第70話 ビアンカの能力
ビアンカは自信有り気な顔をしながら薄いピンク色の魔力を纏っている。
「どういうことだ? 何かいい案でもあるのか?」
疑問に思い微笑んだままのビアンカに尋ねてみる。
「口で説明するより見てもらったほうが早いわね。今から始めるから甲板に来て」
俺と熊八は言われるまま船内から甲板へと出てみると、ビアンカは真っ直ぐ船首の先端に向かって歩いていく。
すでに日は昇り強い陽射しは海の反射も相まってギラギラと照り付けており、一日船外に出ていれば小麦色の肌に焼けることだろう。紫外線対策万全のビアンカは肌の露出を極力控え、黒い日傘と長い手袋をはめていた。
360度、見渡す限りの水平線には停泊している船舶が多数並び、現状どの船も目立った動きはない。それはつまり鋼鯨が近くにいないことを示している。
ちょうど船外で目標の観測をしていた船長とジュードにも声を掛け一仕事始めると告げていた。
ちなみに、昨夜の襲撃によって漁夫の手が少なくなった穴をジュードの取り巻き二人が代わりに仕事を受け持ってくれることになった。見た目は柄が悪そうだが、なんだかんだで役に立っている。
「それじゃ、始めるわよ。全員耳を塞いでちょうだい。鼓膜が破れても知らないわよ」
ビアンカは皆に忠告したあと大きく息を吸い、深呼吸を繰り返す。
これから何が始まるか分からなかったが、ただならぬ気配を感じ他の乗組員同様に両手で耳を塞いだ。
息が整った様子のビアンカは纏っていた魔力の揺らぎをピタリと止めると、突如、船首から大海原に向け大音量且つ、高音の声を響かせた。
「 アアアアアアアアアアアアアアアアアア 」
「 アアアアアアアアアアアアアアアアアア 」
「 アアアアアアアアアアアアアアアアアア 」
それは、小柄な体から発せられたとは思えないほどの声量と超高音の声。
まるで超音波のようにビリビリと周囲に響き渡りその声は人も、船も、海も、大気も全てを振動させている。どうやら声に魔力を乗せて飛ばしているようで半透明でピンク色の膜が音と共に球体状に拡散していく。
目を閉じ声帯を震わせながら驚異的な肺活量で声を発するビアンカだが、不思議なことにその音色は鳥肌が立つほどに美しかった。
何度か耳障りの良い音色を響かせたビアンカは静かに口を閉じる。あとに残るは心地よい余韻。
俺は体の中を突き抜けたかのような振動にゾクゾクとした未体験の境地に立っていた。その身震いするほどの新体験に感動を禁じ得ない。
ゆっくりと振り返ったビアンカは紅潮した頬と軽い息切れを起こしている程度で、その顔は何かを確信しているようである。
「分かったわ。早速、移動しましょう。この方角に向かってちょうだい。それと、これから大きく天候が崩れる。嵐が来るわ」
ビアンカの指し示す方角は北東に指針をとっており、船長は黙って指示通りに従うと船員たちに舵を切らせる。これだけ晴れているのに嵐が来るとは、にわかには信じがたいが、言われてみれば確かに遠くの空に暗雲が立ち込めている。
だが、それ以上に先ほどの美声に魅了されていた。
「すっげぇ……!! まるでオペラ歌手みたいだ! 普通の声とは全然違う不思議な声で魅了されちまったよ! これも魔力のおかげなのか!?」
興奮冷めやらぬ俺は心地よい余韻に浸りながらもビアンカに尋ねてみる。
「ええ、そうよ。これが私の能力【七音の旋律】。この能力は声を利用した力なの。今やって見せたのは、全方向に声を飛ばすことによってぶつかったものの距離と形状を認識できるわ。
ちなみに、海の中は別の音域で音を飛ばしてたのよ。気付いたかしら? それと、これでも私は有名なオペラ歌手なのよ? コンサートを開けばチケットが即完売するほどにね。
ギルド【初音交響楽団】。聞いたことないかしら?」
転生者である俺はもちろん知るはずもないので初耳だ。
それにしてもいい声だった……。もう一度、聞きたくなる中毒のような興奮が体の中でうずうずと込み上げてくる。
今回の依頼が終わったら是非、コンサートに行ってみたいものだ。
そして、声の反響によって相手の位置を割り出す手法は反響定位を利用しているのだろう。例として蝙蝠や鯨、イルカなどが使用しており、目に見えない位置からの反響音の強弱や反響するまでの時間、音の変化によって障害物との距離、形状を測っているのだ。
本来、これだけ開けた空間で正確に反響音を捉えるのは相当難しいことだろうが、魔力を利用したならではのカラクリがあるのだろう。
これで何故、ビアンカがこの任務に臨んだのかが分かった。ビアンカの能力は探し物にはうってつけであり、鋼鯨が反響定位を使っているのならば探知することは容易いことだろう。適材適所とはこのことだ。
「こいつは記憶喪失になっちまってな。つい最近のことしか覚えてねぇんだ。だからお前さんのことも知らねぇはずだ」
説明してくれた熊八も心地よかったのか心なしかニンマリしている。分かるぞ、その気持ち。それだけ素晴らしい美声だったから仕方ない。
「そ。まぁ、いいわ。なんなら今回の分け前を多くくれたら私の出る劇場のチケットを融通してあげてもいいわよ」
「いや、今回は俺等もある程度まとまった量が必要だからやめとくわ。そういやビアンカの目的はなんなんだ? 金ならいくらでもあるだろうに」
熊八が不思議に思ったのか聞いてみるとすんなりと答えてくれる。
「私の目的は美容目的よ。もちろんお金に換えるつもりはないわ。知ってるかしら? 鋼鯨の涙はコラーゲンたっぷりで美肌や喉にも凄くいいのよ。更に若返り効果もあるって噂もあるから、どうしてもこの機を逃すわけにはいかないの」
「そうかい、なら何としても手に入れねぇとな! ガッハッハッハ!」
出会った当初の印象と大分違う言動と行動に人は見かけによらないものだと再確認する。ブラガの屋敷で出会ったときは本を読み物静かなイメージだったが、この出来事によって大きくイメージが覆った。
だが、そんなやり取りをしている俺たちに不快感を出す人物が一人。
「おいおい、そんなことはどうでもいいから、何が分かったか教えろよ。肝心の目標は見つかったのか?」
ジュードはなかなか話しが前に進まないことに不快感を露わにし、明らかにイライラしていた。人によって先ほどの効果は差があるようだ。
「美的感覚が乏しく品の無い人間は哀れね。そう焦らなくとも近くにはいないわ。とにかく言った通り進路を進めてちょうだい」
チッと舌打ちをするジュードは文句を言いたげな顔をしつつも指示に従う。ジュードにとっても今回の任務は大事な役割を担っているのか、それきり口答えをすることはなかった。
ビアンカの能力によって行き先が決まった船はゆっくりと渋滞していた船団を離れ、単独で海を進む。
しかし、船団の中を少し進んだところで何隻かの船が俺たちの乗る船の後を付けてきているのが分かる。
「熊八、なんか知らんが何隻か追いかけてきてるぞ。このまま放っておいていいのか?」
目撃情報のあった海域を離れ、一定の距離を保ちながら付いてくる数隻の船。どうやら俺たちの船が手掛かりを掴んだとみて進路を同じにしているようだった。その船は赤と白のツートンカラーが目立つ船と黒一色の船が見える。
「仕方ねぇさ。あれだけの声で周囲に響かせたんだから周りの船も気付いてるはずだ。「この船に探知が得意な人物が乗っている」ってな。奴らの行動は理にかなってる。もしかしたら、ビアンカが乗ってるって確信してる奴もいるかもな」
「ったく、やるならもう少し上手くやれよな。商売敵にタダで情報渡してどうすんだよ」
熊八の説明に被せて悪態をつくジュード。それをビアンカが素直に受けとることは無いと、この短い付き合いでも簡単に分かるほどに相性は悪い。
「何よ。私がヘマしたって言いたいの? そういうあんたは何にも役に立ってないクセに口だけは御立派ね。それに、私が能力を使わなかったらこの船も手掛かりを掴めていなかったのよ。あんたの100倍は役に立ってると思うけど」
「ぁんだと? 俺は戦闘タイプだからこういうのは苦手なんだよ! 何ならここで実力を見せてやってもいいんだぜ?」
「言っとくけど、私に指一本でも触れたら殺すわよ」
「面白れぇ、出来るもんならやってみろよ。声しか取り柄のねぇクソ女がっ!」
「はぁ!? 聞き捨てならないわね。取り消しなさい、この無能が」
明らかに空気が変わった船は一触即発のピリピリとした気が張り詰める。同じ船に乗っている仲間であるはずなのに、今は互いを敵視し睨み合っていた。
「はい、そこまで~。まぁ、お二人さん落ち着いて」
呑気な顔をした熊八が両者の間に割って入るように前に出る。
「狭い船の上で窮屈なのは分かるが、今は仲間なんだ。最初に手を組もうって持ち掛けたのはジュード、お前さんだろ? ビアンカ。お前さんは、安い挑発に乗るような軽率な女じゃねぇだろ。現状をしっかり捉えるんだ」
熊八に宥められると少しだけ空気が和らいだ。その立ち位置のまま熊八はあるものを取り出す。
「ほれ、この匂いでも嗅いで落ち着くんだな。分かってるとは思うが口には入れるなよ」
熊八が手に持っているのは手のひらサイズの紫色の一枚の木の葉。素直に受け取ったビアンカは鼻に近づけ木の葉の匂いを嗅いでいる。すると、先ほどまでの険しい表情が途端に和らぐ。
渋々、受け取ったジュードも匂いを嗅ぐとこちらも同様に落ち着いたようだった。
あまりの変わりように気になったので俺も嗅いでみたくなる。
「なんだそれ? 俺にも嗅がせてくれ」
熊八から受け取った木の葉を嗅いでみると、檜のような懐かしく優しい香りとハーブのような冷ややかな風が吹いたかのような爽快感が後からやってくる。
癖になりそうな独特の香りは凄まじいリラックス効果を発揮し、騒めき立った気分を鎮めてくれる。
「これは紫養燕樹の茶葉だ。ブラガの奴、こうなることを予見してたのか、予めこの船に積み込んでおいたらしい。まっ、効果はあったようだがな」
そう言いながら熊八も茶葉の匂いを嗅いでは息を吐き、スーハスーハーと何度も香りを楽しんでいた。
「そうね、私としたことが柄にもなく声を荒げてしまったわ。ありがとう熊八さん。茶葉をお返ししますわ」
「いいってことよ。ビアンカがいなけりゃ、今回の任務は難航するだろうからお互い様ってもんだ。それと、茶葉はそのまま持っててくれ」
すっかり平常心を取り戻したビアンカは、時折笑顔を見せ熊八と話している。ジュードもそれ以降は余計なことを言わずに黙々と漁夫の仕事を手伝っていた。
こういう何気ないフォローも熊八の知識と経験の成せる賜物なのだろう。普段は大雑把でいい加減なところもあるが、あえてそう見せているのかもしれない。まだまだ、師匠から学ぶことは多そうだ。
その後は大きな変化もなく時折、ビアンカが能力を使って位置を再確認するのみで順調に航海は進んでいく。
しかし、今朝は晴れていた空も次第に厚い雲が立ち込め青空は見えなくなり、生ぬるい風が吹く。波もこれまで以上に高くなりはじめ、今にも一雨来そうな空模様に代わっていた。
ビアンカの予報通り、嵐が近づいてきているのだ。
辺りには、いまだ付いてくる2隻の船が見えるだけで他の船団は姿が見えなくなっていた。
何度目かのエコーを使用したビアンカはこれまでとは違う反応を見せる。
「近いわよ。それと嵐もね。ここから先は荒れそうよ」
その後、ビアンカの警告は最悪の形となって的中することとなる。