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第21話 宰相兄妹の不覚、果竪の企て

 兄の帰還に、凪帝国が皇妃ーー明燐はいつもの様に自室で出迎えた。美しく華麗な妹の出迎えを受ける明睡の表情は柔らかく、二神が寄り添う姿は最高の恋神、いや夫婦の様ですらあった。

 兄お気に入りの花茶を侍女に注がせながら、明燐は兄と向かい合ってテーブルに着いた。


「そのお顔では何か予想外の事がありましたのね、お兄様」

「ーー俺のお姫様には敵わないな」


 兄の表情にこれといった変化は無い。しかし、その中に潜む微かな違和感をかぎ取った妹は艶やかな笑みと共にそれを指摘した。


「葵花付き侍女が、葵花の侍女から解任された」

「まあーー」


 明燐は驚いたと言わんばかりに声をあげるが、その目は笑っていた。


「当然の事ですわね。あれだけの事をしでかしたんですもの」


 この帝国の皇妃に相応しい、慈愛と慈悲に満ちた笑みだった。だが、朱詩辺りが見れば「女狐」と言い放っただろう。

 だが、多くの者達はその笑みに「ああ、なんと心優しい皇妃様なのだ」と感動し、彼女の心を憂えさせる全てを取り除く為に全力を尽くすだろう。


「まあでも、弟君を神質に取られていたのですから、処刑にまでは行かないですわよね?よくて、追放処分ーー辺境の地での強制労働ですか」


 刑罰を予想する明燐はまるで歌うように告げる。それは、全てを見通す巫女の様にすら見えた。


「けれど、彼女は本当に清く心根の優しい子ですわ。悪しき風習の漂う偽りの楽園に心を痛め、そこをつけ込まれたのですもの。絶対不可侵の箱庭と歌われ、厳重な警備の下、安全と言われていたにも関わらずーーまあ今回の事でその弱さが露呈されましたものね。いえ、安全だからこそ必要と言われていたのですから、 今回の件で安全ではないと分かった今、【徒花園】の存在意義は無くなったも同然ですわ」


 クスクスと笑う明燐は本当に艶やかで可憐だった。


「しばらくは混乱が続きますが、それも直に収まりますわね。大丈夫、【徒花園】が無くなり行き場を失った者達もすぐに新しい場所に受け入れられますもの」


 それが決まり切った未来だと言わんばかりの明燐に、明睡はーー首を横に振った。兄の行動に、明燐はキョトンと首を傾げた。


「お兄様?」

「失敗だ」

「ーーはい?」


 兄が失敗という言葉を使うのは珍しい。いや、どんな時でも勝利をもぎ取り、また勝利に繋がる道を確保してきた兄にとっては「失敗」などという言葉は存在しない。

 だと言うのに、兄は「完敗」に近い結果だと言わんばかりに溜息をついている。


「【徒花園】の存在は今後も残る」

「……はい?」

「【徒花園】の焼け落ちた施設については、早急に立て直しが図られるそうだ。皇帝陛下の勅命で再建が行なわれる。【徒花園】の住神達はそのままそこに住み、仕えている者達も基本変わらない」

「……あの様な事があったのにですか?」

「一度の失敗で【徒花園】を不要と切り捨てるには暴論だと言う話が出た」

「……朱詩ですの?」


 いつも、いつもいつも自分の行く手に立ちはだかり望みを潰してくれる上層部仲間。背中を預けられるだけの信頼と同時に、自分の前に立ちはだかる事に対する憎悪という二つの相反する感情を抱く相手。

 茨戯だって、修羅だって、他の者達に対してもそうだが、朱詩はその派閥の筆頭であり、主に明燐と直接やりあう代表格という事もあって、向ける感情は筆舌に尽くしがたいものがあった。


 あの男であれば、納得出来る。

 だが、今回あの男の愛しい相手も危険な目にあったのだ。暴論うんぬん言うには冷静さが足りない筈だった。そこを一気にたたみかける予定だったというの にーーあれでいて、こちらの予想以上に冷静だったのか、それとも愛しい相手が危機に陥ってもそれ程揺らがない冷酷さを持ち合わせていたのか。


「言ったのはカジュだ」

「…………はい?」


 明睡は溜息をつきながら説明した。



 今回の件の被害者に属しながら、彼女は適確に敵を退け、いつの間にか張り巡らせた結界によって多くの命を救った。

 その功績による褒賞が皇帝陛下の名の下に「どんなものでも」授けられる言質をいつの間にか取っていた。


「褒賞自体は、不自然なことではない」


 実際、誰が見てもその働きは褒賞に値する。


「そしてカジュは、その褒賞として今回の件で手引きをした侍女の身柄を要求した」

「……それは、どういう事ですか?」



 今回の一件に対して、彼女が動き出す様な予兆はあったんです。ですが、それを私達は「たいした事はない」と黙殺してきました。今回の件は、そのしっぺ返 しのようなものです。私達が彼女の悩みに寄り添い、その悩みに対して真摯に対応していれば、弟君が神質に取られたとしてももっと別の対応が出来た筈です。 彼女は確かに許されない事をしました。ですが、彼女をその行動に走らせたのは、私達【徒花園】の者達です。私達が目を瞑り見なかった事にした事で彼女は一 神悩み、そして罪を犯した。

 これは私達全員の罪であり、私達もまた償わなければならないものです。

 そして私達は彼女に対して謝らなければならない。許されるならば、彼女と共に罪を償いたい。私達は誰も彼女の処刑は望んでいません。彼女の悩みに寄り添い、共に生きたいのです。



「……何ですか、それは」


 カジュが皇帝陛下、そして刑吏達の前で話した【徒花園】の総意の言葉に、明燐は言葉を失った。


「実際、【徒花園】の住神達、そして仕える者達にも聴取したがーー同じ事を言っていた。自分達の代わりに、カジュが自分達の言葉を伝えに行ってくれたと涙 ながらに話をしていたそうだ。止められなかった事、罪神の悩みを黙殺した事で、弟を神質に取られても誰にも相談出来ないといった空気を生み出した自分達に こそ罪があると」

「そ、そんな戯れ言をっ」

「【徒花園】の総意は、罪神たる侍女を罪神として認めない。彼女が罪だと言うのならば、被害者とされた自分達が裁くという事だった」

「お兄様!!その様な事が許されるわけがありませんわよね?!」

「普通ならそうだ。だがーー」



 事件は秘密裏に処理される筈だった事が敗因となった。

 それには明睡も加わっていたから、今更手を加えて公開する事は出来なかった。


「それに、【徒花園】だけがいらないではなく、【徒花園】の住神全てを厄介者としている者達に不用意な発言をさせる機会を与えてしまうかもしれないからなーー今回は退くしかなかった」

「っ!!その様な愚かども達の発言など、重きに置かれませんわっ」

「だが、見えない溝が増えれば、後々根幹を揺るがす事にも繋がりかねない。数の力は恐ろしい。例え小さい虫食いとて数が増えれば大樹すら倒しかねない」

「……それで、それを受け入れたという事ですか」

「ああ。それもとんだ美談として世間に公布される。弟を神質に取られ犯罪の一端を担わされながらも、大切な主達を守る為に命をかけて侵入者達に一矢報いよ うとした運命に翻弄された悲しき女性として侍女は扱われる。もちろん処罰はされるさ。あの侍女が何よりも大切にしている主の侍女を解任される。代わりにーー」


 続く言葉に、明燐は眩暈すら感じた。


「カジュの侍女として採用される。表向きは、評判の悪い最下位の妾妃付きの侍女となる事は、誇り高い存在にとってはそれだけで罪になると」

「ふざけた事をっ!!」

「だが、一理ある。表向き、最下位の妾妃の評判は最悪だ。誰も彼女付きになりたくないと言わしめる程に」


 本来被害者である者達からの懇願。

 その者達からの「罪には問おうとは思わない」発言。

 罪に問うならば、その予兆を知っていて放置した自分達も罰せられるべきだという意見。


 そして、今回の件で活躍した最下位の妾妃の望む褒賞。


「それに、今回の件を大々的に罪に問うには、罪神が何故そんな事をしたかも周囲に報せなければならない」

「そこは情報操作でなんとでもなる筈です。それに、【徒花園】が【妓院】扱いされている事に関しては、大々的に公開はしたくない筈ですもの」

「本来はな。だが、それに対してもカジュは言ってくれたよ」


 そもそも、そういう風に【徒花園】が呼ばれる事をしていたんだから、自業自得でしょうが!!


「……なんという事を」

「それに対して、あの朱詩は項垂れた。他の奴等もグッサリと来たんだろうさ。はっ、当然の報いだな」

「……お兄様が朱詩の立場であれば同じ事をしたのでは?」

「……」

「まあ、確かにその通りですわね。……となると、今回の件は完全に失敗ですか」

「いや、道筋はつけてある。少し時間を置いての再挑戦だ」


 明睡はそう言うと、クスクスと笑う。その笑みは、まるで新しい玩具を見つけた子供のようだった。


「玩具は面白ければ面白い程、潰しがいがある」

「お兄様、カジュを傷付けては嫌ですわ」

「分かってるよ、お姫様。ただ、手癖の悪い悪戯っ子にはお仕置きが必要だろう?」


 明睡としても、別に不必要にカジュを傷付けるつもりはない。いや、必要があっても傷付けるつもりは無かった。ただ、彼女が二度と悪い事をしない様に教え込むだけだ。


「本当ですの?本当にカジュを傷付けたりはしませんの?」

「酷いな、俺のお姫様は。この兄の事を疑うのか?」

「そう言って、よくカジュを泣かせていたお一神にいつもランクインされて」

「あれはワザとじゃない」


 明睡は断言した。

 あれはワザとじゃないんだ。


「カジュのお気に入りのぬいぐるみを直そうとして、中に対神迎撃レーザーを仕込んだ事もありましたわね」

「……」

「あれで知らなかった茨戯が撃たれかけて、本気で反撃した事でぬいぐるみが破壊され、カジュが吹っ飛びましたわよね?」

「……」

「それで、驚いた鉄線がカジュを守ろうと術を発動させたら、丁度別の術を発動させようとしていた修羅と力がリンクして、それはそれはとんでもない事態に」

「しない、ならない、やらないからっ」

「お兄様のしない、ならない、やらないは信用なりませんーーカジュ限定で」


 どれだけカジュの事に関して信頼が無いのか?


 確かに、カジュのぬいぐるみを破壊した明睡は上層部と言う名の信頼する仲間達に激怒された。もちろん、ちりぢりになったぬいぐるみはきちんと縫い直したーーなんかつぎはぎだらけになって、某ホラー映画に出てくる縫製後ばっちりの人造人間そっくりになってしまったけど。


 ただ、カジュはそのぬいぐるみをとても大事に持っていてくれた。

 大事に大事に。



 カジュ、居なくなったんだーー




 呆然としながら、修羅が手にしたぬいぐるみ




 それから暫くした後、カジュはーー始まりのカジュは変わり果てた姿で見つかった




 外さなければ良かった、迎撃システム。

 そしたら、あんなクズなど一瞬でーー。




「大丈夫だ、今度こそーー」



 付けていても、死んだではないかーー



 何度も、何度も



 明睡は自分の中で嘲笑う声を無視する。



 最後のカジュは何をしても駄目だった。

 自信が無く、いつもオドオドビクビクして、他神とまともに視線も合わせられない落ちこぼれ。

 なのに、今のカジュは相手と正面から目を合わし、自分の意見を堂々と発言し貫く。そして、見事に今回の件では褒賞ものの働きまでしてしまった。


 侵入者にも、【魔獣】にも引けを取らない別神の様な、カジュ。



 明睡の唇の端が持ち上がる。



 ああ、ああ、やはりーー



 それも確かめる為に引き起こした騒動は、見事に明睡の思惑通りの成果を出した。



 いや、まだ言い逃れられる。

 だが、少しずつ着実に逃げ道を塞ごう。



「俺のお姫様、お前の願いはこの俺が必ず叶えよう」



 明睡は明燐の頤を持ち上げ、愛しそうにその米神に口づけをした。







 宰相の立ち去った後ーー。

 明燐付きの侍女ーー燕桜は静かにそれを見守った。


 ザクザクと美しい装飾の為された短刀でクッションを切り裂く皇妃。その姿すら美しく気品に満ち溢れていたが、きっと彼女でなければそれは成立し得ないものだろう。

 そして、その行為が神ではなく物にだけ向かうのは、皇妃自身の凄まじい自制心と自戒心に寄る物だ。


「ああ、憎らしい憎らしい」


 明燐はこみ上げる憎悪を持て余していた。


「お兄様と私の邪魔をした全てが憎くて呪わしいわ」

「姫様の仰るとおりですわ」


 燕桜は心からそう述べた。


「朱詩は、あの派閥は一度痛い目を見るべきなのよ。ああ、いつもいつも私達ばかり我慢させられてっ!!ずるい、ずるいわっ!!」


 明燐は大きく腕を横に薙ぎ、クッションを真っ二つに切り裂いた。


「忌々しいーー忌々しくて愛しい、愛しくて、忌々しい……ああ、本当に腹立たしいわ」


 共に大戦時代をくぐり抜けてきた。

 幾つもの戦いの中、背中を預け合い、苦楽を共にしてきた仲間達。

 明燐は朱詩に、朱詩は明燐に背中を預ける事も多かった。


 長い時を共に過ごし、夢に向かって共に走り続けた。


 明燐は、そして朱詩も言うだろう。


 相手は信頼出来るべき仲間か?と言う問いに


 もちろんだーーと



 そう、信頼出来る仲間だ。

 苦楽を共にした親友だ。


 朱詩達の派閥も、明燐達の派閥も元は一つだった。

 同じ集団として、萩波に忠誠を誓った大切な仲間だ。


 だが、だからこそ、許せない事がある。


 カジュの事に関しては、それだけは相手の言い分を受け入れられない。


 何故、自分達が諦めなければならないのか?


 何故、相手方の意見は通るのか?



 大切にして何が悪い。

 守りたいと思って何が悪い。



 今度こそ、次こそ上手くやる。

 それで十分ではないか。


 その為に、明燐は必死になって努力し続けた。今もずっと、毎日欠かさず絶え間なく努力を続けている。自分を磨き、数多の種類の力を蓄えてきた。


 全てはーー



 ねーたま



 光り輝く花畑の中で笑う愛しい子の姿が見える



 最初は、萩波の為だった。

 自分達をどん底からすくい上げ、生きていても良いのだと、生きたいと思わせてくれた萩波を今度は自分達が助けたい。

 【本物の果竪】を蘇らせる事は無理でも、彼女と同じ細胞、同じ肉体を持った存在を生み出せばきっとーー。


 けれど、いつしか【本物の果竪】の身代りとしてではなく、自分達にとって【唯一の存在】として、その子は愛しいと思うようになった。


 絶対に失えない。

 もし、【本物の果竪】と引き替えになんて言われても、絶対に拒否する。【本物の果竪】はもちろん手に入れる。けれど、愛しい子も絶対に手放したりなんてしない。


 あの子が幸せになってくれるなら、それで良かった。

 彼女が【本物の果竪】とは違う存在に、萩波を支えられなかったとしてもーー。


 あの子があの子らしく生きていける、それだけで十分だった。



 愛しいーー



 その感情を教えてくれた、奇跡の子



 育てるなんて出来る筈が無かった自分達。

 何度も悩み、失敗し、思い通りになない事に困惑した。けれど、それら全てひっくるめても、愛していたのだ。



 だから、力が欲しいと願った。



 一神、また一神と失う中で



 今度こそ、今度こそ



 強い力が欲しい

 大きな力が欲しい

 必要か不必要かは関係ない

 ありとあらゆる力をこの手に



 明燐は、明燐達は努力し続けた

 それは、朱詩やその派閥も一緒だ


 互いに励まし合い、どんな苦しみも辛さも乗り越えてきた



 同じ方向を見ていた筈だ



 同じ未来を夢見ていた筈だ



 あの子を守りたい



 その為に、力が欲しい



 着実に、確実に、自分自身を鍛えて磨き、周囲の力も確実に取り込んでいった。



 あの子を守る揺り籠となる国も帝国へとのし上げていった。


 今度こそ、あの子が幸せになれるように。

 偉大なる皇帝陛下の下で、何不自由なく、何の苦しみも辛さもなく、あの子が笑って生きていける様に。



 それだけを願って、明燐は、明燐達は歯を食いしばり歩き続けてきたのだ。なのに、その前を、共に同じ方向を見てきた筈の、同じく努力し力をつけてきた筈の朱詩達が、立ち塞がる。


「どうして、なんですの」

「姫様」

「同じだったではありませんか……同じ、同じ未来を見て、共に励まし合って……」



 同じ道を進んでいたはずなのに、いつの間にか違う道を歩いていた。そして今では、真っ向からぶつかり合う仲となった。



 互いに譲れない願いと望みの為に、退く事は出来ない。



「絶対に、絶対に負けませんわ」



 誰だろうと自分達の望みを阻む者は許さない。


 例え、それがカジュ自身だろうと。



「負けません事よ」



 阻もうとするならば完膚なきまでに叩きつぶしてくれる。

 自分達の願いを、望みを、潰させてなるものか。



「姫様の手に勝利を」

「ふふ、ふふ、あはははははははっ」


 笑う明燐に、燕桜以下侍女達は忠誠を誓うかの様に頭を下げる。自分達は、主である明燐と共に。



 彼女の望みを叶える為ならば、どんな手段だって問わない。



 そうーー



 カジュを喪い、絶望に囚われた自分達がこうして今、前を向いて生きていられるのは、明燐が生きる希望を与えてくれたからだ。



 カジュを幸せにする



 それを阻むものなど、許しはしないーー








「少し考えれば分かる事だよ」


 この、色々と想定外ーーいや、常識外の存在は謳うように言った。


「【徒花園】の警備は、それこそ【後宮】ーーううん、正確には皇帝夫妻の居住を守るのに匹敵する程のレベルだった。それは実際に中を歩いて見て分かったわ」


 ただ大根畑だけを作っていたのではないのだと、言外に彼女が告げる。


「それ程の強力で厳重な警備の【徒花園】の中に、本来であれば外からの侵入はあり得ない。それなのにそれが起きたのは、そのあり得ない何かが起きたという事。普通に考えれば、予想は二つ。警備に問題が起きたか、それとも手引きする者が居たか。前者は皇帝陛下に何かが起きたという事になるし、そうなればあんな程度の騒ぎじゃすまない。けれど、それは無かった。となれば、消去法で手引きした者が居るという事になるわ」


 果竪はそう言うと、その考えを聞いていた朱詩と茨戯に対してにっこりと笑った。


「またあの時点ーー侵入者達の撃退を始めた時には、誰が手引きをしたかなんて分からなかったわ。でも、【徒花園】の住神という可能性は低かった。なぜな ら、住神達は厳しい監視の下に置かれている。自由で居る様に見えて、その自由は【徒花園】の中でのみの事。となれば、住神に仕える者達の誰かーーそれで考えてみたの。何故手引きをしたのか?その根源となるものは何か?」


 憎しみ?それともーー


「憂いて?」


 果竪は考えた。


「憎しみとするならば、住神に対してのものと【徒花園】そのものとなる。また、憂いの方もそう。どちらも、対象は二つのうちのどれか。ただ、住神に対して の憎悪の可能性は低いわ。だって、皇帝陛下に忠誠を誓い、厳しい選抜をくぐり抜けてきた方達なんだもの。当然、住神に対して悪感情を持っているかどうかは厳しく審査される。そして実際私が見てきた神達は皆、憎悪とは逆の感情抱いていた。そうーー言うなれば、深い深い庇護欲と愛情。まるでひな鳥を包み込む親 鳥の様だった」


 だから、住神に対しての憎悪という考えは消えた。


「そしてそれさえ消えれば、後は一つに纏まる。そしてーー」



 果竪が見た光景。



 【徒花園】を【妓院】だと叫び、そこに住まう者達は全て【男娼や娼妓】同然なのだと言い放ったーー。


「住神を大切にしている神達にとって、【徒花園】が【妓院】だなんてう噂は当然侮辱。しかも実際に【男娼や娼妓】扱いなんてされていれば、侮辱どころか許しがたい現実だよね?それも、自分達が決してどうにか出来ない恐れ多い上層部様なんだもの」


 少しだけ嫌味を含めば、朱詩がギロリと睨んできた。茨戯は小さく溜息をついている。


「住神を、主をそれはそれは大切にしている者にとって、その扱いは許せない。でも、自分では何か言う事も止める事も出来ない。また、その厳重な警備から逃がす事も出来ない。当然、【徒花園】という鳥籠を憎むようになる筈だよ。そしていつしか、【徒花園】という鳥籠が無ければと思った筈。もちろんそれで全てがどうにかなるわけじゃない。でも、住神を取り囲む籠さえなければーーそう考えてもおかしくはない。そして、その考えを実行しようとする者が出て来たって おかしくない」


 【徒花園】を憎んで。

 【徒花園】とその住神達を憂いて。


「そんな中で、【徒花園】を壊してやると言われたら、乗っちゃうよね。それさえなければ、大事な神を守れると信じてしまっていたら」

「それだけで済む筈が無いと思っても?」

「思わなかったんじゃない?ううん、思いたくなかった。そもそも、弟さんを神質に取られていたんだもの。その時点で色々と思考が停止していた筈。そんな中で、自分の中にずっと燻っていた部分を突かれた。【徒花園】を破壊するーー自分が願っていた事が現実となる。それだけで、もう住神達が自由になるとーーそんな風に先走った考えをしてもおかしくはないよね?」



 誰だって弱い部分がある。

 今回の手引き者も、そして果竪にだって。



「でも、そんな風に彼女が思うまで追い詰めたのは、筆頭書記官様達だよね?」

「……酷い言い草だねーー何も知らないくせに」


 吐き捨てる様に言う朱詩に、果竪は艶やかに微笑んだ。


「そうね。でも、もう少し扱い方を考えるべきだった。例え何も言わずとも見ている神達は見ている。何も言えなくても、その扱い方一つで伝わるものがある。けれど、全ての者達に言葉がいらないわけじゃない。言葉で言わなきゃ伝わらない事だってある」


 果竪は真っ正面から朱詩を見た。


「感情論だと切り捨てる?所詮は綺麗事だって。結構!!綺麗事だろうがなんだろうが、私は大きな声で言い続けるよ。だって、それをしなかったせいで私は沢山」



 傷つき後悔したのだから



「言わなきゃいけない事を言わなかった。言わずにおけば良かった事ばかり口にした。そしてすれ違って、沢山沢山傷付けあった。後悔した。だから考えたわ」


 どうすれば良かったのか?

 どうすればそうならなかったのか?



 もちろん、感情だけで、綺麗事だけで全てが上手くいくなんて思ってはいない。

 しかし、勝てば官軍、負ければ賊軍という言葉ではないが。


 言い続ければそれが真実になるかもしれない。



 考え方が違う者達なんてそこら中に居る。

 けれど、同じ様に考えて居る者達が居ないわけでもない。


 そういった者達を探して、似た様な考えの者達を取り込み、そしてその考え方を大きく流布させればそれは単なる感情論でも正論でもなくなる。



 ただ闇雲に喚いていても駄目なのだ。


 果竪はそれを、沢山の経験をする事で学んだ。



「で、その結果、今回の件でいち早く功績を挙げて皇帝陛下直々に褒賞を賜る様にしたって事?しかも、多くの命を救ったんだ。並大抵の褒賞じゃ割に合わない」

「そうだよ」


 手引き者が居る。

 それも、住神に仕える者達の誰か。


 そこに考えが行き当たった時点で、果竪はより確実に褒賞を賜れる道を選択した。より多く、より一神でも救い、侵入者を倒し、【魔獣】を退ける。


 その結果、果竪の思い通りに皇帝陛下はその働きに見合った褒賞を授けると言ってくれた。


「欲しいものをただ欲しいと喚いていたって、誰もくれやしないもの」


 果竪が本当に欲しい物は何一つ与えてくれなかった過去。

 それが欲しいのなら、戦わなければならなかった。


「だから、それを得る為に戦ったのよ。軽蔑する?命を駆け引きに使った事を。そして、取引にした事を」

「ーーいいえ、それでこそ官僚よ」

「ありがとう」


 茨戯の称賛の言葉に、果竪は晴れ晴れとした笑みを浮かべた。


「ま、そういう事で、私が小梅ちゃん達の所に行かなかった理由の一つはそれだよ」


 住神に仕える誰かが手引き者ーーいや、葵花の侍女だとどこかで予想していた。だから、その彼女を自分の手元に引き寄せる為には、葵花にだけかかずらってはいられなかった。

 住神と仕える者達の関係性はある程度知っていた。

 特に、葵花の侍女は葵花をとても大切にしていた。



 あの光景を見ただけで分かった。



 彼女が処刑されたら、葵花は泣くだろう。

 自分の事を思っての事であれば尚更。

 葵花には真実が伝えられないかもしれない。

 だが、彼女の主である以上、関係性を疑われる恐れがあるし、もしかしたら指示したのは葵花だと言われるかもしれない。

 それを防ぐ為にも、彼女は全ての真実を知らされる。



 自分のせいでーー



 葵花もまた侍女を心から慕っていた。

 そんな侍女を自分の存在が凶行に向かわせてしまった原因となったと知れば、葵花は酷いショックを受ける。


 周囲は葵花が悪いんじゃないと言うだろうが、それで納得出来る様な子ではない。



 葵花を助けたい。

 と同時に、葵花の侍女も助けたい。



 彼女は確かに許されない事をした。

 多くの者達を危険に晒し、傷付けた。

 例え、身内を神質に取られたとしても、彼女の手引きによって本来あり得る筈の無い【徒花園】への侵入を許し、壊滅寸前にまで追いやった。



 許されない

 普通なら許されない



 それでも、彼女は悪くない、誰が許さなくても自分だけは許したい



 自分も共に罪を償うから



 侍女の為に全てを捨ててでも共に寄り添おうとする葵花を見た。

 汚泥に沈むしかない彼女と共に沈む事を願った葵花。



 沈ませたりはしない



 果竪は事態が一段落すると、すぐさま住神達と、仕える者達の下へと向かった。そして、今回の件を秘密裏に先に伝えた。

 その内容の多くはまだ推測の域を出なかったが、中には感づいていた者達も居た。


 小梅付きの侍女がその筆頭だった。



「私達も悪いのですーーいえ、あの子は私達のやりたかった事をやってくれただけです」



 皇帝陛下に忠誠を誓い、上層部にも忠誠を誓い。

 彼女達の主は皇帝陛下。

 けれど、上層部もまた、崇拝すべき存在だった。


 強く美しく気高くーー皇帝陛下を支え、国を率いる彼らの姿に強く心酔した。


 なのにそんな彼らが、自分達の仕える主を虐げているのだ。


 既に虐げられている者達は悩み苦しみ、そしてまだ虐げられてなくてもいつかは……という未来を前に悩み苦しみ。


 ただ、彼女達はその思いを口にするには余りにも大神だった。

 理性が感情を上回り、職務に忠実過ぎた。

 いや、必死になって自分を押し殺していた。


 きっと何か理由があるのだろうと、全力で自分を納得させて。



 それこそが、皇帝陛下に仕え者達としては理想的な姿だろう。

 例え心の中では納得出来ずとも、私心を殺し主に忠誠を尽くすーー涙が出る程、立派な者達である。



 だが、それでも心の中では思っていた。



 主がこれ以上酷い目に遭わない事を。

 この先、主が酷い目に遭わない事を。



 【妓院】なんて呼ばれる【徒花園】なんて無くなってしまえーーと



 そうすれば、そこに住まう者達は自由になれる。



 彼女達もまた、【徒花園】があるから、【妓院】なんて呼ばれる【徒花園】があるから、自分達の主が【男娼や娼妓】扱いをされると思っていた。

 もちろん、それがこじつけである事も分かっていただろう。


 【徒花園】があろうとなかろうと、そういう風に扱われる時は扱われる。むしろ、そういう扱いをされる者達が増えた事で、【徒花園】は【妓院】と呼ばれるようになったのだろう。


 だが、それをどこかで認めたくない気持ちはあっただろう。



 そういう扱いをされるからではなく、そういう場所に入れられていたからーー。


 そういう場所でなければ、自分達が仕える主はそんな扱いをされずに済む。【徒花園】があってもなくてもそういう扱いをされるかもしれないなんて、考えたくもないから。



 だから、【徒花園】の住神達に仕える者達は、暴走した葵花の侍女を許した。



 彼女は自分達のやりたかった事をやってくれた。



 だが、きっとそれだけではないだろう。



 彼女はもう一神の自分だった。



 本当なら叫びたい事を叫び、怒りたい事を怒り。

 今まで見て見ぬふりをし続けていた、もう一神の自分。



 そのあまりにもまっすぐな、自分の本音そのものをぶつけてくる彼女を周りは見ていられなかった。だから、彼女の言いたい事を言わせなかった。

 言おうとする度に黙らせ、見ない振りをした。


 彼女が悩み苦しみ、一神心の中でその思いを強くしていくが分かっていても。


 いつか彼女も自分の気持ちを抑え、乗り越えてくれる筈だ


 自分達に出来たのだから、彼女だって出来る筈だ



 そう、傲慢にも思って



 彼女は自分達とは違う

 自分達も彼女とは違う



 同じ思いを抱いても、それでも違う神なのだ



 なのに、自分達が出来るなら彼女だって出来ると思った、思い込もうとした



 そうやって、見ない振りをし続けた結果がこれだ



 彼女を追い込んだのは自分達だ



 ならば自分達だって罰せられるべきだ




 その声は、住神達からも上がった




 自分達を守ろうとしてくれた彼女


 たとえそのやり方が間違っていたとしても、きっと彼女なりに考えた筈だ



 それでも、もうどうにもならなくなった



 いや、そもそも弟を神質にとられた時点で彼女には残された選択肢は少なかった



 その時点で相談していればーーという思いもある



 けれど、相談出来ない環境をいつの間にか自分達は作りあげていたのだと一神が言う



 彼女の手引きによって多くの者達が危機に瀕し、恐ろしい目に遭い、傷を負い死にかけた



 だが、彼女は【徒花園】という鳥籠を壊したかっただけで、自分達を傷付けるつもりはなかった



 彼女は許されない事をした

 世間的に見れば裏切り者と誹られても仕方が無い事をした



 それでも、自分達は知っている



 彼女がとても優しい神だという事を



 自分達に優しくしてくれた彼女が偽りだとは思わない



 悩んで、悩んで、どうしようもなくて



 弟の命を守る為に手を汚す


 ならば、少しでも自分達の今後がよりよいものになる様にーー悲しい思惑の合致だったのだ



 もちろん、侵入者達は住神もろとも潰すつもりだったけれど



 彼女は住神達を傷付けるつもりなんてなかった



 抵抗せず、捕縛され連れて行かれる彼女はたった一言だけ口にした




 全て、私の責任です



 一切の言い訳もせず、全ての責任は自分にあるのだと言い切る彼女



 そんな彼女に、何も言えなかった自分達



 彼女が手引きをした者だと知った時、本当に驚いた


 何故?と憤りを感じもした



 けれど、考えれば考える程に何か理由があったのだと思った



 彼女が自分達と接する中で見せてくれた姿の数々は、絶対に偽りだとは思えなかったから



「彼女が裁かれると言うのなら、その原因となった俺達も裁かれるべきだと思います」



 自分達の存在が、彼女を追い込んだのは明白だろう



「それでも、許されるならば共に罪を償っていきたい。今度こそ、見て見ぬ振りをしたくない」

「俺達も本当はどこかで気づいていたのかもしれない。もう少し、周囲を見渡す余裕があれば、こんな悲しい事は起こらなかったかもしれない」



 彼女は罪神。

 許されざる罪神。


 それでも、懇願する。



 彼女に慈悲を。



 そして願う。



 誰が許さなくても、世界の全てが彼女を罪神だと断じても、自分達が彼女を許そう。



 悩み、苦しみ、そして全てを背負って断罪されるのを待つ彼女を、自分達だけは。




「それが、皆さんの総意ですね」




 この時、果竪は決めた。

 予定通り、自分の褒賞を葵花の侍女の身柄と引き替えにする事を。



 罪神を寄越せだなんて、誰が考えても普通なら許されない事だ。だが、他の国は、他の世界は知らないが、果竪の祖国において、被害者達からの強い情状酌量の懇願は、刑罰を決定するのに大きな要因の一つとなる。


 そもそも、一番責めて罵っても良いはずの被害者達が、加害者を助けたいと願っているのだ。いや、彼女の罪を許した時点で、もう彼女は単なる加害者ではない。



 果竪は一世一代とは言い過ぎだが、それでも葵花の侍女の身柄を褒賞と引き替えにする為に全力を尽くした。



 そして、見事にそれに勝った。



 手段なんて問わなかった。

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