第12話
それから、息も絶え絶えな修羅は鉄線に引きずられて小梅の診察の続きに連れて行かれ、同じく息も絶え絶えな朱詩は茨戯に回収された。
「ふっ、これで誰にも邪魔されずに【徒花園】を【大根園】にーーグフフフフ」
その笑い、絶対にヒロインの笑いじゃない。
本気でやってるのか、わざとやってるのか分からない、いや、ヒロインとしては駄目駄目な笑みを浮かべる最下位の妾妃に不安は覚えたが、残念な事にもう時間切れだった。
「くそっ!覚えてなよっ」
「大丈夫!私、完璧な鳥頭だから!!」
「どこが大丈夫なんだよっ!!」
三歩歩いたら忘れる頭に大丈夫だなんて言葉は無い。
「くそ!!茨戯離せ!!ボクは、ボクは戻る!!」
「そんな時間ないでしょ」
「手遅れになったらどうするんだ!!」
「既に手遅れだと思うけど」
それこそ、自分達が戻った時には【徒花園】が【大根園】になっていても全く不思議ではない。そうだ、きっとあの娘は【本物の果竪】というのは仮の姿で、実は【世界を大根で支配しようとする大根界の魔王】なのだ。
そんな存在が闊歩しているなんて、向こうの世界はなんて恐ろしいのだろう。
「くっ……大根なんて植えられない様に全てを焦土に変えてくれるっ」
「それ、魔王の台詞だから」
変態大根魔王と老若男女問わずに堕落させる色香と欲望の魔王の戦い。さぞや凄まじい光景となるだろう。一方はどう考えてもアダルト指定だが、もう片方は清々しい程の変態っぷりである。いや、清々しい変態っぷりという所でもう矛盾が生じているが。
「そんなに嫌なら、【徒花園】から出せば良いじゃない」
そうしたら話は簡単だ。
速攻で明燐側に拉致されるだろうが。
「ふざけないでよ」
それが分かっている朱詩は速攻で却下した。なんだかんだ言って、そういう手段を選ばない朱詩は実はかなりの常識神というか、公平者というか。
「そうなったら、陛下が大根変態魔王と結婚するって事だろ!!」
「あ!!」
そうか、それは見事なバッドエンドだ。周辺国もどん引きである。
「一応今は名ばかりだけど、明燐側に拉致られたら本物の夫婦にされちゃうんだよ?!陛下は素晴らしい方だけど、あの明燐は自分の目的の為には手段なんて選ばない!!いい?!いくら中身が変態だろうと、体はあの娘のものだ!!それで迫られたら陛下はっ」
朱詩はクワッと目を見開き叫んだ。
「陛下が穢される!!」
「アンタってどこまでも陛下大好きよね。なのに、陛下の精神力にはこれっぽっちも期待してない所が清々しいわ」
「陛下だよ?!そして、相手はあの娘の体だよ?!」
「中身も付けてあげなさいよーーいや、まあ、現在の中身はまずいけど。というか、現在の中身のまま陛下と結ばれたなんて事になったら、色々と大変な事にならない?」
「どう考えてもなるよ」
果竪もカジュもただでは済まない。
「絶対に【徒花園】から出せないわね。ああ、本神にも【徒花園】から出るなって言っておかないとね」
「出たら【徒花園】の奴等を一神ずつ殺っていくとでも後で伝えておくよ」
「何でよ。あと、葵花も【徒花園】の住神なんですけど。葵花傷付けたらアタシがアンタを殺すわ。あと、涼雪を傷付けたら明睡が黙ってないし、他の子達だってそうよ」
「馬鹿だねぇ、茨戯。そのぐらい言わないと止まらないだよ、あの変態娘は」
「朱詩」
茨戯は朱詩を可哀想な物を見るような眼差しで見つめた。
「あの奇想天外娘なら、【徒花園】の住神全員引き連れて逃げ出すかもしれないわよ?」
「……」
「そもそも、アンタの時間を使い切らせて時間切れにさせたんだしね。ほ~んと、頭が回るわ、あの娘」
茨戯がからかうように言えば、朱詩は舌打ちした。
それは、【徒花園】の出入り口を守る門番達には聞こえなかった。
出入り口を通り抜けると、一気に空気が変わる。それを全身で感じながら、朱詩は少し荒い足取りで歩き出し、茨戯はその隣を歩いた。
「まあアンタの仕打ちを思えば小梅が怯えるのも不思議ではないわ。この前も抱き潰したんでしょう?それでも小梅は心が広いわ。ほ~んと、ほんの一瞬だった んだもの。表にそれを出したのは。でも、それではい、終わり。あの娘は気づいちゃった。だから、アンタは排除された。いえ、正確には小梅の傍から遠ざけられた」
「……本当、ムカつく小娘だよ」
「なら力尽くで逆に排除すれば良かったのよ。それをしないですごすごと引き下がった時点でアンタは負け犬。まあ、もし排除しにかかっても、あの娘がそう簡単に引き下がったりはしないでしょうねぇ?それこそ、何度だって立ち向かってる」
茨戯は現在最下位の妾妃の体を動かしているあの少女の瞳を思い出す。
「ふふ、本当に楽しい娘だわ」
「ただの粋がる小娘だよ」
「あら?思ってもいない事を口にするなんて男らしくないわよ?」
「っーー」
クスクスと笑う茨戯に、朱詩は大きな舌打ちをする。そのまま二神は歩き、朱詩が使っている執務室へと辿り着いた。
「お茶なんて出さないからね」
「良いわよ?アタシの好みのお茶が出てくるとも思わないし」
そう言うと、一番嫌いなのを出してやると朱詩は憎々しげに吐き捨て、執務室の隣にある給湯室へと姿を消した。筆頭書記官という仕事柄、仕事で家に帰れない事はよくある。
だから、この執務室には給湯室の他に、仮眠室も造られており、朱詩はよくそこで眠っていた。これは他の上層部達も同様で、執務室に給湯室や仮眠室が基本で、中には簡易台所や小さな図書庫などを持つ者達も居る。
朱詩は給湯室で沸かしたお湯と茶器、お茶っ葉の入った缶をお盆の上にのせてもってくる。何気にお茶菓子ものっかっていた。
それを優雅な手つきで執務机の前に置いたガラステーブルの上にのせていき、お茶っ葉を茶器に放り込む。
「良い香りね」
「ありがたく飲んでよね、貴重な奴なんだから」
「うふふ、アタシ、アンタのそういうとこ好きよ」
「うげぇ!男に好きとか言われても何にも嬉しくない」
「アタシだって好きになって貰うなら女の子が良いわ」
その時、朱詩と茨戯の脳裏に、最下位の妾妃の顔が浮かんだ。
「……女の子にも種類があるよね」
「そうね。異性として認識できない子も居るわよね」
そもそも、あれは大根好きの変態だ。
「それで?」
「相変わらず偉そうねーーまあ、いっか」
茨戯は朱詩の向かいの長椅子でその長い足と腕をそれぞれ組んだ。
「新たな争事によって諍いは水面下から表に出始めたけれど、派閥の現状としては変わらないわ。遙か昔から続く皇宮の二大派閥自体に関しては今まで通りよ」
茨戯がどこか嘲笑う様に言う。
「だから、皇妃&宰相派と筆頭書記官&【海影】の長派という対戦図は全く変わりなし。第三の勢力が現れる様子も無いし、既存の派閥が新しい争い事でドンパチやってるだけって話よ」
「ふぅ~ん、あれから勢力がひっくり返されたり、出入りはしてないんだね」
「今の所はねーーああ、違うわね。【後宮】が今回の事で完全に掌握されたわ」
「ま、それは予想の範囲内だし、元々あそこはほぼ皇妃に掌握されているようなもんだったしね。それに、こっちは遙か昔に【元寵姫】達を掌握しちゃってるもん。イーブンイーブン」
今は亡き煉国。
凪帝国に喧嘩を売り、そして凪帝国の怒りを買い滅ぼされた国の王と上層部はとんだ男色家達だった。欲望のままに美しい男達を自国他国問わずに連れ攫い、多くの村や町を焼き、民達を虐殺した。
そして攫った男達は【寵姫】として【後宮】に閉じ込められ、王や上層部、または彼らと嗜好を同じにする客達に強制的に奉仕させられた。
【寵姫】と言う名の【奴隷】であったのは言うまでもないだろう。
そんな彼らは凪帝国に保護され、現在は帝国に仕える官吏として働いている。文官になった者も居れば武官になった者達も居るし、それ以外の職種についた者達も居た。
「ただし、【元神質】達の方の掌握は未だに半分に留まってるわ」
【元神質】達。それは、煉国の【元寵姫】達の親類縁者や恋神、親友、婚約者達だった。煉国の王達は自分達が手に入れた【寵姫】達が万が一でも自殺しない 様に、彼らの近しい者達を【神質】として捕え幽閉したのだ。【寵姫】達は【神質】達の命を盾に取られ殆ど抵抗出来なかったという。だが、【寵姫】達が【神 質】達の命と生活の保証と引き替えに地獄の境遇を堪え忍んでいたというのに、結局煉国の王達はその約束を反故にしていた。最低限【神質】達は生きていれば 良かった。【神質】達は常に暴力と暴言に晒され、下級兵士達やら盗賊や山賊、奴隷商神達に強制的に奉仕させられ、更には劣悪な環境に置かれ続けた。
強引に孕まされ、強制的に堕胎させられた者達も居た。
【神質】達こそ本当に生きていたのが奇跡だった。
【寵姫】達は王達の欲望に奉仕はさせられたが、それでも衣食住は保証されていた。飢えや寒さなどは無縁だった。【寵姫】達は、王達の大切な【女】だったのだから。
そして【神質】達もまた、凪帝国に保護され、【元寵姫】達と共に皇宮内にある保護区と呼ばれる、それこそ街一つがすっぽりと入る区域で生活を営んでいた。
中には、【元寵姫】達と同様に皇宮に仕える者達も少なからず居た。
「まあそれも、予想の範囲内だよね」
ただし、【元寵姫】達の動きが少なからず鈍るのは避けられないだろう。
【元寵姫】達は【元神質】達をこの上なく大切にしている。自分の【元神質】が敵対勢力に居る事によって寝返る事はしないだろうが、どうしたっていつものキレのある動きにはなりきれない。
だが、それは向こうも同じである。【元神質】達だって、自分達が大切に思う【元寵姫】達が敵対勢力に居れば、それを気にして動きが鈍くなるだろう。
全体的に【元寵姫】達と【元神質】達を比べれば、【元寵姫】達の方が比べものにならぬほど美しく優秀かつ有能であるのは一目瞭然である。まともにぶつかれば、間違いなく【元寵姫】達が勝つだろう。
だからこそ、向こうは【元神質】達を半分とはいえ取り込んだ。
それで十分だった。
そもそも、【元寵姫】達はあの地獄の様な日々を共に過ごした事で、その絆と信頼は非常に深く強いものとなっている。それこそ、【元寵姫】達の誰かが個神的に攻撃されれば、他の【元寵姫】達全員が切れるぐらいに。
そんな彼らは間違いなく一枚岩という関係性であり、この凪帝国における大きな【派閥】の一つとなっていた。実際、日々努力と鍛錬を欠かさぬ彼らは、元からの優秀な才能と能力と相俟って、今では凪帝国に欠かせない神材となっている。
彼らを怒らして無事で居られる者達など、凪帝国の皇帝夫妻か、上層部やそれに準ずる者達、またはその側近達ぐらいだろう。
彼らは非常に忍耐強い。
それはあの地獄の日々の中で培われたものだが、それは一種の才能であり脅威だった。
ある程度頭が回る者達であれば、積極的に彼らを取り込もうとするだろう。そうでなければ、徹底的に無視しして関わらないようにする。
ただ、実際には彼らは凪帝国の皇帝夫妻と上層部、それに準ずる者達に絶対的な忠誠を誓い、その存在に心酔している。
それ以外の者達が入り込む隙すら無かった。
そうーー自分達に忠誠を誓い心酔している彼ら。
その忠誠を誓われている者達の中には朱詩も茨戯も入っているが、同時に明燐や明睡も入っている。だから言い換えれば、皇妃側に付かれていた可能性だってあった。
基本的に、あの煉国での一件は朱詩が先頭に立って対処したから、一番【元寵姫】達や【元神質】達と関わりが深いのは朱詩である。
だが、それがどうした。
彼らにだって考える頭があれば心だって感情だってある。
自分達が正しいと思えばその道を選ぶし、違うと思えば敵対だってする。
たまたま、彼らの考えが朱詩達側に近く、共感を覚えただけの事だった。
だからこそ、彼らはあの時朱詩達を選び従ってくれたのだ。
日常的な主従とか、縁故とか、そういうのは関係なしに、自分はその件についてどう思うか、どちらの考えに近いかで、自然と派閥に別れていった。
文官達、武官達、それ以外の職種の者達。
あの日からずっとそうだった。
それでも、今もまだ皇宮内で収まってはいるが、下手すれば国全てを巻き込むかもしれない。いや、他国すらも巻き込む恐れがある。
「で、陛下は相変わらず中立?」
「そうよ」
ただ事実を確認する朱詩に茨戯は頷いた。
「じゃなきゃ、ここまで騒ぎは大きくならないわ」
「騒ぎっていっても、水面下でのね。流石に本来の業務に支障がない様にしてるじゃん、みんな」
「腐ってもプロだもの」
だが水面下ーー皮一枚下では壮絶な争いが繰り広げられている。主に現在は情報戦だ。と同時に、いかにして最下位の妾妃の身柄を奪おうかと皇妃派達は手ぐすね引いて待ち構えている。
「それに、そもそも水面下ではずっとずっと昔から、大なり小なり今まで衝突していたじゃん」
「それもそうね」
「そうだよ。それが久しぶりに表面下したのは今回の出来事だけど、今までだって表面下しなかったわけじゃない。ただ、今回はそれが大々的ってだけでーー」
いや、違う。
今までだって表面下してた事はあった。
ただ、全部忘れる様にしていただけで。
「それにさぁ、元々今回大々的ドンパチ中の二大派閥……皇妃&宰相派と筆頭書記官&【海影】の長派が形成されたのは今日昨日の話じゃないだろう?」
「……そうね」
ずっとずっと前に、上層部と上層部に準ずる者達を中心に、その二つの派閥に分かれてしまった。
「ま、話は戻るけど、あの馬鹿が【徒花園】から出たら速攻だね。さて、どうやって【徒花園】への出禁認定にさせてやろうか」
「アンタ……すっごく性格が悪いわね」
「これが平常運転だよ。それに、やらなきゃやられる。あの皇妃はそんなに甘くないよ」
そう呟く朱詩に、茨戯はクスクスと笑いながらお茶を口に含んだ。
「まあでも、修羅と鉄線が取り込まれなくて良かったよ」
「そうね。あの二神が取り込まれたらかなり厄介だったわ」
医師という仕事柄、彼らは基本的には【徒花園】への出入りが禁止される事は滅多に無い。とはいえ、修羅と鉄線の配下達はこれまたそれぞれの陣営に属してしまっている。
そうーーそのまま部署単位で各陣営に属している場所もあれば、部署の中であの神は皇妃派、あの神は筆頭書記官派という様になってしまっている所がある。
それで普通に仕事が成り立っているのだから、公私をしっかりと分ける官吏達に朱詩と茨戯は心の中で送っていた。
因みに、朱詩と茨戯が長を務める部署は、そっくりそのまま朱詩達の陣営に属していた。
「ま、簡単に言うと陣取り合戦だよね」
朱詩はお茶菓子を一つ摘まむと口の中に放り込んだ。
実は陣取り合戦なるものは常日頃から行なわれていたりする。最近大きな戦は無いが、いつ巻き込まれるかも分からない。自分達の腕が落ちるのを防ぐ為に、水面下でわざと争い事を生み出し、それに伴う陣取り合戦が行なわれる。
その場合の武器は情報が主で、別名情報合戦とも言われていた。
ただ刃物などの武器を振り回したり、神力を乱発するだけが戦いではないのだ。
情報は時には大きな武器となる。
いかに情報を得て制し、それを使用するかにかかっている。
腕は磨かなければ落ちる。
技術は常に新しい物を学ばなければ古くなる。
経験は培わなければ増えない。
だから、この平穏と呼ばれる事態に突入しても、凪帝国の上層部やそれに準ずる者達は常に自分達を磨き続けていた。
陣取り合戦やら情報合戦もその一つである。
ただ、どうしたって戦の時の様な鬼気迫る命のやりとりとは違う。
神によっては、一種の遊戯になってしまうのも仕方の無い事だった。
だが、今回の陣取り合戦は違う。
負ければ奪われる。
負ければ得られない。
凪帝国皇帝はこの件から手を引いている。
朱詩に最下位の妾妃を預けた後、萩波は無関心を貫いた。
そうでなければ、パワーバランスが崩れるから。そして、凪帝国が瓦解しかねないから。
それ程に、最下位の妾妃の扱いは難しいものだった。
皇妃派の者達ーーそれも、【始まりのカジュ】の時から彼女側だった古参の者達は、特に底知れぬ恨みを抱いている。怨嗟の声を実際には上げずとも、常に心の中で叫び続けていた。
いつからだろうか?
思いが違え始め、いつしか反目し合い、その件に関してだけはいがみ合うようになった。
そしていつしか、明燐はその願いに固執する様になった。
アナタハヘイカノハナヨメニナルノヨーー
妾妃と言うのは、あの娘に与えられた仮初めの地位だった筈だ。なのに、明燐はそれを真実のものにしようとしている。
自分の持つ全ての力を使い、明燐は自分の望む未来を叶えようとしている。だが、それは明燐だけの願いではない。明燐は同じ思いを持つ者達の願いである。
「下地は出来てたさ」
朱詩は白くほっそりとした指で新しいお茶菓子を摘まむ。
「ただ、それは全て水面下での事。いや、心の中で思っていただけだった」
寸での所で思いとどまっていた。
それを強く願いながらも、動かずに居たのはその絶妙なバランスが取られていたからだろう。だが、そのバランスが崩された。
「魂が入れ替わった。そう、魂だけ。見た目は変わらない。体はこちらのカジュのものだから。でも、普通は魂だけが別の世界の相手と入れ替わるなんて思わない。しかも、同じ見た目を持つ相手と」
だから、入れ替わった本神でさえ気づかなかった。
いや、ここが自分の本来の生きる世界だと思っていった。
まるでそう思わされたかの様に、ごく自然に。
そして周囲もまた、おかしいおかしいと思いながらも、一時的におかしくなっているだけだと思わされていった。
それも悪かった。
中身が全くの別神だと知っていれば話は違っただろう。
だが、そうでないならば、ただ自分達の知る相手がおかしくなっただけだと思う。
それに加えて、よりにもよってあの最下位の妾妃の中に入っていた魂はとんでもない発言を放ってくれた。
自分達の知るカジュとは全く違う様子に驚きまくっていた中で、【後宮卒業】を言い放ったあの娘。それが悪かった。
明燐は静かにバランスを崩していった。
いや、明燐と志を同じくしながらも、寸での所で思いとどまり、けれど水面下で燻り続けていた者達は同じ様にバランスを崩した。
一度バランスが崩れれば後はもう簡単だった。
あっという間に、明燐達は動き出してしまった。
おかしくなったカジュ。
それだけではない。
カジュは【後宮】から出て行こうとしている。自分達の手から離れようとしている。
自分達の前から去り、遠いどこかに行こうとしている。
ソンナノユルセナイ
余計に、その願いに傾いてしまった。
なぜなら、皇帝の妻になればその身柄は一生【後宮】に縛り付けられる。そうなれば、カジュはどこにも行けない。
だからこそ、余計に明燐はその考えに執着した。
ならば中身が違うと暴露すれば良かったのか?
いや、もう遅かった。
例え説明したとしても、明燐達は鼻で笑うだろう。
「それがどうだって言うの?」
確かに、中身が入れ替わっていればその状態で強引に花嫁にはさせないだろう。けれど、それこそどんな手段を用いてでも向こうの世界に飛ばされたあの娘の魂を引きずり戻すだろう。
本当の地獄はそこからだ。
本来の体にそれぞれの魂が戻るーーすなわち、こちらにこちらの世界のカジュが自分の体に戻ってくる。そうなれば、そのままカジュは本神の意志を無視して皇帝陛下に捧げられる。
おかしいのも、【後宮卒業】を宣言したのも違う世界の存在だと言っても駄目だ。
だって気づいてしまったから。
カジュは、いつだって自分達の傍から離れられるのだと。
その体の事なんて関係ない。
離れたいと思う事自体が罪なのである。
カジュがそう思わないで居るなんて事は無いのだ。
だから、もう遅いのだ。
気づいてしまったから。
自分達が信じていた未来など、どこにもないのだと。
相手が望めば、願えば。
それに、魂が入れ替わるという事を知れば、もっと厄介な事になる。
それは、魂を入れ替えてーー魂だけを外に飛ばして逃げ出す事が可能だという事に繋がる。
例え本神になんの力が無くても、条件が揃えばそれが可能となってしまう。そして、今現在入れ替わった魂は戻っていない。
つまり、そういう事だ。
向こうは逃げ出す可能性を考え、あらゆる手段でそれらを潰すだろう。
だから全てを打ち明けたとしても、事態は悪くなる。
カジュはよりがんじがらめにされ、囚われ、閉じ込められる。
いや、それだけで済むだろうか?
朱詩は茨戯と視線を交わした。
本来のカジュが向こうに飛んだ原因を、向こうの世界の果竪ーー現在カジュの体を使用している相手に求めかもしれない。
すなわち、果竪のせいでそうなったとして、何をするか分からない。
これは最悪の中の最悪の予想だが、そうなったら目も当てられない。
「……やっぱり、隠し続けるしかないわね」
「当たり前だよ。今の明燐には危険過ぎる」
もう少し冷静に判断出来る時であれば良かった。
だが、既にその機会は失われていた。
「もう少し早くボクが気づいていればね」
朱詩もまた、一時的におかしくなっていると思った。いや、最初は疑っていた。なのに、気づけばそう思わされていた。
そんな自分がどうして、偽物だと気づいたのかと言えばーー。
「朱詩?」
「……とにかく、今は時間稼ぎだね」
再び魂を入れ替えさせて、それぞれが本来生きる世界に戻す。
「明燐達に知られない内に、魂の入れ替えを行なわせる。それが一番リスクが少ない」
「それでも、既に果竪がこちらでやらかした事全てが消えるわけではないわ」
「全部おかしくなっていたとすれば良い。必要なら、何かの病名でもでっち上げれば良い。ああほら、【神力暴走症】とかあるでしょ?それで良いじゃん」
朱詩はケラケラと笑って手を振る。
「大事なのは、無事に向こうの世界の果竪を本来の世界に戻す事だよ。いい?絶対に傷付けさせるな」
「……もう色々と怪我してるけど」
明燐に背中を鞭で裂かれたし、シャンデリアから落ちたりもした。
「そうだよ、既にマイナス値どころかどん底だよ。けど、これ以上怪我させたらどん底突き抜けるよ。いい?向こうの世界にも、向こうの世界で生きるボク達が居るんだよ?」
朱詩は少し苛立たしげにテーブルを指でトントンと鳴らす。
「どんな性格をしてるんだか知らないけど、これだけは言える。ねぇ茨戯、お前は向こうの世界でカジュが怪我ばかりした挙げ句、殺されかけたなんて知ったらどうする?」
「……」
茨戯は笑みを浮かべた。
それはそれは綺麗な笑みだった。
底知れない、恐ろしい微笑みだ。
「笑って仕方ないさーーで許せる?」
「……」
「殺されかけたならまだ良い。最悪、『余計な魂が入っているからいけないのですわ。無くなれば戻ってきますもの』と言って、単純かつ穏便に魂を入れ替えさせるだけならまだしも、いらない魂は消してしまえとばかりに殺したら?魂を消滅させたら?向こうの世界に戻れ無くさせたら?」
「……」
「ゆ る さ な い よ ね?」
朱詩の言葉に、茨戯は笑みを崩さなかった。
「それぐらい、今の明燐達はやばい。今はひたすら坂を転がり落ちている」
「ーーええ」
こちらの予想以上におかしくなり続けている。
穏便に魂を入れ替えさせるなら良い。けれど、強行手段を、それも残忍極まりない方法をとったらーー。
そしてそれを向こうが知ったら。
最悪、果竪もカジュも死ぬだろう。
「本当に厄介な事ばかりだよね」
そう言いながら、朱詩は先程とは違う笑みを浮かべている茨戯に気づいた。
「何か楽しい事でもあった?」
「いえーーただ、ふと思ったのよ。もし、この世界に【本物の果竪】が死なずに生きていたらどうーーあらん、そんな恐い顔しないでよ。もしもは所詮【もしも】でしかないんだから。そうでしょう?想像するぐらい自由にさせてよ」
「所詮現実にならない事を想像する時間なんて無駄じゃない?」
「あら、所詮世界は現実と奇跡から出来てるんだから、そうでもないんじゃない?そもそも、アタシ達が奇跡と摩訶不思議の具現化した様な存在なんだし」
茨戯はクスクスと笑って足を組み直した。
「まあでも、皇宮が大根で埋め尽くされるのはちょっと嫌ね」
「思い切り嫌だよ。はぁ~、カジュがあんなのじゃなくて良かったよ」
「そりゃあそんな風に育ててないんだから当たり前よ。そもそも、アタシ達は【本物の果竪】は良く知らないわ。知ってるのは、陛下の思い出話に出てくる【本物の果竪】だけ。【本物の果竪】と話した事もなければ見た事もない。それに、思い出というのは美化される。それは陛下の思い出もしかり。実際に会って話を して、その神となりを知らないアタシ達では、どうしたって陛下の思い出に影響される。その思い出の通りに育ててしまう」
「ーー大根栽培が上手だっていう情報、そういえばあったよね」
「あら、それはとんと忘れていたわぁ」
嘘だ、と朱詩と茨戯は自分に突っ込みを入れた。
忘れていたというよりは、聞いた瞬間にその情報を切り捨てたのだ。別に大根栽培なんて出来ようと出来なかろうと関係ないーーと。
だが、向こうの世界で生きる【本物の果竪】の大根に対する奇妙な執着には凄まじいものがあった。向こうの世界だからそうなのか、こちらの世界でも実はそうだったのかーー。