第14話 帝国宰相の想い
力が欲しいと思ったーー
父が殺された時、義母が殺された時
この身が自分の物ではなくなった時
そして
幼い妹が恐い目に遭いかける度に
力が欲しいと願った
「私の所に来て下さい。私には、貴方の力が必要なのです」
初めてだった。
この身を、外見だけが欲しいという輩は沢山居た。
身動き出来ない様にがんじがらめにし、数多の屈辱と恥辱を与えた上で心が欲しいと騒ぐ輩も居た。
けれど、力の無い自分に手を差し伸べ、頭を下げ
貴方の力が必要だと言ったのは、萩波が初めてだった。
圧倒的な力
それだけに従ったのではない
絶対的なカリスマ性と覇気
それだけに傅いたのではない
そのままのお前で良いんだ
汚泥に塗れ、狂った様にーーいや、もう既に狂っていた。
妹だけが、いや、妹かすら認識出来ない狂気の鬼と化した自分の前に、最後まで立ちはだかり、そして何度も何度も呼びかけてくれた。
諦めず、最後まで。
狂った殺神鬼も同然の明睡の手を、萩波は半ば強引とも思える力で引っ張り、抱きしめてくれた。
それが全てだった。
そして、救われた。
これ以上殺す前に。
妹を傷付ける前に。
傷付けられても、最後まで自分を信じてくれた妹の為に。
体中を切り刻まれながらも、決して自分の手を掴む事を諦めなかった陛下の為に。
自分の行いを知ったにも関わらず、普通に接してくれる上層部やそれに準ずる者達の為に。
自分を信じ付いてきてくれる側近達の為に。
力が欲しいと思った。
力が欲しいと願った。
そうして軍に入りがむしゃらに力を身につける中で、明睡は絶対的な壁にぶち当たった。
自分は無力だーーそう痛感した。
故郷を焼かれ、大切な村神達を皆殺しにされ、その腕にーー
「私は……間に合わなかったのですね……」
大半が黒焦げとなった【果竪】を抱きしめ、泣く事も出来ずに小さく呟く萩波に明睡は思った。
力が欲しいーー
自分の敬愛する主を支える力が。
彼の身と心を守り支えるだけの力が欲しい。
そして、その悲しみを振り払い、笑顔にする力がーー。
しかし、日が経つに連れて自分の無力さを痛感した。
どれだけ知識を吸収しても、数多の書物を読み漁り理解しても、神力の扱い方を学び強力な神術を使用出来る様になっても。
萩波を戦いで支え守る事は出来ても、その心までは支えられなかった。
自分達では駄目なのだ
明睡は自分ではなくとも、萩波を支え守り、その心を癒やせる相手を探した。
男でも女でも、老神でも子供でも構わない。
まだ居ないと言うなら探しに行く。
どうか、あの孤独な優しい神を支えて欲しいーー。
けれど、それはどうしても叶わなかった。
自分達に優しい笑みを見せ、迷い子の様な自分達を率いる孤独で優しい、美しい自分達の【王】。
彼は嬉しそうな顔で語っていた。
故郷の村の事を語る時、そこに住まう優しい村神達を語る時、そしてーー
「……好きな子が居たんですよ、私にも」
自分よりもずっと年下の幼馴染みの少女。
彼女が自分に手を差し伸べてくれたから、自分と母は生き延びる事が出来たのだと言う。
全てを諦めていた自分達に、迷いも躊躇いもなく差し出してくれた手。
それが、【果竪】だった。
萩波は、少しずつ戦火が自分達の住まう村にも近づいてきている事を知り、村を出た。全ては故郷の村と愛する少女を守りたいが為に。
けれど、結局全てを喪った。
一神だけでも生き残っていたら違っただろうか?
【果竪】だけでも生き延びてくれていればーー。
理解した。
自分達にとっての萩波が、萩波にとっての【果竪】なのだ。
一体どんな少女だったのだろう?
萩波は笑顔で教えてくれたーー故郷の村が滅ぶまで。
萩波は故郷の事を話さなくなったーー故郷の村が滅んでから。
きっと、それは萩波なりに自分達を気遣ってくれたのだろう。
そして自分の心を守ろうとしたのだろう。
故郷の村の事を話すーーそれは辛い記憶を、村を守れなかったという記憶をこじ開ける。萩波が守ろうとする心をズタぼろにしかないものとなる。
だから、今まで聞いた物だけで足りない所は想像を膨らませるしかなかった。
「貴方達だって、その、本気で好きな相手の事についてはそうベラベラと語るのは難しいと思いますよ」
その中でも、【果竪】に関しては恥ずかしいのかあまり語ってはくれなかった。
大切な子だというのは分かったし、萩波自身が好きな相手と言っていたから、そういう風に自分達も認識していた。
でも、それだけだ。
自分達は本当の意味で【果竪】を知っていた訳ではない。
出会った事も話した事もない少女。
それでも、興味が沸いたし、会いたいと思った。
まあ、同時に萩波の興味関心を奪い、その愛情を一身に注がれる存在として強い嫉妬も覚えた。
口では可愛くない事を言いながら、それでもずっと心の中では願っていた。
会ってみたいとーー
その少女と話をしてみたいと
きっと自分達は歪で歪んでいるから、可愛くない事ばかり、いや、酷い事ばかり言ったりしてしまうかもしれないけれど。
その少女に嫉妬してしまうだろうけど。
それでも、会って話をしてみたかった
萩波が嬉しそうに恥ずかしそうに話すのを聞きながら
きっと彼女こそが萩波の隣に立つ存在なのだと思った。
それは自分達とは違う意味で、萩波を支え守る為に
いつか、いつか、いつかーー
だからこそ、分かってしまった。
自分達では、萩波を本当の意味で支える事は出来ない。
その体は守れても、強敵を蹴散らし幾つもの戦いを制しても。
傷ついた心を癒す事は出来ない。
ああ、どうして死んでしまったのか。
果竪、果竪、果竪ーー
せめて、果竪だけでも生き延びていてくれれば何かが違ったのかもしれない。
同じ村に住み、子供時代を過ごし、萩波の愛を注がれた存在。
自分達なんかとは比べものにならぬ、貴重でかけがえのない存在。
自分達では駄目だった。
でも、【果竪】ならば支えられる。
だから探して探して。
どうにか、【果竪】を取り戻そうとした。
その為には、【死】すらも打ち砕くつもりだった。
だが、【果竪】が死んだ事実は変えられない。
蘇らせる事は、神にだって出来ない。
過去に蘇生術を研究した者達は居たが、その研究成果は既に喪われ、現在の物も見当たらなかった。
いや、例えそれがあったとしても、果たして蘇生させられただろうか?
そんな中で、修羅と朱詩が一つの方法を見つけた。
蘇生出来なければ、代わりを創れば良い。
新しく生み出せば良い。
【果竪】の体は埋葬されたけれど、その遺髪だけは萩波が大事に保管していた。遺髪と言うには多いそれの一部を拝借し、それを元に創りだしたのだ。
【カジュ】をーー。
【本物の果竪】の代わりに、萩波を支える存在として。
萩波の心を癒やせる存在として。
本物を生き返らせる事は無理でも、新たに創る事は出来るーー。
何故か信じていた。
【カジュ】なら、【本物の果竪】の代わりに萩波に寄り添える存在になるとーー
まあ、結局色々とあって、寄り添えるどころか庇護する存在となってしまったが。
「どうすんだよーーこれ」
ある程度成長させてからの筈だったのに、生まれたての赤ん坊の状態で出てきてしまった【カジュ】を前に呆然とする自分達。
あの時は本当に頭を抱えた。
萩波にだって怒られた。
けれど、結局出来る事はただ一つ。
「育てるしかないでしょうーー親として」
親あぁ?!
後の上層部と上層部に準ずる者達が素っ頓狂な声を上げる中で、萩波だけは冷静だった。
「兄や姉としてでも良いですけどーーまあ、それでも親としての部分は必要ですね。腹を括りなさい」
それからの日々は怒濤に過ぎた。
なんでこんなに大変なのかと思った。
そもそも自分達がまともに育てられていない、幼少期を過ごしていない者達が殆どだった。そして自分達も子育てをした事が無かった。
幼い弟妹を育ててた者達は確かに居たし、明睡だって妹が居たがーー自分達の場合は勝手に弟妹達が育った気がする。
まともに育てられなかった、育てなかった者達が子育てをするというのは本当に大変だった。
明睡、明燐ーー
私達の大切な子ーー
明睡はまだ良かった。
喪われたが、両親は優しかった。
血の繋がらぬ母も明睡を実の子として愛してくれた。
恋敵の子だと言うのにーー。
けれど、その後に起きた悲劇の数々は明睡の幸せだった頃の記憶に蓋をした。父を、義母を殺され、自身を穢され、奴隷も同然の身に堕とされ、ただ幼い妹を守る為だけに与えられる屈辱と恥辱に耐えた。どんな手段だって使った。
その中で忘れていた物ーー
「めーちゃん、いいこいいこ」
「めーちゃんはがんばりやさんだね」
「めーちゃんはえらいよ」
苦しくて、辛くて、泣きそうでーーそれを必死に堪えていた自分に、【カジュ】はそうやって背中を撫でてくれた。
何が、偉大なる帝国の宰相だーー
大事な宝物一つ守り切れず、何がーー。
自分はロクな事をしなかった。
沢山間違えて、間違え続けた。
そう、最初からーー。
「……それでも」
分かっている。
自分が間違えている事なんて。
そして、これからも自分は間違え続ける。
「カジュが首をつった」
ぶらぶらと揺れる細い体を見た。
「もう一度、生むんだーー」
朱詩を止めなかった。
「ねぇ、私はーー」
カジュが悲しみを称えた瞳で明睡を見つめる。
「小梅が助かったのは奇跡だーー」
「宰相様!!カジュがーー」
同時に起きた奇跡と絶望。
「なんで……」
もう、終わりにすると決めた。
なのに、どうしてーー。
「任せましたよーー」
萩波の腕の中ですやすやと眠る、【それ】。
どうして、【それ】が。
「返して、その子を返して!!」
泣き叫ぶ妹を抱きしめながら、願った。
返してーー
今度こそ
今度こそ、この手でーー
返せ
カエセ
この手に
コノテニ
同じ目的に向かって走り続けていた筈の和が、二つに分かれる。
思いは、願いは同じだった。
ただその手段と方法で対立した。
いがみ合い、争った。
思いも願いも同じなのに。
それでも、互いに互いのやろうとする事が認められない。
どうして手放す為にと言うのだろうか?
どうしてこの手で幸せにしては駄目なのか?
あの娘に害を為そうとする者達が居るなら、全てを潰してしまえば良い。
消してしまえば良い。
あの子を害する全てが無くなれば、きっとーー
「それじゃあ駄目なんだよ!!あの娘は幸せになんてなれない!!」
「お前達の方が余程酷い!!それこそ、あの娘は幸せになんてなれない!!」
互いにいがみ合い、対立する。
そうーーどちらも譲れない。
譲れない、譲りたくない、たった一つの願い。
その願いを叶える為に、あの日からずっと、どちらも退く事は無かった。
あの娘が生きている限り、それは続くだろう。
「これが、最後ですよ」
あの娘を朱詩に渡した時、萩波は静かにそう言った。
最後ーー
それは、絶対だ。
もう二度と、奇跡なんて起きない。
譲れない
負けられない
次は無いのだからーー
「自由にーー」
朱詩はそう願う。
「保護をーー」
妹はそう願う
自由なんてものはそう良い物ではない。
明睡は自由の難しさと、残酷さを思う。
自由とは言っても、本当の意味でのそれではない。
世間一般の自由は、自由と言いながらあらゆる制約に縛られている。
同時に、そこには責任が発生する。
そうーー自由なんて良いものではない。
それだけの力があるなら良いが、そうでなければむしろ弊害の方が大きい。
明睡は自分が【飼われていた頃】を思い出す。
いや、自分はーー上層部やそれに準ずる者達では比較にはならない。特殊すぎる。
だが、これだけは言える。
あの娘にとっての【自由は害にしかならない】。
どう頑張ったって、あの娘が【自由に生きる事は難しい】のだから。
保護し、守ってやらなければならない。
例え、それで朱詩達と争う事になろうともーー。
「明睡様」
後ろに控えるのは、明睡の可愛い手駒達だ。
「我らは明睡様の望みのままにーー」
彼らだって、朱詩達の手駒達と交流はあった。だが、それでも譲れないものがある、守りたいものがある。彼らは覚悟をしていた。
その争いが目の見える所で行なわれなかったのは、彼らが自分達の現在の地位と身分をしっかりと理解していたから。
けれど、一度残った遺恨はなかなか消えない。
ほんの少しの傷でも、時間の経過と共に大きな傷となる様に。
平気な顔をして、普通に振る舞う中で、着実と育てていった。
偽りの仮面を付け、隙を伺っていた。
退くつもりは無い。
きっとどちらかが間違っているとか、そういうものではないのだ。
ただ、譲れないだけなのだ。
「揺さぶりをかけてみるかーー」
【徒花園】と呼ばれる大きな大樹から、目的の物がこぼれ落ちてくる様にーー。
焼け付くように痛さが襲う。
それでも、小梅は必死に腕の中のそれを彼らに向かって投げつけた。
その相手が無事に明睡の手の中に収まったのを見て、小梅は嬉しかった。
これでもう何も思い残す事は無い。
願わくば、彼らが無事に逃げ切って欲しい。
彼らが自分を見る目が歪む。
もう自分は助からないーー
だが、絶望は無かった。
悲しみも、あれほどあった痛みも苦しみも。
晴れ晴れとした気持ちが小梅の心を満たしていく。
どうか、彼らだけはーー
せめて彼らが逃げ切る時間を稼ぎたい。
自分がこの火の海に溶ける事で、少しでもその時間が稼げないだろうか?
いや、この火の海を支配出来ないだろうか?
そうすれば、今すぐこの恐ろしい物を止めてみせるのにーー
「小梅姉様、待って!!」
最後に脳裏に浮かぶ仲間達の顔。
その中で、ここに来る前に別れた妹分の顔が蘇る。
自分を止めようと手を伸ばした彼女の手を、小梅は振り払った。
きっと、あの娘は泣くだろう。
自分が止められなかったからと。
それは違う。
私は自分の意志でこの結末を選び取った。
だから、あの娘は悪くない。
だから泣かないで。
朱詩が何かを叫んでいる。
早く、早く、逃げてーー
もうすぐ、膝から下の足が無くなる。
もう感覚は無い。
せめて、最後は泣き顔じゃなくて笑った顔を見せて欲しい。
それが無理でも、自分の記憶に残された朱詩の笑顔を悲しみで上書きしないで欲しかった。
「奇跡だーー」
ああ、奇跡、なのだろう。
「……どう、して」
ああ、また。
言わないで、聞かせないで。
誰よりも私がーー。
「どうしてーーだったんだ。どうして、この子だったんだよっ」
分かってる、分かってる、分かってるーー
奇跡なんかじゃない。
私のせいで。
私が生き延びたから、だから、代わりにあの子がーー
決して手を伸ばせない先で、嘆き悲しむ朱詩の背中がある。まるで全てを拒絶するかの様に、彼は振り返らない。
もう何度も見た光景。
もう、分かってるから。
だから、もう、もう、もうーー。
全てが白い光に包まれていく。
その眩しさに思わず目を瞑った小梅が再び目を開けると、視界に映るのはいつもの寝台の天蓋だった。薄い膜のような布が幾重にも垂らされた寝台の上で、小梅はしばらく仰向けのまま横たわっていた。
そうして、瞳から流れるものがようやく収まった頃、ゆっくりと起き上がった。
「はぁ~、今日も大根の美しさに目が眩むわっ」
果竪はせっせと早朝から大根畑の雑草を抜きまくると、首にかけたタオルで汗をぬぐった。その姿は、正しく清く正しき農婦の姿。
タオルだけでは足りず、上着の端を掴んで、それでも顔をごしごしと拭く。その時、ちらりと見えた腹筋は割れてはいないが、それでもかなり引き締まった気がする。
だが、果竪が特に引き締まったと思うのは、その二の腕だった。
「うんうん、筋肉も順調についてきたなぁ」
ムキムキというか、ボディービルダーにはほど遠い。だが、それは誰が見ても実用的な筋肉の付き方だった。腹部の引き締まり方も完璧で、それでいてどこか 柔らかさを感じさせる腰つきに、果竪は気づかないが、【徒花園】に仕え、遠くで果竪の畑作業を見守っていた女官達数神が鼻を押さえて倒れかかった。
「さてとーー水まきして、その後は新しい肥料の開発かなぁ」
最近は肥料も改良して新しいのを幾つか開発している。それらを使って、果竪の植えた大根が更なる魅力を得た暁には、市場を開拓して売り出してみようかとも思っている。
また数日前には、大根収穫の画期的な農業機械の開発にも着手し始めた。
神生大根色ーーそれはこういう事を言うのだろう。
「うふふふふふ~~、とりあえず出来る事をやらないと」
それ、違うーーと元の世界の者達は言うかも知れない、いや、絶対に言うだろう。
他の世界に迷惑をかけるなーーとも言うだろう。
だが、果竪は全くそれらが迷惑だとは思っていなかった。
むしろ果竪の愛する大根の普及が遅れているこの世界に、今こそ一大革命を引き起こさなければならない。
何せ、【皇宮】の敷地内には殆ど大根畑が無いのだ。
農作物の開発を司っている所で、申し訳程度にあるのみ。
それでは駄目なのだ。
世界のアイドルである大根には、それなりに相応しい世界の舞台と言うものがある。果竪はプロデューサーだ。いかに大根の美しさ、素晴らしさ、逞しさ、健気で可憐かつ華麗なるその魅力を多くの神達に分かって貰うかが、果竪に与えられた使命である。
誰もそんな使命を与えて居ないーーと、向こうの世界どころか、この世界の朱詩達が聞いても口を揃えて突っ込むだろう。
しかし、そんなものは例え言われても果竪には関係なかった。
アイ ラブ 大根
ウィ ラブ 大根
ワールドオブ大根
世界は大根から始まり、大根に終わるのだ。
果竪のかつてない挑戦は今始まったばかりだ。
そう、世界の仕事神達は、きっとこんな気持ちであらゆる苦難と困難に立ち向かった筈だ。
「私はやり遂げるわ!たとえ、それ程時間が無いとしてもっ」
果竪はいつか元の世界に戻る。
だからこそ、後悔しない為に全力を尽くすのだ。
向こうの世界とこちらの世界の朱詩達が全力で後悔しそうだが、やはり果竪の頭にはそんな予想は一欠片も無かった。
果竪は手早く水まきを終えると、肥料の改良調合をすべく一度着替える事にした。農作業の道具を、手作りの木箱に片付けていく。
そこで、果竪のお腹が鳴った。
「……そういえば、お腹がすいたなぁ」
果竪はグゥグゥと鳴り続けるお腹に手を当てる。そういえば、まだ朝ご飯は食べていない。
「……一度食事にしよう」
確か、この前試しに植えていた二十日大根は見事に実った。それでサラダを作るのも良いかもしれない。ああ、確か小梅も食べたいと言っていたし、どうせだから作りに行ってあげよう。
小梅も自分にも、食事を作る料理神が居る事は頭の片隅に置き、果竪はすたこらと調理場へと向かった。
調理場が大根に占拠されたーー。
調理場を司る料理長は作業台の一つに両手をつき、項垂れた。周囲から「料理長!しっかりっ」と声が上がる。
「ふふ、見よ!この大根切りっ」
果竪は見事に二十日大根を切っていく。途中で繊細な細工切りもしている。実に見事だった。だが、その大根の量が多すぎた。
数百本もなんでーーと言えば
「小さいから数で勝負です!!いつかは、巨大なサイズにしようと思ってます!!」
もうそれ二十日大根じゃないから。
二十日でそうなったら恐ろしいから。
他の大根との違いが分からなくなるから止めてくれ。
「さて、次はトマト」
切り、と続ける前に果竪は自分の手を包丁で切った。
料理長が絶叫した。
「もうやめて下さい!!」
「何を言ってるんですか!!このぐらい、花嫁修業として、あ」
また手を切った。
「見てて下さい!私は必ずっ」
ニンジンを切る途中で危うく指を切り落としかけた。
「これはまだ序の口ですっ」
指どころか手首に刃先が向かった。
料理長も、その配下達も絶叫した。
何故だ?!何故そんなにぶきっちょなんだ?!大根は綺麗に切っていただろう!!
「ふっ……この私に挑戦とは良い度胸ですっ」
「もういいから、大根を素直に切ってて下さい!」
「全部切りました」
果竪はビシッと言う。包丁だけは手放さない。すると、料理長は目にもとまらぬ速さで包丁を奪い取り。
「料理が出来るまで良い子で外に出てて下さい!!」
果竪を調理場の外に放り出した。
無情にも閉められた扉は何度叩いても開かない。
「開けてぇぇ」
果竪は扉を叩付けた。
反応は無い。
「開けて」
「開けて」
「開けて、開けて」
「開けて、開けて、開けて」
開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開け て開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開け て開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて開けて
その間、扉が破壊されるかと言わんばかりに乱打される打撃音。
「あぁぁぁぁぁけぇぇぇぇぇぇてぇぇぇぇぇぇぇぇ」
ガリガリという音まで聞こえてきた。
もはや、それはホラーだった。中に居た者達は震え上がった。だが、ここに勇者が居た。
「小梅様に届ける花がまだ摘まれていませんので、それを取りに行ってきて下さい!!貴方様からの贈り物だと知ったらきっととても喜ばれますよ!!」
と、小梅をダシにしたエセ勇者たる料理長だったが。
「あ、じゃあ行ってきます」
果竪はあっさりと花摘みを了解した。扉から離れて行く気配に、ようやく調理場の張り詰めていた空気が和らいだ。
「俺、今日もう一神でトイレに行けない」
「それなら俺だってもう夜出歩けないっ」
「こ、恐かったぁぁぁ」
何をするか分からない相手の珍行動、いや、怪奇行動がまた一つ増えた瞬間だった。