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Scene 5 アナタノナマエ


「ヤケドは、」

「してません、から、はなし、」

「どこかに痛みは?」

「だ、大丈夫です……って、そんなに笑わなくてもいいじゃないですか!」


 気遣ってくれつつも笑いをこらえる彼を、本当に意地悪だと思った。

 定期を探してくれたのも、ただの気まぐれなんじゃないだろうか。


「もう、平気ですってば! お願いだから離して下さい!」

「こうやってると、きみがお姫様で俺がその下僕みたいだな。本当にケガしてないね?」


 その言葉どおり、現在のあたしはお姫様のような扱いを受けていた。

 足元にしゃがみこむ彼の手に乗せられたあたしの足。ひざまずいて様子をうかがってくるその体勢がとにかくいたたまれない。


「大丈夫です!」


 強く首を振ると満足したのか手を離された。差し出された靴下と靴をあわてて履く。触れられた足首はココアがかかったわけではないのに熱くてたまらなかった。

 

 下僕に対してこんなに必死なお姫様がどこの世界にいるのだろう。本来なら彼が王子様でその下僕があたし。逆らえないのはあたしのほうだ。


「こぼして、ごめんなさい」

「原因は俺にあるみたいだから気にしなくていいよ。だけど、」


 中身をこぼしてしまった空き缶に手を伸ばした彼は、言いかけたものを残して自販機横のゴミ箱へと歩き出す。暗闇に落下する銀色はカランと乾いた音をたてた。


「ほんとうに、かわいいと思ったのに」


 振り返りざまに繰り返された言葉。そのセリフに落ち着いていた熱が激しく散る。

 どうしてこう、このひとは火に油を注ぐようなことばかりするのだろう。意味は違うけれど、彼はあたしのどこかで発生している火事ををあおるばかりだ。


「からかわないでください! そんなことはじめていわれました!」

「からかってないよ」


 きっぱりと放たれたものに思わず目を向ければ、彼のさっきまでの笑みはどこかへ消えていた。あたしを射抜くまっすぐな視線は電車ですれ違うときのようにぶつかってそらすことができない。


「奈緒、顔真っ赤」

「……っ! く、暗くて、見えてないと思いますけど!」


 駅の照明はこの植え込みにまで届かなくて、ほとんど光は入ってこなかった。

 この状況であたしの表情まで読み取れるはずがない。そう確信してにらみつけたのにゆっくりと歩いてきた彼にふいに手を伸ばされて、思わず目をかたく閉じた。


「ほら、熱い」


 頬にひんやりとした指の感触。閉じていたものをひらいて彼を見る。

 爽やかで優しくて、でもちょっと意地悪で、穏やかな笑顔をその顔に浮かべているのに口から出る言葉は心臓に悪いものばかり。


 きっと、このひとは女の子にものすごく人気があるにちがいない。

 だって、このままじゃあたしもだまされてしまいそうだ。


「……手が冷えてますよ。早く帰りましょう」


 この状態から逃れたくて、膝にかけられていたマフラーを突き出す。冷たい指先がすくい上げていった青は、視界をふさぐように広げられた。


 首の後ろを通って包まれていくやわらかい毛糸の束。夜を埋めつくす彼の青。自分のものじゃないにおいと、温度と影。


「寒いのはおたがいさまだろう」

「でも、これ」


 巻きつけられたマフラーが上がり続ける熱を蓄熱させてあたしをさらに赤く染めていく。頭上から降る甘い響きがくすぐったくて、前を向いていられなかった。


「いいから。送れなくてごめんな」


あたしの頭を冷たくて大きな手がぽんぽんと撫でる。


「じゃ、気をつけて」

「まっ……!」


 遠ざかる影にとっさに手を伸ばした。自分の行動にいちばん驚いたのは自分自身で、それでもつかんだものを離そうとは思わなかった。 


「あ、のっ、名前! あなただけが知っていて、あたしが知らないのは不公平です」


 行かないでほしいとかそんなのじゃない。もう少しいたかったとかそんなこと思ってない。たぶん。だけどこのまま離れてしまうのはいやだった。


「なんだと思うって言ったら、怒りますからね」

「言わないよ」


 制服の袖をつかんでいた指に触れられて、丁寧に外された。あたしの手を包んでひらいた彼はそのつめたい指先を熱に染まるてのひらにすべらせていく。


「糸偏に広いと書いて、ひろ。呼び捨てにしてくれて構わないよ」


 離れていく指先とてのひらに残る感触。見上げた先に彼の笑顔。 


「待っていてくれてうれしかった」

「ま、待ってませんてば」

「それでも、うれしかった」


 離れていく背中をただ見ていた。

 青いマフラーからは彼のにおいがして、それだけで胸がいっぱいになってしまった。


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