第83話 うねりの向こう
♢ ミーティア海域沖合 アラタ ♢
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現在、俺たちの乗る船は熊八の残した指示に従い港に向け全速力で帰港中だった。
先ほどまで駐留していた海域からすっかり離れ、今は時折、遠くから微かに雷鳴だけが聞こえる。
俺達は任務に失敗したばかりでなく、熊八をも犠牲にしたのだ。
いくら本人の指示とはいえ本当にこれでよかったのだろうか? まだ俺に出来ることが残されているのではないか?
しかし、船には他の冒険者や漁夫など全員分の命を乗せているため、俺一人の我儘で死地に戻るわけにはいかない。それでは熊八の命を懸けた想いを無下にしてしまう。
頭では分かっている。けれど心が納得していない。
もうこれで一生、熊八とは会えなくなるのか?
今生の別れとなってしまうのか?
そんなの絶対、嫌だ!!
弟子としてまだまだ学ぶべきことはたくさんある! 考えろ……。考えるんだ。師匠を救う方法を……!
と、そんな時。
船尾で熊八を残してきた海域を見ていた俺の目に空を飛ぶ黒点のようなものがポツポツと見え始めた。
それは次第に近づいてきており、やがて形が明瞭に視認できる。
十数体確認できたそれは紅白の着色を施された鎧を纏うグリフォンであり、紅龍騎士団のシンボルカラーであった。
『待ってくれ! 私達も乗せてくれ! 私達の船は怪物の襲撃を受け、やむなく放棄してきた!』
船と平行して飛行するグリフォンに跨りながら大声で叫んでいる人物は先ほど一悶着あった騎士団長の男であった。よほど動揺しているのか話し口調は素に戻っており、堅苦しい言い方ではなくなっている。
「熊八はどうしたっ!? 奴と戦っていたはずだぞ!!」
『彼は船に一人残って私達を逃がしてくれた! ここにいない者は全て怪物に殺されてしまった! グリフォンも陸地までは飛び続けることはできない! 頼む!』
なにが騎士団だ。大層な装飾で身を包んでいても見た目ばかりの役立たずじゃないか。数でも武器でも勝っていたはずなのに熊八一人を残して尻尾巻いて逃げてきたか。
いや……、それは俺も同じか……。騎士団を責めるのは八つ当たりにすぎない……。
騒ぎを聞きつけたのかジュードが甲板に出てくると、大声で問いただす。
「乗せてやってもいい! だがグリフォンを貸せ! それが条件だ!」
勝手に条件を突き付けたジュードは俺の肩に手を置くと、妙案を教えてくれる。
「お前もあんな最後じゃ嫌だろ? 俺も行く。一泡吹かせてやろうぜ」
それは暗闇に射し込んだ一筋の光明だった。
俺が行ったところで何も出来ないかもしれないが、このままじっとしているなんてもっと無理だ。
「ああ! 行こう! 初めてお前がいい奴に見えてきたぜ」
「バカヤロー、気付くのが遅いんだよ」
騎士団はジュードの提案を受けざるを得ないので渋々了承し、次々と甲板に着地してくる。
全てのグリフォンと騎士団が降り立つと甲板は溢れかえり人と獣でごった返していた。
「ジュード様。これは一体、何事でしょうか」
表情の硬い執事のベンジャミンは口調こそ丁寧だが、静かな言葉に怒気が宿っている。明らかに勝手に乗船を受け入れたことに対して腹を立てているようだった。
「騎士団の船が使い物にならなくなったから逃げてきたんだとさ。こいつら陸まで乗せてやってくれ。不満なら運賃でも取ればいい」
「私が申しているのは何故、相談もなく乗船を許可したのかということです。この船はブラガ様の私物です。ジュード様は任務中のため一時的に許可を受けている身にすぎません。ですが任務が失敗に終わった以上、今の貴方には何の権限もありません」
「何言ってやがる。まだ任務は失敗じゃねー。今からグリフォンに乗って鋼鯨の涙と熊八の回収に向かう。それで文句ねーだろ」
「ジュード様。あの海域には異生物がいることをお忘れでしょうか? 自ら死にに行かれるのですか?」
全く納得する様子のないベンジャミンは言い包められることなく正論を武器にジュードを論破しにかかる。
だが、そこまで黙って聞いていたが聞き捨てならない言葉が耳に入り口を挟む。
「大丈夫。熊八なら奴を倒せる。だから熊八を迎えに行くんだ」
「……アラタ様。失礼を承知で申しますが、それは楽観的な希望にすぎません。そうであってほしいという願望と現実は違うのです。私の見立てによると、いくら熊八様が相当な実力者でもあの異生物には敵いません。力とはそういうものです」
「分かってないのはお前のほうだ。熊八は生きてる。俺との約束を熊八は必ず守る」
「………」
真っ直ぐ目を見て話す俺の真意と現状を鑑みて思案しているのかベンジャミンはしばし沈黙した。
やがて、瞑目しながら「フーー」と聞こえるほどのため息を吐くと意を決めたようだった。
「畏まりました。ではジュード様とアラタ様は別行動をとることを許可致します。ですが御注意下さい。船は変わらず全速力で港を目指します。もし、お二人が戻らなくとも船は引き返しませんし減速もしません。それでも宜しいでしょうか?」
「ああ、それでいい」
おそらくベンジャミンは言葉通り、俺達に配慮することなく船を進めるはずだ。それでも俺達が別行動をとることを許可したのは、もし鋼鯨の涙を回収し戻って来たのなら僥倖。
たとえ戻らなくとも船に損害はなく指針に影響はない。更には追随してくる腹潜の足止めとして利用できるかもしれないと判断したことだろう。
俺たちの命を切り捨て、得を取ったのだ。
でも、それでいい。こうなることは覚悟の上だ。
そうと決まれば早かった。
グリフォンに乗るのは初めてなので操獣はジュードに任せ俺は後ろに乗った。余計な重荷になる紅白の鎧を剥ぎ身軽にさせ、少しでも早く到着できるようにする。
それを見ていた騎士団長はブツブツと小言を言っていたが、気にすることなくどんどん外していく。
「準備はいいか、アラタ! 行くぞ!」
「おう! 行こう!」
ジュードと二人乗りでグリフォンに跨り飛び立とうとする直前、ベンジャミンが前に出て道を塞いでくる。
「お待ち下さい」
「何だよ!? まだ何か言いたいのか?」
前に座っているジュードが邪魔だと言わんばかりに叫んでいる。
「行くのは止めませんが、お二人はどうやってこの広い大海原の中、熊八様を見つけるのですか?」
「そんなもん勘に決まってんだろ!! ほらっ! あのでっかい雲を目印にして飛べば真っ直ぐ飛べんだろ!」
え?
予想外すぎる問題が浮かび上がった瞬間だった。あまりの無計画さについ口を挟んでしまう。
「おい、ジュード。方位磁石とか持ってないのかよ? 雲を目印に飛ぶだって? お前、馬鹿なのか?」
「んなもんいらなねーだろ。空からなら見つけやすいし、何とかなるだろ」
なるわけがない。
ベンジャミンが止めてくれて助かった……。
これでは危うく熊八を見つける前に遭難し、二次被害となってしまうところだった。仮に見つけたとしても船に戻ってこれなければ何の意味もない。
となると、かなりマズい。俺も焦ってどうかしていた。
「アラタ様。これを」
そう言って手渡してくれたのはいつぞやブラガの屋敷で渡された二枚の魔力符だった。
「その魔力符は予め記憶させた個人の魔力を感知してそこまでの距離と方角を示してくれるものです。一枚は熊八様の魔力を、もう一枚は私の魔力を記憶させております。それを頼りに進めば熊八様のもとへと辿り着くことができ、帰りも私の魔力符を追えば帰ってこれます」
「ありがとう! なんて準備がいいんだ! ベンジャミンは最高の執事だな!」
まさにうってつけの代物を用意してくれていた。痒いところに手が届く優秀な人物だ。
ベンジャミンは魔力符を俺に手渡してくれたあと、道を開け恭しく一礼してくれる。
「 お気をつけて 」
礼儀正しい所作で完璧に仕事をこなし、俺達を送り出してくれた。さっきは疑ってしまって申し訳ないな。何としても成果を手に入れて帰ってくるからな。
そうして飛び立った俺とジュードは魔力符を頼りに熊八の元へと飛ぶ。
待っていろ、熊八。今行くからな!




