第26話
「あ~~……やっぱり僕も行くべきだったねぇ」
報せを聞いた修羅が【徒花園】に駆けつけた時、そこは燦々たる有様だった。前より酷くなっていた。住神達は皇帝陛下の駒達が守り切ったが、木々はなぎ倒され、草花は枯れ果て、地面は所々えぐれていた。
これどうすんだよ。
税金使って直せないから上層部の自費でやってんですど。
やらかした相手、殺す。
修羅は怯える住神達に気づくと柔らかな笑みを浮かべた。幼い住神は抱き上げ、その背中を撫でる。
「大丈夫、もう恐くないから」
そう言った修羅だがーー
「ふふーーごめん、嘘ついた」
修羅は近づいてくる怒りの気配にそっと息を吐く。
「恐い恐い鬼が近づいてきたよ」
その怒りの主は、朱詩だった。
本来居るべき筈の主が居ない。
がらんとした部屋は、他に比べてそれ程荒れてはいなかった。しかし、紫苑の両足から流れ出た血で床はどす黒く染まっていた。
その紫苑は鉄線に手当をされ、今はもう足に傷は残ってはいない。
鉄線はこちらに背を向けて立つ朱詩に震えながら頭を下げた。
「す、すまん、私のせいだ」
私が不甲斐ないから小梅を目の前で奪われてしまった。いや、それだけではない。カジュすらも奪われた。
「責任は取る。必要とあらば私の命を」
「お前の首を落としたら戻ってくるの?」
ガシッと鉄線の前髪を掴み、朱詩は自分の方に引き寄せた。紫苑が悲鳴を上げ、鉄線の助命を願う。
「ねぇ?お前の首を落としたら戻ってくるの?あの二神が戻ってくるの?ねぇ?ねぇ?!」
「そ、それは」
「なら余計な事は言わないで。耳が腐る」
そう言うと、朱詩は鉄線の髪から手を離した。よろよろと足から力が抜け、鉄線はその場に座り込む。
自分も上層部と呼ばれてはいるが、朱詩とはその能力は比べものにならない。
上層部でも下ーーかろうじて上層部と呼ばれているに過ぎないのだ。少し違えば、上層部に次ぐ【上層部に準ずる者達】に入っていた。
朱詩とぶつかれば、鉄線の首など簡単に落とされるだろう。
それ程に朱詩は強い。
本気で戦えば、武官達が束になっても敵わないのだから。
将軍クラスで何とか応戦出来るかで、大将軍でも無傷では済まない。
無傷で軽くいなせるのは、この国の皇帝陛下ただ一神。
「まあでも、もう少し鍛えないと駄目だね?」
朱詩がクイッと鉄線の顎を掴み上向かせる。その目は全く笑っていない。
「この失態、どうやって償う?」
「あーー」
「僕の可愛い鉄線を苛めないでよ」
場違いな程に明るい美声がその場に響く。鉄線の顎を掴んだまま、朱詩は部屋の入り口を向いた。
「ようやく来たのか馬鹿上司」
「言っとくけど、【徒花園】に到着したのは僕の方が早いんだからね。そしてしっかりと医師としてのお仕事もしてきました。ふふ、すっごい顔~」
修羅のツインテールにした髪の片側が風圧で靡く。
「怒りっぽい男は嫌われるよ?それに、女の子に優しく出来ない男も、ね」
「優しいよ」
朱詩は淡々と告げた。
「じゃなきゃ、顔面に膝蹴り入れてる」
その情け容赦ない内容に、修羅はげんなりとした。
「それは優しいとは言わないよ。まあ、愚かな女達に地獄を見せられてきたんだから仕方ないけど、うちの可愛い鉄線をそういった馬鹿達と同じにしないでよね。鉄線が汚れる」
「してないよ。当たり前じゃないか。鉄線があの女達と同じ?そんな事を考える事すら鉄線に失礼だ」
「そうそう。で、鉄線だって頑張ったんだからさ。じゃなきゃ、少なくともそこの紫苑は死んでたよ。呪いが発動したんだろう?」
「……」
「紫苑が死ななくて良かったよ。じゃなきゃ、小梅が正気に戻った時、どうなったか」
自分を許せず、彼女はまた死を願うかもしれない。
死を願う心がある限り、呪いは解除されないし、新たな呪いが巣くってしまうかもしない。
そうなれば、小梅は今度こそ死ぬだろう。
「小梅は死んでない」
「……」
「それは君にも分かっている事だ」
修羅は静かに告げる。
「しかも、呪いの動きが一時的に収まっている。それも、今までとは全く違う様子で」
今までにも呪いは収まってはいたーー表面上は。しかし、それは本当に表面的なもので、実際には呪いは遊んでいたのだ。
小梅の中から時折顔をのぞかしては好き勝手に触手を伸ばし、危険になりそうになればそれを引っ込める。それを繰り返し、周囲を引っかき回していた。
呪いは知っていた。
小梅が望む限り自分は決して彼女の中から引きはがされない事を。
小梅が決して死を望む心を無くそうとしない事を。
だから、呪いは好き勝手に振る舞える。
どんなに好き勝手をしても、自分を罰せられる者は居ない。
そうして無邪気な子供の残酷さを前面に押し出し、まるで虫の羽を引きちぎりその体を玩ぶかの様に呪いは思うがままに振る舞った。
それはもう単なる呪いとは言えない。
だが、朱詩達だって悪いのだ。
呪いがどんな事をしても、その尻ぬぐいや後始末ばかりで、強引に止めようとはしなかった。だから、増長した。
小梅は何も知らない。
無意識下で行なわれている。
そして止めようとすれば、呪いは小梅の記憶にその行いを深々と刻むだろう。
小梅を神質に取られている様なものだった。
何も出来ない。
きっと今回もそうなる筈だった。
なのにーー
「呪いを抑えたの、カジュだ」
鉄線は自分が見た事を伝える。
醜悪な邪気を放つ大蛇として姿を現したそれに睨み付けられながらも決して目をそらさず、それどころかカジュは逆に大蛇を圧倒した。
その時の様子は、鉄線すら震える程の恐怖をもたらした。
「……へぇ~~」
修羅は聞いただけなのに、冷汗が出るのを抑えられなかった。
一方、朱詩は忌々しげに舌打ちをしている。
「だからきっと、今も呪いを押さえつけているのはカジュだ」
「……でも、それならチャンスだよね」
今まで誰も押さえつけられなかった。だが、その呪いが恐怖に抑えられているならば、どうにかして小梅から呪いを引きはがせるかもしれない。
そう前向きに検討する修羅に対して。
「無理だよ。あの呪いは小梅が死にたいという気持ちに反応しその力を増す。小梅が死にたいという気持ちをどうにかしない限りは、絶対に離れたりなんかしない。無理矢理引き離したら小梅がどうなるかーーだから、何も出来なかった」
「そ、それは、そうだけど」
「……そもそも、どうして呪いは進行したの?」
朱詩は紫苑へと向き直った。
「……分かりません。ただ、いつもと違う様子に声をかけたら」
私が悪いの私が悪いの私が悪いの私が悪いの私が悪いの
そう呟き続ける小梅に、紫苑は恐怖を覚えた。だが、それでも侍女としての誇りが彼女をその場に踏みとどまらせた。そして、小梅に何があったかを聞きだそうとしたその時。
お前にはきっかけになってもらう
およそ小梅の口から出た声とは思えない、禍々しい声がそう告げた。
気づいた時には、紫苑は両足を刺されて血を流していたという。
「私ではどうにも出来ない、そう思いーー誰かを呼ぼうと思い、叫びました」
それに反応して来たのが鉄線だった。
同時に、その悲鳴は建物内に居た者達の警戒を強めさせ下手にその場に来させないようにする為の警告音でもあった。
功は奏し、紫苑以外の怪我神は出なかった。
ただ、小梅は歪みに引きずり込まれ、カジュもそれに巻き込まれてしまった。
「……今までそういった行動には出なかったのに、どうして」
修羅が小さな声で呟けば、朱詩は忌々しげに吐き捨てた。
「そういう行動に出られる条件が揃ったんだろう」
「揃ったって」
「呪いは所詮呪いだ。どんなに遊んでいて、それが楽しかろうと、呪いの目的は呪いを成就させる事。その為に機を伺っていた。遊びはその中での暇つぶしにしか過ぎない。そうして遊びながら、それでも着実に呪いを進行させ、発動させる機会を伺っていた。まあ、それが小梅を歪みに引きずり込むという行動まで引き起こすとは思ってはいなかったけど」
朱詩の頭の中が高速で回転する。
呪いは小梅を殺すものだった。
なのに、歪みに引きずり込むという行動に出た。しかもそれを阻もうとすれば攻撃されたという。
殺す筈なのに、その時は歪みに引きずり込む事が最大の目的といった呪いの行動。
では、歪みに引きずり込んで何をしたかったのか?
そもそも歪みというのは、引きずり込まれれば死ぬーーというわけではない。歪みに引きずり込まれた場合、特別な事が無ければ別の場所に飛ばされるのが常だった。
では、今回その呪いは小梅を別の場所に飛ばしたかった?
どこに?
朱詩の脳裏に嫌な予測が打ち立てられた。
「小梅に呪いをかけた奴は、誰だった?」
「え?それはあいつだろう?隣の領主の夫神に懸想し、強引に愛妾にしようとして小梅にボコボコにされたあいつが、術者を雇ってかけたーー」
「そう、小梅を殺したくて殺したくて仕方の無い奴。知ってるだろう?領主の夫神に懸想して愛妾としようとした時に、夫神の夫である領主には殺意を抱き、自分の手で殺そうと領主の身柄をも拉致しようとしていた。自分の手で、憎い奴を殺したがる奴が、小梅に呪いをかけたんだ」
当然、そうなるよね?
そう暗に告げる朱詩に、修羅と鉄線、紫苑は顔から血の気が引いた。だが、流石に修羅はすぐに立ち直った。
「ーーまあね」
呪いはただ小梅を殺すだけのものではなかった。
小梅を苦しめて殺すだけのものでもなかった。
あの男が満足する様に、あの男直々に小梅を殺すという欲望を満たす為に呪いが発動すると同時に彼女をあの男の下に飛ばす算段だったのだろう。
飛ばされたら小梅は逃げられない。
飛ばされなくても、小梅の体では逃げられない。
小梅は地獄の様な苦しみを与えられて殺される筈だった。
「でも失敗した」
修羅は淡々と告げる。
「修羅ーー」
鉄線が未だ青ざめたまま呼べば、修羅は艶やかに微笑んだ。
「小梅の気配は本当に小さいけれどーーでも、あの男の下には居ない。かなり近いけれど、あの男の手はまだ及んでない」
それは本当に細く掠れそうな気配ではあるし、あの男に近い所にあるけれど。
それでも、小梅の身柄はまだ男の手中ではない。
「男の領地に飛ばされたのに?」
「本当は男の前に飛ばされる予定だったんでしょう?それを思えば、確実に失敗だね。予定していた所に出なかったんだもの」
「それでもすぐに捕えられる」
「カジュが居るんだろう?それは無いよ」
修羅はあっけらかんとした様子で言った。
「そう、思えるんだ」
修羅にも何故か分からなかった。けれど、あの呪いが発動している場に乗り込み呪いと対峙し押さえつけた時のカジュの様子は聞いただけで冷汗物だった。
そんなカジュであればーーいや、きっとカジュの存在が呪いの目的の一つーーあの男の前に小梅を送るというのを失敗させたのだ。ならば、カジュが居れば大丈夫。
そう、思えてしまうのだ。
「……この【皇宮】どころか【後宮】から満足に出た事のないあいつが、見知らぬ土地で領主の手から逃げられる?本気でそう思ってるの?」
「逃げ続けるのは難しい。でも、その前に僕達が小梅達を助け出せば良い。神力使用制限中だった時は難しいけれど、今はそこまで難しい事じゃない」
「残念だけど、小梅達の所に直接飛ぶのは難しいよ。向こうも馬鹿じゃない。小梅達があの領地に居る事は分かっていても、変なフィルターで覆われていて上手く正確な居場所を捉えられない。しっかりと正確な場所が捉えられなければ転移出来ないし、向こうだってそれを予測して罠を張ってるだろう」
「なら転移は領地の外までにすれば良い。そこから侵入すれば良いだけだよ。それぐらい、君には朝飯前だろう?」
修羅の問いに、朱詩は黙った。
だが、程なく舌打ちをする様に、答えは決まった。
「陛下に報告してくるよ」
「鉄線、紫苑、君達も同行してくれ」
「御意」
「勿論でございます」
そうして、朱詩は鉄線と紫苑を引き連れて皇帝陛下の下へと向かい、修羅は呪いが放った邪気の影響を少なからず受けた者達の治療へと入ったのだった。
【徒花園】で起きた新たな騒動は、凪帝国上層部とそれに準ずる者達の耳にすぐに入った。殆どは、その報せが正式にもたらされる前に、独自の【耳】によって情報を得ていた。
大戦時代、それぞれが率いた直属の部隊はそれぞれ彼らの部下となり今も手足の様に働いている。と同時に、それぞれの部署で働く官吏や武官としてではなく、主に諜報活動を専門とする者達が居た。彼らは主の【耳】や【目】、【口】、そして【手足】となって働く。
それは国の諜報機関とは別枠の、それぞれ個神が有する諜報組織ーー言わば上層部それぞれが個神的に持つ財産だった。
彼らは今回も即座にそれぞれのルートでその情報を得た。
小梅の呪いが発動し、カジュと共に姿を消したーー
正確には、呪いとの関連の高い歪みの発生によってそこに引きずり込まれた。そして、その歪みが何故発生したのか、誰の思惑に寄るものなのか、そして今彼女達がどこに居るのかも彼らはあらかた推測した。それは、朱詩の推測とほぼ合致していた。
「朱詩はいい気味だわ。でも、小梅が関わっているのであればそうも言ってはいられないですわね」
明燐は優雅に自室の椅子に座りながら、扇を玩びながら呟いた。
「だから、小梅に害意を持つ相手は皆殺しにしなさいと言ったのに。本当に甘い男ですわね」
「そこがあのお方らしいではないですか」
「まあ燕桜ーー貴方、朱詩に優しいわね。ふふ、特別な気持ちでもあるのかしら?」
「ご冗談を。そもそも、小梅様とやり合うつもはありませんわ」
クスクスと袖で口元を隠しながら微笑む燕桜の姿は、大貴族の姫君にも匹敵する気品に満ちていた。
「それにしても、ようございました」
「何がかしら?」
「カジュ様が行方不明と聞いた時、私は姫様が心配でなりませんでした。どんなに心を痛められるかと」
正確には爆発するかだが、そこは言わないでおく。
「ふふ。腸は煮えくりかえっているわ。もし、居なくなったのがカジュだけなら私はこうしてはいられなかったでしょうね。でも仕方ないわ。だって、小梅が関わっているんですもの」
生きる事を諦め、死を切望し、誰の言葉も受け入れようとしなかった大事な仲間。大戦時代から共に苦楽を乗り越えてきた彼女は、今まで築き上げてきた全てを拒絶した。
その姿は、あの娘ーー涼雪にそっくりだった。
いや違う。
涼雪が小梅に似ているのだ。
「……とにかく、小梅の事だわ」
「一刻も早く、小梅様達の身柄を保護しなければ」
「既に手の者は向かわせているでしょう。けれど、向こうも馬鹿ではない。それに、呪いをかけた術者達も居るのですから、事は慎重に動かなければ。全くーー死に損ないのくせに」
明燐がクスクスと扇で口元を隠し微笑む。
「まるでゴキブリ並だわ」
「姫様の言う通りですわ」
「そもそも、奴等のせいで朱詩が暴走して、【徒花園】に小梅を放り込み現在の様な【徒花園】になるきっかけを作ったのですから、諸悪の根源はあいつらという事になりますわね」
「それだけではございませんわ。獅子身中の虫もいますもの」
「大神しくしていると思えば、余計な事ばかりーー本当に愚かども達だわ。まあ、【後宮】に関しては私の監督不届き。それに関しては責任は取りますわ」
後宮を統括する皇妃の地位に居る明燐は、月の光も恥じらう様な輝く笑みを浮かべた。
「それに、最近オイタをしている子達も居ますしーーここらで少し厳しく躾をするのも必要でしょうしね」
「それには及びませんわ、姫様」
「それはどういう事かしら?」
明燐は扇を畳むと、その先で燕桜の細い顎を持ち上げる。
「今はまだ泳がせておきましょう。あれでいてなかなか狡賢い。少々小賢しい者達であれば良いですが、どうせなら纏めてご退場願った方が宜しいでしょう。それには、餌はしっかりとした物が必要ですわ」
「ーー燕桜」
明燐の顔から笑みが消える。
「その餌、誰を示しているの?」
燕桜は微笑んだ。
「それが後々、あのお方の為になるのです。そもそも、姫様はあのお方を表の世界に引き出したのでしょう?」
「当たり前ですわ。そもそもあの子は表の世界で生きるべき存在。輝く日の光の下で生きる事こそあの子に相応しい生なのですわ」
「ですがそれを望まぬ者達が居る。ああ、それは筆頭書記官様達の事ではございません。あの方達は表の世界で生きる事を望まずとも、カジュ様に幸せになって欲しいと思われているのですから。ですが、あの害虫達は違う」
醜い権力争いを行ない、自分が寵愛される為ならばどんな手段でもとろうとする。それこそ、相手が不幸になろうが死のうが関係ないのだ。
皇帝の妾妃として送られて来たからには、皇帝の寵愛を得なければならない。それを目的として入って来ているのだからある意味当然である。
だが、それでも許されない事をした者達が居た。
燕桜は忘れない。
ひっそりと【後宮】の片隅で生きるカジュの事をどこで知ったのかーー。まあ隠しては居なかったけれど、皇帝陛下に寵愛される事なく権力争いに加わる事もなく捨てられた花に目を付け、戯れに踏み荒らそうとした今はもう居ない妃達。
カジュはその事を覚えていない。
けれど、自分達は覚えている。
まだ幼いカジュの住まう離宮に手の者を侵入させ、寝ていたカジュに襲いかからせた。彼女達は単なる暇つぶしで行なっただけだろう。羽虫の羽を引きちぎり、猫が鼠をいたぶる様に弱者を玩ぼうとしただけだろう。
だが、それが皇妃ーー明燐の逆鱗に触れた。
後に、それを知った上層部全員の逆鱗に触れたが、それよりも早くに明燐がその妃達を始末した。それも後々禍根を残さぬ様に綺麗に社会的に抹殺してからの行動は上層部すら震え上がらせた。
燕桜はその際に明燐の【手足】となって動いた神物である。
そして、男達に襲われ寸での所で逃げ延びた彼女を一番最初に見つけたのも燕桜だった。
かろうじて服を纏い、顔を殴られ足を切られ、恐怖で言葉も出ずに呆然と立ち尽くすカジュを燕桜は抱きしめた。
その時、彼女がする事はいかに主である明燐に冷静さを失わせないようにしながら状況を報告するかだった。だが、燕桜はそれをしなかった。
あんな愚かども達など、全員死んでしまえば良いのだ
燕桜はボロボロのカジュをそのまま明燐の下に連れていった。その後に起きた事は、予想通りだった。
「お前は明燐の侍女だ。そのお前が明燐を止めずに暴走させるとはどういう事だよ!!」
そう怒鳴る朱詩に、燕桜はーー
「あの様な馬鹿どもに生きる価値などありませんーー全員死ねばいいのよ!!」
冷静沈着で、時には主の暴走を我が身を呈して止め、諫言も辞さない燕桜とは思えぬ物言いに、その時ばかりは流石の朱詩も言葉を失った。
「何故あんな馬鹿達の命まで考えなければならない?!ああ、他国からの貢ぎ物だから?!ふざないでよ!!何が良家の姫君よ!凄いのは家じゃない!自分達はただの小娘のくせして!!いいえ、たとえ自身が凄かろうと、国を背負っていようと!!」
燕桜は朱詩に掴みかからんばかりに叫んだ。
「幼い娘に戯れ遊びで男達をけしかけて、ただ楽しみの為だけに性的暴行させようとする馬鹿に生きる価値なんてないっ!!死ねばいいのよっ」
最後までカジュに対する謝罪の言葉なんて無かった。むしろ、カジュのせいでと怨嗟の言葉を吐き続ける彼女達に、燕桜は容赦しなかった。
「それとも何ですか?襲われれば良かったんですの?カジュがあの獣達に遊び半分で殴られながら玩具にされたら良かったと?!【最初のカジュ】と同じ様に馬鹿の玩具にされれば良かったの?!」
絞り出すような狂おしい問いに、朱詩の瞳が見開かれる。
それは、朱詩の心だけではなく燕桜の心すらズタボロにした。
そうーー【最初のカジュ】に起きたその非道で悪夢の様な仕打ち。そうして命を失った時から、この狂った連鎖は続いているのだ。
「それに、そもそもこうなったのは筆頭書記官様達のせいではありませんか」
「なんだと?」
「気づきもしませんの?ええ、ええ、そうですわよね!!それとも考えないようにしているだけでしょうか?ですが言わせて貰いますわ。今回の事は、もしカジュが警備の厳重な場所で手厚く守られていれば防げた筈ですもの!そう、もし【皇妃様の宮殿】で生活していればっ!!」
「たかが最下位の妾妃が【皇妃の宮殿】で生活なんか出来るわけがないだろう?それこそあり得ない」
「カジュを最下位の妾妃にしたのは誰のせいですか!!」
燕桜は今度こそ朱詩に飛びかかった。無礼だろうと何だろうと構わなかった。
「姫様は、明燐様は何度も懇願したではありませんか!!カジュを、カジュ様を自分の宮で育てたいとっ!!なのに、貴方達はカジュ様を強引に奪い取った!!そして、あんな【後宮】の片隅の寂しい場所で暮らさせたっ!しかもある程度の年齢になれば仕える者達を引き上げさせてっ」
「そうしなければとっくの昔に目についてたさ。妾妃達のねっ」
「それでも今回の事が起きた!!いえ、本来であればもっと昔に起きていてもおかしくはありませんでしたけれどね!!ですが、それも姫様のお側に居れば、姫様の傍に居ればあんな思いはさせなかった!!なのに、貴方はあんな事があったにも関わらず、姫様からまたカジュ様を奪った!!」
更に【後宮】の外れの地へと追いやったこの男。
今回の件で、一時的に皇妃の下で保護をーーそういう流れになっていたにも関わらず、泣き叫ぶ明燐から朱詩はカジュを奪い取ったのだ。
そのせいで明燐はショックを受け、伏せってしまっている。
「どうしてカジュ様を奪うのですっ」
「……それが、カジュの幸せの為だからだ」
「何が幸せですか!!襲われたではないですか!!下手すれば殺されていたではないですかっ!!」
燕桜は涙を堪え、朱詩を追及する。
「貴方様達は確かに素晴らしいお方ですわ!でも、でもカジュ様の事に関しては違う!貴方様達の方法では、あの方は幸せになんてなれないっ!!」
そう叫んだ時、一瞬だが朱詩の瞳に迷いが生じたのを燕桜は見逃さなかった。だが、そこを突く前に朱詩は体勢を立て直し、そして燕桜を最終的に屈服させてしまった。
憎いと思う。
カジュの事に関してだけは、許せないと思う。
それでも、あの時迷いが生じた瞳を見た時、燕桜は自分の中に浮かぶそれを消し去る事は出来なかった。
分かってる。
心のどこかでは分かっているのだ。
あれ程、カジュの幸せの為に同じ方向を見て共に戦ってきたのだ。
なのに、いつしか立ち位置は変わってしまっていた。
カジュを挟み、対極の場所に立つ二つの派閥。
明燐と明睡を筆頭とする派閥。
朱詩と茨戯を筆頭とする派閥。
カジュを幸せにしたいーー
その願いは同じ。
なのに、その為に取るべき手段は全くの正反対で、やる事なす事真っ向からぶつかりあった。
互いに譲れない。
譲りたくない。
譲ろうとすら思わない。
それでも……
あの迷いを見た時、思った。
話し合えないのか?
もう自分達はわかり合えないのか?
共に手を取り合い、昔の様に一つの目的に向かって協力し合えないのか?
カジュに関して以外はそのままなのに。
全て昔通りで、協力し合い、互いに笑いあい励まし合う。
その背中を預け、信頼する仲だと言うのに。
どうしてーー
だが、結局あれからもいがみ合うばかりだ。
どちらかが譲らない限り、自分達は元には戻れない。
いや、譲ったとしても、本当に元に戻れるだろうか?
燕桜の中に迷いが生まれそうになる。
それを、燕桜は切り捨てた。
迷う度に切り捨てる。
そうでなければ歩けない。
そうでなければ動けない。
迷えば迷うほど、大切なものが守れなくなる。
「姫様、どうか冷静にお考え下さい。カジュ様を光の下に引きずり出すのであれば、それこそ大掃除が必要となります。あの方に害意を抱く者達を一神たりとも【後宮】に残さない為にも」
「カジュを餌にしろと言うのね?」
「大事の前には小事などとは申しません。しかし、あの方が光の下で幸せに過ごす為に必要な事なのです」
「……その通りだわ」
明燐は小さな声で呟いた。
本当は明燐だって気づいていた。
誰を餌にすれば、最も効率よく掃除が出来るかを。
だが、気づいていても口にしたくはなかった。
実行したくはなかった。
カジュが少しでも傷つく方法などーー
「ーー今更ね」
「姫様」
「ふふ、おかしいわ。だって私は既にあの子が傷つく方法を選択しているんですもの」
【徒花園】の襲撃がそれだ。
下手したらカジュが死ぬ恐れだってあったのだ。
そこまでしているのに、今更カジュが傷つく方法などとれない?なんと身勝手で愚かな思いだろう。カジュだけではない。【徒花園】の者達全員を傷付けたのだ。
そればかりか、明燐は見なかった事にして哀れな罪神を造りあげた。
「最高の餌に仕立て上げましょう」
「姫様……」
燕桜には分かっていた。
本当は自分が餌になりたいと明燐が思っている事を。
その方が余程楽だ。
大切な者を、大切な者達を策略に利用するぐらいなら。
けれど、明燐では餌にはなれない。
「ただし、やるからには徹底的にあぶり出すわ。そう、もう二度とーー私に逆らおうなどという気すら起こさせないぐらいに」
「御意」
燕桜は深々と頭を下げた。




