第56話 最後のテスト
俺は熊八に着いて歩いていくと海へと辿り着いた。
そこから更に海岸沿いに進んでいくと、そこは俺が打ち上げられた砂浜とは違いゴツゴツとした岩が無数に転がり波の浸食によってできた隙間や空間が広がっていた。そこにこびり付く様に多種多様な貝類や海藻が張り付いている。
熊八は刺々しく隆起した岩肌を軽快な身のこなしでジャンプし渡っていく。
俺も置いて行かれないように必死に着いていこうとするが、波によって濡れた岩は滑りやすくしっかり足場を確認してからでないと進めない。ときには足場が悪く手を付いて進まなければ転げ落ちてしまいそうだ。
「遅いぞ、アラタ! そんなんじゃ、潮が満ちて目的地に着くころには海の中だぞ。跳べ! 跳べっ!」
器用に片足でバランスをとりながら煽ってくる熊八だが俺には何故、そこまで早く進めるのか不思議だった。
あれだけピョンピョン飛び跳ねているのに、なぜ足を滑らせない? ビーチサンダルのくせに。
滑る岩肌の下には白波を上げながら渦を巻く海。
もし、誤って足を滑らせたなら一気に水中に引きずり込まれ浮かぶだけでも大変なことだろう。さらに、波に引っ掻き回され固い岩に打ち付けられれば致命傷は間違いない。
こんな命の危険に晒される場所なんて聞いてないぞ。獲物を仕留める前に辿り着くだけで死にそうだ。
「無茶、言うな! 落ちたら死ぬかもしれないのに、そんな風に進めるか! つーか、なんでそんなこと出来んだよ!?」
「重心をしっかりコントロールできれば大丈夫だ。足元ばっか見るんじゃなくて、もっと前を見て進め。こうやってよぉ!」
熊八はギルドから持ってきている竹籠を背負いながら更に前へと進んでいく。
もし、このまま置いていかれたらテストは不合格だ。それに、今更引き返すにも危険なことに変わりはない。進むしか選択肢は残されていない。
「……仕方ねぇ。 待て、熊八! 見てろ!」
意を決した俺は、岩から手を離し跳んだ。このまま勢いに任せて進まなければ恐怖に支配され追いつくことなんて到底できない。
出来るだけ安全そうな場所を探して跳び、不格好ではあるが熊八の真似事をする。どうしても危なくなったときには抱きつくように岩にしがみつく。
「やりゃあ出来るじゃねぇか! その調子だ!」
待て待て待て。
置いてかないでくれ。すでに全身、切り傷だらけの俺を見て尚も進むかよ。
しかし、俺の泣き言も全く届かず先を行く熊八。
「待てって、お願いだから!」
急ぐあまり俺は一つのミスを冒した。
勢いまかせにジャンプした先の着地点は足場が悪く、仕方なしに収まりの悪い岩を踏む。その途端、岩はぐらりと揺れ俺の体重を支えきれずに海へと転がり落ちてしまった。
そして、大きく体制を崩した俺は岩もろとも海へと落ちる。
背中から倒れるように海へと落ち、大量の気泡が視界を覆い、水音が海に響く。
俺はすぐに浮上し顔だけを海面から覗かせ、大きく息を吸う。しかし、岩にぶつかった波が四方八方から顔にかかり、息を吸おうにも海水も一緒に口に入ってきて思うように呼吸ができない。
それでも陸に上がるため、ゴツゴツとした岩を掴もうと試みてみるが海藻や濡れた岩肌がなかなかそれをさせてくれない。
更には、打ち付ける波が背中にぶつかってきたかと思えば、引いていく波に引き込まれ沖へと体が引っ張られてしまう。
「クマ……ハ、チ! 助けて……!!」
精一杯、救助の声を叫ぶが波のせいで思うように声が出せない。
波に揉みくちゃにされ、大量の海水を飲み込み、どんどん体力が奪われていく。
まずい、溺れるっ……。やべぇ……。
と、その時、襟首を掴まれ身体が海から引き揚げられた。
「大丈夫か? おめぇはよく溺れるのな。もしかして、カナヅチなのか?」
バカ言え、俺は泳げるっつーの。ただし、こんな危険なとこじゃなかったらな。
そう思いつつも、ゲホゲホと口に入った海水を吐き出すことで返事は出来なかった。
「投げるぞ、しっかり掴まれよ」
俺の返答も待たずに大きな足場の岩へと投げられる。
今度は落ちるものかと、ありったけの力を込めて岩にしがみ付いた。
後ろを振り向くと足を180度開脚し、岩に出っ張り棒のように固定している熊八がいた。
なんて柔軟性だ。どうやら見た目以上に柔らかいらしい。
「どうする? やめるか? 俺の弟子になったらこんなもん、まだまだ序の口だぞ」
「やめねぇよ。俺は諦めがわりぃんだ。いいから、獲物のとこまで連れてけ。あと、助けてくれてありがと」
「ガッハッハ。まだ、やる気みてぇだな。けど、俺が無理だと判断したら何と言おうが中断するからな」
その後、何度か海に落ちた俺をその度に引っ張り上げてもらいながら、なんとか目的地に到着することができた。
「よぉーし、着いたぞ! ここが狩場だ。まだ獲物を仕留める気力は残ってるか?」
俺は度重なる、海への落下と多量の海水を飲み込んだことにより気分は優れなかったが、ここでへこたれる訳にはいかない。
「当たり前だ。さっさと済ませようぜ。 で、その獲物はどこにいるんだ?」
俺達が辿りついた場所はそれまでのゴツゴツとした岩が転がっている地形とは違い、小さな洞窟のような窪みがあり大きな一枚岩が地面になっていて足場はいい。波も岩に阻まれ奥まったこの場所までは届かない。
しかし、気になったのはその岩に不自然に空いている直径5センチほどの穴だ。その穴はいくつも開いており、中を覗いてみても暗くてよく見えない。
「うし! なら、はじめっか! これはテストだからな。お前さんがどうやって獲物を仕留めるか見せてもらう。ただ必要なものとして、これをやろう」
熊八は背負っている竹籠の中から包みを取りだし開くと中には色の悪い肉片のようなものがコロコロと入っていた。
「これはどこでも売られてるタマラ・ビットのもも肉だ。あらかじめ小さく切り分けておいたものを、わざと時間を置いて腐らせてある」
「なんのために?」
「匂いが強いほうが獲物が掛かりやすいからな。これを使ってある生き物を捕まえてもらう」
「分かった。んで、その生き物はどこにいるんだ?」
「ここだ」
指差す熊八の先には不自然に空いた穴がある。その穴の入り口の近くに先ほどの肉片を置く。
俺はこれから何が起こるか分からなかった為、黙って見ていることにした。
すると、今まで置いてあった肉片が瞬きをしている間に消えてしまっていた。いや、正確には何かが肉片を穴の中に引きずり込んでいったのが見えたが、あまりのスピードに消えたように見えたのだ。
「え? あれ? なんだ今の?」
「ん、見てなかったのか? もう一回やるから今度はちゃんと見とけよ」
いや、見てたぞ。見てたけど、早すぎだろ。肉片の残像が見えたぞ。
今度は別の穴の近くに肉片を置く熊八。先ほどよりも少し距離を開けている。
こちらの穴でも、すぐさま変化は訪れた。
瞬く間に細長く黒っぽい生き物が穴から出てきたと思ったら、肉に噛み付き穴の中に引っ込んでしまった。
その姿は鰻や穴子のような姿に似ていた。
「分かったか? 今からアラタには、この”アナギンポ”を捕獲してもらう」
「アナギンポ?」
初めて聞く名だった。
「ほれ、おびき出す餌はやるから後は、自分で考えて捕まえてみな。一匹でも捕まえることが出来たら弟子にしてやろう」
捕獲するための糸口が何も見つからないまま、弟子入りが掛かった実地テストが始まった。