第8話 異世界の名前
「はい! じゃあ反省会はここまで!」
そう言ってニコルさんがパンッと手を打つ。
「異世界から来たなんていまだに信じられないけど生き物である以上、食べなければ生きていけない。それは共通なんだよね?」
「はい」
「ならば食べようではないか! その胃袋が満たされるまで! 思う存分! それが生きるということ!」
ニコルさんがまるで劇団員かのように踊りセリフを唱えるが如く舞っている。つまり食事にしようということか。
それを見て驚いている俺にギルさんがつぶやくように教えてくれる。
「気にするな。あいつはいつもこうだ」
それからはあっという間だった。
キャンプの外に出てみると辺りはすっかり暗くなっており、いつの間にか元いた草原地帯に戻ってきていた。どうやら気を失っている間に安全な場所まで運んでもらったようだ。
テントの脇に石で造られた簡易の竈の中で火が煌々と燃えている。夜の更け方から察するに数時間は気を失っていたのだろう。
踊ることに満足したのか、ニコルさんが荷車の荷台から大量の肉の塊や見たことのない野菜を取りだし手際よく調理している。
今、作っているものも何を使っているのかも全く分からなかったが、立ち込めるいい匂いが空になった胃袋を刺激する。
夜もとっぷり更け数多の星々が煌めいている。
地上の光源は焚火の明かりだけなので、星屑までもが綺麗に観測でき幻想的な夜空を演出していた。
それでも今は夜空より空腹が勝り、すぐさま地上に目を戻す。
先ほどスープを頂いたばかりだが、それだけで足りるはずもなく次々とできあがるワイルドながら豪華な料理が組立式のテーブルの上に次々と並べられていく。
特大の骨付き肉をじっくり遠火で炙り、滴り落ちる肉汁が脂の多さを物語るジューシーな謎肉。
焼けた石に肉汁がジュッと音をたてると肉の香りが鼻腔をくすぐってくる。
彩り鮮やかな野菜を一口サイズに千切り、ざっくりと混ぜ合わせたサラダ。
ゴマのような粒々が入っているドレッシングを満遍なくかけている。
少し厚めにカットしたバケットの上にバターをのせ軽く火で炙り、パンに染み込ませる。
厚切りのベーコン・レタス・とろけたチーズをのせ特製のソースをたっぷりとかけてから再度バケットで挟む。まるでハンバーガーのようだ。
そして先ほどのコンソメスープ。
もうもうと昇る湯気がますます食欲を掻き立て、今すぐ胃に流し込みたい。
カップに注いである冷たい飲み物は黄金色に染まっているお茶だ。
昨日からろくに食べていない俺にとって目の前の食事は贅沢すぎるご馳走だった。
涎が止まらず何度も何度も唾を飲み込む。
「さぁ、お待ちかね! 今晩の夕食の出来上がりだよ」
ニコルさんから完成のお言葉を頂く。
すでに空っぽの胃袋はあふれ出る胃酸によりキリキリと胃痛を起こしていた。
出来上がった食事をガツガツと食べていき、みるみる胃袋へと消えていく。
どの料理もとても美味しく地球の料理と趣は似ているが、どこかが違う斬新な料理の数々に舌鼓をうった。
テーブル一杯にあった料理を全て平らげ、全身が心地よい幸福感に包まれる。
「ご馳走様でした。本当にとても美味しかったです。こんなに美味しい料理は初めてです」
「そんなに褒められると照れちゃうな~。僕の調理スキルは高くないけど美味しそうに食べてもらえるとやっぱり嬉しいよね」
空になった食器や鍋を避けて食後のお茶を飲みながらニコルさんが口を開いた。
「そういえば自己紹介がまだだったね。まずは僕から。僕の名前は【Savina・J・Nicole】。年齢は百二十六歳。所属ギルドはGGG。職業は呪術師さ! よろしくね!」
そう自己紹介してくれたニコルさんは屈託のない笑顔が似合うイケメンだ。
身長は百八十cm程で手足が長く細身。耳がすこしとがっている珍しい形をしており瞳は翡翠色で髪は白金に輝きサラサラだ。年齢が百二十六歳と聞こえた気がしたが気のせいか?
いや、確かに聞こえた。
「はい、次はギルが自己紹介して」
食後の口周りを布で綺麗に拭き、軽く咳払いをするとギルさんが続ける。
「【Reyhaneh・L・Guilfeed】。五十二歳。職業、狩人。所属ギルドはニコルと同じGGGだ」
要点のみ簡潔に伝えたギルさんは屈強な肉体の持ち主で筋骨隆々だ。腕は俺の太ももくらいの太さをしており身長は二mを超すだろう。
印象的なのは金色の鬣のような髪と、その間から生えている猫科のような獣耳だ。左の耳に黄金のリング状のピアスをつけている。瞳は夕日を切り取ったかのような鮮やかなオレンジ色だ。
「ギルは素っ気ないなぁ。照れちゃって」
「照れてねーよ」
ギルさんはニコルさんの肩にボフッと優しく拳を叩く。
「もう気付いてると思うけど、ギルはライオンの獣人でぼくはハーフエルフなんだ。それじゃあ君も自己紹介してくれる? えーと、そういえばまだ名前も聞いてなかったね」
ニコルさんとギルさんが簡単な自己紹介を終え、次は俺の番だと視線を向けてくる。
いくつか質問したかったがそれ以上にある疑問が浮かんだ。なぜ今の今まで気付かなかったのか不思議なほどに。
──俺は自分自身の名前を思い出すことが出来なかった。
「……俺は地球という星から転生してきました。歳は二十八歳。職業は板前をしていました。名前は……すみません、どうしても思い出せないです」
「う~ん、詳しくは分からないけど記憶が曖昧なのかな? それにイタマエ? それは職業なの? それに他の記憶はあるみたいだけど名前だけが思い出せないの?」
「はい。名前以外は大丈夫だと思います。板前というのは料理人と同じようなものです」
この世界に板前は存在しないのか?
というか、和食という概念が存在しないのだろう。
「そうなると余計に不思議だね。他のことは覚えているのに名前だけ思い出せないなんて。それに二十八歳って言ってたけど、どう見てもそうは見えないよ? せいぜい十八歳から二十歳くらいだね」
そうなのか。
まだはっきりと自分の姿を見ていないのでどれくらいの容姿なのか分からない。
ここはニコルさんの見分を信じて使わせてもらおう。
「以前の肉体は二十八歳でしたが、この身体はもう少し若いかもしれません。本当の年齢は分からないので二十歳ってことにします」
「そうだね。そのほうが違和感はないかな」
ニコルさんのほうがよっぽど見た目詐欺だけどな……。
百二十六歳て。
地球ならばどう見ても二十代、せめて三十代だろう。もし、百歳サバを読んだとしてもバレることはないと思う。
そんな俺達の会話を聞いていたギルさんが更に聞いてくる。
「言葉はどこで覚えた? まさかチキュウという星とガイアの言葉が全く同じなわけはないだろう?」
そういえば、なんの違和感もなく話すことが出来ている。これが自称神様の言っていたことか。
「恐らくですが、俺がここに転生した原因ともいうべき自称神様がコミュニケーションをとるためにガイアの言語を脳に刷り込んでおいたと言っていたのでそのためかと……」
「自称神様? ますます訳が分からんな」
「うまく説明できず申し訳ないんですが自分でもよく分かってないんです。これは憶測なんですが自称神様は俺に細工をしたと言っていました。その一つに名前を消去したのかもしれません」
「なんのために?」
「分かりません」
俺は自分で説明しているのに自分の言っていることがよく分からなくなってきていた。
これだから聞きたいことがまだまだあったんだ。
「まぁいいじゃない! 会話ができて困ることはないんだし名前がないなら新しく名前を付ければいいさ! きっと神様はこう言いたかったんじゃないかな? 新しく生まれ変わった君に以前の名前は不要! これからは新しい名前で生きて行けと!」
ニコルさんが自身満々に言いきったが、そういうことにしておこう。
「となると名前を考えなければな。名前がなければ不便だろう」
「そうだね。君は何かリクエストはある? 自分の名前なんだ。好きに決めるといいさ。ちなみにガイアで名前を付けるときは出身地・家名・名前の順番で構成されるんだ。僕の場合、サヴィナ出身でジャバード家の頭文字J、名前がニコルってことになるね」
名前か。自分の名前を考えるなんてゲームの主人公みたいだな。
ん~、どうするか……。
「いきなり自分の名前を決めるなんて大変だろうからじっくり考えていいと思うよ! それこそ一生使うんだし気に入る名前を考えればいいさ! もし、僕に手伝えることがあれば協力するよ!」
「でしたら、このあたりの地名はなんていうんですか?」
「ここかい? ここはオルバート草原だよ」
「よし、決めました。俺は今日から【Olbato・K・shin】と名乗ります」
あまり悩まずに決めてしまった俺に疑問を抱くかのようにギルさんが尋ねてきた。
「なぜその名前にしたんだ? オルバートは分かるが」
「ここは俺が目覚めた最初の土地なので出身はオルバート。Kはお二人のJとLの間からもらいました。お二人は命の恩人なので。シンは地球で新しいという意味を持つのでそこから貰いました」
我ながら安易だとは思うが割と気に入っているのでいいことにしよう。
「うん、いいじゃないか! 覚えやすいし。よろしくねシン!」
こうして、俺はガイアでの名前を手に入れた。
自分自身の名前を決めるのは少し恥ずかしかったが、グッとこの世界で生きていく実感を感じることができた瞬間だった。
「ところでシン。ギルドはどうするんだ?」
ギルさんがさも当たり前のように聞いてきたが、俺には何のことかさっぱり分からなかった。
第9話は明日、18時に更新致します。