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Scene 1 大事な君に、嘘を。




 結局、学校に着いたのは二時間目の鐘が鳴り終わったあとだった。




「おはよう! 未羽、ごめんね! 遅れ、」

「……奈緒、もうちょっと遅刻して」

「は?」


 そんなひとことで、言われるがまま階段を駆け上がり屋上へ。授業開始の見回りをやり過ごせば、この場所はサボリに最高の場所だった。


「んー、やっぱり風がつめたいなあ」


 太陽に手を伸ばして、小さい体で大きく背伸びをする彼女。陽のひかりを受けて、砂糖菓子みたいな髪がきらきらひかって見える。


「藤原さんがサボりだなんてめずらしいんじゃないですか?」

「たまにはいいんじゃないですか? っていうか、なんで敬語?」


 小さくて、砂糖菓子みたいで、ふわふわした雰囲気を持つ甘い顔立ちの女の子。もし、定期をなくしたのが未羽だったら、あの青いマフラーのひとが探してくれた理由もわかる気がする。


「駅でうろうろしてたってほんと? 何か探してるみたいだったってクラスの子が先生にいってたけど」

「え、目立ってたかな。実は定期失くしちゃって、ずっと探してて遅刻したんだよね」

「遅いからおかしいなあと思って連絡したのに。見てなかったでしょ」


 未羽が不機嫌そうにすねた顔をして、くちびるをとがらせる。そんな顔すらめちゃくちゃかわいいんだから、神様はほんとうに不公平だ。


「ごめんごめん。あせってて」

「ずっとひとりで探してたの?」

「そうそう」

「この寒い中、混んでる駅で?」

「……う、うん?」


 ワントーンずつ下がっていく未羽の声に思わず後ずさった。どうやら、これは怒っているんじゃないだろうか。というか、間違いなく怒っているような。


「奈緒のいいところはその頑張り屋さんなところだけど、どうしてそういつもひとりで動くの」


 重々しいため息が頬をかすめる。彼女のとうめいな双眸が、空とあたしをうつす。

 折れてしまいそうなほど細い指先があたしの頬をつまんで引っ張った。痛みなんてほとんどなかったけど、まっすぐに射抜かれて動くことができない。


「大変だったんでしょ? それに、……ひとりで心細かったでしょ?」


 その目の奥の奥にゆらゆらと揺れるものが見えた、気がした。


「あたし、怒ってるんだからね。もっと頼ってくれていいんだからね! あたしだって奈緒の助けに、」

「うん、わかってる……。 ありがと、未羽」


 彼女はあたしの支えだ。クラスメイトもトモダチもこんなものなんだって思ってるけど、未羽だけは別物。かわいくてきれいで、ちょっと心配性だけどこんなにやさしい子は、他のどこにもいない。


「でもほんと朝から疲れちゃったよ。早起きしていったし」

「だーかーらー! そういうときはすぐに連絡くれればいいの! まったく、あたしばっかり奈緒に助けてもらってるのに」


 錆びついたフェンスに指をからめて、たわいもない話をする。くだらない内容でも、どんなつまらないことでも、未羽がそばにいてくれることがうれしかった。


「助け? なんにもしてないよ?」

「この話は平行線になるだけだからもういいですー。それより、見つかったの? 定期」


 ふくれっつらの未羽が口にした言葉――それは、なんでもない疑問。

 なのに、なぜかどこかが大きく軋んだ。


「……見つから、なかった。きっとだれかに持っていかれたんだと思う」


 歪んだ言葉が胸を締めつけていく。

 なんであたし、嘘ついてるんだろう。こんなこと嘘ついたってしかたないのに。


「そっか。帰り、一緒に探しにいこうか?」

「ううん。あんなに探してもなかったし、しかたないよ」

「あとで連絡来るかもしれないもんね。気を落とさないで」


 この顔はこわばっていないだろうか。ちゃんといつもどおりだろうか。

 空は抜けるように青くて、いやでもあのマフラーを思い出させた。


「そろそろ教室いこっか。奈緒」

「……うん」


 なぜ未羽に嘘をついてしまったのか分からなかったけど、あのひとのことはどうしても自分の胸の中だけにとどめておきたかった。







** *







「奈緒、また明日ね」

「うん、じゃあね」


 放課後。いつものように電車に乗り込み、たわいもない話をして到着した駅のホームに降り立つ。遠のいていく列車の窓の向こうで、いつまでも手を振り返してくるかわいい未羽。


 改札をくぐり抜けると、駅を占めているのは学生ばかり。目の前を通る制服の群れにあのひとと同じものを探したけれど、見つけられなかった。


 いったいなにをしたいのか、自分でもよく分かってない。だけど、朝から考えは止まなくて、青いマフラーは頭のなかで色づくばかり。


 この出来事が偶然なら、偶然でいい。

 ただ、その証拠がほしかった。




「ああ、あの男の子? 私はてっきりきみたちが知り合いなんだとばかり思ってたよ」


 改札近くの古びた窓口。朝、定期を手渡してくれた駅員さんはまだそこにいた。

 業務の手が空いていたのかおじさんはあたしの話につきあってくれた。今朝のお礼をしたいという言い訳じみた言葉を素直に汲み取ってくれたのだろう。


「どうして、ですか」

「あの男の子、何か探しているみたいでね。気になって私から声をかけたんだ」


 白の混じる髪を撫でつけて、記憶を呼び覚ますかのように目を細めるおじさん。そのかすれた声が、あたしの内側を静かに揺すぶっていく。


「そうしたらきみを指差して、あの子は何をしているんですかって尋ねてきたんだよ」


 拾ってくれたのが偶然なら、偶然でよかった。


「定期を落としたみたいだって教えたら、きみとは反対方向の場所を探し始めてね」


 あのひとはすれ違う電車で目が合うだけの、それだけのひとだった。


「私も驚いているんだよ。世の中にはいい人もいたもんだね」

「……は、い、そうですよね」


 顔を上げることができなくて、お礼もそこそこに走り出した。偶然の証拠が欲しかっただけなのに、手に入ったのは必然の証拠。


 頭がくらくらした。つま先までしびれる感覚があった。顔はバカみたいに熱を放っていて、あたしはおかしいひとに見えるにちがいない。飛び出した駅の外の風がつめたくて気持ちよかった。


「なんで、」


 混乱する頭が脈打つ。

 たどり着いた迷宮は複雑で、脱出することができなくなりそうだった。


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