第84話 宝島
グリフォンに跨り熊八の魔力符を片手に空を飛行する俺とジュード。
操獣はジュードに任せ、目的地までのナビは俺が担うこととした。
この魔力符はかなりの優れもので不思議な模様が描かれている面の裏に砂鉄のようなものが張り付いており、魔力を記憶した人物までの距離と方角が現在地に合わせ随時、更新されながら変化している。
その表示は符の中央に俺たちの持つ魔力符を示す点があり、熊八のいる方角に矢印が向けられおおよその距離が線の長さで示されていた。
「ジュード、そろそろ見えてくるはずだ。腹潜と会敵する可能性もある。海面に注意して飛んでくれ」
上空を飛びながら海面を見下ろして進み、見落としのないよう注意深く探す。
熊八と腹潜の闘いがどうなっているのかは知る由もないが、今は信じて迎えに行くだけだ。なにせ、俺たちの約束は途絶えていないのだから。
「おい! あそこ見てみろ!」
すると前に座っているジュードが何かを発見したようだった。
指し示す指先を目で追うと、そこには見覚えのある紅白に染められた木片が海面にプカプカと漂っている。
「あれって騎士団の船の一部だよな?」
「ああ、間違いない。きっと戦闘の影響で船が壊れたんだろうな。近いぞ」
その木片をきっかけに次々と木端微塵になった紅白のガレオン船の一部を発見することができ、あまりの数の多さから戦闘の激しさを伺い知れる。
だが、肝心の熊八は見つからず腹潜の姿もない。
「魔力符ではこの辺りを示しているんだけどな……」
徐々に不吉なイメージが脳裏を掠め、嫌な予感がしてくる。
無事でいてくれ……。熊八……。
「ん? なんだアレ?」
前方に何かを見つけたジュードはあまりに不可解なその光景を目にしていた。
それは海面に浮かぶ白みがかった半透明の巨大な膜のようなものがゆらゆらと浮かんでいた。その周りを幾多もの魚が水面を飛び跳ねるように白波を巻き上げながら必死に突つき、どこから集まって来たのか多くの鳥類が足場にしながらほじくる様についばんでいる。
「まさか……、アレが< 鋼鯨の涙 >なのか? なんてデカいんだ!!」
目測でおよそ半径50mはあろうかというそれは巨大なクラゲを連想させるが、クラゲならばあれだけ生物が群がるはずもない。生き物たちが教えてくれている。
それは紛れもなく、俺たちの目標である鋼鯨の涙であった。
驚きはそれだけでは終わらない。
上空から見下ろせる位置まできたところで、その中央に大の字で寝ている者がいた。
全身毛むくじゃら、紺色の法被、花柄のハーフパンツ。いつものビーチサンダルだけは穿いていない。けれども間違いなく……。
熊八だった。
「熊八ぃぃーーーーーー!!」
たまらず俺は目一杯叫び、大きく手を振る。
向こうも俺達に気が付いたのか寝そべりながらも空を仰ぐように右手を振ってくる。
「ハッハーー!! あいつ生きてるぜーー!!」
歓喜に沸く俺とジュードはすぐに熊八のもとへとグリフォンを着地させ転げ落ちるようにグリフォンから降り、横になっている熊八の顔を覗き込む。
「大丈夫か熊八!? 一体なんだってこんなとこで寝てんだよっ!? あいつはどうしたんだ? 鋼鯨はどこいった!? なんで服がボロボロで焦げてんだよ!?」
あまりの興奮に一気に捲し立ててしまうが、疑問と感情を抑えることができない。
「奴は死んだ。俺も死にそうだったが、なんとか約束は守ったぜ……、ガハハ……」
笑うと身体が痛むのか顔を顰めながら力無く笑う熊八を見てようやく胸を撫で下ろす。
「もう分かってると思うが、これが鋼鯨の涙だ……。とんでもなく美味いぞ……」
「ハハ、もう食ったのかよ。食い意地張りすぎだろ」
「こいつのおかげで命拾いした……。鋼鯨に感謝しねぇとな」
離れていた間に何があったのかは気になるが今は優先すべきことがある。
今すぐ熊八をグリフォンに乗せて船まで戻って手当てを施し、船員に状況を説明して目標を採取しなければ。ぼやぼやしていれば魚に全部食べられてしまいそうな勢いだ。
「ジュード! 熊八を連れてすぐに船に戻って皆に知らせよう!」
すでに採取を始めていたジュードは足場を抉るように掘り起こし、プルプルと揺れる胎盤を両手いっぱいに抱えていた。
「見ろよ! これだけで10kgはあるぜ! つまり100Pってこった! それだけじゃねぇ! 足元にはごまんとある!! ここは宝島だぜーー!!」
ジュードが喜んでいるのも無理はない。なにせ1kg10Pで取引される超高級稀少食材。円に換算すると1kg100万円にもなる。それが10kg。つまりジュードは今一千万を抱えているのと同義なのだ。
「気持ちは分かるが、今は戻って船に知らせないと! 急いで戻るぞ!」
「ああ、そうだな! 船にありったけ積まねーともったいねー!」
しかし、ここで新たな問題が。
「って、グリフォンは三人も乗れねーぞ。重量オーバーだ」
確かにジュードの言う通り、グリフォンの積載能力では大人二人が限界だろう。女、子供ならまだしもデカい熊八ならばグリフォンが重さに耐えられない。
けれど、熊八は怪我をしていて動けそうにないし俺はグリフォンを操獣したことがない。
誰かが残る必要がある。
「分かった。俺がここに残るからジュードは熊八を連れて船に戻ってくれ。今グリフォンを操れるのはジュードだけだからな」
「そうだな。必ず戻るから心配するな」
「ん? 待て待て、ちょっと待て! やっぱダメだ! 熊八を連れて行ったらどうやってここに戻ってくるんだよ? 俺の魔力符は持ってきてないぞ!」
報酬のことにばかり目が眩み、おかしなテンションのせいでうまく計算ができなくなっている。少し落ち着かなければ。
「それもそうだな、あぶねっ! ならお前たち二人でここに残れ。その方がグリフォンのスピードも出るしすぐ戻ってこれるはずだ!」
「それしかないか……。絶対戻ってきてくれよ!」
「任せろ! 報酬のためにも必ず戻る」
俺とジュードの会話を聞いていた熊八が心配そうな顔をしている。
「お前さんたち、大丈夫か? 任務完了は家に帰るまでだからな……」
まるで小学生の遠足のルールのようなことを呆れられながら言われてしまったが、この有様では仕方ない。
信じてもらうための証拠と言ったジュードは持てるだけの鋼鯨の涙を採取すると、そのままグリフォンに跨る。俺が持っていた二枚の魔力符を渡しベンジャミンの魔力を記憶してある魔力符を頼りに船へと戻る。
「いくら腹が減ってても、船が戻ってくる前に食いつくすんじゃねーぞ!」
ジュードが興奮のあまり馬鹿げたことをのたまっているが、今は大目に見るとしよう。
「いいから早く呼んできてくれ。じゃないと、魚に全部食べられてしまうぞ」
「おっと、そうだな! じゃ、ちょっくら行ってくるぜ」
軽く助走をつけ大空へと羽ばたいていくグリフォンはみるみるうちに小さくなると、やがて姿が見えなくなった。今この時から俺達が自力で陸へと戻る手段はなくなり、ジュードを信じて待つだけだ。
ただ時間だけはあるので熊八が船から飛び出して行った後のことをゆっくり聞くことが出来る。
見たところ戦闘のダメージによって体に傷はついているが、話す分には問題なさそうなのでこれまでのことを尋ねていく。
「それで、なんで腹潜と戦っていたはずなのにこうして鋼鯨の涙の上で寝てたんだ? さっき腹潜は死んだって言ってたけど熊八が倒したのか?」
「いや、奴を追い込むまでいったんだが止めを刺しきれなくてな。あんときばかりは俺も死を覚悟したぜ……。そんじゃあ、船を飛び出した辺りから説明してやるか……」
ポツポツとゆっくりではあるが、熊八は語り出す。
♦ ♦ ♦
♢ ミーティア海域沖合 熊八 ♢
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渾身の電撃をお見舞いした俺はろくに体を動かすことができなかったが、それでも代償を払った効果はあったようで腹潜も脱皮こそしているものの動けないでいた。
と、そんな時に現れたのが鋼鯨の母親だった。
大気を震わせるほどの声で一鳴きした鋼鯨の母親は強大すぎる一撃をガレオン船に叩きつけ、打ち付けた衝撃によって俺は海へと放り出されてしまった。
幸いにも壁のような尻尾が直撃することは無かったので即死こそ免れたものの、体の自由が利かない今は死ぬのが少しばかり遅くなっただけだ。
あまりの威力により腹潜がどうなったかまでは見届けることが出来なかったが、奴とて瀕死の重傷を受けていたのだ。あの状態では泳ぐこともままならないだろう。願わくばここで死んでくれ。
俺は飛ばされるまま受け身も取らずに海面へと打ち付けられ、その衝撃が火傷を負った体に刺すように痛む。
季節は夏とはいえ沖合の冷たい海水は火傷に染み渡りヒリヒリする。
案の定、身体は言うことを聞いてはくれないが海水の浮力によって泳がなくとも自然に体が浮上し、海面から顔を出すことで呼吸は可能だが状況は何一つ好転していない。
むしろ野生の生き物の恰好の餌だろう。いつまでこうしていられるか……。
だが、そこで俺はあるものを発見した。
それは海面をプカプカと漂っているクラゲのような半透明の膜。それこそまさに俺達が探し求めていた< 鋼鯨の涙 >であった。
どうやら出産を終えた母体からすでに剥がれ落ちていたらしい。
運よくその近くに飛ばされていた俺は痛む腕をオールのようにして必死に動かして少しずつ近づいた。
そして、触れるほどの距離まで近づいたところで一口大の大きさにちぎった涙を口に放り込む。
刹那。
形容しがたい何とも言えぬ旨味と塩味が舌を刺激する。
食感はゼリーのようにプルプルとしているが、一度噛み締めるとナタデココのような程よい弾力で顎を押し返してくる。海水に揉まれていた為、表面に海水の塩味が付着しているがそれがまた丁度いい塩梅であり、噛んだ瞬間に壊れた組織から溢れた強烈な旨味が口いっぱいに広がっていく。
食べた瞬間に身体が歓喜しているかのようにみるみる元気が湧き、噛むほどに味が濃くなっている。
先の戦闘で枯渇しかかっていた魔力も栄養素抜群の食材により魔力が溢れ出てくるようだった。
一口食べただけで活力を取り戻した俺はそのまま直接齧り付き、次々に咀嚼し嚥下していく。未踏地で蓄えられた芳醇な栄養と胎児に送られる魔力は乾ききった体に染み渡り、食べることを止められない。
まるで忘れ去った過去の記憶を触発されたかのように、母親のお腹の中で温かい羊水に包まれていた頃の不思議な感覚に陥ってしまう。
これこそ母の愛の結晶。究極の一品。
全身を柔らかく包む優しい幸福感に満たされた一時であった。
思う存分、堪能させてもらった俺は浮力の大きい胎盤に乗りあげ中央付近まで這って進む。
今食べた分だけでもかなりの量になったはずだ。もし、これが市場に出回っていたとしたら巨額の富が動くことだろう。
それを思う存分食べることが出来るなんて素晴らしく贅沢な食事だ。こんなことはもう一生経験できない。
心地よい余韻に浸りながら、ゆらゆらと揺れる揺り籠と流れる雲を見上げながら微睡む。
気が付けば魔力もだいぶ回復しており全身に負っていたはずの火傷も痛みが引いている。神経を研ぎ澄ましていたはずの感情も今では落ち着き、穏やかな気持ちになっていた。
さすが栄養の塊と言われているだけあって凄まじいほどの効果だ。
鋼鯨の涙を食べることができなければ間違いなく死んでいたはずだろう。
九死に一生を得た俺は相当ツイている。
と、そんな時だった。
海面から凄まじい勢いで水柱が吹き上がったかと思えば、更に小ぶりなものがもう一つ。
それは寄り添って泳ぐ鋼鯨の親子の潮吹きであった。
空高くまで噴き上げられた潮はやがて霧状に細かく拡散し、雨のように降り注ぐ。
脅威は去ったと感じているのか何度か呼吸を繰り返したのちに潜行するとそれ以降、姿を確認することはなかった。
出産を終え、未踏地に帰っていくのだ。
「ガハハ……。元気でな……」
そうして身体の回復に努め、今後のことを考えているときにアラタとジュードを乗せたグリフォンが現れたというわけだ。聞けばベンジャミンから渡された魔力符を頼りにここまで来たという。なかなか機転が利いてるじゃねぇか。
当初は危なっかしかったがどうやら船を呼び戻す算段も整ったようで今はジュードが船を呼び戻してくれるのを待つだけだ。
ただでさえ危険の多いAランク任務のはずが、思いもよらぬ腹潜の出現によりSランク任務まで跳ね上がってしまった。
今回、奴を倒せたのは三つの幸運が起因している。
一つ目は腹潜が産まれたばかりの子供だということ。
二つ目は戦いの場が海であったこと。
三つ目は止めを鋼鯨が刺してくれたこと。
どれか一つでも欠けていたら結果は大きく違っていたはずだ。
なんにせよ俺は生きている。今はそのことに感謝するとしよう。