもいいんです! それに雫はとってもかわいくなれる魔法を知ってますから」
『魔法』。その言葉は静かな森の中で、川の水が流れる音のように魅惑に誘う。魔法って何だろう。
やってきたのは来客がよく利用する用にあるトイレ。
かぼちゃもねずみもないけれど、それは舞踏会のようで、そうしたら足元はよく見えなくても自然と怖くなかった。王子様はおろか、来客も誰もいないのになんでなの。いるのは目の前の小さな魔女。
「さぁ、じっと見てください」
鏡は何者の姿を映し出しているんだろう。悪魔か人か、それともその両方か。そんな答え見たくない。僕が何なのかなんて知りたくなくて、僕が知りたいのは美しいドレスで着飾った姿であってぼろきれの鎧を着た姿じゃない。
雫にとっての王子様を僕は見ることができない。僕が一番見たくない物なのに、なんで見せてくるの? 雫はこんなことしなくても素晴らしい魔法を使えるのに、なんで。なんでこんなことするの?
「ほら、今日もとってもかわいいお姉さまが写ってるじゃないですか」
そう思ってもそんなこと言えない。だって、彼女にとってはこれが当たり前なんだから。それを否定したくないけど、どうすることもできない。
僕は魔法が使えない。大事な人と同じものが見れない。だから何も見えてない。
「そう、かわいい、ね」
「む~。そう思ってはいませんね!」
鏡は無慈悲な裁判官。目の前の姿を映し出し、誰なのかをはっきりと見せつけてきて。異形である僕は現実の正しい姿を知ることができないけれど、これだけはわかる。魔女にも人にも悪魔にもなれない、中途半端な存在。あの世界にはもう居場所がないし、この場所にだってない。僕がいられる場所はどこになるの?
「でも、いいんです! 私はお姉さまが誰よりもかわいいんだって知ってますから! ちょっと! お姉さま⁉ 逃げないでください!」
どこへ行くかなんてわからない。でも、どうしても逃れたかった。山口さんにしたこと、そして親友にしたことを考えれば考えるほど、目の前の自分なんて見たくなかった。
「ちょっ、お姉さま、待っ……」
転ぶ、それは自分を捨てること。あの日転んだ体を支えてたのは親友への誓い。でも、一瞬鏡を見た時気づいてしまったんだ。今の僕が何を支えにいきているのか。その時僕の顔を作っていたのは綾じゃない。
でも、僕が転んだのは雫の魔法が解けたから。今、転んで僕の股の上に手を付いている雫の魔法が解けてしまったんだ。
ごめん、綾。魔法が使えなくなった僕はもう無理だよ……
今から数年前のある日。綾は自分に向け携帯電話を構えていた。あの頃が、僕らが一番魔法を使いこなしていたころだった。
「うん。ばっちり」
みんな喜んでくれるかな。大丈夫。かわいいよ。
撮った写真を確認して笑みを浮かべる。写真に写っていたのはなんだろう。僕にもわからない。でも、そこに写る綾の姿は、今は亡き笑顔そのものだった。
じゃあ、早速……。待って綾、髪飾りが曲がってる。ほんとだ、ありがと綾。
僕は綾が作った、幻の世界に生きるもう一人の綾。ただ、どこかへと逃れたかった綾が作ったもう一人の自分。僕が前に出ている間だけが、彼は夢中になれる。
当時は名前すらなかった。ただ、時計を持った兎であったり、光の粉を持った妖精であったりはするけど、その姿は結局なんでもいい。
上手くとれたかな。うん。今度は大丈夫、ばっちりだよ。
何度もやってるけど、緊張するよ……。ごめん、綾ばっかりに任せちゃって。ううん。僕の方こそ、付き合わせちゃってごめん。
「よし……」
みんながきれいな女優さんのように思ってくれたらいいな。きっと大丈夫だよ、みんな優しいから。
かわいい。きれいなかおですね。これで男とか信じられない。これどこの服。
みんな喜んでくれてよかった、僕にはこれくらいしかできないから。
綾、音がしたから、帰ってきたみたいだよ。別にいいよ。もう僕は僕じゃなくて君だから。
それに向こうもわざわざやってきたりしない、どうせいつも通り変わりはしない。
……ねぇ、綾はあの人が何のために頑張ってるんだと思う? ……僕のためだって言ってたけど。
子供じゃなくなったし、大人になってない。その日がやってくるには遅すぎたし早すぎた。
二人の綾の前に現れた英雄。彼女はかつて魔法使いだったけど、今は人となっていた。
人間の平和のために悪い魔女を殺す英雄。魔女は僕で、綾がお姫様。僕がたぶらかし、綾をお姫様にした。
僕らを引き裂こうとする姿。そして必死に縋ろうとする綾。力を持たず何もできない僕ら。みんながみんな、その言葉を口にする。
お前は、誰だ
この世界で唯一幸せじゃない人は二人いたと僕は思ってた。でも、どちらにせよ、それは一人になった。
これを、僕がやったの……。そうだよ。嘘だ、ごめん、なさい……。苦しいの? だって、僕は希望を、未来を、捨てちゃったんだよ、もう何があってもあの日の思い出は帰ってこない……。だったら、僕も……。
なんで捨てられないの。一番大事な物は捨てられるのに、お母さんは、命より大事なんじゃないの? それなのに、なんで出来ないの?
じゃあ、綾の代わりに僕が生きるよ。君は間違ってるかもしれないけど、それを誰も罰してくれないのなら、僕が代わりに生きてみる。
悪魔が生まれた日。そして僕が産まれた日。あの日に悪人なんていなかったと僕は思ってる。なんで魔法は消えたのか、誰も捨てたわけじゃない。でも、間違いなくどこかへ行ってしまった。いつからか毎日のように綾の手に渡された冷たい力。それは人間界における魔法のようなものだけど、それは決して魔法なんかじゃない。
僕らが欲しかったものは、これなんかじゃなかったんだ。
あの日の事を思い出していた。何よりも大切な思い出を、自分で捨てた綾が生きるなんてできるはずがなかった。だから僕が生まれることになった。
「あの、ごっ、ごめんなさいお姉さま。お怪我はありませんか?」
昔は大丈夫だったはず。産まれて、遠い親戚に引き取られて、雫と出会って、狂わされてしまった。また魔法に惑わされて傷つけることへの恐怖。僕は綾を盾にして自分のために周りを遠ざけてたんだ。
「大丈夫」
もう雫のことなんか見たくない。それに今はいいけど、後でどうなるか。また捨ててしまうのかもしれない。僕が存在してるという魔法が溶けないように、はやく関わらないように。
「ちょっ、待ってください! お姉さま!」
風よ吹け。そして僕の足跡を消し去るんだ。彼女は僕以上に愛すべき相手がいるはず。人を引き付ける力を持ってる彼女が、こんなところにいるのはもったいない。もっと多くの人が彼女の愛を受けるべきで、僕のようななんでもなくて、何もできない物に寄り添う存在じゃない。
「お姉さま! 行かないでください! 一人にしないでください!」
僕の足元にしがみつく雫。やめて、こんなところにいたくないのに、放して。もう魔法をかけられたくない。僕は人じゃないのに。この世で一番大事な人でも殺せるのに。雫を振り払えないこの体。なんで、嫌なのに、近づいてほしくないのに、なんで僕なの?
「やめてよ。僕は君を騙してたんだよ」
「それでいいんです! 私だって騙してるんですから」
どういうこと? 雫は僕の感情を操ってた魔法使いだけど、でも嘘はついていないはず。それとも僕の事を愛してることなのかな。むしろそれであって欲しい。だって、それだったら、完全に幻となることができるから。
「私、きれいなお姉さまのことが大好きで大好きで仕方なくて、傍から眺めてただけで幸せで、なのに、なのにお姉さまは私の事なんか気にしないで私の前に勝手に表れて!」
僕は魔法使いのお母さんのことが大好きで大好きで仕方なくて、傍から眺めてただけで幸せで、なのに、なのにお母さんは僕の事なんか気にしないで僕のためと言って勝手に魔法を捨てて。
「それなしでは生きていけないほどに好きになってしまって、お姉さまに好きになってもらいたくて、でも、お姉さまは、いつも暗い顔してて、私の事なんか見向きもしてくれなくて、だから、振り向いてもらいたくて、だから、だから……」
なんで止めてくるの。そんなことしたら、また魔法に狂わされちゃうのに。
足元にいる少女が、誰なのかわからなくなってくる。だって、僕はそれを蹴飛ばすために生まれてきたのに、また同じことを繰り返さなきゃいけないの。
僕らは雫を壊さないために雫を壊せるから。
雫を蹴り飛ばしたくない。その願いさえ叶えられるのなら、ほかのすべてを代償にしても、自分のすべてを捨ててもいい。だから、僕を蹴り飛ばしてよ。それが一番幸せなんだから。
「嘘、だよね。僕の事なんか、好きになるとこなんて一個もない」
あなたのことが好きです。僕がこの世に留まる代わりに受けた呪いの言葉。
「嘘なんかじゃないです! はじめはただきれいな人としか思ってなくて、遠くの人だと思ってたけど、でも、そんな人が目の前に現れて、自分の手の届くところにやってきたら、周りからおかしいって言われてでも気に入られたいんです! この嘘だらけの私でも、お姉さまが大好きな気持ちだけは本物だって、命を懸けて言えます!」
あなたのことが好きです。雫も、秋島さんも、山口さんも、他の人たちも、みんな、みんな、みんな。
「やめてよ……。そんなこと、言わないで。だって、僕は、他人を傷つけることにためらいなんてないんだから! どんなに大事な人が相手でも平気で騙せるんだよ!」
あなたの事が好きです。それが綾の体を搔きむしる。
「みんな一緒です! ほんとのことなんか隠して、嘘ばっかりついてて、自分を飾って、互いを傷つけないように生きてるんです! なのに、なんでお姉さまばっかりそんな苦しまなきゃいけないんですか!」
あなたのことが好きです。嫌いって言ってよ。なんでみんな好きっていうの。
「そんなのわかんないよ! ほんとはこんなの捨てた方が楽なことなんて、そんなのわかってるけど、でも、そんなの無理だよ……」
あなたのことが好きです。でも、僕は嫌い。
「捨ててもいいんですよ! 生きるのが辛いのもわかってます! 私だってそうですから! でも、でも、私にできることなんて、苦しんでるお姉さまを慰めてあげるくらいで、私だって何もわかんないんです!」
あなたのことが好きです。なんで膨れてくるの?
「じゃあ慰めないでよ! そんな無責任なことするくらいならいっそしない方がましだよ!」
あなたのことが好きです。
「先にしたのはお姉さまですよ! お姉さまが勝手に現れるから! だからお姉さまがどれだけ口で言っても、お姉さまのために何があっても手を差し伸べ続けるのをやめません!」
あなたのことが好きです。
「やめてよ! もうどうしていいかわかんないけど、でも、僕に寄らないで! これ以上壊さないでよ!」
あなたのことが好きです。
ほんとのことは知ってるよ。みんな人間は優しいからそう言ってることなんて。でも、その中にある恐れを拾って、僕に投げつけてくれないと。僕は悪い人だから。誰もが幸せになれる物語なんてこの世にはないんだから。悪いことをした僕らが許される道理なんてないんだから。じゃあ、なんでそんなに生きたいの? いいことなんて、もう一個もないのに。
僕の腰にしがみつくのは誰なんだろう。視界はもう当てになんないし、当てにもしたくない。
何もない砂漠に投げ出された僕。どこにあるかわからないオアシスを探し求めて、途方もない旅に出ることになった。温かさに体を焼かれ、冷たさが体を突き刺す日々。どっちがいいかなんてわかんない。どうしたらいいの。その先に幻以外の物を見れるほど、諦めて帰れるほど、僕はすごくないのに……
「ねぇ、お姉さま。私のすべてをぶつけてでも、そんなに悩んでる理由は教えていただけないんですか……?」
綾は僕にとって大事な友達。それは今でも変わってない。例え何があっても。
「うん。ごめんね。どうしても、これだけは……」
「そう、ですか……。悲しいです……」
この世に反逆して、魔女になってでも守りたい。異形として、この世に存在しない物になってでも守りたいものは、いったい何だったんだろう。あの時、僕は何を考えていたんだろう。わからない、わからない。綾の事がわからなくて、ただ事実から逃れたかったのかな……
「ですけど、お姉さまの苦しみの重さはわかりました。だから今は話してくれなくていいです。でも、どうしても苦しくて、投げ出せなくて、張り裂けそうになってしまった時に、そっと教えてください。私もその時まで、お姉さまが例え何であろうと受け入れるための努力を諦めませんから」
そんな、そんなこと言わないで。そんなことしたら……
「……ほんと?」
嘘だよ。って言って。だって、僕は何もできてないから……
「はい。だって、お姉さまは、私の大好きなお姉さまはいつもみんなのことを考えてくれてるとってもお優しい方ですから! そんなところに私は惚れたんです! 見た目なんて、経歴なんて関係ありません! 今のお姉さまが何を考え思ってるかが大事なんです! だから、本当に苦しくなった時が来なかったら教えてくれなくてもいいですから、お姉さまは誰にでも優しさを振りまき続ける人でいてください!」
僕はなんで生まれてきたんだろう。なんで死ねないんだろうってずっと考えてた。
みんなのことを考えてる、それが自分のためじゃなくて、みんなのためだったとしたら。
きっと僕が生まれてきたのは、綾が信じてた夢をみんなにも信じてもらいたかったから。転ばなければ、夢は力を持ち、現実に干渉出来るようになる。そう、僕みたいに。
希望を繋ぐために生まれて、産まれたんだ。
「うん……。うん……!ありがとう、雫。僕、もうちょっとだけ、頑張ってみるから……」
「はい! お姉さまの姿をずっと応援させてください!」
僕らが憧れたあの姿は、何も間違ってなかった。あの時は消えていたのかもしれないけれど、まだ消えてない。僕が信じ続ける限り、消えたりしない。
お昼休みが終わった次の授業、身なりを整えてから行った僕は遅刻してしまうことになってしまった。教室の後ろの扉を開けると、古くなって少し建てつけの悪いせいか大きな音がして、クラスのみんなや先生から視線が集まる。
「雨宮さん、どうかしましたか?」
見られてるのは、見なくてもわかる。こういうことは慣れてるから。でも、慣れてないから体が震える。みんなが心配してくれてるからだって思えば思うほどに緊張は高まっていった。
まだ綾のことを知られるのが怖くて、みんなのことをちゃんと見れない。だって、邪魔だからって、僕をおかしな目で見てるからって、そんな風に思って切り捨ててしまうかもしれないから。
ごめん雫。やっぱりすぐに変わるのは無理だよ、でも、でもね、僕はこうやって先生の元まで歩いていけるようになったんだ。きっとそれはぎこちなくて、人間じゃないってばれちゃうかもしれないけれど。
でも、出来なくてもいい。出来なくても、やり続けてることを知ってもらわなければ。
僕らは一度捨ててしまったのかもしれないけれど、どんなに辛くて、苦しくて、失敗を繰り返し続けても、希望を信じ続ければきっと魔女は蘇る。
だから、いつか魔法使いになれるように、もうちょっと頑張ってみるから……
読んでいただきありがとうございます。