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第17話

 火はもうすぐそこまで迫っていた。

 青年を抱きしめ、少しでもその熱さから遠ざけようとする葵花の姿を、その男は嘲笑う。


 侵入者としてこの場所に来た彼は、もう間もなく炎に飲み込まれようとする卑小な存在を楽しげに見つめていた。

 ここで自分が手を下した方がきっと向こうにとっては幸せだろう。しかし、それをしてやる義理は残念ながら持ち合わせてはいない。


 ここに自分が現れた時、助けを求めた少女は、侵入者だと気づいてからはこちらを見向きもしなくなった。それが愚かしくて最高に腹立たしかった。

 もっともっと足掻けば良い。

 そして、絶望しながら死んでいけば良いのだ。


 時々戯れに攻撃しても、必死に動けないゴミを庇う姿に憐憫の視線を送りながら、その時を待つ。



「さあ、お前はどんな風に死んでくれるかな?」



 炎が、ゴミ達を焼き尽くすーーその瞬間をいつもの様に楽しもうとした彼は、次の瞬間あり得ないものを見た。




 空が急速に曇っていく。

 そのあり得ない速さに驚く暇も無く、突如土砂降りの雨が天から落ちてきた。



 まるでバケツをひっくり返した様な雨は、その雨脚の勢いを増していく。



 それは火の手が弱い所から始まり、次々と火を消していく。

 それだけではない。仕込んでいた、まだ爆発する前の爆発物にも降り注いだ。





 果竪は謳った。

 謳って、謳って、謳いまくった。



 高く、低く、この世の命の脈動を鼓舞する様にーー




 大声で、その雨の音にも負けない声で。



 果竪の声は雨雲を呼び、大量の雨を降らせる。

 そんな果竪の手は、しっかりと警備担当の青年の手を掴んでいた。



 青年は驚きに気づけなかった。

 その掴まれた手を通じて、果竪に力を奪われている事を。そして奪われた先から、奪われた分の力が【調律】されて【戻されている】事を。



 消えろ、消えろ、消えろ



 果竪は謳う。

 火の手が上がりそうな場所に雨を降らせる。


 それが油を含んだ火だろうと、呪いがかかった火だろうと関係なかった。



 呪いであれば、それに打ち勝てば良い。

 どんな炎だろうと、果竪は必ず消して見せる。



 高く低く

 低く高く



 歌声は響く。





「なんだ……よ……あれ」


 自分達が知らない【結界】によって、【徒花園】への侵入を阻まれていた朱詩は、その【結界】を突き抜けて放たれた光の柱と、それが消えた後に【徒花園】の空を覆った雨雲と降り注ぐ大量の雨に驚きを隠せなかった。


 あれは、神術で呼ばれたものだ。



 それも、かなり強力な代物。



 あの複雑な【多重結界】を貫いた威力もそうだが、まだ発動し続けている侵入者達が張っただろう【多重結界】を押しのけてその神術は発動し続けている。


 自動修復すら追いつかない。



 そして、その歌声は朱詩の耳にも届いた。



「……まさ、か」



 その声はとても聞き覚えのあるものだった。

 朱詩の脳裏に、一神の少女の姿が蘇る。



 あり得ない筈の現実に、言葉を失い立ち尽くした。





 呼吸が楽になる。

 あれ程体にまとわりついていた煙は消え、迫っていた火は消えていた。


 奇跡だーー



 葵花は、今の状況をそうとしか思えなかった。

 そんな彼女の耳にも、その歌声は届いた。



「……」

「これ、は」


 声の出ない葵花の代わりに、瓦礫の下敷きになっている青年が声を上げる。


「……奇跡、だ」



 先程の叩付ける様な雨ではなく、いつの間にか優しい小雨になっている雨。まるで自分達を守るかの様に降り注ぐそれを、葵花と青年はいつまでも見つめていた。





 小雨になった雨を見ながら、果竪はようやく謳うのを止めた。すると、ずるりと果竪が腕を掴んでいた警備の青年がその場に座り込む。

 【調律】に失敗して力を使いすぎたかと思えば、どうやらそうではないようだ。


「……奇跡、だ」

「いや、神術ですからこれ」


 思わず突っ込みを入れた果竪は、「あ、余計な事を言ったかな」と思ったが、今はそれについて反省している暇は無い。


 火は消えたし、新たな爆発物の大半が使えなくなっただろうが、まだ侵入者は居る。


 果竪はやはり、相手の手を掴んだままもう片方の手で青年に触れる。


「これでもう動けるね」

「え?」


 その言葉に、青年が目を瞬かせる。次の瞬間、自分の体を支配していた痛みが一切無くなっている事に気づいた。


「ごめんね、本当はもっと早くに治してあげられたら良かったんだけど」


 ただ、火や煙の中で体の傷を治すより、さっさと安全な場所に辿り着いてからの方がより安心して治療が出来ると思っていた。けれど、実際にはすぐに侵入者 に襲われるわ、外に出たら出たでまた新たな騒動が起きるわーーいや、せめて応急処置程度の術だけでも使用するべきだった。


まあ最大の理由はーー無闇矢鱈に治癒の術だろうととにかく神術全般を使うのを避けたかったというのもある。


 果竪は青年に頭を下げる。

 そして再び頭を上げた果竪は、青年に告げた。


「あの壁の向こうに、助けを求めている神達が居る。その神達を安全な場所まで連れていってあげて下さい」

「……お前は」


 まるで自分は行かないと言うような最下位の妾妃に、青年は思わず疑問を口にした。


「私は、まだ逃げ遅れている神達を探しに行きます」

「っ!!危険だ!まだ侵入者がどこに居るか分からないのにっ」


 既にこの爆発や火事が侵入者の手によるものである事は果竪も知っていた。そして、これ程の被害を出した侵入者が決して侮れない事を、果竪も青年も理解していた。


「こちらの姿を見て出てきてくれるなら好都合です。それに、逃げ遅れた神達の方に行かれた方が厄介ですから」

「だが、それなら俺が」

「もちろん、手伝って貰いますよ。でも、今すぐそこに助けを待っている神達が居るんです。その神達を保護するのも、警備の方の仕事ですよね?」

「っ……」

「どうか行って下さい。そうして下さると、私も心配せずに済みます」



 心配せずに、自分のやるべき事に意識を集中させられる。



「……それなら、お前が助けを待っている者達の方に」

「流石に怪我神は一神では運べませんよ。それにーー」



 果竪はゆっくりと目を閉じた。

 その向こうで、何かが壊れる大きな音や悲鳴が聞こえる。


「早くしないと、死者が出てしまうかも」

「っーー」

「行って下さい」


 果竪はにっこりと笑った後、まだ迷って動けないでいる警備兵の青年に向かって怒鳴った。



「行け!!」



 その圧倒される様な覇気に、青年は後ろに数歩蹈鞴を踏む。そして、まるで操られるかの様に、目的の場所へと向かって走り出した。




「ごめんねーー」



 走り去った青年に背を向けたまま小さな声で謝った果竪は、スッとその視線を前に向けた。そして、手にしたモップをくるくると回す。


「ほら、もう今更だけどさーーせめて」



 せめて、この体の持ち主と大きく違う様な行動は見せたくないからーー



「……な~んてね」


 そう呟くと、果竪はこちらに迫ってくる気配を迎撃するべく地面を蹴る様にして走り出した。




「居たぞ!!」

「なんだぁ?!あんなモップ一本で俺達の相手をしようとーー」




 果竪は迫り来る男達に一直線に突っ込んでいく。構えられる武器が、果竪を狙う。



「死ね!!」


 殺意入り交じる声と共に繰り出される一閃を最小限の動きで避け、果竪はそのまま男に回し蹴りを叩き込む。その一方で、手にしたモップを下から上へと振り上げてもう一神の武器を弾き飛ばした。


「あ~、少しなまっちゃったかなぁ」


 学校での動きに比べると、こっちに来てからはまるで遊んでいたようなものだ。それでも、魂に刻み込まれるぐらいに叩き込まれた体の動きは、見事に侵入者の急所を捉える。


「くっそ!」

「遅いよ」


 バランスを崩した男の顔面をモップで打ち、倒れた男の腹部を踏みつける。内臓が飛び出さないが、それでも確実に大きなダメージは入った筈だ。


 果竪のモップ捌きは実に巧みだった。いや、たとえそれが刀であっても果竪は見事に扱って見せただろう。


「このっ!クソアマっ!」


 思いがけない状況に頭に血が上る相手を冷静に見つめながら、果竪は放たれる攻撃をモップで弾いていく。相手の力をそのまま押し返すのではなく、流しながら弾くのだ。しかも両手ではなく片手で、軽々とそれを行なう果竪に、侵入者の男は息を呑む。



 強いーー




 そう、強かった。



 果竪本神は気づいては居ないし、実際周囲には果竪よりも強い者達が居る。しかし、毎日馬鹿正直に鍛錬をこなし、経験を積み、技術を学び、多くの死地をくぐり抜けてきた果竪の実力は【高い】。

 それでいて、果竪は慢心する事は無かった。慢心する事が恥ずかしいとすら思っていた。それは、完璧過ぎる周囲に囲まれてきた一種の後遺症の様なものだが、むしろそれは果竪が成長するには必要なものであり、それこそがその成長を促進させるものだった。


「なんで……」


 自分は強い、強い筈なのだ。


 侵入者と呼ばれる男は焦る。

 今まで多くの標的を始末してきた男は、赤子の腕をひねられる様にいなされていた。



 こんな事があるのだろうか?

 こんな事があって良いのだろうか?

 こんな事が、あって……



「ーー殺してやる」



 男は憎しみに溢れた声で叫んだ。


「殺してやる!!後悔しても止めてなんてやらない!!ぐっちゃぐちゃにしてやる!!」

「そっか」


 果竪はにっこりと笑った。

 その姿が、男の前から消える。



「そういうのは、女の子に言っちゃ駄目だよ」



 男の後ろから背骨を適確に蹴り飛ばした果竪は、そのまま男が昏倒したのを見届けるとモップをくるくると回した。

 そこに飛んできた数本の針が、モップによって弾かれる。

 続いて、飛び出してくるのはーー。


「うわぉ~~」


 間抜けな声を上げた果竪の前に現れたのは【魔獣】と呼ばれる物だった。大戦時代に、生物兵器として作られたそれは一体でも脅威である。

 大半は大戦中と大戦後に討伐されたが、それでも逃げ延びた者達が野生化したり、また秘密裏に作成する馬鹿達が居たりと、根絶には至ってはいない。


 さて、どうするか?



 果竪がそう考えようとした時だった。その瞳に映ったものを見つけた果竪は。



 手にしていたモップを虎によく似た巨大な【魔獣】の目に投げつけた。それは見事な直球で【魔獣】の片眼に突き刺さる。


 空気を振るわす絶叫。

 その口が開いた瞬間、ぽろりとそこから力を失った塊が地面へと落ちる。



「ああ!俺の可愛いラーミアがっ!!」



 その虎の傍に立ち、果竪を新たな獲物として襲わせようとしていたーー侵入者の男が叫ぶ。その叫びは悲哀に満ちていたが、次の瞬間、果竪の容赦ない跳び蹴りによって地面に叩付けられた。


「涼雪ちゃん!!」


 【魔獣】の口に咥えられていたのは、涼雪だった。

 噛み砕かれこそはしなかったが、牙で傷付けられた体はあちこちから血が流れ出ていた。


「く、くそ!!ラーミア!そいつを殺せ!!」


 果竪の蹴りによって大量の鼻血を出す男が叫ぶ。しかし、果竪はそれより早くに男を渾身の力で殴り飛ばした。


「がっーー」

「五月蠅い」


 今度こそ男の意識が飛んだのを見た後、果竪は怒りに震える【魔獣】を振り返った。


「怒ってるの?それはこっちの台詞よ」


 果竪は【魔獣】に冷たい視線を向けた。


「同族もかなり食い殺してきたのね。そうある様に造られた存在ではあるけれど、だからといってそれを楽しむようになったらもう駄目」


 最初は命令でも、もうこいつ自身が楽しんでしまっている。

 だからーー。


「終わらせてあげるよーーそれに、もう辛いでしょう?」


 蠱毒によって造られた【魔獣】の寿命の限界はとっくの昔に越えていた。既に鼻が曲がるような腐敗混じりの瘴気をまき散らしている。このままでは、【魔獣】が息絶える前に周囲が瘴気に塗れて死に絶える。


 【魔獣】が彷徨を上げる。

 それは救いを求めてか、それとも自分を生み出した者達全てを呪う声か、はたまた殺戮を最後まで楽しみたいという嘲笑いか。



 先動いたのは【魔獣】だった。



 目にもとまらぬ速さで、今までと同じ様に獲物に飛びかかる。



「次こそ幸せにーー」



 いつの間にか握られていたモップ。

 それは、何の変哲もないただのモップだった。



 けれど、それは【魔獣】の体を真っ二つに切り裂いていく。



「……」



 左右に分かたれた肉の塊が、地面に倒れる。けれど、それはすぐに火が付き勢いよく燃え上がった。そうして、程なく全てが灰となる。

 それを振り返る事なく、果竪は地面に倒れる涼雪の元へと歩いて行く。


「く、来るなっ!!」


 【魔獣】の主は、いつの間にか目を覚まして涼雪を抱えていた。


「お、俺のラーミアをよくもっ!!この、化け物がっ!!」


 圧倒的な強さで自分の可愛がっていた【魔獣】を切り裂いた相手に、男は罵声を浴びせる。だが、相手はクスリと小さく笑うだけだった。


「私が化け物なら」


 果竪は高らかに言う。


「貴方だって化け物じゃない」


 男は目を瞬かせた。


「なん、だと?」

「所詮、同じ穴の狢だって言ってるんですよ」

「ふ、ふざけるな!!なんで俺とお前が同じ」


 男が叫ぶ様に侮蔑の言葉を吐いた。だが、それに対しての声は。


「貴方も私も最低だからよ」


 男の真後ろから聞こえた。

 振り返る間もなく、男は後頭部に激しい痛みを感じて膝を突いた。そしてその腕の力が緩んだ隙に、果竪は涼雪を取り返した。


「私は確かにその【魔獣】を殺した。でも、私に殺されると分かっているのに【魔獣】を退かせなかった貴方も同罪じゃない?死なせずに済む道があったにも関わらず、貴方はそれをしなかった」

「ぐっ……ざ、戯れ言を」


 男の罵りの声に、果竪はクスリと笑う。


「……そうね、戯れ言だわ」


 果竪は微笑んだ。


「それでも、貴方だけは真摯に受け止めるべきだった。そんなに、ラーミアが大切だったのなら」


 それを戯れ言と言い切った時点で、男にとってあの【魔獣】は単なる道具でしか無いと言っている様なものだった。


「それで、貴方はどこの手の者なの?」

「は?ーーんな事聞かれて、俺が口を割るとでも」


 地面に這いつくばりながら嘲笑う男の眼前に爪先が迫る。


「がはっ!」



 それが見事に男の顔面を捉えた。


「別に言わなくても良いよ。聞き出す方法なんて色々あるし」


 果竪はこの場にはそぐわない笑みを浮かべ、男の頭を踏みつけた。


「言わなくてもしっかりと記憶している部分はあるものーー例えば、脳みそ」

「……」


 今、このクソ女は何と言った?


「その頭を生きたままかち割ってあげようか?そして直接脳みそを手で引きずり出して、記憶を読み取るのに大量の電撃を加えてあげようか?凄く痛いと思うわ。でも、それでも構わないよね?ここをこんな風にしたんだもの。何をされても」


 果竪は膝を突いて男の頭を掴み、自分と向き合わせた。



「か ま わ な い よ ね?」



 この女は本気で狂っているーー



 男の絶叫が辺りに響き渡った。






 ーー気絶した男が横たわる。

 それを見下ろしながら、果竪はパンパンと埃を払うように手を叩いた。


 これだけ脅せばしばらくは目覚めないだろう。


「ほんっとうに、ゴキブリ並だわ」


 侵入者のあの黒装束は【ゴキブリ】を意味しているのではないだろうか?むしろ【ゴキブリ】を信仰する集団に違いない。


 だが、【ゴキブリ】と同類扱いすると【ゴキブリ】に対して失礼だが。


「さてーー」


 男に呪縛を施し、少し放たれ茂みに蹴り飛ばす。これで、戦闘に巻き込まれて御陀仏ーーなんて事にはならないだろう。

 むしろ敵の安全まで図る自分は神ではないだろうか?


 あ、女神だった。


 ついつい忘れそうになるが、一応これでも果竪は神である。


「とっとと涼雪ちゃんの治療をしないと」


 安全な場所に寝かせていた涼雪の元に駆け寄ると、果竪はその体に触れる。


「ごめんねーー少し力を借りるから」


 涼雪の中に宿る神力。

 それを利用し、果竪は自分の知る治癒の術を彼女に施す。淡い光は涼雪の体を包み込み、傷を癒していった。


 呼吸が落ち着いたのを確認した後、果竪は立ち上がって後ろを向く。


「葵花ちゃんは此処じゃないよ」

「……アン、タ」


 青ざめた顔をした茨戯の姿に、果竪は少しだけ困った様に笑う。


「涼雪ちゃんの治療は済んでる。神力使用制限中で無かったのが幸いだったわ」


 そう言うと、果竪は茨戯がこちらに歩いてくるのを待った。けれど、いつまで経っても来ない。


「……」

「……」

「なんで来ないの?」


 運べってか?自分に運べって言ってるのか?!


 果竪の冷たい声に、ようやく茨戯が駆け寄ってくる。


「なんですぐに来ないのっ!!」

「お、驚いてたからよ!一体アンタ何者なのよっ」



 この現場を見た時、ほぼ正確に茨戯はここで起きた事を理解した。そもそも、此処に辿り着く前に感じた神術の類いは果竪のものだった。


 だが、それでも実際に目にしなければ信じられなかった。

 そして目にした今も、信じられないでいた。


 確かに自分達の知るカジュと、今カジュの体を使用する果竪は違う。肉体は同じ細胞でも、魂は全くの別神だ。


 だが、いくら違うと言っても、まさかここまで違うなんてーー。


「今、此処に来てるのは誰々ですか?」

「は?ーーっ、アタシを筆頭とした【海影】の数神、あと朱詩とその配下数神よ」

「そうですかーーじゃあ、間もなく鎮圧するね。【魔獣】も入り込んでるから、即座にとは言えないけど」

「……」

「一頭は仕留めたよ。ただ、他にも複数の気配は感じたからーー戦えない者達は避難場所に誘導されたみたいだけど、どれだけの者達が無傷でそこにたどり着けたかはまだ確認してない」


 この様子だと、たどり着く前に襲撃を受けた者達は少なくは無いだろう。それに、避難場所も決して安全とは言い切れない。


「それにしても、【魔獣】に入り込まれるなんて、案外ここの結界は脆弱なのね」


 どこか馬鹿にする様な果竪の言葉に、茨戯から抑えきれない殺意がわき上がる。


「……皇帝陛下は、常に幾つもの結界を張っておられるわ」

「知ってる。向こうの世界でもそうだもの。大きく分けて、【帝国国土を覆い尽くす結界】、【皇宮を覆い尽くす結界】、【王都を覆い尽くす結界】、その他 【後宮】、【皇宮内の重要箇所】、【徒花園】ーーそれだけでも十数もの結界を常に維持してる。そこに、上層部がそれぞれに結界を張り巡らせて複雑な多重結 界を造りだしている。どれか一つが破られても他の結界が補える様にーー」


 それぞれが支え合った結界は、一つの巨大な術式だ。


「ーーそれが分かっていて、その言い草なの?」

「……大きな結界は確かに凄いし、それを維持するのは半端な力じゃ無理だわ。でも、大がかりの術になれば、それだけ細かい所が弱くなる。【徒花園】の結界は外からの侵入には強いけれど、一度破られて中に入られればそこで好き放題されかねない。なぜなら、【徒花園】を覆う結界であって、【徒花園】の細部を守る結界にはなってない。だから一度入られると大変な事になるーーまあ、その為に警備が配置はされているけれどーーまさか、【魔獣】を侵入させられるとは思わなかっただろうしね」

「当たり前よ。そもそも、どうやって持ち込めたかーーいえ、召喚したんでしょうけど」

「だろうね。結界内では術が使えるんだもの。そりゃあ召喚されるよ」


 果竪は溜息をつけば、茨戯が溜息をついた。


「ーーここでは、治癒の術など治療系の神術が使用される事が多いのよ。本来であれば、術の種類によって発動しない様にすれば良いのだけど」

「これだけ複雑な結界が張られていたら無理よ。陛下なら出来るかもしれないけれど、既に幾つもの結界を常時張り巡らせているのだから難しいわね」


 それに、皇帝が常時使用している神術はそれだけでは無いだろう。



 そしてそれらを一神で行えるという事が、皇帝陛下の恐ろしさである。まさに、無尽蔵に近い強大で膨大な神力を有しているのだ。


 だからこそ、一度バランスが崩れればあっという間に国が崩壊しかねない。いくら上層部が支えようとも、下手すればその負の連鎖に巻き込まれかねない。



 だから、調律師の力は必要なのよーー



 友神の母の言葉を思い出す。



「とにかく、避難場所に向かうわ」

「その方が良いですね。たぶん、【徒花園】に住む神達も、皆そこを目指すでしょうから。それに」


 果竪はモップの柄の先をダンっと地面に叩付けた。


「その方がこちらから探しに行かなくても向こうから来てくれると思いますし」

「……ねぇ、怒ってる?」

「これが怒らずにいられるとでも?」


 果竪はどこまでもいつも通りだった。

 いつもの様に笑顔を浮かべていた。


 しかし、纏う空気はどこまでも冷たく、剛胆と謳われる茨戯すらも冷え尽かせた。


 それは、ただその怒りが恐ろしいというだけではない。

 茨戯は、この果竪という少女に底知れないものを感じていた。


 隙を見せれば食われるーー。


 喉元に刃を当てられ引かれる寸前ーーそんな感覚すら覚える。



 ああ、自分は何を勘違いしていたのだろう?



 この娘は、この娘は、ただの戦えない落ちこぼれなんかじゃーー



 見た目は、いや、その体は自分達が良くカジュのものだ。けれど、その中に宿る魂に、長い長い時を、多くの経験を培い乗り越えてきた者だけが持ち得る輝きを見て取る。

 自分なんかよりも、よっぽど、ずっとずっと苦しく辛く、沢山の苦難をくぐり抜けてきた。


「……これを使いなさいな」


 茨戯は自分の腰に下げた刀を渡そうとした。しかし、果竪に断られる。


「これで十分だよ」


 そうしてモップを再びくるくると回す。まるで玩ぶ様に果竪の手によって回されるモップの動きは実に巧みで、見ているだけで感嘆の息が漏れた。

 だが、歩き出した果竪の姿に、慌てて茨戯は涼雪を抱き上げたまま駆け寄りその隣を歩く。


「ねぇ、聞きたいんだけど」

「何?」

「さっき、【徒花園】を覆い尽くす雨雲と降り注いだ雨。あれは……アンタがやったのよね?」

「そうですけど」


 今更隠しきれるものではない。

 むしろ隠した所で話が面倒になると、果竪はあっさりと認めた。


「あのままじゃ、建物全部が燃え尽きますからね。そうしたら避難場所だって燃えますから消させて貰いました」

「消させてって……あれは、呪いが入り交じった炎だったってのに」

「私に消されるんですから、たいした事は無いですよねぇ」


 まるで小馬鹿にする様に言う果竪の声に反応する様に、あちこちから殺気がほとばしった。


「落ちこぼれで無能だって言われてるこの私に、消されるぐらいの術しか使えないんですから、今回の襲撃だってたいした事はないですよ。ま、あっという間に終息して」


 叫び声と共に、物陰から男が飛び出してくる。侵入者だ。


「我らを愚弄するな!!」


 絶叫と共に神術がーー膨大な量の炎が放たれる。しかし、それは果竪がモップを回転させて造りだした盾によって阻まれた。


「あ、避難場所ですけど、絶対に籠城とかやってそうですよね」

「いや、今はそういう事言ってる暇は」

「そうなると、声をかけても入れてはくれないだろうなーー全員捕縛するまでは」


 果竪は回転させていたモップを止め、その炎が自分に届くよりも先に高らかと声を上げた。それは、確か上級神術のーー。


「あ」


 突如現れた凄まじい水流が、侵入者を押し流していく。


「わ~い」


 茨戯は果竪によって片手を繋ぐ形で万歳する動きに巻き込まれたまま、その光景を見守った。


「……アンタ、向こうの世界で……いや、アンタ、本当に一体何者なのよ」

「だから、向こうの世界の果竪だよ」


 それ以外には何も無い。


「嘘……いくら果竪だからって、こんな」


 こんなに強いなんてーー


「私も最初からこうだったわけじゃないよ」


 果竪は歩きながら言った。



「沢山悩んで、泣いて怒って笑って喜んで、沢山の経験をしてきたわ。凄く悔しい思いもした。自分の無力さを痛感して、自分が嫌いになったりもした。そうやって、沢山の事を経験して」


 茨戯はこちらを振り返った果竪の笑顔に息を呑んだ。


「私は今の私になったの」


 その笑顔は、多くの美女を見てきた茨戯すらも魅入る程の魅力を持つ。



「ただ、それだけだよ」



 そう言うと、果竪はそこでようやく立ち止まった。



「やっぱりだよ」

「……そうね」



 避難場所の扉の前には、侵入者が数神と【魔獣】が数体居た。うち一体の【魔獣】が口から吐き出す炎に、扉は少しずつ溶けていっている。


「じゃあ、ちゃっちゃとやりますか」

「どいてなさい」

「【海影】の長様?」

「やめてよ。アンタにそう言われると気味が悪いわ」

「じゃあなんて呼べば良いの?」



 果竪は考えた。



「薔薇の女王様!!」

「やめてよ恥ずかしい!!」

「え?!向こうではみんなからそう呼ばれてーーあ、ごめん。薔薇姫だった、果竪うっかりしてた」

「それもはずいわよ!!向こうの世界のアタシは一体どういう考え方してんのよ!」

「いや、本神は好きに呼ばせてるだけだよ。うん、一々訂正するのがめんどくさいから。あ、じゃあこれから薔薇姫って呼ぶね、うん、呼ぶから」

「嫌だって言ってるでしょう?!神の嫌がる事をするなって習わなかったの?!」

「全力でおちょくれって習った!!」


 主に、朱詩とか修羅とか朱詩とか修羅とか。


「きぃぃぃい!!なんて教育に悪い世界なのよ向こうはっ!!」


 自分の事を棚上げしてるーー果竪はわめき散らす茨戯を見て思った。あと、そんだけ騒いだら見つかるから。


 避難場所の扉を見ていた侵入者達がこちらを振り返ったのが見えた。



「あ、バレた」

「は?!ちっ、やるわね」

「あんだけ騒いでバレなかったら、相手は本当に馬鹿だよ」


 そもそもここまで侵入出来てないから。



「ちっ、いいから涼雪と一緒に離れてなさい。怪我するわよ?」

「分かった。援護射撃してる。私、バッティングは結構得意だよ!」

「流れ弾に当たりそうだから止めて。あと、自分で得意とか言う奴ってアタシ信用出来ないのよ」

「自分がそうだから?」


 茨戯は無言で果竪の頭を掴んだ。


「ごめんなさい」


 果竪は素直に謝った。



 その間にも、【魔獣】が一体こちらに突進してくる。


「ふれ~、ふれ~、薔薇姫~」

「その名で呼ぶなって言ってんのよ!!」


 叫びながらも、茨戯ははらりと美しい装飾のなされた鉄扇を開く。それを合図に、血飛沫が宙を舞った。


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