第62話 手厚い歓迎
重厚な鉄製の扉が音を立てて閉められ、俺と熊八は屋敷の敷地内へと進む。
「 お気をつけて 」
執事が最後に放った言葉が俺の脳裏にこびりつき不安を孕んで離れなかった。
依頼主である屋敷の主に会いに行くだけのはずなのに、なぜ執事はあんなことを言ったのだろうか。
そして、執事から手渡されたこの一枚の不思議な模様が描かれた札。
熊八は<魔力符>と言っていたが俺にはこの札が指し示す意味が分からない。
「そう心配すんな。大丈夫、俺がついてる」
俺の不安を読み取ったかのように優しい笑顔で語りかけてくれる熊八。この余裕が俺との経験の差を感じさせる。
熊八も執事の真意を探り、顔には出さないが辺りを警戒しているのが分かる。
「この札はなんなんだ? さっきは魔力符って言ってたけど」
「これは魔力を感知すると、あらかじめ決められた効果を発する札だ。その内容は定めた者しか知ることができない代物でな。一昔前に流行った魔道具の一種だ」
「えっ、なんか危なくないかそれ? 持ってて大丈夫なのか?」
この得体の知れない薄い札が時限爆弾のようにも思えてくる。
「執事はこの札を主に渡せと言っていたから、置いていくわけにもいかんだろ。それに依頼を募集しておいて冒険者を攻撃するのは理に適ってないしな」
「それもそうか。怪しさ満点だけど仕方ないか」
疑惑は晴れなかったが魔力符を懐にしまったあと、広い庭を屋敷目指して進む。目測で屋敷まで100mほどで、これだけ離れていても巨大に見える屋敷なのでその大きさは計り知れない。
この広い庭には特大のプールや手入れの行き届いた植木、カラフルな花弁を広げる花などがそこかしこに植えられ屋敷までまだ距離がある。
一体、どれだけの金をつぎ込めばこれだけ広い庭を維持できるのか考えるだけでも恐ろしくなる。
門から屋敷まで一直線に伸びる舗装された石畳の道をまっすぐ進んでいく。
すると20mほど進んだ石畳の上に、何か落ちているのが目に入った。
それは、真っ赤に色づいた一輪の薔薇だった。
綺麗に花開いた花弁と鮮やかな緑色の茎と葉。ところどころに鋭い棘が生えている。
おそらく、切り取られたばかりであろうその様は、あえて目に付き易いよう人為的に道に置かれているようだった。
「薔薇の花? なんでこんなところに?」
辺りを見渡すと花壇に植えられている花のなかに、無数に咲いている真っ赤な薔薇を見つけた。おそらく、あの薔薇と同じ種類のものだろう。
しかし風で飛ばされたにしても離れすぎているし、茎から落ちているのは不自然だった。
俺は確かめるために拾い上げようと近づいてみる。
「待て。不用意に近寄るな」
だが、俺の行く手を阻むように手のひらを向け静止させてくる。
鋭い眼差しで視線を薔薇の花から外さない熊八は真剣そのものだった。
「どうしたんだ?」
「最初に言ったろ、ブラガは変人だって。なにか仕掛けてあってもおかしくねぇ」
じっと観察している熊八に倣って、俺もしばし黙って見ていることにした。
すると、薔薇の花に変化が現れた。
先ほどまでただの一輪の花だった薔薇はピクピクと小刻みに揺れはじめ、次第に揺れが大きくなる。
風が吹いているわけでも地震が起きている訳でもなく、薔薇自身で動いている。
「う……、動いてる?」
あまりに奇妙なその光景に驚きを隠せなかった。
まるで息を吹き返した生き物のように動き出した薔薇の花は、茎から新たな枝を生やし、花弁を頭のように持ち上げると枝を足のように二股に伸ばした。
人間のように立ち上がった薔薇はにょきにょきと棘のある腕まで生やし、俺たちと向かいあっている。
「なんなんだありゃ? 気持ち悪ぃ」
重そうに頭の花弁を左右に揺らす人に模した身長30cmほどの薔薇はピタリと動きが止まる。
「来るぞ、構えろ」
熊八が腰を落とし手を手刀のように構え、臨戦態勢に移る。
その直後、目の前の人型薔薇が突如、走り出し俺たちに向かい大きく跳躍してきた。
「うわっぁ!」
人型薔薇は熊八ではなく俺に向かって飛び掛かってくる。
突然の出来事に頭がついて行かない俺は手を前で交差し不格好に防御姿勢をとった。
「魔力を纏え、アラタ!」
熊八の言葉が耳に入り、付け焼き刃ながら魔力を発動させようと試みる。
しかし、今まで魔力を引き出してもらったことはあるものの、自分で引き出したことがなかった為、魔力は発動しなかった。
すぐ目の前には人型の薔薇が細い緑色の枝を棘のように尖らせ襲い掛かってきている。
「うわぁぁっぁぁ!!」
パニックに陥った俺の体は硬直し、棒立ちでただ立ち尽くすばかり。
「あぶねぇ!」
俺が動けないことに気が付いた熊八は俺の肩を押すようにずらし、薔薇の攻撃の軌道から外させてくれる。しかし、薔薇の枝から飛び出た棘が俺の右腕を掠めた。
それは服を破り、皮を引き裂いて俺の二の腕をえぐる。
「ぐっ!! いってぇぇ!!」
倒れこみながら左手で傷ついた腕を押さえると、その手には血が付着していた。
熊八は向かってくる人型薔薇の花弁に目にも留まらぬ速さで手刀を振り払うと、正面からもろに手刀を受けた薔薇は赤い花びらを巻き散らしながら空中で粉々に散る。
バサリと地面に落ちた薔薇はピクリとも動かなくなり死んでいるように動かなくなった。
その姿は長い蔓ごと切り取った薔薇のようで、赤い花びらがまるで血のように見えた。
「大丈夫か? 見せてみろ」
横になっている俺を起こし傷口を見せる。
「血は出てるが、このくらい大丈夫だ。すぐに血も止まる」
とりあえず軽傷で済んだものの理解が追い付かず、俺の興奮は冷めない。
「何だったんだ!? 今の!? 花が一人で動いてたぞ!!」
「敷地内にいる誰かの能力だろうな。おそらく操縦か領域タイプのどちらかだ」
「魔力ってそんなことも出来るのか。けど、なんで襲ってきたんだよ? 俺たちは客だろ?」
「まだ依頼主と会ってないからな。あちらさんはそう思ってねぇみたいだぞ」
熊八の視線の先には驚くべき光景が広がっていた。
見れば、先ほど花壇に咲いていた薔薇の花がうようよと動き出し、次々と人型薔薇を量産していく。
両サイドの花壇からは道の中央に向かって枝を伸ばしみるみるうちに蔓を絡ませ、道の中央で繋がると鮮やかな花を咲かせている。
「おいおい、マジかよ」
そうして瞬く間に人の背丈ほどの茨の壁が出来上がり行く手を塞いでいる。その壁の前には先ほどの人型薔薇が何十体も待ち構えていた。
ようやく執事の言った言葉の意味が理解できた。
「走れるか? 一気に行くぞ」
立ち上がった俺は意を決し、黙って首肯する。これ以上、熊八のお荷物になりたくはない。
これでも俺だって冒険者であり熊八の弟子なのだ。これくらいのことで音をあげる訳にはいかない。
俺の決意を感じ取ったのかニカッと笑う熊八は眼前の獲物を見る。
その横顔は野生を感じさせ、荒々しい表情で楽しそうにニヤリとほくそ笑んでいる。
「俺が道を開く。お前さんは俺のあとについてくりゃいい。そんじゃあ、行くぞ!」
「おう!」
勢いよく走り出した熊八に遅れないよう全速力で走る。
それでも熊八とは距離が空き、すでに一番近くにいた人型薔薇を無造作に引き千切っていた。
応戦してくる蔓の攻撃も薔薇の棘も熊八には関係ないようで傷一つ負わずに次々となぎ倒している。
それは戦いというには相応しくなく、蹂躙という言葉がピッタリだった。
熊八の通ったあとには散り散りになった赤い花びらと動かなくなった茨で道を作っている。
「はは……、すげぇな」
あまりの戦闘能力の違いに乾いた笑いが込み上げてくる。
己の爪と肉体のみで突き進んでいく熊八を見ていると、とんでもない人物に師事してしまったと今更ながらに感じてしまう。
俺はいつか、あの人に追い付ける日が来るのだろうか。
あまりに遠すぎる背中を追いながら、今はただ置いていかれないよう走ることに専念する。
前を走る熊八は茨の壁にたどり着くと、黄色い湯気のようなものを纏い拳を振りぬいた。
可視化できるほどの魔力を練りあげた一撃はいとも容易く茨の壁を打ち抜き、乱雑に穴を広げていく。その奥には先ほどよりも近付いた屋敷が見える。
「もう少しだ! さっさと屋敷に入っちまうぞ!」
まるでアトラクションを楽しむ子供のように嬉々としながらも遅れてくる俺に気を配る。その姿はまだまだ余力を感じさせた。
遅れて茨の壁を通り抜けた俺はうねうねと動く蔓を踏みつけながら走る。
しかし、そこで思わぬ事態が起きた。
熊八に攻撃され、死んでいたと思っていた蔓を右足で踏みつけると瞬時に足首に絡まり強力な力で引っ張られる。
あまりの力に足を取られた俺は前に倒れこみ、そのまま引きずられるように茨の壁へと引っ張られていく。
地面に掴まろうにも指をかけるようなものは何も無く、どこにも掴まることができずに虚しく引っ張られ、巻きつけられた蔓を解こうにも鬱血するほどに締め上げられた蔓は簡単に離してくれそうにない。
堪らず声を荒げてしまう。
「熊八! 助けて!」
「ん? おおっ!!」
俺の助けを求める声を聞いた熊八は少し驚いた後、ぴょんと跳び上がると一気に俺の近くまで跳躍し、俺の足を引きずる蔓を地面ごと爪で引き裂いた。
切り離された蔓は途端に力を失い、すぐに解くことができ立ちあがる。
切り付けられた地面は石畳だというのに爪のあとがくっきりと残されていた。どれだけ固い爪を持っているんだよ。
「なぁ~に、遊んでんだ」
シシシと笑う熊八は俺をからかってくる。
あれが遊んでいるように見えたのか? すげぇ、怖かったっつーの。
「うるせい、こちとらこれでも必死なんだ。いいから行こうぜ。あと、助けてくれてありがと」
「ガッハッハ。なぁに、お前さんもこの依頼が終わるころには随分と見違えてるはずだ。それまでへこたれるんじゃねぇぞ。見ろ、屋敷までもうすぐだ。頑張れ」
俺を励ましてくれたのかそう言って、前を行く熊八。
そうだ。何を気負うことがある。今は弱くともこれから強くなればいいだけの話しだ。俺の辛抱強さは半端じゃないってところを見せてやる。
そして、俺は歩き出す。
その途中、ヨロヨロと新たに生み出された人型薔薇を思いっきり蹴とばしてやった。
「ガハハ、その調子だ」
見ていた熊八が笑っている。そうして俺たちは薔薇の罠を掻い潜り、屋敷へとたどり着いた。
巨大な屋敷の入り口の扉には豪華ながら精巧な模様が刻まれており、素人ながらも匠の施した技術が感じ取れる。金属製の呼び鈴が付いており、ゴッゴッと呼び鈴を打ち付けた。
すると、重厚な扉が手前に開き中から執事の姿をした人物が現れる。
「ようこそ、ブラガ様のお屋敷へ。御主人様がお待ちです。どうぞお入り下さい」
その人物は若い女性でショートヘアーの黒髪。キリッとした大きな目とハキハキとした口調から気の強そうな雰囲気を感じさせる。
俺たちが中に入ったことを確認するとゆっくりと扉を閉める女性の執事。
ふと後ろを振り返ると先ほどまで蠢いていた薔薇はいつの間にか花壇の位置まで戻っており、千切られた花も伸びた蔓も消えて無くなり、もとの綺麗な庭園に戻っていた。
音を立てて、閉じられる扉。
屋敷の中は目の前に大きな中央階段が設置され、エントランスホールの両脇にいくつもの扉と内部を照らす燭台が多数見える。解放感のある高い天井にはこれでもかというほどに細工が施されたシャンデリアがキラキラと輝いている。
どうやらここからは2階までしか行けないようになっており、その上に進むには別の場所から昇るしかなさそうだった。
外観から察するに2階建てな訳がなく、この屋敷もまた一癖ありそうだ。
「初めて入ったがデカい屋敷だな。それとついさっき手厚い歓迎を受けたんだが、依頼主はどこだ?」
熊八が皮肉めいて問いかけると、執事は思いもよらぬ返答をした。
「手厚い歓迎? まさか、あれしきのことで? ギルドGGGの熊八様は御冗談が上手いですね」
なんだこいつ。執事のクセにえらい口ぶりだな。相手によっては喧嘩売られてると思うんじゃないか?
熊八はどう思ってるんだろ?
「ガッハッハ、そうだろ? 俺は料理も得意だがユーモアのセンスもあるんだ。よかったら今度、教えてやろうか?」
おお、熊八も負けてねぇな。いいぞ、もっとやれ。
熊八の返しにピクリと眉が動いた執事は顔こそ笑顔だが、どこか表情が引き吊っているのが分かる。確実にイライラしているな。
「いえ、私共も暇ではありませんので。そんなことより、御主人様より言付けを預かっております。拝聴して下さい」
そうしてギスギスした空気のなか、執事が主からの言付けを述べ始めた。