第94話 【忍び寄る影、抗う歌声】 前編
♢ 【初音交響楽団】 ホーム <Olivia・L・Bianca> ♢
「ビアンカ、今日も最高だったよ! 休暇から戻って来てから凄く調子いいじゃないか! 一体、どこに行ってきたんだい?」
「ありがとう、オーナー。フフ、それは秘密。いい女は秘密を抱えてるものなのよ」
「ははは! これは参ったな! ところで、まだ帰らなのかい? あとは君だけだが」
「ええ、もう少し練習していくわ。オーナーの言う通り、自分でも信じられないくらい絶好調なの!」
「そうか、なら戸締りは頼んだよ。それと、くれぐれも無理だけはしないでくれ。君はうちの看板歌姫なんだから」
「分かってるわ。お休みオーナー」
「ああ、お休み」
♢ ♢ ♢
私の所属しているギルド【初音交響楽団】。
ここでは連日のように講演が行われており興奮と感動を観客に与え、惜しみない拍手と歓声が日夜、降り注いでいる。
それこそが私の生きがいであり天職だ。
プロセニアム劇場のここは、客席の壁や天井に特殊な木材を使用して建造され、客席の隅々まで肉声や楽器の音色が届く仕組みとなっている。
本日の講演も大成功のまま幕を閉じ、つい先ほどもカーテンコールを浴びたばかりだ。
その余韻はいまだ冷めず、目を閉じれば輝かしい照明に照らされ喝采を浴びている私の姿が目に浮かぶ。
かつてないほど絶好調なのは理由がある。
それはこの<鋼鯨の涙>の存在。
かつて私はギルドのトップスターであったが、ここ数年は若手の台頭と変化の無さからスポットライトを浴びることは少なくなり、人気は低迷。言うなれば落ちぶれていた。
そこで、このままではいけないと一念発起してオーナーから休暇を頂き、Aランク任務に臨んだのだ。
しかし、危険を冒した成果は得られた!
任務から帰って来た私はすぐさま涙の成分を抽出し、大量の栄養ドリンクを作って服用しはじめた。
その結果は予想を遥かに上回っていた!
声に張りが戻り、息が途切れることは無く、魔力切れの心配もない。
最高のパートナーを手に入れた私に敵うものはいなかった。
それ以降、再びスターダムを駆け上った私はトップスターの座に返り咲くことができたのだった──。
♢ ♢ ♢
「ふぅ、少し休憩しようかしら……」
本日の講演を演じきったあと一人残って自主練習をしていた私は小休止することにした。
明日もまた講演が控えているが、このドリンクさえあればいくら声を出しても枯れることは無く、むしろ力が湧いてくる。
舞台袖に置いている鞄の中から特製ドリンクを取り出し一気に飲み干す。
ゴキュ、ゴキュ、ゴキュ、ゴクン
「ぷはぁ……、おいし!」
甘さを控えめに味付けをしているので喉が渇いたときにはいくらでも飲むことができ、味も格別だ。
これまで飲んでいた魔力ポーションがただの水のように感じてしまうほど、味も、魔力も、疲れも瞬時に回復していく。
自宅にはまだまだ、たくさんの特製ドリンクが残っているのでどれだけ飲んでも気にならない。
「ふふふ……。私ってホントついてるわ」
英気を養い、稽古を再開する。
と、その時。
どこからか『パチ、パチ、パチ』と一拍、一拍、わざと間をあけるようにゆっくりと拍手を打つ音が聞こえてきた。
音の鳴るほうに目を向けると、客席の中央付近の一席に腰かけながら拍手をしている者を見つけた。
だが客席の照明は落としているので顔がよく見えない。
心なしか、その周辺だけ闇が濃くなっているような気がする……。
とっくに閉館時間は過ぎており、お客さんはおろか演者やスタッフさえも帰宅している時間帯。
オーナーの言葉通りなら、劇場に残っているのは私が最後だったはず。
さっきまでは誰もいなかったはずなのに、どこから入り込んだのか……。
「誰かしら? ここは関係者以外立ち入り禁止よ。今すぐ出ていきなさい」
これまでにも熱狂的なファンが身を隠し、上演後の演者にアプローチしてきたことがあったので、その類だろうと思っていた。
しかし、忠告したにも係わらず一向に拍手を止めようとしない。
「ちょっと、貴方にいってるのよ! それとも力尽くで追い出して差し上げましょうか?」
熱狂的なファンならば、一目散に駆け寄ってきて口早に一方的な熱意を捲し立ててくるはずだ。
けれど、こいつは一言も発しないまま動こうともせず、ただ拍手をしているだけ。
だんだんと薄気味悪くなり、捉えようのない恐怖が込み上げてきた。何より得体の知れない奴と一緒にいるのが耐えられず、本能がこの場から離れろと警鐘を鳴らしている。
「いいわ。貴方が出ていかないなら私が出ていく。そこが好きならずっと座ってなさい」
波のようにじわじわと押し寄せる恐怖が自然と足を早める。
稽古を中断し、鞄を持って舞台袖から出口に向かったとき、不意に拍手の音が止んだ。
思わず客席に目を向けると、その人物は立ち上がりコツコツと靴音を響かせながら一歩ずつ舞台の方へと近づいてきていた。
恐怖と好奇心が綯い交ぜになった感情が渦巻き、怖いもの見たさからつい足を止めてしまう。
そして、舞台の光がその人物を照らし顔が露わになった。
「あ、あんたは……。ブラガ!!」
スラッと伸びた背の高い身長、背中に流したピンクの長髪、真っ赤に染まった唇と白い肌、真っ黒の長いマントを前で留め歩いてくる。
けれどその表情は屋敷で見た時とは違い、線のように細長く湾曲した瞳とほくそ笑んでいる口。そこから覗く白い八重歯。
『素晴らしい♪ 実に美しい声だ♬ 僕は君の声が欲しい♪』
ようやく口を開いたかと思えば、訳の分からないことを宣っている。
「何言ってんの!? なんで、あんたがここにいるのよ? まさか、涙のことで逆恨みでもしてんの? 冗談じゃない! 依頼は達成したでしょ! それ以上、近付かないで!!」
気味の悪い笑顔を浮かべたまま一向に足を止めないブラガ。そのまま、舞台へと上がる階段に足を掛け壇上へと上がって来た。
『君の声が欲しいんだ♪』
「ふざけんな!! あんたを敵と見做す!!」
瞬時に薄いピンク色の魔力を纏い戦闘態勢に移る。
【七音の旋律】 発動
<増幅する歌声> 使用
「 アアアアアアアアアアアアアアアア 」
ブラガに向け放った声は能力によって何十倍もの音量に増幅し、見えない衝撃波となって襲い掛かる。
正面からもろに攻撃を受けたブラガは衝撃波に飲みこまれ、座席へと吹き飛んだ。
「これ以上、痛い目に遭いたくなかったら帰りなさい! 次は手加減しないから!」
ブラガは座席に激突し、壊れた椅子をどけながら何事も無かったかのように立ち上がるとゆっくりと顔を上げ、目と目が合った。
その顔は醜く歪み、まるで楽しんでいるかのように大きく口角を上げ、涎を垂らし、首の骨が折れてしまうのでないかと思うほど勢いよく首を傾げた。
その一連の動作は常軌を逸した狂人のようだった。
『き……、君の、声が……、欲しいぃぃぃぃぃぃいいぃぃぃぃぃぃ!!!』
突如、奇声を上げながら座席を蹴り飛び掛かってくる。
「ッ! この変人がぁーー!」
<増幅する歌声>・<共鳴する歌声>・<回折する歌声>・<屈折する歌声> 使用
「 アアアアアアアアアアアアアアア 」
今度の攻撃は喰らえばたたじゃ済まない。
同時に4つもの能力を併用したため威力も絶大。たとえ遮蔽物の陰に身を潜めようとも関係なく、どこにいようとも回避不可能。
さらに大音量の声を浴び続けたならば意識を集中することは出来ず、ろくに魔力も練れないはずだ。
声の衝撃波は直撃し、身動きの取れない空中ではいとも容易くその身を吹き飛ばした。
「あんたがどういうつもりか知らないけど、この場所に来たのが運の尽きね! ここは私の能力が最大限、活かされるホーム! 今の私に勝てる奴はいないのよっ!」
唯一の弱点であった著しい魔力の消費も特製ドリンクがあるため克服している。
「私が負けることなど万に一つもあり得ない! 頭のイカれた狂人は監獄送りにしてやるわ!」
そうして、ブラガとの闘いの幕が切って落とされた。