第64話 美食家ブラガ
若い女性の執事は満面の笑みで嫌味なことを言ってくる。
「こりゃあ、どういうことだ?」
熊八が驚いているのも無理はない。なにせ、ここは二階に上がったホール突き当りの扉だ。
それなのに、扉の向こうには一階にあるはずのエントランスに繋がっていた。その脇には御丁寧に嫌味な執事までいやがる。
振り返れば大広間のダンスホール。前を見やればエントランス。
全く意味が分からない。そもそも二階に上がったはずなのに、なぜか一階に降りてきている。
物理的にあり得ないことが実際の現象として起きていた。
「これは、お前さんの能力なのか?」
扉を開けたまま懐疑的に執事に問いかける熊八。
「お答えできません」
執事は瞑目したまま、満足げにそれだけ告げるとすまし顔で直立している。
この執事の性格はすでに把握済みだ。俺たちが術中に嵌まり自分が優位に立っていることで、さぞかしご満悦なことだろう。
「どうやら俺たちはすでに奴の手の平の上で踊らされてるみてぇだな」
何も手掛かりを掴めそうにない執事を放っておき作戦を立てる。取りあえず、俺は気になっていることを実践してみることにした。
「熊八は扉を開けたままここで待っててくれ。俺はもと来た扉を開けてみる。もし、ここが本当に一階のエントランスに繋がっているなら二階から俺が見えるはずだろ? そうでなけりゃ、ここは入り口そっくりに作られた偽物ってことになるからな。そして、この執事もそっくりさんに違いない」
「なるほどな! ブラガならやりかねん! アラタ、冴えてるじゃねぇか!」
「俺だって少しは役に立てるんだ。待っててくれ、すぐに答えは分かるはずだ」
そう言い残し俺は崩れたシャンデリアと砕けたクルミ割り人形の脇を通り抜け来た道を戻る。
そして、閉じられている大きな扉をゆっくりと開けていく。
そこから見えたものは階下からこちらを見上げている熊八と、ほくそ笑んでいる執事がいるエントランスホールだった。
「…………。」
そのまま俺は俯き加減で中央階段を無言で下り熊八のもとへと戻る。
「気は済みましたでしょうか?」
話しかけていもいないのに執事が余計な一言を告げてきた。その表情は笑いを堪えているかのようで非常に腹が立つ。
ぐッ……。この野郎。舐めた口、利きやがって。いい気でいられるのも今のうちだぞ。つーか、私情を挟みすぎだろ。執事失格じゃないのか?
「うるせい、絶対見つけてやるからな」
「フフ……。御主人様のためにも御尽力して頂かないと困ります」
「というか、この可笑しな空間を作ってるのはこの執事なんだろ? なら執事に能力を解除してもらえれば早いんじゃないか?」
苛立った俺が熊八に問いかけると、熊八よりも先に執事が言葉を挟んできた。
「警告しておきますが、私ども使用人に危害を加えることは一切禁止となっております。もし敵対行動を取られた場合、即刻、粛清対象とみなし攻撃に移させて頂きます。それでも構わないと仰るのでしたらお相手致しましょう」
淡々と告げる執事はこれまでの態度とは一変し、とても落ち着き払っていた。
それはまるで、いつでもかかってこいと言わんばかりに堂々とした所作。見方によっては戦闘を望んでいるようにも感じ取れる。
「やめとけ、アラタ」
張り詰めた空気のなか、熊八は呑気に欠伸しながら俺を制止する。
「俺たちは依頼を受けに来たのであって、喧嘩しに来たわけじゃねぇ。いいから他の部屋を探すぞ」
緊張感の欠片も感じさせない熊八はポンと俺の肩に手を置いてすれ違うと、屋敷の中へと進んでいく。すっかり毒気を抜かれ俺の気も収まってしまった。
「悪かったな、気にしないでくれ」
振り返った熊八は執事にそう謝罪していた。
「いえ、私も過ぎた真似をしてしまいました。申し訳御座いません」
執事も深く頭を下げ、熊八に一礼する。そのやり取りを見ていた俺は急に自分が幼く、なんて底の浅い人間なのかと痛感してしまった。俺も師匠を見習うことにする。
「さっきはすみませんでした」
「私にも非がありました。ご健闘をお祈りします。お帰りの際には左手にあります出口からお帰り下さい」
「ええ、分かってます。けど依頼を受けるまで帰りませんから」
そう言い残し、すでに一階にある新しい扉を開けようとしている熊八に追い付くため走る。
「すまん。さっきは頭に血が上ってた」
「いいってことよ。けど、あのまま戦闘が始まっていればお前さんの実力だとあの執事に瞬殺されてたろうよ。安い挑発に乗って命を落とすのは馬鹿らしいだろ? 命は一つしかねぇんだから大事にしねぇとな。ガハハ」
マジか。俺はかなり危険な行為を知らぬまま冒していたのか。これからは気をつけよ。
エントランスホール一階にある一番右手前の扉を開けると中は応接室のような造りになっており、長テーブルと椅子がいくつも置かれていた。やはりどれもこれもお金が掛かってそうな品のある高そうな調度品が並んでいる。
先ほどのクルミ割り人形の奇襲も考えられるため天井から装飾品、調度品など部屋の隅々をくまなくチェックしていく。
その中には、牡鹿の首の剥製や西洋風の鎧の甲冑、港を描いた絵画・不思議な形の壺などが並んでいる。
この部屋にもブラガの姿は見当たらず無人の部屋だった。
「アラタ。分かってるな?」
熊八が何も言わずに確認を取ってくるが、俺は内容を聞かなくとも理解していた。
「ああ、今度は大丈夫だ」
すると、見計らったかのように鎧が動き出し鞘に納められていた剣を引き抜く。やはりこの部屋にも罠が仕掛けれていた。
俺は近くにあったこれまた高そうな装飾が施された椅子を持ち上げると無造作に鎧に投げつけてやった。なかなか重さもあったので正面からぶつかれば結構なダメージを与えられるだろう。
しかし、鎧は一切避けようともせず愚直にも剣で椅子を切り付けてきたが、無人の鎧の力では椅子を切断することは敵わず椅子の重量に押されバラバラに崩れ落ちた。
「オッシャー!! ストライーク!!」
ガッツポーズを決め、鎧が復活する前にジャンプして飛び越え、奥の扉を開ける。
扉の向こうは二階の左辺へと続いていた。
「今度は一階にいたのに二階かよ。もう驚かないけどな」
この可笑しな屋敷はどうやら扉と扉が不思議な力で繋がっており、一度扉を閉めてしまえば別の部屋へと瞬時に入れ替わる仕組みになっているようだった。
面白いのは応接室を出たはずなのに、再度、扉を開けるとダンスホールに変わっていたり、またその場で開閉すると食堂に繋がっていることだ。
念のため、虱潰しに一部屋一部屋、見て回ったがすぐに時間の無駄だと分かり、新しい部屋に変わるたびに新たな罠も襲ってくる仕様だった。
ただ、扉を完全に閉めなければ部屋は変わることはないと分かったので全ての部屋の扉を開けて周ろうとしたが、自然に閉じる仕組みが施された扉は目を離した隙に勝手に閉じてしまい徒労に終わる。
苦肉の策としてブラガの部屋に当たるまで開閉を繰り返すという暴挙に出たが、同じような部屋を繰り返すばかりで一向にブラガは現れなかった。
「ダメだ~。ブラガは一体、どこに居やがるんだよ。てんで見つからねぇじゃねぇか。ホントに屋敷にいるのかよ」
俺たちは疲れが蓄積し執事が見るなか、エントランスホールで大の字に寝そべっていた。
なぜか、この部屋だけは罠が仕掛けておらず安全に休むことができる。
「全くだ。これだけ探したのにブラガどころか一人もいなかったな。どうなってんだこの屋敷は」
仕掛けられている罠はどれも弱いものばかりだったが、なにせ数が多く気づけば身体には擦り傷や痣でいっぱいになっていた。
「腹も減ったし一旦、ギルドに帰るか? 腹ごしらえしてからもう一度探してもいいんじゃねぇか?」
「悔しいけどそうするか……。……いや、待てよ。そういえば、まだ探していない場所がある」
「あん? どこだよ?」
お腹を擦りながら、俺の話しを聞いている熊八は顔だけこちらに向けてくる。
「出口だよ! 出口! まだその扉は見てないじゃないか!!」
「けどよぉ、出口まで可笑しな力が働いてたら俺たち一生、この屋敷から出れねぇじゃねぇか。それは流石にないだろう」
「それもそうか……。出口……。出入り口………。……ッ!!」
俺はこの屋敷に入ったときのことを一から思い出していた。
そして、今日一番の閃きを見せる。
違う。まだあるじゃないか。というより何故、今まで気付かなかったのだろう。俺の予想が正しければ実に簡単なことだった。
ガバッと起き上がり、入り口近くにいる執事に近づいていく。俺の異変を感じ取ったのか熊八も起き上がり後を付いてくる。
俺が近づいてくるのに気が付いた執事は声を掛けてきた。
「どうされました? 諦めますか? でしたら、お帰りの際は左手に進んだところにあります出口からお帰り下さい」
執事が手で指し示す方向には、これまで一度も開けていない出口用の扉がある。
しかし、おそらくそれは正しい出口なのだろう。開けば外に出られるはずだ。だが今は用はない。
「いや、やっと本当の扉を見つけたんだ」
「本当の扉? どういうことでしょうか?」
とぼけたフリをする執事は目を合わせてきてはいるものの、あえて逸らさないよう意識していることを感じる。典型的な嘘吐きの行動パターンだ。
「その扉だよ」
指さすそれは一番最初に俺たちが屋敷に入ってきた扉だった。思い返せば違和感は最初からあったのだ。
” なぜ、出入り口が別々なのか? ”
普通の玄関ならば、入ってきた場所から出ることもできるはずだ。
だがこの屋敷の不思議な力のせいで混乱し常識が通じなくなっていった。そしていつの間にか、俺たちは入ってきた扉と出ていく扉が別々であるのが当たり前と錯覚していたのだ。
極めつけは執事の言葉にある。
『 お帰りの際は左手に進んだところにあります出口からお帰り下さい 』
目の前に出口があるのにわざわざ離れた出口を案内するのは変だ。
その理由は一つ。
この扉から外に出てほしくないからだ。
それはつまり、俺たちが探しているものがこの先にあることを意味する。
思い返せば、他の扉から正面玄関の扉に繋がることはあっても正面玄関から別の扉に繋がったことは一度もなかった。試そうにも執事にそれとなく邪魔をされ、誘導されていたのだ。
だからこそ吹っ掛けるような喧嘩口調で話しかけ意識を扉から外していたのだろう。
これら全てのことから一つの解を示している。
「ブラガはこの扉の先にいる」
自信満々にそう答えた俺の言葉を聞いた執事は、これまで見せなかった笑みを見せ恭しくお辞儀した。
それまでの険悪な雰囲気は消え去り、柔和な少女の顔に変わっていた。
「御明察で御座います。このような試すような真似をして申し訳ありませんでした。しかし、御主人様の財や命を狙う輩は後を絶ちません。我々、執事の役目として冒険者の方々を篩に掛け危険な思想を持った者や良からぬ行いをする者を弾くことも仕事の一つなのです。どうか御理解下さい」
そうして、執事は扉に手を掛けゆっくりと押し開いていく。
徐々に開いていく隙間から見えた景色は予想通り、庭の景色ではなくとある部屋の一室に繋がっていた。
「どうぞ、お進みください。御主人様がお待ちです」
お辞儀をしたまま招き入れてくれた執事は俺たちが通ったことを確認すると扉を閉め、エントランスに戻っていった。
部屋の中には、何人かの冒険者らしき人影と引き締まった肉体を持った男性の執事2名を携えた人物が中央の椅子に座っていた。
『 やぁ♪ これはこれは新しい御客人の到着のようだね、歓迎するよ♬ 入り給え♪ 私が依頼主のブラガだ♪ 』