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第3話

「ご報告いたします」


 月に一度の、この国の統治者と上層部が一同に介する定例会議。

 ただし、上層部の中には地方に散らばる者達や、どうしても警備的に集まれない軍部所属の上層部も居る為、正確には全員ではない。しかし、それでも普段からすればかなりの神数が集まっていた。

 その会議場にて、幾つかの国に関する議案が話し合われた後、最後に一つの報告が為された。


 それは、ある意味多くの上層部達が聞きたがっていた内容だった。



「陛下の最下位の妾妃の教育状況についてです」


 その報告をするのは、何故か女官長の百合亜だった。彼女は講師役ではなかったが、講師役になった者達からの報告を纏めて報告する係に就かされていた。

 そうして、百合亜はしっかりと報告した。


「礼儀作法、歌舞音曲、一般教養に算術や読み書きその他、政治経済に至るまで……」


 百合亜の顔色は悪かった。


「平均を遙かに超えた成績となっています」


 遙かに超えているなら、もはや平均という言葉は使わなくても良いのでは?という突っ込みを、周囲はしなかった。


「優、良、可、不可で言うと?」


 萩波が問いかければ


「優です」


 百合亜は断言した。


「……」

「……」

「……」


 講師役達は無言だった。特に彼らは果竪に直接教える役として接したからこそ分かる。


「まさか、あの計算式を解かれるとは」

「薬草類とそれから作られる薬を全部言われるとは思わなかった。それも効能まで」

「俺の時なんか、戦略の仮想ゲームで負けたんだぞ?」


 そんな事を心の中で思いつつ、彼らは他の上層部達の視線に耐えていた。


「……優、ですか」


 因みに、医学とか薬学とかその他様々な学問も全部「優」らしい。


「……確か、以前の妾妃の成績は」

「全部不可でした」


 何度教えても、どれだけ学ばせても全然駄目だった妾妃。その最下位の妾妃は一体どこに行ってしまったのだろうか。


「というか、なぜ突然学びたいと言い出したのか」


 あまりに駄目すぎて講師役達が諦め、放置されるようになってからかなりの時が経つと言うのに、ある日突然学びたいと懇願してきた。


「何故は……その」


 それに答えようとしたのは、明睡だった。けれど、彼は王の心情を汲み、それ以上言葉を続ける事は出来なかった。


 因みに、此処に居る者達は、あの妾妃達の挨拶の儀式の時に部屋に居た者達でもある。


 彼らは聞いていた。


 最下位の妾妃の【後宮】卒業宣言を。


 つまり、【後宮】を卒業する為に、あの妾妃は頑張っているのだ。



「……その、今後はどうしましょうか?」

「妾妃はなんと言っているのですか?」

「え、えっと……」


 百合亜は言葉に詰まった。


「……妾妃の良いように取りはからいなさい」


 萩波の言葉に、上層部は思わず胸が熱くなった。そして、心底同情した。


「それにしても成績は全て「優」ですか」

「は、はい」

「では……頑張ったご褒美を与えましょうか」


 ご褒美ーーその言葉に、上層部の反応は様々だった。


「褒美、ですか」


 明睡がそう呟けば、萩波は相変わらず麗しい笑みを浮かべて頷いた。


「ええ。とても頑張ったのですからね。それに、最近【後宮】の予算を締め付けていますから」


 この国の経済は黒字だ。けれど、必要の無い所はしっかりと削る。それに、【花園】というのは、なにげにお金がかかるものだ。それこそ、かけようと思えば際限なくかかる。だから、頻繁に予算を見直して削っていくしかない。


「それでは、特別費として予算に計上しましょう」


 財務長官が、銀縁眼鏡を指で押し上げながら新たな予算として書面に書き加える。


「ただし、出せるのはこれだけです。それ以上は厳しいです」

「わかっていますよ。ああ、予め本神に直接聞いておいた方が良いですね」


 本神という言葉に、これまた上層部が思い思いの反応を示す。


 ただそれでも共通する事があった。


 そうーーきっと、あの娘は喜ぶだろう。

 いつもそうだった。

 地味で目立たず、いつも物陰に隠れていたあの娘。それでも、我が君が声をかければ、怖々としながらも笑みを浮かべた。


 想像出来る。


 あの愚かで哀れな娘が願う望みを。


 望んでも叶わぬと諦めながらも、それでも望み続けているのだから。





「土地」


 欲しいものが無いか?と聞かれた果竪は、王夫妻と王に一番近しい一部の上層部が居並ぶ謁見の間で即答した。

 因みに、果竪も王の妻だけれど、この国での王夫妻と言えば、萩波と明燐を指す。明燐が正妻だからと言うだけではなく、誰が見ても萩波の妻には明燐がお似合いだとされているからだ。

 それは、【後宮】に居る他の妾妃達もそう思っている節がある事を果竪は感づいていた。


「……土地」

「そうです」


 土地……土地……。

 なかなか斬新な回答だった。


「それは、領地という事ですか?」

「使用目的が畑でも領地と言うなら」


 ここではそうなるのかな?と首を傾げながら答える果竪に、上層部は眩暈を覚えた。


「……畑?」

「はい。あ、荒れ地でも構いません。とにかく、土地下さい。あと、鍬も下さい!!」


 果竪は目を輝かせながら言った。


「……何を、するんですか?」

「畑作ります」


 土地と鍬と来たらもちろん畑だろう。果竪は察しの悪い萩波に簡潔に説明した。


 というか、そろそろ果竪は限界に来ていた。なぜなら、ここには果竪にとって大切なものが欠けていたからだ。


 そうーー


 大根


 夢の中では、誰に止められようが王宮の空き地を開墾しまくって畑を作りまくっていた果竪。それは、あの大事件で眠り、長き時を経て目覚め、そして記憶を取り戻した後から更に加速した。


 ああ、大根。

 愛しき大根。


 大根に埋もれて死ねるならどれだけ幸せだろうか?


 果竪は、自分が長く眠っていた場所を後に訪れて言った。


「花じゃ無くて、大根を敷き詰めて欲しかった」


 とりあえず、上層部を泣かせた。特に、明睡なんて。


「お前が心の機微とか語るな!!」


 と、その後色々と何かにつけて怒られた。何でだ。


 話はずれたが、とにかくこの現実世界の凪国王宮には大根が足りない。そもそも、畑が殆ど無いのだ。農作物研究の為の畑はあるが、それぐらいである。


 世の中、何が起きるか分からない。それこそ、明日には天変地異で飢饉が起きるかもしれない。その時の為に、自給自足かつ備蓄は必要である。


 大根の生産に凪国は全力で勤めるべきである。


 いや、他の者達がしなくても、果竪が勤めてみせる。


 そして、凪国国内、後に全世界に大根を普及させ、神々の世界を大根の愛で一杯にしたい。世間では、どこにでも生えるのは雑草と言われているが、いつか言わせてやりたい「どこにでも生える大根」と。


 普通愛する物を雑草と同等と言われれば怒るだろう。それこそ、限られた場所にしか生えない希少な存在と言われた方が嬉しいかもしれない。


 だが、果竪からすればそんなのはお断りである。

 誰でも触れ合え、愛を確かめられる、そんな身近な存在で居て欲しいのだ。


 むしろあの大根の艶めかしく滑らかな肌は愛でられる為にあるのだ。あの眩しい白さは、間近で称賛される為にあるのだ。あの、ふさふさの緑の葉は、周囲を癒す為にあるのだ。


「勉強は疎かにしません!土地下さい!」


 果竪は一点の曇りもない眼を、自分の夫であり、この国の王たる萩波に向けた。




 なんで土地ーー。


 萩波だけではなく、上層部も混乱した。萩波の隣では、明燐が気を遠く仕掛けており、慌てて侍女達が敬愛する正妃を支えていた。


「……財務長官」

「え、は、はい?」

「土地、ありますか?」

「え、え、え、え……と、宮殿の、敷地内でしょうか?それとも、外」


 一応、宮殿の敷地内だろうと外だろうと土地は沢山ある。

 でなくとも、この国は他国に比べて非常に広大で肥沃な豊かな土地を持っているのだから。


「……宮殿の、敷地内で」


 畑という事は、畑という事だ。外まで行くのは……。


「すいません、その、土地を畑にするには神手が必要になるかと」

「陛下、そこまでは流石に」


 いくら何でもと言っても、神手まで与えるのは出血大サービス過ぎると、宰相である明睡が窘める。しかし、果竪は落胆などしなかった。


「私が耕します!」


 お前がかよ!


 心の中で上層部が突っ込みを入れた。


「え、あ、貴方が?」

「そうです。というか、私、気づいてしまったんです」

「何を?」

「自分の体力の無さを」


 え?今更?


 上層部は思った。

 そもそも、昔から引きこもりがちーーまでは行かないけれど、何をしても落ちこぼれだったこの娘。当然ながら、武術の類いも駄目駄目で、こちらは学問よりもかなり早くに講師役達が諦めて見限ってしまった。それからも自主訓練をする事なく、普通に、ごく普通に暮らしてきた。最低限の必要な物は国から支給されるし、それこそ自室から出なくても生活出来るぐらいだった。


 流石に少し歩いただけで倒れる様な体力の無さではないが、深窓の姫君程度の体力である。あ、舞とか舞えないタイプの。舞はあれでかなり体力を使うから。


「最近、走り込みをしてはいるんですが」

「してるんですか」


 勿論です!と言い切る妾妃の眼差しが眩しすぎて辛い。


「けれど、それでは全然足りないですし、そもそもただ走るだけでは飽きます」


 走るにも美学がある。

 走る楽しさを楽しめる程、自分は走る才能に恵まれていないのだと声高に言う果竪に、軍部所属の上層部は混乱した。一体こいつは誰なんだ。


「そこで考えました。私が楽しく体力作りが出来るのは何なのか?と」


 もちろん、純粋に大根を世界に普及させる為の第一歩としてーーという気持ちの方が強い。しかし、それと同時に果竪はそれを自分の体力作りに生かせるのではないか?という事に思い当たった。


 これぞ一石二鳥。


 果竪にとっては自分が楽しい事をして、更に体力作りも出来る。


 そもそも、農民というのは筋肉質だ。毎日の農作業で生み出されるその農筋の美しさは、それこそ実用的な筋肉と言って良いだろう。


 素晴らしき農筋。


 決して、狩猟民族の男達の雄々しき筋肉には負けない。


 いつか、農筋と狩猟筋の男達で武闘大会を開いてはくれないだろうか?


 絶対に行くのに。


 果竪だって女だ。男達の麗しき筋肉の美しさを思い浮かべて頬を赤らめたりする。しかし、周りからすれば何も頬を赤らめるべきではない時に赤らめる変態だと思われてしまったのだが、本神は全く気づかなかった。

 というか、これが畑うんぬんとか言っていない時であれば、夫たる陛下の美しさに頬を赤らめる妾妃という、ごく普通の認識を周囲はしただろう。実際、国王の美しさは老若男女問わず墜ちる様な絶世級だ。それに、そもそもこの娘自身が国王を慕っていた。


 だが、今はそうは思えない。

 思いたいのに思えない。


「私は悟りました!畑で農作業だと!」


 なんでそこで悟るのか。無駄な悟りだと思うのだが、それを突っ込めない上層部達。


 ここまで自分達はヘタレだっただろうか?


 いつもは鋭い切り口で相手を翻弄し、時には甘く囁き、自分達の欲しい物を勝ち取ってきたその場に居た上層部達は、この娘に圧倒されるだけの自分達に混乱した。


「畑、畑、畑!荒れ地でも構いません!土地下さいっ」

「財務長官」

「そ、それでは、【後宮】の……というか、彼女の住まう離宮の周囲の土地がかなり余っていますが」


 【後宮】の敷地には沢山の建物がある。

 それこそ、上位の妾妃達には一つ一つの専用の宮殿があるくらいだ。下位の妃達は一つの大きな建物にそれぞれ私室を与えられているが、それでもその建物はとんでもなく広い。

 また、【後宮】に勤める者達の寝泊まりする宿舎やら、その他の機能を持つ建物もあり、全体的に見ると【後宮】だけで一つの街になっていた。

 だが、それだけ建物があるにも関わらず、【後宮】にはまだまだ土地が余っていた。花園や庭園も幾つかあるが、手つかずのままの土地もある。それは、【後宮】の外れであれば筈になる程多い。

 丁度、【後宮】の中央部分ーー【奥宮】と呼ばれる場所に国王と王妃が住まう宮殿が存在する。その周囲に【後宮】と呼ばれる部分が存在し、地位の高い妾妃達ほど【奥宮】に近い場所に宮殿を賜っていた。


 反対に、最下位の果竪は下位の妃達の住まう大宮殿にーーと普通ならなるのだが、何故か果竪だけは【後宮】の外れも外れにある小さな離宮に一神住んでいた。

 それも、庶民が住まう様な本当に小さな建物で、そこから中央に密集する他の妃達の住まう、一番近い大宮殿に行くのでも、最低でも早足で四十分以上はかかる。


 そして、幸いなのか何なのか、果竪の住まう離宮は手つかずの土地の中にぽつんと建っていた。だから、その周りの土地を好きにしても、他の妃達はおろか、【後宮】勤めの者達に影響は及ぼさないだろう。


「では、貴方の住まう離宮の周りの土地を与えましょう」


 誰かが口笛を吹いた。

 ひそひそと、陛下も酔狂な事だと呟く声が聞こえる。

 あの離宮の周囲は手つかずの荒れ地だ。

 農業用の土地にするには、かなりの手入れが必要となるだろう。

 そもそも、土が硬すぎて耕すだけでも一苦労である。


「ありがとうございます!」


 果竪は満面の笑みを浮かべて礼を言った。


 上層部の中には哀れみの眼差しを向ける者達も居たがーー。


「ふ、障害は多い方が達成感は大きいわ」

「……」


 なんだろう?この胸騒ぎ。なんか嫌な予感がする。



 そんな中、黙ってそれを見つめていた存在が居た。


「朱詩、どうしたの?」


 隣に立つ茨戯が声をかければ、朱詩は「いや、別に」とだけ答える。いつもと違って静かな友神を訝しげに見つめながら、茨戯はそれ以上追求する事は無かった。




 そうして、しっかりちゃっかりと土地と鍬を貰った果竪。

 だが残念な事に、まだ季節は冬。春にかなり近づいているが、まだ春まで少しある。手続きがもう少し遅ければ、きっと畑が貰えると同時に畑作業が出来ただろう。


 なので、当然ながら畑を耕す事なんて出来ないのだがーー。


「雪割だわ!」


 畑を覆う雪を、果竪は嬉々として割り始めた。





 それから少し時は流れ、春の花ーー桜が蕾を付け始めた頃の事だった。


 正妃命、正妃大事、正妃最高。

 この国の美しき王妃を敬愛する侍女達は、明燐を守るようにしてそこまでの道を歩いていた。他国に轟く名高い王妃の名を汚さぬ様に、自身も極限まで磨き続けた結果、彼女達は他国の侍女達からも憧れの存在となっていた。


 それこそ、王妃と彼女付きの侍女達の歩く集団は、同じ王の寵愛を巡って争う他の妾妃達や彼女達付きの侍女達にさえ感嘆の溜息を漏らさせ、称賛の言葉を紡がせた。中には憧れている者達も居る始末だ。


 そうして、多くの妾妃達や彼女達付きの侍女達の崇拝の眼差しを背にしながら、乗り物も使用し優雅な足取りでその場所に辿り着いた一行は。



 ザクザクザク


 ザクザクザク


 ザクザクザク


 ザクザクザク


 ザクザクザクーー



 もの凄い速さで、鍬で土を耕していく存在が居た。


「……」

「……」

「……」


 一直線にある程度まで耕せば、今度は少し横にずれて戻ってくる。それを何度も何度も繰り返したかと思うと、一度耕した所を再度耕し始める。

 明燐は美しい笑みを浮かべたまま、固まっていた。

 とあえず、三十分ぐらい固まっていたと思う。


 その間に、その土地を三往復ぐらい耕した所で、彼女はようやくこちらに気づいた。


「あ、正妃様!この様な所においで頂けるなんてっ」


 この様な所もそうだが、最下位の妾妃の出で立ちがまず問題だった。一応、先触れは出した。先触れに出した侍女が「……その、日を改めませんか?」と言っていたが、今日は相手側に何の用事もない事は分かっていた。


 止めようとする先触れの侍女を笑顔で黙らせてここまでやって来た明燐は、にこにこと笑う妾妃の笑みにようやく我に返った。


「その、突然ごめんなさいね」


 突然も何も、先触れは出していた。

 が、それにも関わらず、最下位の妾妃は農作業の服を身に纏っていた。長靴、軍手、帽子。汗ふきのタオルを肩にかけ、虫除けもかねてか長袖と長ズボンだ。


 到底、陛下の寵愛を得る為に日々美しく着飾る妾妃の装いでは無いだろう。

 華美ではないが、品の良い装いをしている明燐とは雲泥の差の服装だ。


 誰が見ても明燐は正妃だと分かるだろう。

 誰が見ても妾妃は農民だと分かるだろう。


 そんな感じの対極さがあった。


 なんというか、一緒に同じ空間に居るのが滑稽な感じさえする違和感が強烈に醸し出されていた。


「あ、もう到着の時間でしたね!申し訳ありません、お出迎えもせずにっ」


 お出迎えはしてくれただろう。農作業姿で。


「その……精が出ますね」

「ええ!これからが本番です!見てて下さい!この国一立派な畑を作ってみせますからっ」


 俄然やる気の力強い妾妃の言葉に、明燐は乾いた笑みをこぼした。というか、それしか出来ない。そして、正妃命、正妃大事の侍女達もまた、本来なら「無礼な!」とか「正妃様の視界に入る幸運を得ながらその様な出で立ちとはなんという非礼!!」とか叱り付ける所なのだが……彼女達も何と言っていいのか分からなかった。これは、頭の回転が速く機敏で聡明な彼女達にとっては珍しい事だった。


「……ほどほどになさいね」

「はい、無理をしすぎて倒れたら大変ですから!あ、でも、あと今日中に五往復は耕す予定なんですよ!目指せ、サラサラの土!そして、耕しきったら肥料と石灰を混ぜるんです!あ、肥料も仕入れ先が決まって」

「……」

「お金の件は大丈夫です!余った分を貰ってくるので!」

「……」

「それでしっかり混ぜて混ざったら、畝も作るんです!ああ、その時の光景を思うだけで」


 思うだけで


「体が激しく疼きます!」




「明燐、明燐どうしたんだ?!」


 愛する大切な妹が引きこもったという報せに、宰相であり、兄である明睡は慌てた。そして、明燐付きの侍女達を厳しく問いただす。


「一体明燐に何があったと言うんだ?!」


 そういえば、今日はあの娘の所を訪れたと言う。何かされたのだろうか?


 視線からどんどん温度が無くなっていく明睡を前に、侍女達は平伏したまま考えた。


「その、最下位の妾妃の所を正妃様が訪れ」

「それは分かってる!だから、そこで何が、あの娘が何か明燐にしたのか?!」

「いえ、畑耕してました」

「……」


 侍女の言葉に、明睡は固まった。


「素晴らしいーーそれこそ神を超えた速さで畑を耕してました。あれだけの荒れた土地がみるみる綺麗に耕されていって」

「その中で、正妃様を見つけた妾妃は笑顔で出迎えられましたーー農作業服姿で」

「先触れは」

「出しました」

「なんで着替えてない……いや、農作業中なんだ」

「農作業に集中しすぎていて、時間を忘れていたと。あと時計が無かったです」


 最下位の妾妃は言った。


「明るくなり始めたら起きる!暗くなったら寝る!お腹がすいたら食べる!!」


 男らしいが、それでよく講師が来る時間に間に合っていたと思う。体内時計どころかアレそのものが時計なのか?


「着替え」

「最後まで農作業服姿で通しました」

「侍女はどうしたんだっ!」

「落ち着いてください宰相様。そもそも、あそこの妾妃に侍女は居ないではありませんか」


 怒鳴った明睡は、侍女にそう指摘されて黙った。確かに、居なかった。昔は居たが、今は居ない。


「それでも、一応は着替えに行こうとしました。その前に、明燐様が両手で顔を覆って走り去られてしまって」

「何をされた」

「畝の出来た畑を思うだけで体が疼くと妾妃が宣言されたのを聞きました」


 侍女は死にそうな顔をしていた。


「……は?」

「畑で体が疼くそうです」

「……何かの比喩とかじゃなくてか?」


 詩的表現で、自分の状態を表す雅で高尚な事をする者達も居るーー特に貴神とか言われる者達に多い。だが、以前のあの娘には詩の才能が壊滅的に無かった。


「それは無いでしょう」

「畑を見て身悶えしてましたので、完璧に畑で疼いていたと思います」

「まるで、恋する乙女の様な表情をされていました」

「頬をほんのりと赤らめていましたし」

「ガチでした」


 え?畑?畑なの?本当に?


「お、おかしいだろ!」

「最近のあの妾妃に関しておかしくなかった事はないです」

「むしろ段々とおかしいのが通常運転になりつつあります」

「どうして畑なんて与えたのですか」

「それがそもそもの間違いだったのです」


 それは畑を与えた陛下に対する侮辱か?!と明睡は内心怒りを覚えたが、確かにあそこで畑を与えなければこんな事にはならなかっただろう。

 しかし、一度与えてしまったものを取り上げるにはそれ相応の理由が必要だ。

 畑にかまけて学業の成績が下がったならばまだしも、成績は相変わらず「優」のままだ。


 いや、今回畑に集中しすぎて正妃の出迎えを怠った為、それを理由にーーいや、馬鹿過ぎる。余りにも馬鹿過ぎて、そんな理由で畑を取り上げた事がバレたら、妾妃の馬鹿さ加減はまだしも色々と余計な憶測を生むかもしれない。


 一体どんな憶測が生まれるのか?と言う突っ込みが入りそうだが、明睡は本気で思っていた。むしろ、正妃に多くの同情が集まると思うし、正妃を最下位の妾妃が蔑ろにしたと思われて畑を取り上げる正当な理由となり万々歳だと思うのだが。


「ま、まあ、一度の失敗で取り上げれば、正妃様のお心を狭量とか言う愚かども達が現れるかもしれん」

「いえ、むしろ、正妃様が最下位の妃に蔑ろにされたにも関わらず、厳しい手段をとらない事で正妃様の威光を傷付けられたのに何の対処もしないとして陛下の威光が傷付けられるばかりか、正妃様の存在がその程度と侮られるかもしれません」

「……」


 やっぱり畑を取り上げるか?


「というか、土地を与えられてから、そればかりに集中している妾妃を見ると、今に他のことが疎かになるかもしれません。褒美は別の物にしたらどうでしょうか?」

「いや、だが……」


 与え直すというのも……いや、この状況を知れば、他の上層部も諸手を挙げて賛成するだろう。


 明睡は悩んだ。

 毎回凄まじい頭の回転の速さで、他からすれば即決しているようだが、実はかなり考えに考え、けれどその思考スピードが速すぎるが為に即決している様に周囲から見えている頭脳明晰の明睡は、彼にしては珍しく答えを出すまでに時間がかかった。


 その間に、最下位の妾妃の所に授業に行く位には時間がかかってしまった。



「宰相様、お忙しい中ご足労頂きありがとうございました」


 今日はきちんとした装いーーといっても、他の妾妃達からすれば地味過ぎる出で立ちだが、とりあえず無礼にならない程度の服に身を包んだ妾妃に出迎えられた明睡は。


「……」


 妾妃の事より、離宮の周囲に作られた畑に目を奪われていた。

 あれだけ荒れ果てていた土地が今はどうだ。


 土はサラサラになるまで耕されていた。

 肥料と石灰は既に混ぜられている。


「後は雨で染みこむのを待っているんです。明日から、三日雨が続きますから」


 雨が上がった後は、また耕すのだと言う。


「そしたら次は畝作りです!」


 ああ、今からわくわくしますーーと果竪は満面の笑みを浮かべて告げた。その笑顔はとてもキラキラとしていた。純真無垢の、幼子が浮かべる様な穢れのない笑みだった。




「え?!畑を取り上げない?!」

「宰相様、宰相様は素晴らしいお方ですが、この件についてだけはヘタレです!」

「あの笑顔を前にしては出来ない?」

「別の物で同じだけの幸せを与えれば宜しいではありませんかっ」

「というか、普通の一般妾妃が欲しがるものを与えて」

「はい?そんなの興味なさそう?」

「やってみなければ分かりませんっ!」



 しかし、結局妹の侍女達からヘタレと言われようとも、明睡には畑を取り上げる事は出来なかった。



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