第93話 必然の先へ
「……え?」
ニコルから告げられた思いもよらぬ言葉を理解するのに少々、時間が掛かった。
俺の聞き間違いでなければたった今、発せられた言葉は『チキュウ』と言っていた。
そして一刻の間を置いて、考えられる可能性に意識を巡らせる。
・チキュウという言葉がガイアにも存在しているのか?
・本当に地球のことを指しているのか?
・俺以外にも転生者がいるのか?
・チキュウということは日本人なのか?
・単なる聞き間違いか?
俺が転生者であることは今日に至るまで誰にも言っていないため、真実を知るのは俺と自称神様のみ。
もし、ここで俺が転生者と打ち明けたとしてもそう簡単に信じてもらえるわけがないし、気味悪がられるかもしれない。
……どういうつもりか知らないが、俺は試されているな。
しかし現段階では、どれも想像の域を出ず何の根拠もないため少し探りを入れてみることにした。
「……いや、知らないな。チキュウって、何なんだ?」
あえて知らないフリをして質問の意図を確かめてみる。
さぁ、どうでるか?
『本当に知らない? 些細な事でもいいんだ。よく考えて』
「悪いが何も心当たりはない。というか、ニコルも知ってるだろ? 俺は溺れたせいで記憶喪失になったってことを」
『そう、記憶喪失。そこなんだよ』
何故そのことに固執するかは分からないが、まるで名探偵のように言質を取り言葉を選ぶようにして追及してくる。
『ここにいる青年、名をシンという。実は彼も記憶喪失でね。僕たちはおよそ二ヶ月前に出会い、仲間になった。アラタと似たような境遇だね』
ああ、この人が俺と同期の人物か。
俺に会わせたかったのはこの人なのだろう。
けれど、それが何の関係があるというのだ? 確かに珍しい出来事だが、偶然の産物ではないか。
俺が思案し黙っていると、ニコルが続ける。
『でも全てを忘れたわけではなく、覚えていることもあったんだ。その一つが前職。なんでも“ イタマエ ”だったらしいよ』
「ッ!!!」
その言葉を聞いて驚愕と共に確信する。
こいつは間違いなく転生者だ。
それも、日本出身で職業まで俺と被ってやがる。俺以外にも存在していたのか。
更に転生したことをニコルに打ち明けているではないか。それにこの場に同席して隣に座っているライオンの獣人も知っていることだろう。
一体、どうしたらそんな考えに至るのか理解ができない。それを信じたニコルもニコルだ。
あまりの動揺に目を見開いて驚いている俺の反応を見ていたのかニコルの口角が僅かに上がった気がする。それを見て、しまったと内心焦るが今の話を聞いてポーカーフェイスを貫くのは至難の業だ。
と、これまでの話を聞くだけだった熊八が口を開く。
「“ イタマエ ”っていやぁ、どっかできいたことあるな。ん~、どこだったか……」
「私も聞いた覚えがあります。……あ! そうそう、たしかアラタさんが弟子入りするときに言っていたんですよ! 珍しい言葉だから気になってたんです!」
そうだそうだ、と熊八とハルシアで盛り上がっているが、なんてタイミングで思い出すんだ。それだと何故、俺が板前という言葉を知っていたのか不思議ではないか。
『へぇ~、アラタもイタマエって言葉を知っていたんだね』
ほら、見たことか……。
意味深な笑顔のまま顔を向けてくるニコル。
一体、どうしてこうなった?
いつも通りの朝であったはずなのに、このような展開になるとは誰が想像できよう。
彼らがどこまで情報を共有しどこまで知っているのか? そして、何を企んでいるのか?
俺が転生者だとバレれば怪しい研究機関にでも売り飛ばされるかもしれない。もしくは、洗いざらい知っていることを吐くまで拷問されるかもしれない。
パニックを起こした脳裏では次から次へと不吉な未来が頭をよぎっては消えていく。
もはや俺の考えの及ばぬ域に達していることだけはかろうじて理解できる。
ドッドッドと鼓動が早くなり血流が全身にのって脂汗が吹き出してきた。
もしもの場合、逃げることも視野にいれなければ……。
『まぁまぁ、そんなに構えないで落ち着いて。言っておくが僕たちはアラタの敵じゃない。同じギルドの仲間だ。今は頭が混乱しているだろうけど、これだけは信じてくれ』
そう言ってコップに入った水を静かに飲むニコル。
ふぅ、と一息つくと俺の心中を察したのか話題を変えてくれた。
『と、その前にアラタはギルとシンに会うのは初めてだよね? お互い歩み寄るためにもまずは自己紹介が先だったよね』
テーブルの対面の真ん中に座っているニコルはライオンの獣人に挨拶を促している。
「俺は【Reyhaneh・L・Guilfeed】。職業は狩人だ」
手短に自己紹介を済ませたギルフィードは夕日のような鮮やかな目で真っ直ぐにこちらを見てくるため、その鋭い眼力により萎縮してしまう。
けれど、悪意のようなものは全く感じられないのでこちらも誠意で応えなければ。
「俺は新。熊八の二番弟子で職業は……板前だ。ギルドには入ったばかりだけど必ず役に立ってみせる。よろしく」
その後、熊八とハルシアも簡潔に自己紹介を済ませ残るは一人となった。
どうやらこれまで食堂は利用していたようだが面と向かって会うのは初めてらしく、二人も挨拶を交わしている。
唯一、ニコルだけは全員と面識があるようで進行役にまわり、事がスムーズに流れるよう上手くサポートしている。まぁ、団長なので当然といえば当然なのだが。
『それじゃ、最後はシンお願い』
順番が回ってきた男は立ちあがり、一礼した。
そもそも、俺が追い込まれるような事態に陥ったのはこの男のせいなのだ。こいつが転生者であることはこれまでの会話で判明しているが、なぜ打ち明けたのか。
黙っていればややこしいことにはならず、今まで通り穏やかに過ごせたはずなのに。
向こう見ずで浅学な男の名を聞いてやろうじゃないか。
そうして背もたれに寄り掛かり腕を組みながら、怪訝な視線を向ける。
この男が暴露したことによって俺の立場も危ぶまれているので、少なからず腹が立っている。
そんな俺の視線に気が付いたのか、目が合ってしまう。
何故か、目を逸らしては男として何かが負けたような気がするので意地でも逸らすことはない。
──しかし、
この瞬間が今後の運命を左右する出会いであったとは、まだ知らなかった──
「 俺の名は【Olbato・K・shin】。ギルさんの弟子で職業は冒険者。そして、地球からの転生者だ 」
♢ ♢ ♢
とある廃墟にて。
「あれー? みんなはー?」
廃墟に似合わない幼い女の子の声が響く。
「……もう出ていった。俺はお前が来ないから仕方なく残った。二人組で行動するよう言われたことをもう忘れたのか?」
低い男の声に苛立ちが含まれているのは誰が聞いても明らかだった。
「あ、そうだっけ? ごめんねー、キャハハハ!」
しかし、全く反省の色が見えない幼女は耳に響く高い声で笑っている。
「……いいから、早くアレを出せ。仕事に間に合わなかったら殺すからな」
「え! タノしそう! やってみてよ! ねぇ、ハヤくハヤく!」
そう言って目を輝かせながら催促する幼女はピョンピョンと飛び跳ねている。
しかし、その身体から発せられる魔力は寒気がするほどに禍々しい。
無垢な表情からは考えられない悪の権化。
手加減を知らない……、するつもりのない純然たる力。
自らの好奇を満たすものだけを追い求める本能。
小さな額から生えた一つの短く赤い角。
「……はぁ。お前と組むのはこれが最初で最後だ。さっきの言葉は取り消すから、早くしろ」
「ちぇっ、おじさんのヨワムシー。イクジなしー」
再度、深い溜息を吐いた男の額には青い角が二つ生えている。
今更ながら子守を押し付けられたと後悔するが、仕事が終わるまでの辛抱と自分に言い聞かせ怒りを鎮めた。
いまだにぶつぶつと小言を言っていた幼女は嫌そうな顔をしながらも魔力を練り上げると、空中に不思議な幾何学模様のサークルを作り出し、その中からあるものを呼び出した。
それは大きな翼を4つもち、真っ黒な巨大な体躯が現れる。
「ほら、ハヤくー。オいてくよー」
その巨体の背中に飛び乗った幼女は遅れてきたにも拘わらず男を急かす。
無理矢理、言葉を飲み込んだ男は黙って背中に乗り込んだ。
男が乗ったことを確認した幼女は一言。
「うてー」
命令を聞いたものは長い首をもたげると、その口から凄まじい衝撃破を発生させ廃墟の壁を粉々に破壊する。
そして、ガラガラと音を立てて崩れ落ちる廃墟から飛び出すように空へと舞い上がり、飛び去っていった。
「よーし! いっぱい、コロすぞー。キャハハハハ!」
不吉な笑い声をあげながらその声は空へと消えていった。