Scene 8 かわいいひと
夜のはじまりはいつも緊張する。またたくイルミネーションの下、つないだ手はもうつめたくなかった。
「こ、混んでますね」
「この時間帯の駅前はさすがにね」
駅前から一歩踏み出せば、そこは昼間とはまったく違った世界だった。軒を連ねる商店街、赤、緑、青、黄色、さまざまな色がひしめき合う通り。何かから解放されたような大人たちが往来するアスファルトを踏みしめるように歩く。
目的地はこの通りの先にある大きなショッピングモール。駅から十分くらいの場所にあるそこには、きっと彼の気に入る手袋もあるだろう。
日が落ちて群青の空。寒さにふるえる星の下。彼と手をつないで歩いていることがくすぐったくて、ちらりと隣を横目でうかがう。すると、口の端をゆるめて意地悪そうに笑う彼と目が合って息が詰まった。
「奈緒は見た目に反してずいぶん優等生だな」
「……見た目ってどういうことですか」
自分の外見をあまり気にしたことはないけれど、あたしは世間一般的にあまり真面目には見えないらしい。未羽と歩いているときも他の子に種類が違うと言われることがある。
あたしの憧れは未羽で、未羽のようにふわふわしてやわらかそうで女の子らしいかわいい子になりたいのに。彼にもそう思われていたのかと思うとちょっとショックだ。
あたしはこのひとの目にどんなふうにうつっているのだろう。知りたいことが頭をもたげてきたそのとき、つないでいた手が急に引っ張られて体を引き寄せられた。
「なっ、」
突然のことに体を強張らせていると真横をスーツ姿のおじさんが足早に通り過ぎて行った。どうやら彼はあのおじさんを避けるために手を引いてくれたらしい。
「あ、りがとうございます」
「どういたしまして。俺は役得だったけどね」
「……もう離してください」
身をよじると腕はあっさりと離れていった。こっちが拍子抜けしてしまうほどに。
「女子高生のお手本みたいなのに、中身とのギャップが著しい」
「は、」
「褒めているんだ。奈緒は素直でかわいいって」
「……っ!? からかってますね!」
かわいいかわいいと連呼されてうれしくないはずがない。女の子同士の『かわいい』とはまた違った響きが耳に甘く残る。彼の言動に深く沈んでいくような気がした。
「ここに入ろうか」
「あ、はい」
足が止まったのはレトロなランプの灯るカフェだった。オレンジの明かりが店の木目を浮かせて落ち着いた雰囲気を醸し出している。
「少し休憩しよう。喉が渇いたし、この後もう少し歩くしね」
彼が店の扉を押したとたん、上についていたらしい鈴がちりんと音を立てた。店員さんの案内に従い、窓側の席を選んで離れていく手。さみしいと感じてしまったのはどうしてだろう。
足を踏み入れたカフェはあたたかくて、あたしたちのほかに数人ほどお客さんがいた。飴色のつややかな椅子に腰を下ろして気づかれないように手足を伸ばす。自分で思っていたよりも緊張していたらしい。
開かれたメニューを見て適当に注文をする。ココアを頼んだあたしを見て、向かい側に座った彼はくすり笑った。
「そういえば、気になっていたんだけど」
「なんですか」
「それ」
「ど、どれですか」
「だから、それ」
押し問答を繰り返していると注文した飲み物が運ばれてきて、いったん話は中断。甘ったるいココアと苦いコーヒーのにおいが席を包む。
「敬語。使わなくていいっていっただろう」
白い湯気の向こうに彼が見える。香ばしい香りがそれを大人びたものに演出していた。
「だって、紘さんはあたしより年上じゃないですか」
「奈緒は一年?」
「あたりです。紘さんは……三年生ですか?」
どう考えても彼は年上だ。落ち着いているし浮き足立ったところもない。昨日、あんなに帰り時間が遅かったのは勉強のためだろう。なんたってあの有名進学校に通っているくらいだし。
「残念、二年だよ」
「それでも年上には変わりないじゃないですか」
「早生まれだから、まだ奈緒と同い年。だから敬語はナシで。あとさん付けってのはいただけないな」
昨日も呼び捨てで構わないといわれたけれど、いくらなんでもそれは無理。できっこない。そんなあたしの考えを読み取ったのか、彼はあきれたようなため息をついた。
「呼び捨てにって言ったとしても無理そうだから、くん付けで許してあげるよ」
「ひ、ろくん?」
口にした名前。伸ばされた手。髪に触れる指とてのひら。
「よくできました」
ぽんぽんとあたしの頭を撫でる彼がうれしそうに笑うから、熱い頬も触れられた髪も喉と胸に広がる甘味も全部ないまぜになって、どう反応したらいいのかわからなくなってしまった。