第75話 命の福音
熊八の手によって救出されたジュードはガラガラの声で一言だけ告げると、静かに眠ってしまった。
「これほど驚異的な回復力ならば命の心配はないでしょう。このまま安静にしていれば時期に目を覚ますはずです。いやはや、全く恐ろしいほどの生命力ですな」
簡単な診察を終えた船医は、手術の必要がないほどに自己治癒しているジュードの体を見て驚嘆の声をあげていた。静かに寝息を立てているその顔には汗や血痕のあとが残っているが、顔色は血の気が指すほどに回復し素人目から見ても峠は越えたことが分かる。
「なかなかいい能力を持ってるじゃねぇか。後は任せろ」
眠ったままのジュードに語り掛ける熊八はそう言うと甲板へと進み船内を出ていく。船外では僅かに残ったサハギンを相手にベンジャミンが駆逐している最中であった。
「ジュードは大丈夫か!? 熊八!!」
俺はビアンカの護衛を務めるため船内には入らず、外で自分の役割を全うしていた。まぁ、それもほとんどがベンジャミンの手によって掃討されていたので特に何かしたわけでもないが……。
そうして船内から出てきた熊八に危篤な状態のジュードの安否を尋ねてみる。
「心配すんな。大丈夫だ」
にっこり笑顔で答えてくれたため、命に別状はないのだと安心する。
大量に出血をしていたように見えたのでかなり危険な状態だと思っていたが、どうやら思い過ごしのようであった。なんにせよ、これ以上死人が増えることは無くてよかった。
攻撃を受けた俺たちの乗る船はベンジャミンの活躍により全ての侵入者を追い出すことに成功し、束の間の安寧を取り戻していた。
至近距離まで近づいていた海賊船もジュードが暴れまわったおかげなのかゆっくりと離れていき衝突の危機は免れ、再び鋼鯨の追跡に注力している。
「ベンジャミンもご苦労だったな。お前さんが同乗してくれて助かったぜ」
今しがた戦闘を終えたベンジャミンは手櫛で濡れた髪をピシッとオールバックに漉き流すと、落ち着いた表情で身だしなみを整えていた。その手にワイヤーは無くなっており脅威が過ぎ去ったことを示している。
「全ては任務遂行のため問題ありません。私はただブラガ様の船をお守りしただけです」
そう言って何食わぬ顔をしたままベンジャミンはコツコツと革靴の音を響かせながら船内へと戻っていく。
「アラタ、お前さんもご苦労だったな」
「俺は何もしてないけどな」
別に皮肉を言っている訳でもヘソを曲げた訳ではなく、ただ事実を述べただけだ。銛を構えて警戒こそしていたが直接戦闘になることもなく、敵は全てベンジャミン一人で片づけてしまった。
「ガッハッハ! それでいいのさ! お前さんの仕事はこれからってことだな」
「ちょっと、世間話もいいけど任務が先よ。今の戦闘の間にだいぶ離れてしまったわ。急いで目標を追ってちょうだい」
その後、ビアンカの指示のもと船の指針を取り鋼鯨の後を追う。
♢ ♢ ♢
吹き荒れる横風と打ち付ける雨は次第に勢力を弱め、嵐が遠ざかっているのか天候は徐々に回復へと向かっていった。
陽は沈み辺りは昼間の様相とは打って変わって静まり返り、雲の切れ間から赤銅色の月が顔を覗かせる。
嵐が去っていくと共にいつしか海賊船の姿も消え、後を追ってくるのは赤と白の着色が施されたガレオン船のみであった。先の海賊との戦闘の際も一切何の音沙汰もなく、一定の距離を置いて沈黙を貫く船は海賊船とは違う意思を感じさせる。
しかし、手を貸してくれることはないが干渉してくる様子もないので話し合いの結果、放っておくことになった。
俺たちの後を付いてくることは鋼鯨を追うことと同義なので奴らからすればお得なことだろう。しかし、だからと言ってこちらから攻撃するわけにもいかず無視を決め込むこととなった。
そうしてビアンカの能力を頼りに追跡を行ってから早、二日が経過していた。
その間は特に目立った襲撃やトラブルもなく順調に航海は進み、出産が始まった時の作戦を全員で共有し来るべき日に備える。
時折、遠くの海で呼吸のため浮上してきた鋼鯨の潮吹きが観測できることもあったが、一呼吸するとまた深く海に潜ってしまい何時間も姿は見せない。
稀に水平線状にポツポツと船舶を見受けられることもあったが、この広い大海原では港に大量に停めてあった船もなかなか遭遇することはなかった。
俺たちが港を出航してから三日が過ぎ、四日目の朝日が昇る頃ついにその時が訪れる。
鋼鯨の動向を伺うため寝る間を惜しんで能力を使い続けたビアンカは魔力の消費と航海の疲れから目に見えて疲労が蓄積しており、限界近くになるとハンモックに倒れ泥のように眠った。
それでも数時間後には無理やり体を起こしてきては気休めと言わんばかりに魔力ポーションを何本もがぶ飲みし、己の任務を全うし続ける。
一体どれだけ魔力ポーションを積んでいたのか空いたグラスの数に驚く。
そのため、少しでも体力を回復できるよう熊八と共に食事のメニューは精のつくものを考え陰ながらビアンカを支えていたが、俺にできることはそれくらいだった。
片や、重症を負ったはずのジュードは驚異的な治癒力のおかげですっかり元気になっており、喉の傷もほぼ完治しかけ今では普通に歩いている。
一切、弱音を吐かないビアンカはそれだけこの任務に掛ける思いが強くなんとしても任務達成を目指す強い意志を感じさせた。
そんな姿を見せられれば俺達も自然と身をつまされる思いになり、索敵を代わってやりたくとも誰一人として代わりを務めることはできないので何も言えることは無く、一日でも早く鋼鯨の陣痛がくるのを願うばかりであった。
と、そんな時──。
「っ!! きたわよ!! 皆、用意して!!」
それまで平穏な航海を続けていた船内に響くビアンカの緊張混じりの声。
突然の急報に船内はバタバタと動き出し、寝ていた者も起こされ一気に騒がしくなる。
「始まったか! もう産まれたのか!?」
「まだよっ! けど、これまでにないくらい大声で叫んで活発になっているわ! 間違いなく陣痛がきてるはずよ!」
「ついにきたか。船長、船を出来るだけ近付けてくれ! あとは俺達でなんとかする!」
「任せろ! よぉーし、野郎ども! ここが正念場だ! 散った仲間の為にも必ず成功させるぞぉ!!」
船長の鼓舞が響くと皆が口を揃えて雄叫びをあげる。
とうとうここまでやってきたのだ。目標を達成できるかどうかはこの瞬間にかかっている。士気の上がった船上ではそれぞれが持ち場に着き、今か今かと鋼鯨の出産を待つ。
「よくやったな、ビアンカ。後は任せろ」
熊八の言葉に力なく微笑むビアンカはすでに満身創痍であり、これ以上の負担は掛けられない。
ようやく休めると言わんばかりにへたり込み、ヘトヘトであった。
「後はお願い。私は少し休ませてもらうわ……」
「おう! 必ず鋼鯨の涙を手に入れるからな!」
ビアンカのおかげで出産に立ち会うことができ、ついにその時がやってきた。
船首の向く方角に目をやると大きく海が盛り上がり、黒い巨大な壁のような鋼鯨の尻尾が海面から現れた。その尻尾は凄まじいほどの水飛沫を撒き散らし、霧が発生したかのように一帯に靄がかかっている。
その後も、これまでにないほど頻繁に海面から姿を捉えることができ直上に吹き上がった潮吹きは何十メートルの高さまで噴出していた。
巨大な体躯を持っているためその全容を確認することは不可能だが、海面からでも分かるほど動きが活発化し鋼鯨の興奮が伝わってくる。
いつの間にか辺りの海面には小さな小魚や海鳥が集まってきており、船の上からでも幾多の野生の生物が確認できる。本能が引き寄せているのか、貴重な栄養源を求めてすでに鳥山が海面に形成されていた。
「おいおい、なんだってこんなに生き物が集まってきてんだよ? これじゃ、俺たちが採取する前に根こそぎ食われちまうんじゃねーか?」
元気になったジュードは船首の縁に片足を掛けながら辺りを見渡し、異常なほどに集まってきている生き物の数に驚いていた。
「こいつらも俺達と同じものを狙ってんのさ。それほど価値のある代物ってこったな。なぁに、本来自然に還るもんを俺たちが分けてもらうんだ。構うことねぇよ」
「しかしよ~、それで俺たちの働きに見合う量が採れるか~?」
「大丈夫だ、実物見りゃ分かるさ」
と、その瞬間。
ヴォォォォォォオオォォオォォォォォォオオオォッォォォォォォォォッッ
海面から顔を出した鋼鯨はこれまで聞くことが出来なかった地鳴りのような大声を響かせ、ビリビリと鼓膜を揺らされる。
そして一度海に潜ったかと思えば大きく海面から飛び出し、大ジャンプであるブリーチングを惜しげもなく披露した。
「近いぞぉぉぉ!! 掴まれぇぇ!!」
そのあまりの巨大な体が空中に投げ出され勢いよく海面に打ち付ける。その衝撃は音と飛沫となって飛び散り、大穴を開けた海面に多量の海水が流れ込む。まるで隕石が衝突したかのような一撃は輪っか状の巨大な波を発生させ穏やかだった海を豹変させた。
「ハッハッハ! 半端ねぇな! ワクワクしてきたぜ!」
個としてのあまりのスケールの違いに武者震いを起こし、恐怖と興奮が入り混じった不思議な感情に全身を支配される。
もし、あの巨大な尾びれに船体が打ち付けれでもしたら一撃で粉々に破壊されることだろう。そうすれば俺たちは採取どころか生きて帰ることもままならない。
そんな危険地帯に自ら赴こうとしているのだ。
まさに、命知らずな宝探しと呼ぶに相応しい冒険者の生業である。
生前の記憶が潜在的に残っているのか、怖くて怖くて堪らないはずなのに自然に顔がほころんでしまう。
「やべぇ……、なんでだろ……。顔がにやけちまう」
だがその時、思いもよらぬ影が現れた。
『貴船に告ぐ! 現時点を以ってこの海域は我が< 紅龍騎士団 >の支配下とする! 即刻、帰港せよ!』
それは上半身が猛禽類である鷲のような顔と大きく黄色がかった嘴、下半身はライオンのような体躯で背中には立派な羽を持ち、バサバサと大きな羽音を立て羽ばたかせていた。
まさに童話に出てくる架空生物のグリフォンそのものであった。
グリフォンは全身を深紅と純白の色をした鎧を装着しており、完全に対戦闘用を想定した成りで武装され、今しがた声を発した人物はグリフォンの背中に跨っている男から発せられたものだろう。
「なんだあれは?」
初めて見た奇妙な生物と発せられた言葉の意味を飲み込むことが出来ず、俺は返答に困る。だが俺が言葉を濁している間に意を唱えるものがいた。
「んだと、コラァ!! 何様だテメェ!! 今まで何もしなかったクセに偉そうに意見してんじゃねーよ!!」
右手の拳を握り親指を地面に向け「地獄に落ちろ」と言わんばかりに挑発しているのは復活したばかりのジュードであった。
ジュードの口ぶりと目立つ色彩の姿から察するに、今まで後ろを付いてきていた紅白の船の乗組員であることは間違いなさそうだった。
『我らは誇り高き< 紅龍騎士団 >ぞ! 下賤なる者め! 口を慎め!』
「うっせーー! 俺らが海賊に襲われてるときは黙って見てた奴の言葉なんて誰が聞くかよっ!! おとといきやがれっ!!」
その後も取り巻きと共に汚い言葉を散々、投げかけたジュードは聞き入れるどころか相手を罵りまくっていた。
それでも一向に引く様子のない相手も全く話しを聞かずにお互い一方通行の暴言を吐きまくっている。
「熊八はあいつらのこと知ってるのか?」
上空を飛んでいる人物は自分のことを紅龍騎士団と名乗っていた。格式高そうな整った装備と言葉遣いはそれなりに権威のある一団だと予想できる。
腕を組んで黙ってジュード達のやり取りを見ている熊八に問いかけると苦々しい顔をしながら頷いている。
「あいつらはミーティアに所属している騎士団でな。紅白に染められたシンボルカラーは紅龍騎士団の象徴だ。歴史ある騎士団に所属してるからか知らねぇが、みんな頭の固い連中で自分たちの信じるものがこの世で一番偉いと思ってる。話し合いで解決できるとは思えねぇがな……」
先ほどからジュードと交わしている言葉が話し合いと呼べるならば平和な解決に至ることはまず有り得ないという確信がある。
やがて業を煮やしたのか、うろちょろと船上を旋回しながら飛び回る騎士団員はこう叫んだ。
『もうよい! 話しの通じぬ低能なサルどもにこれ以上掛ける言葉は無い! 忠告を聞き入れぬならば実力行使に出る他、あるまいな! たとえ、その命散ろうとも正義は我らにある!』
「なに訳分かんねーことぬかしてんだ! 上から目障りなんだよ! さっさと消えろや!」
ジュードの暴言を受け、汚物でも見るかのような醜い表情に顔を歪めた騎士団員はグリフォンを巧みに操ると自分の船に引き返していった。
「二度と来るんじゃねー!! 馬鹿野郎ー!!」
清々したのか言い切った表情のジュードは言ってやったぜと言わんばかりに鼻を鳴らし満足げだ。
「で、これからどうすんだ?」
瞑目し頭をポリポリと掻いて困り顔の熊八は思い悩んでいる様子。
「ん~、今は騎士団と遊んでる場合じゃねぇんだけどな。でもジュードの気持ちも分かるしよぉ~。さて、どうすっか」
と、そんな時。
新たな生命の誕生を告げる咆哮が大海原に大音量で響いた。
ヴオオォォォォオォォオオォォォォォォォオオォォォォォォオオオォォッッッ
俺たちのいざこざを全く意に介さない母鯨の叫びがこだまする。
そして、母鯨の尻尾ほどの小さい鋼鯨の赤ちゃんが生まれ落ちた瞬間だった──。




