表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ダーク耽美系

peony pink〜キミが為

作者: 斉凛

 君がため 惜しからざりし 命さへ

    ながくもがなと 思ひけるかな


      ただ、ただ願う……愛しい貴方の幸せを。

        貴方の為に、少しでも……長く側にいたい、そう想う程に。


ーーー



 あの美しかった薄桃色の唇が、今はすっかり青ざめている。濡れ羽色の髪が青白い肌を一層白く見せ、か細くやせ細った華奢な腕は、触れただけで消えてしまいそうな儚さだ。

 微かにゆれるまつげだけが、今まだ彼女がこの世にいるのだと、信じられる唯一の証である。


 弓張月の弱々しい光が、障子を通して部屋の中へと満ちて行く。月明かりだけでは心もとなく、灯籠の灯りが揺らめきながら、眠る少女を照らし、怪しい程の美しさを彩っていた。


 総一郎は愛する少女・朱白ましろを見つめていた。今まさに散りゆく命を止める術もなく、自分の無力さに打ち拉がれていた。

 最愛の人の死を間近に……青年の心は気が狂わんばかりに荒れに荒れ、しかし外から見るとまるで冬の海のように静かな顔をしていた。


 部屋中に視線を彷徨わせ、鏡台にあった小刀に落ちた。

 立ち上がって淡々とその凶器に触れようとしたその時……。


 ーー朱白がうっすらと目を開けた。総一郎は慌てて駆け寄りすがりついた。


「……僕を置いて行かないで……僕も……君と共に」


 絞り出る雫のようにこぼれる音に、少女は儚く可憐に微笑んだ。残りわずかな命の炎を燃やし尽くすように、温かな声がかつて薄桃色だった唇から紡ぎだされる。


「総一郎様……だめです……。生きて……約束、してください……」

「……約束?」


 顔を近づけないと聞き取れない程か細い声に、必死に耳を澄ませる総一郎。透き通った繊細な朱白の声を聞ける最後の刻……だったから。


「雪が降ったら……私はまた貴方のお側に参ります……約束……で、す」


 そう言い終えて、可憐に微笑みながら朱白は死神にその身をゆだねた。

 残された総一郎は愛する少女の名を激しく叫び、気を失うまで繰り返し名を呼びながら泣き続けた。





 総一郎が目を開けた時、自分が布団の上で不自然な体勢で倒れている事に気がついた。眠る前の事を思い出そうとするが靄がかかったように曖昧だ。

 ……何か、何か大切な、とても大切な何かがあったはず……。そう想う気持ちはあるけれど「何か」が思い出せない。

 不意に寒気を感じて身をふるわせる。障子を開けると冷たい風が湿った空気を部屋へと運んできた。


「雨が降る……かな。もう冬も近いし寒い……今日は何か温かいものを食べよう。そう……君の作ってくれたアレが……」


 言葉に出てから気がついた。


 君って誰だ?

 アレってなんだ?


 思い出そうとしてみたがわからない。首をふって違和感をふるい落とし、総一郎はため息一つこぼした。



 欠けた心を抱えて総一郎はそれから日々を過ごした。何も変わらない、前と同じ日々のはずなのに、世界はまるで色を失ったように、心動く物が何一つ無かった。

 ただ生きて、寝て……それを繰り返す日々に、違和感を抱え続ける自分に、苛立っていく。



 ある日夜道を歩いていたら、ふわりと漂う花弁のような、ひとひら。頬に落ちると体温を奪って消えて行く。


「初雪か……」


 思わず空を見上げ立ち尽くした。ゆっくりと、しかし徐々に雪の量は増えて行く。降り続く雪を眺めているうちに、気がつくと地面はうっすらと雪が積もり始めた。

 肩に薄くつもった雪を振り払い、諦めたように歩き始める。


 その時視界の片隅に、薄桃色の色彩を感じた。


 アノ、ヤワラカで、アマイ……クチビル。


 かすかに脳裏に過る色彩の記憶。目を落とすと、降り積もる雪の中で健気に咲く一輪の花を見つけた。薄桃色の優美な花びらに彩られた、花の蕾が雪の重みに耐えてそこにたたずんでいた。

 引き寄せられるように、手を伸ばし、その蕾を手折ろうかと想い……しかし一寸躊躇った。


 結局土を掘り返し、その花の苗ごと家に持ち帰った。いつから家にあったかも覚えていない鉢植えに移し替えると、雪の中で見た時より、花は一層美しい輝きを放って見えた。

 今にも咲きそうなふっくらとした大きな蕾は、とても豪華な形なのに、見ればみるほど慎ましやかで愛らしい、楚々としたたたずまい。玻璃のような硬質な透明感と、羽二重のような柔らかな質感を持った不思議な花びらから目が離せない。


 総一郎が、ぼうっと……花の蕾に見蕩れていると、ゆっくりと蕾が咲き始め、煌びやかな光が瞬いた。

 幾層もの花びらに包まれたその中心に、赤い実があり、その実が光を帯びて拡大して行く。

 見る見るうちにその実は、手のひら程の大きさの人形へと変貌して行った。ソレを見た時総一郎は全てを思い出した。


「朱白!」


 陽炎のような薄羽を持つ小さな少女は、朱白をそのまま小さくしたような姿をしていた。今にも消えそうな程儚いその姿に、総一郎は両手でそっと包み込むように触れた。生き物とは思えない冷えた肌が人形のようだ。


「総一郎様……」


 鈴を転がした様な愛らしい声が、総一郎の頭の中に響く。耳ではなく、脳に直接響く様なその不思議な声に、甘い痺れを感じた。


「雪が降ったら、お側に参ります……と、お約束致しましたので……」


 はにかむように微笑む朱白の姿を見て、総一郎は思わず涙をこぼしそうになる。

 自分の心に欠けた何か……をようやく見つけ出せてほっとした。


「朱白……ずっと、ずっと一緒にいよう。もう……分かれたくない」


 その言葉に朱白は微笑むだけで言葉を返さなかった。その寂しげな微笑みが総一郎の不安をかき立てても。


「総一郎様……雪が見たい……です」


 朱白のささやかな我が儘に愛おしさを感じながら、総一郎は障子を開けた。雪はやみ地面に雪が降り積もっている。月明かりを受けた雪が光り輝くように美しい。


「ふふふ。雪明かり……綺麗ですね」


 ころころと笑いながら、朱白はふわりふわりと夜の庭を飛んでいた。かすかな輝きを帯びた朱白の体は、まるで蛍のように美しく、静まり返った白銀の雪景色の中に、幻想的な空気を作り出していた。


「朱白……綺麗だ。君は今も変わらず……」

「総一郎様? 私は……総一郎様に笑っていただきたいのです。総一郎様が幸せなら、私も幸せです。貴方の笑顔を見られるなら、一晩舞を踊り明かしましょう」


 朱白が軽やかに舞うように飛び回る姿を見て、総一郎は自然と頬を緩ませ、うっとりと見蕩れていた。




 不思議な事に総一郎以外の人間に、朱白の姿は見えないようだった。

 だから朱白は昼間は総一郎の肩に乗って共に過ごし、夜は薄桃色の花の寝所の中で眠った。無邪気に花の中で眠る朱白の姿を見るだけで、総一郎の心は幸せだった。

 そんな昼と夜をいくどか繰り返し、徐々に寒さがゆるみ、雪解けが近くなってくるころ、薄桃色の花は瑞々しさを失って……。


 ひとひらづつ、はらり、はらりと、散って行った。


 散った花びらは形も残さずに空気に消えて行き、朱白の存在も朧げになっていき、総一郎の不安は日増しに増えて行った。


「総一郎様……大丈夫です。お約束は守ります。また……雪が降ったらお側に参りますので……」


 そう寂しげに微笑む朱白の姿に、総一郎は首を振って拒絶し、朱白を引き止めようとその小さな体を両手で包み込む。体温を感じないひんやりした肌が悲しくて、朱白の頭に口づけ、何度も愛の言葉を繰り返した。


 しかし……花びらは、ひとひらづつ、舞い散って、ついに最後の一枚が落ちたその時、朱白は姿を消した。花のあった植木鉢の上に、赤い雫の様な実を一つ残し、総一郎の記憶からも消え去ったのだった。




 薄紅色の屋根の連なりが、蒼穹の空を切り抜いていた。風にふわりと舞う花びらが一つ、総一郎様の手のひらに舞い落ちる。手の中で消える事は無く、確かにそこにある花びらを見て、なぜだかとても悲しかった。

 桜咲き、花びらが舞い、川に花筏が生まれ、春の訪れに皆が喜ぶ季節になっても、総一郎の心は晴れなかった。


 まだ……自分の心に欠けた所がある。そう感じていた。でも……不思議と前ほど焦りは無かった。ただ……時の流れがひどくゆっくりと感じてしまう。

 桜が散り、蝉が鳴き、紅葉が絨毯を作って……そして……その先を思い浮かべて総一郎は首を振る。今はまだ春。一年の始まり……なぜ焦るのか……。自分の身の内に潜む何かに首を傾げていた。




 空の青さは春よりも濃く、白い雲との対比は力強さを見せて、強い日差しに誰もが口を重くする、そんな季節。湿気を多く含んだよどんだ空気の中、総一郎はつまらなそうに話を聞いていた。


 ーー縁談。なぜそう……人を急かすのか。まだ自分には早いだろう。そう否定しつつ、時期尚早というだけではない、心の中の何かが強く拒絶した。

 相手は隣町の呉服屋の娘らしい。その界隈では小町と絶賛される程の美女で、気だてもよく利発で、縁談の話も引く手数多だそうだ。

 それだけ良い娘さんなら……余所へいけばいいのに……なぜ自分の所に話が来るのか……理解できないと首を振る。遠くに聞こえる蝉の音に耳をすませる。油蝉からひぐらしへと音色が変わり、夏の終わりを感じた。

 夏が終われば、秋が来て……そして冬がくる。それがなぜだか待ち遠しく、冬に恋いこがれる自分がおかしくなる。

 このところ自分は何かを酷く恐れている気がする。心のどこかが欠けているという感覚が、ほんの少しづつ和らいでいて、その事にほっとする以上に恐れを感じていた。




 黄金、山吹、黄朽葉色。柿、橙、弁柄……唐紅。美しく色づいた木々から、鮮やかな一葉が舞い降りて、道に絨毯を作り出していた。

 総一郎が俯いて歩いていると、ぽつりと頬に雫が舞い落ちる。


 ーー雨が降って来たか……。傘はなく、家も遠い。雨は急速に強くなって行く気配で、どうしたものかと思いあぐね、近くの軒下で雨宿りをする事にした。

 秋の嵐が通り過ぎるのをぼんやり待っていると、雨の靄の向こうから、鮮やかな朱が目に飛び込んでくる。初めは小さなしみのような朱が次第に近づいて来て、傘だとわかった。

 ーー朱傘をさした薄桃色の着物の女が近づいて来た。傘に隠れて顔は見えない。でも……その着物の色を見ただけで心がひどくざわめく。傘の近づく速度が、ずいぶん緩慢にみえて仕方がなくなり、じれて総一郎は雨の中飛び出した。傘の主が驚いて見上げる。


 ーー美しい女だった。透き通る肌も、ほっそりと長い首も、形の整った目鼻立ちも、ひときわ目を引く物だ。それなのに……総一郎はひどくがっかりした。

 ため息一つ残し、無言で頭を下げ、濡れ鼠になりながら、家路へと歩いて行った。

 後で聞いた話だが、あの美女が縁談相手だったらしい。確かに美しい女だった。一目見ただけだが、優しい雰囲気を持つ気だての良さそうな女だ。

 ただ……一瞬でも心を奪われかけた自分に、酷く罪悪感を感じるのが理解できない。最近は心に欠けた何かも気にならなくなり、冬を待ちわびる気持ちも薄れた。


 それでも……まだ確かに何かが総一郎の中に残っていた。





 ーー会って話をするだけだから……そうしきりに周り勧められ、断るのもおっくうになり、とうとう縁談相手と会う事になった。葉の落ち切った木々は寒々しく、吐く息は白く、空はどんよりと曇っていた。空気に感じる湿った匂いに雨が降るか、雪が降るか……そう思いながらいつものように布団の中に入った。

 翌日、寒さで目が覚めて、布団から出るのも辛い……そんな朝だった。障子を開けると夜のうちに雪が降ったようで、朝の日の光を受けた雪の絨毯が美しく輝いている。

 その景色を見た途端、急に心が強くざわめいた。よろめく視界の中で、忘れかけていた部屋の片隅に目をやる。

 1年埃を被っていた植木鉢。そこにいつの間にか一輪の花があった。膨らみ切った蕾が、今にも咲きそうな風情だ。それを見た途端、一気に朱白の記憶が総一郎の頭の中に溢れ出す。


 なぜこんな大事な事を自分は忘れていたのか……。目眩がするほどの衝撃を受けながら花の前へと歩き出す。ゆっくりと開くその花の中から……また朱白が産まれいでた。


「……朱白」


 絞り出すような涙声で愛しい少女の名を呼ぶと、彼女は儚く微笑んだ。


「お久しぶりでございます。総一郎様」

「……ああ、ああ……なんて愚かだったんだ。この一年君の事を忘れるだなんて」


 朱白は華奢な首を振り、母が我が子を見るように、慈愛の眼差しで告げた。


「仕方がない事でございます。それが理、世の定め。それでも……私はいつも総一郎様を見守っておりました。お側を離れていても、目には見えなかったでしょうが、一年中貴方様のお側におりました」


 そう言われて喜びより先に、身が凍った。思い出したのだ。今日縁談相手と会う約束になっていた事を。朱白の事を忘れて、自分は何をしようとしていたのか……その事を思い出しただけでぞっとした。


「……すまない。朱白」


 項垂れる総一郎の頬に、そっと寄り添うように朱白は触れた。


「総一郎様は何も悪くありません。総一郎様が幸せなら、私も幸せだと、申し上げたではないですか」


 総一郎の頬に流れる雫を、朱白はそっと撫でて拭き取った。もはや総一郎も理解した。朱白と共に過ごせる時は短いのだと。これほど彼女を強く愛する気持ちさえ、忘れ去ってしまうのだと。

 その事がどうしようもなく悲しく、朱白の冷たい肌に触れ、確かにここにいるのだと感じた。


 一冬、総一郎は部屋に引きこもった。眠る事さえ恐れた。刻一刻と過ぎ行く季節に、朱白との別れの時が近づく事に恐怖した。

 毎日、毎日、愛の言葉を囁いても、朱白は悲しそうな目で見つめるだけ。

 とうとう花が萎れ始めると、総一郎の狂気は山を迎えた。


「君を忘れて生きるくらいなら、今この時を最後に……」


 何度小刀に手をかけて、朱白に泣いて止められた事か。朱白の涙を見ると、総一郎は抗う事もできずに小刀を下ろした。


 はなびらが、ひとひら、はらりはらりと、舞い落ちる。残された花びらが少なくなって来た頃、すっかり衰弱した総一郎が意識を失った時、朱白は泣きじゃくって許しをこうた。


「申し訳ございません。総一郎様。私は……私は……」



         ただ、ただ願う……愛しい貴方の幸せを。

            貴方の為に、少しでも……長く側にいたい、そう想う程に。



 ーーしかし……それは愚かな女の我が儘であったと。愛する人の側にいたい。でも……それが貴方を苦しめるだけなら……。



 朱白は残された花びらを引きちぎって落とした。花の中心から滴り落ちた、雫の様な赤い実を、朧になった朱白の体が包み込む。

 そのまま朱白は宙を舞った。外へ出てふわりふわりと風に舞い、流され、何処かへと消えて行った。



 目を覚ました総一郎は、酷く体が重く感じた。何かとても幸福な夢を見ていた様な気がしたのだ。しかし……夢の残滓が、手に掴んだ砂のごとくこぼれ落ちて行き、どんな夢だったかも思い出せない。

 何か、酷く心を揺さぶっていた重荷がとれた気がした。


 ほっとため息をつき、そして涙をこぼした。その涙の訳を、総一郎は知らなかった。



 紺碧の下、美しく彩られた花嫁行列がゆっくりとそぞろ歩く。どこに嫁ぐのかと噂の呉服屋の娘がとうとう嫁ぐ。そう聞いて街の人々は暇を作っては、花嫁行列を眺めに行った。

 冬の淡い青空の下、急に日が陰って人々は驚き空を見上げた。


「兎の嫁入りだ」


 晴れた日に雪が降る事を、そう言う事もあるらしい。空から舞い降りたひとひらの雪が、道ばたの草木に雫を落とす。

 その草花の一つに、薄桃色の比べようもなく美しい花がある事に、誰も気づかなかった。


 花は花嫁行列を見て、嬉しそうに揺れた。

 それは……風のせいで揺れただけかもしれない、でも……その花に宿った少女の心は、心から愛する人の幸せを喜んでいた。


「ただ一人貴方だけを想う」


 そう……花が呟いている気がした。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 儚い雰囲気、空気感が、切ないストーリーに絶妙にあっていて素晴らしいです。 文章表現の一つ一つがとても細やかで丁寧。 非常に美しい作品だと思いました。 [一言] 切れ味のある短編ですね。 胸…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ