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第29話 皇都内での掃除

 夜も更けた皇都の一角ーー高い高い尖塔の屋根の上に立つ神影があった。

 【海影】が長ーー茨戯。

 彼はすっと手を前に出すと、ふわりとその指先に淡い色彩を持つ蝶が舞い降りて留まった。


「ふふーーそう。いいわ、そのまま待機してなさい。後はこっちでやるから」


 茨戯は指を鳴らすと、蝶は空気に溶けるようにしてその姿を消した。


「タイミングとしては合格。でも、下準備はまだまだねぇ」


 茨戯は背後に聳える【皇宮】か微かに感じられる気配を背で感じる。ほんの微かではあるが、いつもとは違うそれは【焦り】であった。


「常に何が起きようとも、冷静沈着で微動だにしない、正に不動たる山の如しと言われる凪帝国【皇宮】に出来た小さな隙。それを見逃さない観察眼は本当素晴らしいわ」



 でもーー



 茨戯はトンっと屋根を蹴ると、そのまま身を宙に躍らせる。その手にしていた仮面を被りながら、くすくすと笑った。



「効を急いて相手の力量を宙に浮かせたままは良くないわぁ」



 素早く屋根の上を動く幾つもの影のまっただ中に飛び込み、茨戯は鉄扇を開いた。突如現れた存在に、影達の動きが乱れる。


「止まるなって言われなかったかしらん?」


 茨戯は鉄扇を動かさず、その長い足で傍の男を蹴り飛ばす。その男の体は吹っ飛び、他の影達を数神巻き込んでいった。


 ギャッ、ヒィッ、等悲鳴が上がるが、それでも訓練されているそれらは受けた衝撃からすれば慎ましすぎる悲鳴で留めた。

 それを楽しそうに見やり、茨戯は鉄扇を操る。


「警告するわ。これ以上の侵入は許さない。それでも侵入すると言うのなら、命の保証はしないわ」


 茨戯の警告に、影達が一瞬ひるむ。しかし、すぐにリーダー格の影の指示によって影達が動き出す。


「あらあら」


 特殊なお面で隠されたその裏で、茨戯はにんまりと笑う。


 実際、本気で止めようと思えば茨戯が即座にそのお面をはぎ取ればよいのだ。茨戯のその麗しい美貌の前には、たいていの者達が動きを止める。

 もちろん、すぐさま標的は茨戯となり、茨戯の身柄を奪おうとする目的に本来の目的からシフトされてしまうが、そんなのはいつもの事である。

 というか、毎回素顔で侵入者を潰しに行く茨戯が逆に侵入者達にその身柄を狙われて追いかけられるのを見かねた皇帝陛下が直々に造りあげてくれた【偽りの仮面】。

 一定の時間であれば、茨戯の体から沸き上がる色香と魅力も隠してくれる優れもの。それを手にしてからは、茨戯の仕事の効率は軽く十倍は良くなった。


 だが、仕事の効率うんぬんを抜きにしても、この仮面は敬愛し心酔する皇帝陛下から賜った大切な宝物だ。大事に大事に取り扱われなければならないし、下手に体から離して壊されでもした厄介だ。


 まあーー以前、何神目かのカジュが仮面を触ろうとして落っことしてヒビを入れてしまった事はあるが。


 そしてヒビが入った仮面をどうにかして修理しようとして、【皇宮】の外に出ようとしたもんだから大騒ぎとなった。


 壮大な追いかけっこは、今でも茨戯の記憶に残っている。


 自分の姿を見て「みぎゃっ」と叫んでトテトテ逃げ回る小さなカジュに本気でヘコんだ。そもそも、誤って壊してしまった事に対してはいくら茨戯でも激怒したりなんてしない。

 むしろ、カジュにとっては危険な外に出ようとした事に激怒した。


「そんな仮面よりアンタの方が大事だってどうしてわかんないのよっ」

「分かるわけないよ。カジュまだ二歳だよ」

「二歳なのに仮面持って逃げてるの凄いよね」

「前はまだハイハイがようやくなのに、三階の窓から外に出たよね」


 あれは遊び疲れてカジュが眠った時の事だ。当時はまだ九ヶ月の赤ん坊だった。最初は部屋に数神の上層部が居たが、一神、また一神と仕事で出て行った。


 そして最後は、近くまで侵入者が来たという情報と、以前ナメくさった事をしてくれた相手だった事から迎え撃ちに行き、結局カジュだけが残された。一応、すぐに侍女が来る様にはしていたが、その前にカジュが目を覚ました。


 部屋にいた者達を探したのだろう。


 けれど部屋の中を見回しても姿は見えず、その結果、カジュは窓から外へと出てしまった。その後、落ちたら確実に死ぬ様な細い場所を通り、途中で力尽きて寝こけている姿に出先から戻ったとある上層部は絶叫した。


 続いて、それぞれ仕事を終えて帰ってきた上層部の半数は部屋にカジュが居ない事に気づき、半数は同じ様にカジュがとんでもない所で寝ている所を見て発狂しかけた。


 その後無事に回収されたカジュに、懇々と上層部が涙ながらに説教をしたのは言うまでも無い、が。


「赤ん坊から目を離す大神が悪いんだろうが!しかも最後の奴、侍女に手渡してから動けよボケガァ!!」


 と、話を聞きつけた数少ない子供の居る上層部や上層部に準ずる者達に、逆に説教された。特に、子の居る上層部が一神、典晶の怒りっぷりは凄まじかった。

 家庭では子供を溺愛している彼は、カジュの事も実の娘の様に可愛がっている。


 小さなカジュを抱きながら、しばらく没収と言い放つ典晶に多くの者達が悲鳴を上げたのは言うまでも無い。


 そんな中、カジュだけが暢気に眠っていた。だが、自分達の姿を見た途端、しがみついて泣いてからだったが。


 可愛いカジュ。

 愛しいカジュ。


 あの娘が苦しまない様に。

 あの娘が幸せに生きられる様に。



 それぞれがそれぞれの立場で戦った。

 茨戯は、【海影】の長として、【皇宮】に悪意や害意を持って侵入する者達を抹殺した。そして、国に、皇帝陛下に仇なす者達を破滅させる為に諜報活動を始め、様々な部分に手を染めた。


 国を守る事は、カジュを守る事に繋がるから。




 茨戯は仮面を外すことなく、向けられる攻撃をかわしていく。そして、手に持った黒い鉄扇を開く。


「水刃の薔薇!!」


 茨戯の言葉に応じる様に、幾つもの水の薔薇が生み出される。その美しさに思わず見とれる者達も居たが、次の瞬間その薔薇は花びらに分かれ彼らを襲った。


 薔薇の花びらが、男達を切り裂いていく。


 あちこちで今までとは比べものにならない悲鳴が響き、花びらから逃げようとする。しかし、既に彼らは花びらに囲まれていた。


「逃がさないわよ」


 前も後ろも左右も上も、花びらが彼らを囲んでいる。


 このままでは嬲り殺しだ。


「このまま投降するなら命は助けてあげる。でも、拒否するなら」


 茨戯の言葉に、男達から躊躇う様な気配が感じられた。だが、例え投降して命が助かっても、仕事に失敗した者達の未来はない。


 男達が躊躇いながらも、神術を発動させようとする。


「残念」


 だが、それよりも早くに茨戯は男達の首を花びらで切り裂いた。中には結界が間に合った男も居たが、その結界ごと切り裂かれる。

 まるで豆腐を切る様に切り裂かれた結界ごと男も切り捨てられ、そのまま倒れた。


 凄惨な惨劇の場となった建物の屋根が血で染まる。しかし、すぐさま茨戯の命を受けた者達が音も無く忍び寄り、その遺体を回収する。残りの血は、茨戯が呼び寄せた雨雲から降り注ぐ大量の雨でもって消え、あっという間に惨劇の痕は消え去った。


「五分ーー思ったよりかかったわね」


 誰も住んでない空家の屋根を舞台として選び事を終えた茨戯は、自分の持つお気に入りの懐中時計を見ながら呟く。そして懐中時計の蓋を閉めると、背後に音も無く控える配下達に声をかけた。


「で、どうだった?」

「雇い主は、皇都内の貴族です。ただ、あの貴族は傀儡ですね」

「そうね。あれは地位だけの愚鈍な馬鹿。先祖はそこそこ、いえ、かなり優秀だけれど、子孫は馬鹿の典型例。先祖の功績で今も保っている様な現当主にそこまで出来るわけがないわ。まあでもーー【徒花園】の襲撃に関わった一派の一員ではあるだろうけど」

「下っ端の下っ端でしょう。自分は幹部だと嘯いてはいますが、まずありえませんね」


 配下の呆れた様な言葉に、茨戯がクスクスと笑う。


「それでも、馬鹿な行動をとらないという分別はあったと思うわ。何せ、今回の【徒花園】の襲撃の件については、こちらは完全に後手となったんですから」


 笑いを止め、表情を消した茨戯に配下達が静かに頷いた。


「別の場所の襲撃という囮にこちらはまんまとひっかかった。しかも、ひっかかざるをえない囮だからこそ、余計に腹が立つわ。囮だと気づいた時には、既に【徒花園】は襲撃を受けていた」

「それでも長様はすぐに駆けつけられました」

「駆けつけたでは後手よ。襲撃される前にその芽を潰すーーそれが諜報活動を担うアタシ達の役目であり、義務よ。アタシ達の諜報活動は、その為のもの。こちらに有利に物事を進める為の下地作りの他に、きな臭い事が起きる前にその芽を潰していく。それが出来なければ諜報員と言えないわ」


 御意、長ーー



 配下の、その中でも直属の側近と呼ばれる者達が一同に頭を下げる。此処に居ない者達の分まで。


「それに、まだ終わったわけではないわ」

「あらあら」

「まあまあ」

「おやおや」

「困った事ですなぁ」


 そう言うと、配下の者達がその場から消える。


「ったく、こっちに全部任せておけば良いってのに」


 しかし、何かしていないと落ち着かない事だけは理解出来た。茨戯は静まり返った場を後にした。






 朱詩は筆頭書記官や外交官にならなければ、軍師か将軍になれただろう。

 そう言われる程に、武芸や軍略の才に溢れていた。彼は大戦時代から直属の部隊を持ち、それを自由自在に動かし続ける。


 朱詩率いる部隊はそのまま、彼の下で働く書記官や外交官になった。と同時に、諜報活動専門となり各地に散らばる者達も居る。


 だが、それとは別に朱詩は新たな力を手にしていた。

 あの愚かな煉国が滅んだ後に救出し保護した元寵姫達。彼らは後に官吏や武官、その他王宮勤めとなった彼らは、それぞれの部署に配属された。

 彼らは基本的に上層部やそれに準ずる者達に深い敬愛と忠誠を抱き、それは正に心酔というレベルに達していた。


 ただ、それでもどちらかと言うと彼らは、朱詩に対して言葉に出来ない思いを抱いていた。


 元々、あの煉国の件では朱詩が一番先頭に立って自ら危険な場所に潜り込み活躍した。その際に、最も深く彼らと交流を結んだのも朱詩だ。


 そして彼らは知る。


 朱詩が、あの煉国が引き起こした惨劇で犠牲になった二神の女性の関係者だと。


 一神は死にかけたが生き延びたーーしかし両足を失い。

 一神は親しい者達に見守られる事もなく、たった一神で孤独に死に。


 それでも朱詩は煉国の犠牲になった者達の未来の為に仕事に打ち込み、既に亡くなった者達の弔いに走る。


 家族を失い残された者達の為に手を回し、頭を下げ、不自由しないだけの経済面の援助を与える為に走り回る朱詩の姿を彼らは見ていた。


 彼らにとって、凪という国は特別だ。

 その国を統べる存在ーー今は皇帝陛下と呼ばれる偉大なる主君、そして上層部とそれに準ずる者達もまた特別な存在だった。


 彼らにとっての絶対なる存在だと言える。



 けれど、それでも彼らが二つの派閥に上層部とそれに準ずる者達が別れた時に筆頭書記官に、朱詩に付いたのは、その言葉に出来ない感情ゆえだった。


 どちらかと言うと尊敬に近いだろう。

 だが、そんな単純なものではなかった。


 どうしてそんなに強くあれるのか。

 どうしたら彼の様に強くなれるのか。


 憧れーーそう言えば良いのか。

 いや、それすらも超越している。


 いつも飄々としながら、大事な物は決して見失わない。



 その姿に惹かれ、憧れ、不思議に思い、酔いしれた。



 それぞれに忠誠を誓う相手が居る。

 長い時をかけて、それぞれの部署の長に彼らは皇帝陛下や上層部、それに準ずる者達に対するものとは別に改めて忠誠を誓っていた。


 官吏として、武官として、それ以外の職種としても。



 それでも、それら全ての垣根を越えて、元寵姫という派閥は筆頭書記官に、朱詩の下に付いた。


 カジュの件に関しては。


 元寵姫という派閥は決して小さくはない。

 むしろ、凪帝国においては王国だった時から大きな一大勢力、強大な派閥へと成長していた。そんな彼らが二つに分かれた派閥の一つに入るという事は決して無視できない状況だ。その力は決して無視出来るものではなく、むしろ非常に警戒しなければならない大きな力である。


 だが、皇妃と宰相の派閥は、筆頭書記官側に元寵姫の派閥が入る事を邪魔する事もしなければ止める事もしなかった。


 彼らはただ見守った。


 そしてそれすらも向こうの予測の一つに過ぎないと分かった時、元寵姫達は上層部やそれに準ずるの達の恐ろしさを改めて思い知った。

 ただ、同時に納得も出来た。


 その底知れぬ恐ろしさもまた、元寵姫達を惹き付ける魅力の一つであったのだから。



 それに、皇妃と宰相は元寵姫達という派閥こそ手に出来なかったが、それ以外の派閥はしっかりと手にしていた。

 例えば、元神質達の半分は彼らの手中だし、【後宮】の勢力も今や完全に皇妃の手の中にある。【後宮】の中には皇妃に反抗的な者達も居るが、それらも皇妃にとっては使い勝手の良い駒にしか過ぎないだろう。敵だって毒だって上手に扱える超一流の策略家。


 敵に回したら恐ろしい皇妃と真っ向からやり合えるとしたら、筆頭書記官や【海影】の長を置いていないだろう。


 それに、元寵姫達の動きも大きく封じられる事となった。


 元寵姫達は元神質達をそれはそれは大切にしていた。たとえ自分の神質ではなくても、元寵姫達にとって元神質達を大切に守り慈しむのは共通の重要事項だった。

 それこそ魂に刻み込まれているぐらいに、息を吸う様にごく自然な事だった。


 また元神質達も元寵姫達を大切に大切に思っていた。大事で大切に守りたいと願っていた。


 だから、元神質達もまた動けない。


 そして筆頭書記官側についた元神質達と皇妃側についた元神質達同士だって仲が良く強い絆で結ばれた者達だった。


 ゆえに、元神質達の一部どころか半数を皇妃側が獲得した事により、皇妃側は自分達側の元神質達を動かせないが、相手の元神質達や元寵姫達という強大な勢力すら動けない様にしてしまったのだ。


 簡単に言うと相討ち。

 元寵姫達という派閥がもたらす影響力と無効化し、元寵姫達が加わる前の状態に戻してしまった。


 それでも、筆頭書記官達は全く動じず、皇妃達も穏やかな笑みを崩さなかった。


 とんだ役立たずであるーーそう恥じ入る元寵姫達も多かったが。



「君達がボクの大切な力である事は変わらない。それに、とっておきの手というのは、ここぞという時に使うものでしょう?」



 その言葉に救われた。


 この方の為ならば、自ら駒になろう。

 お前達は駒だと言われる事すら喜びにしかならない。


 そんな自分達は狂っていると言われるかもしれない。



 しかし、筆頭書記官の視界に入る事が許され、その視線を向けられる幸運に全身が震える程の喜びを感じる。

 命を捨てて全力を尽くす事すら喜びだった。



 元寵姫達は自分自身が嫌いだった。

 自分を形作るこの顔と体が特に大嫌いだった。


 それにしか価値がないと言われてきた過去が、激しく憎かった。



 けれど、この国に来て顔と体以外にも価値があるのだと自分達自身が認める事が出来た。そんな風に認める事が出来る時間と場を作ってくれた大恩ある方達。

 特に、筆頭書記官の為ならば、なんだって。



「貴方達まで巻き込んでしまうのですね」



 悲しそうに微笑んだ皇帝陛下の顔が脳裏によぎる事がある。


 申し訳ないと思う。

 心から謝罪したいと思う。


 あの方を悲しませる事は耐えられないとすら思った。


 それでも、どうしても譲れないものがあるのだ。



 それが皇帝陛下や上層部、上層部に準ずる者達を傷付ける事であれば耐えられないがーー幸いな事に、自分達のしている事はそれとは違う。



 相手を傷付けるのが目的ではない。


 ただ、譲れない願いの為に二つに分かれ派閥となったそれらにそれぞれが分かれて属していった。


 派閥に入れと強制されたわけではない。

 それでも、自分が入ろうとした派閥の目的に同調し、その派閥を率いる者の願いを叶えたいと思った。いや、自分がその願いを、目的を叶えたいと思ったから。


 だから、きっと最後まで自分達は自分達の望む願いを叶えるべく動き続けるだろう。



 あの、偉大なる筆頭書記官様の下でーー。



 脳裏によぎる皇帝陛下に許しを請いながら、それでも自分達は進み続ける。



 元寵姫達と呼ばれる彼らに迷いはなかった。





 朱詩が扇を動かす度に柄の先端から発射される糸が複雑な軌道を描き、獲物を屠っていく。その残酷ながらも美しい死の舞は、獲物となった者すらも魅了した。


「ふ、不用意に近づくな!!神術で攻撃しろっ!」


 その中でも一神、何とか冷静さを保った男が叫ぶ。

 それに応じる様に、他の男達が神術を練り上げる。


 幾つもの陣が朱詩に向けられる。



「水爆布陣っ」

「水槍散弾舞」

「烈水刃斬!!」

「水布縛呪ーー」



 四つの陣から放たれる術が朱詩を襲う。

 だが、朱詩は迫り来るそれらを扇を横に薙ぐ事で消し去った。


「なっ?!」

「我らの全力の神術をっ」

「例え全力でも口にしない方が良いよ?じゃないと油断も誘えない。いや、逆に相手の隙をつけるかーーああ、同じ系統の力を持つ相手同士の戦いってさ、ある程度は相手の力に干渉出来るんだよ。たとえ、【干渉】という能力を持っていなくても。【干渉】の能力者なら能力の系統関係なく【干渉】は出来るけどーー今は必要ないよね?」


 そうベラベラと話した朱詩の頭上に陣が現れる。



「水縛の檻籠」



 勝敗は一瞬にして決した。


 それを、朱詩に従い皇都に降りた元寵姫達の数神は見ていた。

 元寵姫達の中でも幹部ーー上層部に位置する玲珠、柳という青年達も。



 呼吸すら忘れる程に魅入るーーそれ程に美しい神術。その術は決して難しくはない。けれど、どんな術でも高位で実力のある術者であればある程、その術の完成度は高くなる。それこそ、芸術と謳うに相応しいものも。


 朱詩の放ったそれは正にその芸術だった。



「あ~あ、つまんない」



 扇の糸を一瞬で収納した朱詩は、その見た目は普通の美しい扇となんら変わりない自分の暗器を玩びながら溜息をついた。

 そんな彼の前には、水で作られた球体の檻に閉じ込められた男達が居る。


「もっともっとしぶとく逃げ回ってくれないとさ。ああ、出来れば皇都じゃなくて荒れ地とかが良いな。そうしたら、もっとたっぷりと遊んであげたのに」



 術者としても、超一流と謳われる朱詩は、今回は敢えて使用を控えた攻撃系の術を思い浮かべる。民達に被害を出さない為には使用出来ないが、荒れ地で誰も居ない場所であれば全力で撃っても何も問題は無い。


「ああ、どうせだから荒れ地にでも行こうか?そうしたら誰も五月蠅くなんて言わない」

「朱詩様」


 玲珠と柳が近づき、朱詩の後ろで傅いた。

 他の元寵姫達も慌てて後を追い傅いたが、彼らは玲珠や柳とは違い朱詩から放たれる凶悪なまでの色香に言葉を失っている。


 退廃的で淫猥で淫靡。

 気怠げでアンニュイな色香。


 全てを蝕み堕落させる様な蠱惑的な笑みを浮かべた朱詩は、正に彼の二つ名に相応しかった。



 どんな男達も傅き身を投げ出させる【女王】の一神が、そこには居た。


「ねぇ、もっと楽しませてよ?こんなんじゃボクは全然満足出来ない。それとも、シーツの上じゃないと駄目?」


 自分の術に囚われている男を一神、そこから引きずり出して囁けば背後で傅く者達が息を呑む。


「楽しませてくれない?」


 朱詩の声にうっとりとした顔をする男の顔が。


「ぎゃぁぁぁぁぁぁああっ」


 顔の皮が剥ぎ取られる。

 その見事だが、恐ろしい行為を平然と行なう朱詩に玲珠と柳が立ち上がろうとする。


「ねえ、ねぇ、ねえ」

「ぎゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」

「叫んでばかりいないでさぁ」

「あぎゃぁぁぁぁぁぁああっ!」

「五月蠅いって言ってんだよ」


 このまま喉を潰してしまおうーーそう決めて朱詩がその手を男の喉へと向けたその時。


「はい、おしまい」


 茨戯が朱詩の手首を掴んでいた。

 見た目からは想像も出来ないが、朱詩の手を掴む白い繊手が生み出す力は流石の朱詩でもすぐには振り払えなかった。


「手を離してよ」

「いやよ。というか、【海影】の長であるアタシに命令出来るのは陛下だけよーー基本的には」

「じゃあ実力行使か」


 朱詩は茨戯の腕を振り払うと、その美しい白い顔に手を伸ばした。だが、その手を綺麗に流され逆に地面に倒された。

 そのまま、仰向けに転がった朱詩の胸を茨戯は踏みつける。


「動いたら踏み潰すわよ?」

「踏み潰せば良いじゃん」

「はんっ!なに投げやりになってんのよ。ったく、そうやって何かあるとすぐに投げやりになる癖、どうにかしなさいよ?!」

「仕事はきちんとしてる」

「仕事だけでしょうが!それ以外の事に関しては、本当にアンタ、全部投げやりばかりなんだからっ!ほら、睨まないっ!」


 茨戯はガシガシと、その美しい髪をかき上げる。


「というか、これはアタシの職種領域だって忘れたの?」

「お前が悠長にちんたらしてるのが悪い」

「機を見て泳がしてたと言いなさいっ。ああもう、陛下にはしっかり冷静に説明出来たってのに、それが終わったら速攻でやさぐれてっ」

「単なるストレス発散」

「そこに使う労力をもう少し別の事に使いなさいよ。いくら陛下から直接向こうに乗り込む事を禁じられたからって」


 朱詩の纏う怒気が膨れあがる。


「陛下には陛下のお考えがある事ぐらい分かってるでしょうが」

「……」

「それとも、陛下の命令に背く?」

「……」

「出来ないわよね?出来る筈がないわ。そもそも、陛下が何故アンタを直接そこに向かわせなかったのかをアンタはしっかりと理解してるんですもの」

「……」

「待ちなさい、今は。そして、敵はあそこにいる奴等だけじゃない。【徒花園】の急襲の件、そちらの解決も大切な事よ。でないといつまで経っても【徒花園】は危険で、それこそ小梅達が戻ってきた時に戻れる場所がなくなってしまう」


 茨戯は朱詩の耳元で囁いた。


「【徒花園】の急襲事件はまだ終わってないわよ」

「……」

「アンタの出番はあるわ。だから、今は耐えなさいな」

「……耐える」

「そうよ」

「耐える、耐える、耐える」


 茨戯は壊れたスピーカーの様に朱詩の口から吹き出す言葉にも動じなかった。


「耐えて、耐えて、耐えて、耐えた結果何が起きた?」


 ああ、まずいと思った。

 茨戯は今更ながらにそう思う。


 今までであれば簡単に流せた言葉だからこそ、茨戯はそれを口にしてしまった。


 朱詩が、耐えるという言葉を激しく嫌っている事を。


 彼が耐えた結果、小梅に何が起きたかを。



 それは、あの果竪にも知らせていない事実だった。



 彼はそれを自分が泥を被る事で無かった事にした。

 それを公表さえすれば、それこそあの果竪だって朱詩を見る目が変わっただろう。


 本当に愚かな男だ。

 愚かで哀れで悲しい男だ。


 小梅に生きていて欲しい。

 死なせない為に、襲った。


 だが、それだって強引に婦女子の体を奪い強姦した最低最悪な男である事には変わりは無い。


 果竪に語った事はある意味真実だった。

 けれど、本当の真実はそれだけではない。


 死なせない為に強引に自分の物にして子を産ませるーーそう考えなかったわけではない。いや、実際に考えた。


 だが、本当は、本当はーー。



 【徒花園】に住まう住神達。

 彼らの半数は既に、小梅と同じ様な境遇に陥っている。


 その半数の者達が何故、力尽くでそうされたのか。

 何故、力尽くで彼らがそうしなければならなかったのか。


 そして何故、茨戯はそれをせずに済んでいるのか。




 お前はさーー




 ボロボロになった小梅を腕に抱きながら、朱詩は遠くを見つめたまま口を開いた。




 お前はこうならないで




 愛する女の体を強引に奪い、そして憎まれ続ける道を選んだ男は酷く悲しげに微笑んだ。その笑みを、茨戯は忘れない。絶対に、誰が忘れても茨戯だけは。



 住神達の中に何が眠っているかも知らされずに居る皇妃派達の為にも。

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