第23話 後悔と新しい未来
明睡は走っていた。
長い長い道を、暗闇の中を走り続ける。
息が切れ、足がもつれ、何度も走れなくなりそうになりながらも彼は走り続けた。そしてようやく、遠くに見えた小さな光に彼は何時しか口元に笑みを浮かべていた。
あそこに望む物があるーー
光はどんどん大きくなり、明睡はその中に飛び込む。
視界が一気に変わる。
そこは、明睡の良く知る場所だった。
荒い呼吸を吐きながら、それでも明睡は向こうに見える存在に向かって歩き出した。
「ーー涼雪」
その名を呼べば、こちらに背を向けていた彼女がゆっくりと振り返る。涼やかな顔立ちに、柔らかい微笑み。
明睡はその笑みを見る度に、心に積もる澱が消えていく気がした。
「涼雪」
また一歩近づいた明睡だが、そんな彼を制する様に涼雪が片手を前に出して明睡を止める仕草をする。
「涼雪……」
「ーーー」
ゆっくりと目を伏せた彼女。
明睡は叫びたかった。
これは、あの日の再来。
いや、正確には違う。
景色も、場所も、何もかもがーー。
だが、涼雪の手の中に光るものが見え、明睡は制止の言葉を叫ぼうとした。だが、それよりも早くに涼雪は自分の首をーー。
血飛沫が空の蒼を染めたーー
ガバリと勢いよく飛び起きた明睡は、自分が執務中にいつの間にか眠ってしまった事に気づいた。目の前に詰まれた未決済の書類の数はそれ程変わっていないので、長く眠っていた訳では無い。
室内には、明睡しか居なかった。
しかし、部屋の外には中の主を守る様に複数の気配が感じられる。
元々眠りは浅い方だった。
萩波に拾われる前からで、上層部やそれに準ずる者達にはそれ程珍しいものではない。すぐに動けるように、たった数分の熟睡で体を回復させる事が出来るーー言わば長年で培われた能力、いや、一種の才能の様な物だった。
ほんの僅かな物音、ほんの僅かな気配でも目覚める。
この能力のおかげで、自分を狙う愚かな者達を明睡は悉く葬ってきた。
そんな明睡にとって、今回は自分が予想しない程に熟睡していたと言えた。
しかも、その夢はーー。
「……涼雪」
彼女は何を思って自分達の、自分の傍に居たのだろう?
彼女が本気を出せば、明燐は確実に連れ攫われていた
明燐が連れ攫われれば、他の者達の動きは確実に止められた
なのにーー
「貴方が居なければ良かったのにーー」
美しかった
涙を流しながら、微笑むその姿は。
その美しさに魅入られた明睡は一瞬動きを止め。
悲鳴が響き渡る。
明燐の絶叫。
朱詩が息を呑み、茨戯が慌てて指示をする。
修羅が彼女に駆け寄り、鉄線が応急処置をし。
他の上層部達が忙しなく動き、そしてーー。
馬鹿なお姫様!!涼雪は、ずっと私のお神形。お前達を手に入れる為に私が放った刺客だったと言うのにっ!!
笑い声が響く。
醜く、いやらしい笑い声が。
だが、これで私はお前達を手に入れられる!!自ら来てくれたのだからなっ!!
手に入れる為?この穢らわしい身を?
その為に、彼女をーー。
一族の者が生き残っていたと喜んだ彼女を、お前は。
はは、これで私が凪国の王ーーなっ?!ま、まさかっ!!あの、あのゴミがっ!!
「……俺が、あの時、お前の手を離さなければ」
よくある話だ。
大切な者が二神、どちらも死にかけていた。
片方を助ければ片方が死ぬ。
明睡は助けたーー自分の妹を。
そして涼雪は落ちていった。
生きていたのは奇跡だった。
だが、再び自分達の前に現れた彼女は、その心の中で不信という名の芽を息吹かせていたのだろう。
自分を見捨てたくせに、空々しく再会を祝う男の言葉を誰が信用出来るものか。
彼女が自分を助けてくれた、しかも同じ一族の相手に心を傾け、彼の望みを拒めなかったとしてもそれは果たして彼女の罪だろうか?
自分を助けてくれた恩のある相手。しかも、大事な一族の生き残り。
そしてその生き残りがターゲットにした相手は、自分を見捨てた男だ。
「馬鹿なお方。私はずっとずっと貴方の事が」
涼雪がニコリと笑う。
ニ ク カ ッ タ ノ ニ
彼女は最も残酷な方法で自分の心に傷を残したーー
「という事で、貴方はこれから私付きの侍女として」
果竪はビシっと指を突きつけた。
「この世界を大根で満たすお仕事をするのです!!」
「え?」
元葵花付き侍女であり、罪神として裁かれるのを待っていた彼女は果竪の下に引き取られた直後、そんな無茶ぶりをされた。
「その為にはまず大根に関する勉強から始めなきゃならないわ。だから、この大根百科事典を」
とりあえず、無視しようーー
【徒花園】に仕える者達は決断した。そして果竪を無視して、元葵花付き侍女へと駆け寄っていく。中でも一番早かったのは、小梅付きの侍女である女性だった。
「花里!!」
彼女の名を呼んだ女性が、花里を抱きしめる。体を縮こまらせた花里は、その優しい抱擁に目を見開いた。
「花里、花里っ」
「紫苑……」
「馬鹿、馬鹿よ貴方はっ!!」
心配や悲しみが怒りになったかの様な、けれど優しさを含んだ言葉に花里は自然とその言葉を紡いでいた。
「……ごめんなさい」
「花里」
「ごめんなさい、私の、せいで」
傷付けたかったわけではない。
この【徒花園】に住む者達を傷付けたかったわけではない。
守りたかったのだ。
その為に、【徒花園】を破壊する。
なのに、結局自分のした事を、【徒花園】だけではなく、そこに住まう者達すらも危険な目に遭わせてしまった。
下手したら死んでいた。
いや、死ななくても恐ろして恐い目に遭わせた。痛い思いをさせた。苦しい思いをさせた。
花里は泣いた。
今になってようやく、自分のしでかした事の恐ろしさを思い知ったのだ。
今更泣いても許されない。してしまった事はもう取り返しが付かない。それでも、花里は泣いて詫びた。
「傷、つける、つもりなんて」
傷付けるつもりなんてなかった
謝罪の言葉なんて聞きたくもないだろう
それでも、花里は謝り続けた
それは心からの叫びだった
助けたかった
守りたかった
あの呪われた未来から、呪われた現在から解放したかった
大事だったのだ
大切だったのだ
泣いて欲しくない
苦しんで欲しくない
もう、【徒花園】の住神達は死ぬほど苦しんだではないか
体に重たい障害を負い、そのせいで偏見を受け、蔑まされてきた
そんな住神達がようやく自分らしく穏やかに生きられる場所だった筈だ
なのに、【徒花園】は新たな檻でしかない
住神達を蔑み酷い仕打ちをする場所
許せないと思った。
憎いと思った。
尊敬し忠誠を誓う者達が相手だからこそ、裏切られたと思った。
だが、花里がしなければならなかったのか、侵入者達の手引きなどでは無かった。
この命をかけて、この首をかけて、上層部に諫言するべきだったのだ。
そうすれば、少なくとも命を失うのは花里だけだった筈だ。
陛下は、皇帝陛下は【徒花園】については何も言わない。それは黙認しているという事だ。だから、最高権力者が黙認しているという事は、【徒花園】で起きている事はこの国で認められている事だと言える。
諫言した所でーー
そんな思いに支配されそうになる。
けれど、それでも声を上げるべきだった。
結局、花里も同じだ。
声を上げず、出来る事をせずに文句ばかり言って、そしてとんでもない方法を選択してしまった。
「確かに許されない事をしたかもしれない。でも、私達も貴方を暴走させるのに手助けをしたようなものだわ」
自分達が見なかった事に、聞かなかった事にし、ひたすら口をつぐみ続けた。その結果、花里の声すらも黙殺し押さえつけた。
そうして起きた悲劇。
互いに、自分達の思いを伝え合った。
起こしてしまった事、起きてしまった事はもう消す事は出来ない。それでも、それを反省する機会はしっかりと残されている事、そして共に罪を償っていく事を紫苑達は花里に伝えた。
「……ごめんなさい」
いつか、この命を彼女達の為に捧げようーー
花里は心に強く誓った。
その後、【徒花園】の住神達も花里の帰還を喜んだ。葵花に至っては、花里にしがみついて離れなかった。
傷つき苦しみ殺されかけた恐怖は、確かに花里によってもたらされたものだ。だが、彼女が自分達を助けようとして起こした事を知り、また元々の彼女の神柄 を知る者達は絶対に何か理由があるのだと確信していた。そして、彼女がそもそも手引きをするきっかけとなったのが、弟を神質に取られたという事を知り、切 れた。
花里の弟を攫った者達に対して。
そして普段は温厚な住神達は
「復讐しよう」
鬱憤たまってるんだなぁと、仕えている者達は思った。
「ってか、花里さんも綺麗なのに弟君ばかり綺麗綺麗美しいって!!そこは花里さんも攫うべきでしょ!!いや違う!攫ったら駄目よ!!」
「というか、そもそも花里さんの弟を攫う事が腹立たしいわっ!!」
「そうだ!!一度殴らないと気が済まないっ」
「じゃあ、私の愛する艶めかしい大根軍団による襲撃」
果竪も両手を挙げて宣言すれば
「それは止めとく」
その場に居た全員の心が一つになった。
「なんで?!大根軍団は最強ですよ?!一万からなる大根軍団の素晴らしい」
「いやぁぁぁぁあ!夢に出てくるからやめてぇぇぇぇっ」
「世界が大根に埋め尽くされるレベルだろっ」
「たかが一万で埋め尽くされたりなんてしませんっ!!」
やる気だ。
こいつやる気だ。
絶対にやる気だ。
「とりあえず、新しい【徒花園】の構想を練ってあるんです。見て下さい、この素晴らしい大根庭園をっにょぉぉぉぉぉぉぉぉぉっ!!」
傍に居た住神の一神が果竪の手にあった構想図の書かれた紙を奪い取った。
「流石だ!!」
「凄いぞ!!」
「そのまま逃げ切るぞっ」
「返してえぇぇぇぇぇっ!!」
とても障害者とは思えない速さで四散するその場に居た彼らの後を果竪が追いかける。
「……私、鍛え直さないと」
「そうね」
あの方に仕えるのであれば、足の速さと体力は必須である。
「……」
「葵花様……申し訳ありません、ずっとお仕えするとお約束したのに」
葵花は首を横に振った。
「……」
「……ありがとうございます」
例え、自分の侍女じゃ無くなっても自分は花里の事が好きだーーそう伝える葵花に、花里の瞳からまた涙が零れた。
そんな彼女達を、離れた場所から見守る二神が居た。
小梅と涼雪だ。
彼女達も花里が助かった事を心から喜んでいた。そして、小梅は同時に苦しみを覚えていた。なぜなら、自分が朱詩に強いられていた行為が花里を苦しませる原因の一つとなってしまっていたのだから。自分のせいで花里を苦しませ、この様な行為に走らせてしまった。
そうでなければ、花里は罪神と呼ばれる事は無かったと言うのに。
「小梅ちゃん」
「……」
花里が手引きをしたーーそれを聞いた時、本当に驚いた。だが、結局蓋を開けてみれば、自分の存在が彼女の神生を狂わせたのだ。
「花里さん……幸せになって欲しいわ」
「……なれますよ、絶対に」
自分達に親身になってくれていた花里。
自分達を守ろうとして、助けたいと、解放したいという願いが今回の騒動を引き起こした。それは決して許される事ではないが……それでも、彼女を自分達は許したい。
誰が許さなくても、自分達だけは。
いや、自分だけはーー。
当たり前じゃない
小梅の脳裏に、それは響いた。
だって、本当の罪神は彼女じゃなくて貴方だもの
「っ?!」
この、声はーー。
小梅は目を見開き、何かを口にしようとしたが、唇は震えるだけで声にはならなかった。だが、小梅は知っている。この声を。
なぜなら、今までにも何度も、何度も、何度もーー。
声は囁く。
目を瞑り耳を塞ぎ、それでも決して逃れられない。
貴方は罪神
彼女はただの被害者
だってそうでしょう?
声はケタケタと笑う。
今回の事も全部、貴方が引き起こした
貴方の存在が罪なき女性を破滅させた
そうでしょう?
ぬるりとした手が、小梅の頬を撫でる。
耳元で囁く声が、滴る毒掖の様に小梅の体を支配していく。
「あーー」
貴方のせいで
貴方のせいで
分かっているじゃない
気づかないふりをするのは卑怯
忘れているなら思い出しなさい
そう
一番の罪神は
死ぬ筈だったのに生きた
カジュの命を喰らって生き延びたこの
「私ーー」
ぬらぬらと長い舌で小梅の頬をなめ回しながら、それは囁く。
そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう、そう!!
お前は罪神
罪神、罪神、罪神、罪神、罪神、罪神、罪神、罪神、罪神、罪神、罪神、罪神、罪神、罪神、罪神、罪神、罪神、罪神、罪神、罪神、罪神、罪神、罪神、罪神、罪神
何故生きて
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
お前が生きたせいで
お前が生き延びたせいで
死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね
それはもう一神の自分。
小梅が無意識に罪から、自分が生きている事を肯定しそうになる度に出てくるもう一神の自分。だが、今回は自分の生を肯定なんてしなかった筈なのに。
いや、小梅は気づかなくても無意識に思っていたのかもしれない。
生きたい
自分は生きたい
自分は生きていても良いのだ
そんな風に、穢らわしく、図々しく思っている事にすら気づかずに願って。だから、そんな自分を叱咤する為に、自分の罪から逃避する事を許さないと言うように、もう一神の自分が現れたのだ。
清く正しいもう一神の自分。
自分なんかよりも余程、現実をしっかりと見つめる自分。
誰よりも物事を公平に見通す断罪者。
ああ、その通りだ。
お前は生きすぎた
そうだろう?
だから、こんな事が起きた
よく見てみろ
お前のせいでこうなった
罪なき少女はお前のせいで、罪神に身を落とした
お前がきちんと死んでいればこうはならなかった
お前が死んでいれば、この【徒花園】はそもそもこんな風にはならなかった
【徒花園】と呼ばれる事すらなかった
お前が全ての始まり
お前が全ての元凶
可哀想な少女
可哀想な【徒花園】の住神達
可哀想な上層部
可哀想な陛下
可哀想な、カジュ
ああ、全てお前のせいで周囲は狂っていく
お前が生きているせいで
死ねよ
もう一神の自分が指を指し、小梅を断罪する。
死ねよ、死ぬべきだ、死ね、死んで、死ね、死んじまえ、死んで、死ねよ、死んで、死ね死ね、死にやがれ、死んじゃって、死ねばいい、死ね、死ね、死ね、死ね、死ね!!
ああ、その通りだわ
「小梅ちゃん?」
「なあに?涼雪さん」
俯き黙ってしまった小梅の姿は見えずとも、様子のおかしい友神の様子に気づいた涼雪は恐る恐る声をかけた。そんな涼雪の耳に、いつも小梅の声が聞こえてくる。だが、そこに感じた微かな違和感に涼雪は気づいた。
「小ーー」
「本当に、彼女が戻ってきてくれて良かった」
そう言ってハラハラと涙を流す小梅に、涼雪の感じた違和感は消えていく。なぜなら、彼女を心配して涙を流す小梅からは真実しか感じられなかったからだ。
「ーー小梅ちゃんが泣いていたら、あの方も心配してしまいます」
「それぐらい嬉しいんですから仕方ないです」
そう言って笑う小梅は本当に、本当に美しかった。
そしてその美しさに涼雪は惑わされる事となる。
一方、小梅もまた気づく事は無かった。
罪神ーーは、自分一神では無い事を。
罪 神 は 裁 か れ る べ き よ
驚いてもそれを顔に出してはいけませんよーー
表情豊かな果竪を、萩波は好ましいと褒め称えた。けれど、王妃として在るならばそれではいけないと説明した。
表情もまた、王族にとっては武器なのです。
その笑み一つで国を傾けた寵姫や寵妃が居た様に
その泣き顔一つで多くの国々を手玉に取った女王が居た様に
その怒り顔で数多の国を震え上がらせた王が居た様に
そして、渦巻く怒りや憎悪を笑顔の下に隠して望みのものを手に入れた策士家が居た様に
地位や身分が高ければ高い程、その言動一つが命取りになるのです
陰謀渦巻く化かし合い
各国の王族が集まれば、よりそれが顕著となる
自国の有利になる様に事を進める為には、どんなものだって利用する
それは貴族達も同じだ
いや、国によっては貴族達の方が上手な国だってあるだろう
だが、果竪が知る国々の多くは一番王族が上手だった。
果竪は王妃に戻るつもりだった。
王妃なんて辞めたい
王妃になんてなりたくなかった
王妃なんてなかったから
そう思い王妃を辞める事に命をかけていた事もあったけれど
王妃に戻る
そう決めたからには、果竪は王妃として相応しい能力を身につけようと思った。そして実行に移した。悔し涙を流し、血反吐を吐く様な思いで努力し続けた。
プライドも何もかも粉々にされて、それでも歯を食いしばって頑張った。
それでも全然足りない。
凪国という巨大で強大な国の王妃として在り続けるには、何もかもが足りなかった。
だが、時間は待ってはくれない。
常に努力、努力、努力。
努力しても報われない事の方が多かった。
それでも、努力しなければ報われる機会すら得られない。
果竪はあの学校に入ってから、自分が今までいかに恵まれていたかを思い知った。甘やかされ、真綿にくるむようにして大切に大事にされてきたかを痛感した。
と同時に、自分が期待されていない事も、ただそこに居るだけで良いというお神形として求められていた事をより実感した。
王妃は王と共に国を治める共同統治者だ
国によっては王妃に権力が無い所もあるけれど、凪国は違う。
むしろ、凪国は建国当時からそうだった。
だが、余りにも果竪が無能過ぎて、誰も王妃が王と共に国を治める共同統治者だなんて思わなかった。知っても、この無能な落ちこぼれ王妃の場合は無いだろうとすら思われていた。
よく果竪が王妃になれたと思う。
いや、王妃で居続けられたと思う。
むしろ追い落とそうとしていた者達の方が正しいとすら思った。
だが、いくら正しくても、果竪が王妃として在ると決めたからには、追い落とされては困るのだ。
その為には、努力だ。
血反吐を吐こうが、倒れようが努力し続けるしかない。
努力、努力、努力ーー
一般教養や学問から始まり、貴族子女、王妃に必要な知識と教養を学ぶ。それ以外に、王と共に国を治める共同統治者に必要な、または王が居ない間の統治者代行者として必要な知識と教養も学ばなければならなかった。
それだけではない。
学問以外に、武術だって必要だった。必要であれば軍だって動かすし、戦地で軍を率いて戦う必要だってあった。
また、個神的に強くなる必要だってある。
神力が弱い?
神力が無い?
一神では神術が使えない?
だからといって、神術の勉強をサボっても良いのか?
そんなわけがない。
数多の系統の神術を学んだ。
初級から中級、上級、超上級関係なく、段階を追って学んでいった。
寝る暇も惜しんで術の書にかじりつき、発動の呪は諳んじられる程に、陣は目を瞑っても描けるぐらい描いて描いて描きまくった。
それぞれの術の特徴、効果、弱点と頭に叩き込み、実際にその術を目にして体に叩き込んだ。
同時に、術の怖さも体に叩き込まれ、その上で使い方によっては多くの利益をもたらす神術の素晴らしさを知った。
どんな物でも、使い方によっては素晴らしくも恐ろしくもなれる。
物事には全て二つの面があるのだから。
そうして果竪は努力し続けた。
その中で、果竪は萩波に言われた表情を自由に操る技術も学んでいった。萩波や上層部達に比べれば卵の殻がついたヒヨコぐらいのレベルだが、それでも果竪は努力した。
その成果は見事に出ていただろう。
果竪は、この世界で小梅と初めて出会った時にもその表情を崩さなかった。
小梅の体に幾重にも巻き付く、その黒い蛇の様な物を目にしながらも。
「神を呪わば穴二つ」
【徒花園】の片隅を散歩しながら、果竪は謳うように口にする。
呪い系統の物も果竪は学んだ。
学んだが、実際には知識としてあるだけで使った事は無い。
それでも、自分に、自分が守りたい存在にそれが向けられた時に知識があった方が対処がしやすい。もちろん、知識があるだけで全てに対して対処が出来るわけではない。それでも、知らなかったからで済ましたくはない。
知っている事が足枷になる事だってある。
だが、それでも果竪は学ぶ事を望んだ。
どんな知識だって貪欲に吸収する。覚えられなければ何度だって叩き込む。
時間は待ってくれない。
残された時間は僅かである。
今も自分の帰りを待ってくれている者達に報い為にも。
果竪にとって大切な祖国の未来の為にも。
そして、今この時も国を支え続ける萩波や、上層部の仲間達を支え助ける為にも。
果竪は学び続ける。
沢山学んで、実戦を経て経験を積み、そして己の力とする。
そんな果竪だからこそ、一目見て気づいてしまった。
「……いや、正確には私の目でさえ見えるぐらいに」
呪いは着実に力を蓄え、その牙を肌に突き立てる機会を狙っていたのだ。そしてそれは今も小梅に絡みついている。
だが、下手に引きはがす事は出来ない。
小梅はその呪いを受け入れてしまっている。
小梅の心が受け入れた事で、呪いの根はより深い部分にまで張り巡らされている。
強制的に引きはがす事は出来るが、やれば小梅は確実に、今度こそ死ぬだろう。そればかりか、呪いに魂を奪われ転生すら出来なくなる。
呪いの蛇は果竪を見て笑った。
嗤ったのだ。
その時、果竪は顔色一つ変えなかった。変えずに、その裏で嗤った。
私を甘く見た事を後悔させてやるーー
朱詩が呪いに気づいていないわけが無かった。それも、小梅の命を奪いかねない呪いを。
だから、きっとその呪いも関係があるのだろう。
常に考えろ
考える事をやめるな
考えて考えて、無駄でも良いから
常にあらゆる予測を立てろ
果竪の担任の言葉である。
そう、考えなければならない
頭は常にフル回転
相手を出し抜くにはどうするか
勝利を勝ち取る為にどう動くべきか
相手は果竪に喧嘩を売ったのだ
ならば、果竪はそれを買うまでだ
見なかった事にすれば小梅は死ぬ
でも、それはこの世界への過干渉にならない?
果竪の中でもう一神の自分が囁く。
貴方は散々この世界を引っかき回した
この世界に無視できない影響を与えた
そのせいで、貴方は後悔し涙した筈
恐れ戦いた筈
自分を戒めようとまでしたじゃない
なのに、また同じ事をするの?
【徒花園】での事もそう
貴方は何度も自分を戒めようとしながら同じ事をする
本当に、学習能力のないおバカさーー
「それでも構わない」
果竪はもう一人の自分へと言い放つ。
「例え、世界に多大なる影響を与えたとしても、すぐそこに助けられる命があるのに何もせずに見殺しにするのを選ぶくらいなら私は動く」
【徒花園】の事で、ある意味吹っ切れた部分もあった。もちろん、それでも迷い悩む部分もある。
だが、それでも果竪は何度だってそれを選ぶだろう。
「例え何度問われても、私は小梅ちゃんを助ける。それが傲慢と言われるものだとしても」
果竪は高らかに宣言する。
その姿は、正に一国の、大国の王妃に相応しい威厳に満ち溢れていた。
それをただ本神だけが気づく事は無いが。
「それにーー小梅ちゃんを助ける事、すなわち呪いを潰す事は、私が向こうの世界に戻る為には必要な事だもの」
果竪は、自分の中のもう一神ーー呪いの種によって生み出されたそれに対してきっぱりと言った。
「私に呪いの種を埋め込んだのは失敗だったね」
果竪はくすりと嗤って自分の胸に手を当てた。
小梅の呪いに気づいた時、その呪いに喧嘩を売られた時、呪いはまるで遊ぶように果竪へと触手を伸ばした。
その時も果竪は表情を変えなかった。
満面の笑みを浮かべた内面に、流石の呪いでさえも気づかなかった。
それはまたとない好機だった。
それが原因で帰られないーーそんな理由付けを向こうから作ってくれたのだから。
だから、これ以上影響を与えない様にする為に少しでも早く帰る為にも、その原因を取り除く必要がある。そしてその原因たる呪いの根本は、小梅にあるのだ。
ああ、なんという幸運、僥倖。
「私はーー」
果竪がそれを口にすると、あっさりと彼女の中の呪いは消滅した。元々、本体とは既に切り離してはあったので、最早個別の存在となっていた呪いは、消滅した事すら本体に連絡出来ない。
「ーーでも本当に呪いが消滅したか、影響が出ないかは分からないし、また新たに呪いを受けないかも分からないよね?呪いの本体がある限りは」
だから、無事に元の世界に戻る為にも【呪い】の根源は消さなきゃねーーそんな屁理屈を笑顔でこねながら、果竪はカラカラと笑い声を上げたのだった。




