Scene 2 そして ふたり
どうしてあのひとは、わざわざ落とした定期を探してくれたんだろう。
あたしたちは、すれ違うだけの関係だった。それだけだった、はずなのに。
「さむ……」
いくら考えても答えは出なくて、駅外の植え込みに腰を下ろした。見上げた空はあのひとの制服と同じ色。 吐き出した息は少しだけその色をぼかして、胸のなかさえもにじませた。
何をしたいのかわからないのに、どうしてここにいるんだろう。もうきっと帰ってしまったにちがいない。こんなところにいるあたしに気がつくわけがないし、声をかけてくれるはずもない。
ばかみたいだ。
そう思っているのに、この足は一向に動く気配もない。
いつのまにか七時を過ぎた駅前。帰宅途中のひとたちの視線が痛かった。
早く帰って、明日の用意をして、何もなかったかのように眠りたい。でも、この迷宮の出口はあのひとにあるような気がしてならない。
かじかむ指先に息を吹きかけて、ローファーのつま先をこすり合わせた。
薄墨に染まるコンクリートが自分の影で一層深くなっていく――そのときだった。足音とともに空よりも濃い夜が訪れたのは。
「また、何か落としたの?」
低い声は頭上から降りそそいだ。
見えたのはあのマフラーと焼きつくように離れなかった、青。
「それとも、俺を待っていたのかな」
遠くから見るだけだった、あの目とぶつかる。
どうして。
あたしの声は、夜に溶けて消えた。
いつも遠くから見ていただけだったから、顔かたちまでは分かっていなかった。だけどいま、目の前にあのひとは立っている。すらりと伸びる足。思っていたよりもずっと身長が高かった。長くもなく短くもない黒髪が冷えた風に揺れている。
「俺を、待っていたの?」
にこやかに、はっきりと繰り返された問い。混乱する思考は追いつめられて、音を立ててはじけた。
帰ることができなくて、通り過ぎる青いマフラーを目で追ってばかりいた。会えたらいいとは思っていたけれど、まさか本人が本当に現れて話しかけてくるなんて思ってなかった。
「あ、あの、」
あなたを待ってました――これは違う。
どうして定期を探してくれたんですか――これじゃストレートすぎる。
どうしよう。どうしたら、いいんだろう。
「じゃあ、俺から質問しようか。ココアと紅茶、どっちが好き?」
突然、にっこりと笑うそのひとが右方向に指を差す。
「え、」
「ココアと紅茶、どちらがお好きですか?」
どうやらその指は近くに設置されていた自販機を示していたらしかった。
「コ、ココア、が、あの、」
「了解。じゃあ、ちょっと待ってて。あとこれ、寒いから」
その首にあった青いマフラーが外されて、あたしの膝の上に落とされた。剥き出しの足に降ってきたものはびっくりするくらいやわらかくて、あたたかかった。