第65話 高級食材
やっとの思いでブラガの部屋へと通じる扉を見つけ、俺たちが中に入ると上座に座っている人物が話しかけてきた。
「さ、そんなところに立ってないで掛け給え♪ ルーイ、御客人に紅茶を出して♪ それと、僕にもおかわりを♬」
「はい、御主人様」
執事にお茶の用意を指示する屋敷主は機嫌がいいのかフンフン、鼻歌を歌いながら机の上に置いてあるクッキーをつまんでいる。
俺たちは促されるまま手前のソファーに座ると全身を包み込むようにゆっくりと沈み、快適で素晴らしい座り心地だった。座れば分かる。高いやつだ。
「それで、お前さんが今回の依頼主であるブラガでいいんだな?」
ソファーで寛ぐ熊八が机を挟んで目の前にいる人物に問うと、テーブルの上に並べられたクッキーの一つを親指と人差し指で摘み一口食べたあと話し始める。
「これは失礼♬ 改めまして、私が依頼主である<Braga>です♪ 以後、お見知りおきを♪」
その人物はピンク色の長髪を背中に流し、化粧をしているのか真っ赤に染まった唇と盛りに盛った睫毛に白い肌。大きな瞳は違和感を感じるほどに黒い瞳孔をしていた。
服装はまだ昼だというのに燕尾服を着ており、真っ黒の長いマントを着用している。その姿はまるで吸血鬼のようだった。
「ギルドGGGの熊八と弟子のアラタだ」
簡単に自己紹介した熊八に倣って俺も軽く会釈をする。
お互いの自己紹介が終わる頃に、ちょうど淹れたての紅茶を持った執事がブラガのカップにおかわりを注ぎ、俺たちにもカップを用意してくれた。淹れたての紅茶は馨しい香りを放ち、湯気が立ち昇っている。
この暑いなかホットかよ……。用意してくれるのは有り難いが冷たいほうが良かったな……。せめて、ミルクでもあれば助かるんだけど。
「ささ、聞きたいことはたくさんあると思いますが先ずは冷めないうちにどうぞ♪ 鳳仙帝国から取り寄せた紫養燕樹の茶葉を使用した紅茶です♪」
「ほう、そりゃあ珍しい。どれ頂いてみるか」
ズズズと音を立てて飲み始める熊八。この世界にテーブルマナーは存在しないのだろうか? ブラガもニコニコしたまま紅茶を飲んでいる。
俺だけ飲まないのも失礼かと思い、息を吹きかけ冷ましながら一口啜る。
その瞬間、電撃が走った。
「う……、美味い!! なんだこれは!?」
熱々の紅茶を口に含むと、あっという間に舌全体に広がる味と香り。初めは苦みが先行するが、やがてやってくる怒涛の甘味。最初のほどよい苦みが余計に甘味を引き立てているのか? 絶妙なバランスの苦みと甘味の相乗効果によって、それはまさに究極の一杯と呼ぶに相応しい味だった。
すぐさま、もう一口啜る。やはり美味い。
熱い紅茶は舌が火傷しそうになるが最早、止めることは出来なかった。痺れる様な旨味が鳥肌を立たせ脳を麻痺させる。飲んだら分かる。高いやつだ。
なんだこれ、美味すぎるだろ。麻薬でも入ってんのか?
あまりの美味しさにカップに入っていた紅茶を一気に飲み干してしまった。
たった今、飲み終わったばかりなのにもっと飲みたくなってしまう。
熊八はというと、勧められてもいないのにテーブルにあったクッキーをバリバリと食べていた。
「ご満足頂けたようで何より♪ ルーイ、御客人におかわりを♬」
「はい、御主人様」
俺は有り難くおかわりを注いでもらい、隣の熊八も飲み切っていたようで同じように2杯目をもらっている。
「流石に高級食材なだけあって美味いな。淹れ方もちゃんと心得てる。お前さんは噂通りの美食家みてぇだな」
「いえいえ、私は美食家などと言ったことは一度もありませんよ♬ ただ、趣味が高じただけです♪ そうしていたら、いつの間に周りから美食家と言われるようになったのは事実ですが♪」
ブラガも注いでもらった紅茶をゆっくりと嗜んでいる。
流石に立て続けにおかわりを催促するのは気が引けたので、欲を必死に我慢し少しづつ飲むことにした。
熊八は構わず熱々のまま紅茶を飲み切り、空になったカップを置いてまたもクッキーを食べている。
「ん? アラタ、まだ残ってるじゃねぇか。飲まねぇのか? それとクッキー食え」
俺のカップにまだ半分以上、紅茶が残っているのを見た熊八がクッキーを渡しながら聞いてくる。
まさか俺のをよこせと言うんじゃないだろうな。悪いが熊八といえど、これはやれんぞ。
「ああ、これだけ美味い紅茶を飲んだのは初めてだからな。ゆっくり味わって飲みたいんだ。だからやらないぞ」
「俺はもう飲んだからいらねぇよ。それより早く飲んで食っちまえ。毒化するぞ」
熊八が聞き慣れない言葉を使う。
毒化? なんだそれは。いやなニュアンスの言葉だな。
「其方の方の言う通り、熱いうちに飲むことをお勧めします♬ 冷めるほど空気に晒したものは猛毒へと変化しますからね♪」
ニコニコと教えてくれるブラガもすでに飲み終わっているのか、カップを逆さまにして空になっていることを教えてくれる。
「お前さんは知らねぇと思うから教えておくが、この紫養燕樹って樹は本来、猛毒を持った樹でな。ある特殊な方法で茶葉を摘まねぇと毒を抑えることができねぇんだ。さらに、抑え込んだ毒も水に触れ時間がたつと毒素を出し強力な中毒症状を引き起こし、やがては死に至る。だから早く飲めって言ってんだ」
熊八の言葉を聞いて、急に顔が青ざめるのを感じた。
なんだよ猛毒って。これだけ美味しいのに毒なのか? 麻薬どころじゃねぇ。いや、それよりも客に毒の紅茶を出すなんてとんでもない奴だ。殺す気か?
「うおぇえっ、おぉぅうっぇえぇぇぇ」
猛毒だと言われ、喉に手を入れ急いで吐き出そうと無理やりえずく。
だが、急に吐こうとしても簡単には吐けないもので涎と気持ち悪さが込み上げてくるばかりで吐き出すことは出来なかった。
「おい、俺の話しを最後まで聞け。吐かなくても大丈夫だ。俺だって飲んだだろ? 毒を中和するためにこのクッキーを食え。これには中和用の薬草が混ぜ込んであって胃の中で毒素を消してくれる」
言われた通りすぐさまクッキーを食べ、飲み込む。何も体に異変は感じないがこれで大丈夫のはず。クッキーの味なんて全く分からないまま押し込む。
飲み込んだのを確認した熊八は視線をブラガに戻し、問う。
「ここまで来て、まだ試すような真似をするなんて随分と用心深い奴だな」
「まさか、私はただ紅茶を勧めただけですよ? それに紫養燕樹は飲み方さえ知っていれば滋養強壮・精力増強・血液増進・疲労回復など薬効はとても高く、その味は格別です♪ 御存知でしょう?」
「中和方法を知っていればな」
「現に知っていたでしょう♪ 仮に知らなくとも私も同じように口にして、ヒントを与えていたではありませんか♬ たとえ知らなくとも方法はいくらでもあると思いますがね♪」
「ハッ! そうかよ。それで、おたくらも紅茶を勧められたのかい?」
熊八が問いかけた二人の人物。
一人は窓際で寄りかかるように体重を預け、文庫本を片手に読書中の女。窓枠には受け皿とセットでティーカップが置かれている。
もう一人はソファーに腰かけ、残っているクッキーに手を伸ばし両手でバリバリ食べている男。この男にもカップが用意されていた。
読書中の女は無視を決め込んでいるのか、熊八には一瞥もくれずに本を読み耽っている。
もう一人の男はクッキーを食べながら、答えてくれた。
「っんだよ!! 毒があるなら先に言えよっ!! 俺は一番最初に来て、紅茶飲んで待ってたんだぞ!! クッキー食べたかったけど遠慮しちまったじゃねぇか!! どおりで腹の調子が悪いと思ったぜ!!」
ガサツな男が一体、どれだけ前からいるのかは知らないが焦ってクッキーを食べていた。今から中和しても間に合うなら遅効性の毒なのだろうか?
それなら俺も急いで食べることなかったな。
しかし、その様子を見ていたブラガがクツクツと笑いながら話し始めた。
「可笑しいねぇ♬ 普通ならとっくに毒が回って死んでもおかしくないくらい時間がたってるのにピンピンしてるじゃないか♪ 可笑しいねぇ♬」
「ったく、この屋敷には変な奴しかいねぇのかよ! いきなり襲ってくるわ、迷わせるわ、殺そうとしてくるわ、泣きそうだぜ!」
このガサツな男は全種類のクッキーを食べ終わると、ソファーにもたれ掛かり憤っていた。
「けど、俺を殺そうってんならもっと強い毒を持ってくるんだな。さっきの毒は消化しちまったぜ」
何故か自信満々の男はチッチッと、人差し指を左右に動かし口の周りを腕で拭っている。
頭の出来は良くないとしても、底知れぬ何かを感じさせるには十分な器を持っていることは肌で分かる。
少なくとも三ツ星以上の冒険者である以上、こいつにも注意しておかなければ。
「さて♪ 取りあえず、四人もの有望な冒険者が揃ったので<鋼鯨の涙>について詳しい説明をさせてもらおうかな♪ ルーイ、お願い♬」
「はい、御主人様」
ルーイと呼ばれた執事は命令を受け、前に出てくると手を差し出した。
「では、皆様。予め門で渡された魔力符をお渡し下さい。その結果次第で、最終決定を致します」
淡々と告げた男の執事は一人ひとりの近くまで歩いて回り、魔力符を受け取っていく。
途中、ガサツな男がぼやいていたが聞こえていないのか、聞こえていても無視しているのか何も反応を示さなかった。
読書中の女は黙って魔力符を渡し、俺と熊八も素直に手渡した。
集めた魔力符をブラガに渡すと執事の手から湯気のような魔力で符を包み込む。当人たちにしか分からない変化がおきているのか執事とブラガの顔が曇っていく。
「おやぁ~♬ 一人だけ反応がない者がいるねぇ♪ ここまで来るには魔力を発動しないと辿り着けないと思うんだけどなぁ♪」
「あ。多分それ俺だ。俺、魔力使ったことなくてさ」
その言葉を聞いた熊八以外の部屋にいた人物が驚きの表情をして俺を見てきた。
「あれ? なんか俺まずった?」
熊八はしまったと言わんばかりに目を瞑り、苦笑いをしていた。