第53話 目利き
ハルシアと別れた後に、本日の宿である熊八邸へと向かう。
どうやらこの街はある程度、栄えているようで整備された石畳や煉瓦で造られた家屋など、まるで地中海の街並みを連想させる。
日本に住んでいたころとは違い電柱やギラつくネオン、看板などは一切無く、代わりに街路樹や花壇がそこかしこに置かれお洒落な空間を演出している。
山を切り崩して作られた街なのか要所、要所に傾斜があり、急な勾配を何度か進むと一軒の家にたどり着いた。
「ここが……?」
俺はもともと疲れ果てていた身体に鞭打って歩いていたため、この坂道はなかなかに堪えた。
それでも、なんとかたどり着けたことに安堵する。
「ああ。ここが俺ん家だ」
それは2階建ての白い壁に赤煉瓦の屋根。
窓には小さなバルコニ―が備え付けており、鉄柵がはめられている。小さな鉢植えなら置くことができそうだ。
家の庭にはテラスの空間が設けられており、常時出しっぱなしであろうパラソルと机、椅子が2脚置いてある。
なかなか、いい所に住んでるじゃないか熊八。素直に羨ましいぞ。
熊八は慣れた様子で玄関へと進み、ジャラジャラと金属の擦れる音を鳴らしながらキーホルダーを取り出し鍵を開けた。
「さ、突っ立ってねぇで入れや。ちと汚ねぇが野宿よりはマシだろ」
「お邪魔します」
促され家に入り電気を付ける。そして目に入った物の多さに驚いた。床が見えない程にあらゆるものが散乱し、足の踏み場がないとはこのことだ。
熊八は一切気にしていない様子で構わず服や物を踏みながら奥へと進んでいく。
おいおい、土足で踏んづけていいのかよ?
まぁ、文化というか惑星が違うから日本のように靴は脱がないのかもしれないが、それでも踏みはしないだろ。
「なぁ熊八。この部屋は泥棒にでも入られたのか? それともこれで普通なのか?」
「ん? ああ、最近掃除してなかったから少し散らかってるけど気にすんな。それより、なんか食うか?」
少し散らかってる? これで?
入り口に鍵が掛かってたくらいだから、泥棒の可能性は低いと思っていたがよくこんな状況で平気でいられるな。
俺は無理だ。それに飯はさっき食べたばかりだろ。
「いや、さっきご馳走になったから飯はいらない。それよりこの部屋を片付けてもいいか? せめて、寝るスペースだけでも確保したい」
「別に構いやしねぇが、寝るとこならいっぱいあるだろうが。こんな風によ」
そう言って熊八はソファーの上に乱雑に置かれている服や食べかけの果物、クッション等を床に落として背中から飛び込んだ。
バフッと大きく沈み込み、穿いていたビーチサンダルを蹴るように放ると快適そうにリラックスしている。
マジかよ。信じられん。大雑把にも程があるだろ。
「ふぃ~。ああ~今日もよく働いたぜ。お前さんはそこのハンモックでも奥のベットでもいいから使っていいぞ。明日は早い、俺は寝る」
「……ああ、ありがとよ」
そのまま、熊八はうとうとし始めると鼾をかいて寝始めた。
俺は片付けたい衝動に駆られたが、いかんせん体も疲弊しているのでそこは我慢した。
せめてハンモックの上に置いてあったものだけは別の場所に移動し、空いたスペースに寝転ぶ。
このハンモックは木に括り付けるタイプではなく組み立て式でどこでもセットできるようだった。
前からハンモックで寝てみたいと思っていたが、まさかこんな形で実現するとは夢にも思わなかった。
しかし、実際寝てみると最初こそポジション取りに苦労したが、ベストな寝心地を見つけると思ってた以上に快適でこれならぐっすり眠れそうだ。
明日は早いと言ってたからな……。しっかり寝ておこう。しかし……、今日は疲れた……な……。
目を閉じると、よほど疲れていたのかすぐに深い眠りへと落ちた。
♢ ♢ ♢
「……ぃ、……きろ。おい!」
ん~、声がするが、……ダメだ。ねむ……い……。
「起きろ! 朝だぞ!」
……ムリ。あと一日だけ……。
「なかなか、しぶといじゃねーか。なら、これならどうだ!」
すると、突然世界が激しく揺れ出した。
地震か!?
「おらおらおら~、起きろ~~ガハハ」
あまりの揺れ具合にとても寝てられない。
不快感を全面に押し出し、仕方なしに目を開けると揺れの原因が分かった。
熊八が俺の寝ているハンモックを豪快に左右に揺らしている。
なんてことしやがる。
「起きたか?」
ニカッと笑いながら覗き込んでくんでくる熊八は俺が起きるのを確認すると満足そうに手を止めた。
そうだ。俺は熊八の家に泊めてもらってたんだっけ。でも、もう少し起こし方ってもんがあるだろ……。
「ん゛~~~」
「起きろ、朝だぞ。そんで今から市場に行くぞ」
俺の体感だとそんなに寝てないはずだ。寝始めたのがついさっきのことのように感じる。身体も疲れが抜けておらず、凄まじくダルい。可能ならもっと寝ていたい。
「ああ、起きるから……。手を離してくれ……。起きる……か………ら」
「お~~き~~ろ~~~」
分かった。起きるから揺らすのをやめてくれ。
俺はこれ以上、揺さぶられるのは勘弁してほしいので無理やり起きることにした。ハンモックから足を下ろし、重い頭を項垂れたまま聞いてみる。
「……いま、何時だ?」
「朝の5時だ。少し寝坊しちまったよ」
マジか。5時って。……いや市場だからそんなもんか。
よし、頑張れ俺。踏ん張りどこだ。
「お、ようやく起きたな。この寝坊助」
まだ頭は働かないが、なんとか起きることができた。
「さっさと顔、洗ってしっかり目を覚ましてきな。洗面台は向こうだ」
「ああ、そうさせてもらうよ」
フラフラ歩きながら洗面台へと辿り着き蛇口を探す。
だが蛇口らしきものは見当たらず、あったのは大きな水瓶だった。
そうか、この世界に上水道は整備されていないのか。それはかなり大変なことだな。水がなくなったら、いちいち汲んできているのか?
とにかく俺は近くにおいてある桶に水を汲み両手に水を溜め、顔を洗う。ついでに喉も渇いていたので喉を潤す。
「ほらよ、これで顔拭きな」
投げられるように布が飛んできて、濡れた顔で受け止めた。
タオルを使わせてもらえるのは有難いが、なんか生乾きの匂いがする。
つーか、これタオルじゃなくてシャツじゃねーか。とことん雑だな、まぁ使うけどさ。
「顔洗ったら行くぞ。寝ぼけてたから目利き出来なかった、なんて言い訳は聞きたかねーぞ」
「ああ、もう大丈夫だ。行こう」
そして、俺は熊八の後を着いて市場を目指し熊八の家を出た。
まだ薄暗い空にはうっすらと月が見える。それも二つ。もはや、それくらいで驚きはしないさ。
来る時とは違い、見下ろすように街並みが見える。暗いうちには分からなかったが結構、上のほうまで登ってきてたんだな。
水平線の向こうでは太陽が昇ってきているのか、群青色に色づいている。
その途中で、昨日お世話になったギルドと呼ばれる場所に立ち寄り、どこからか台車を引っ張り出してきた。
聞くところによると買ったものをこれに乗せていくらしい。
一体、どれだけ買うつもりだ?
そうして歩いていくと、とある海辺近くの広場にたどり着いた。そこでは地球なら二車線程の広さの道の両脇に各店舗が立ち並び、様々な食品が売られている。
果物や野菜、魚介類に肉類。その他スパイスや調味料などの専門的なものを取り扱っている店もあり、一見して何屋か分からないものを取り扱っている店もあってなかなかに興味深い。この通りを見て歩くだけでも十分、楽しめそうだ。
円形の広場の中央には大きな塔がありそこをグルッと一周するように商店が立ち並ぶ。
どうやらここが、メインの市場のようで朝早くだというのに買い物客で大いに賑わっていた。
「ここは凄いな。店の数もさることながら人も多い」
「たりめぇーよ。この朝市は一日のうち一番、品数が豊富で鮮度もいい。商店は夜までやってるがこの市場は昼には閉めちまう。だから皆、質のいいものから買っていくから早いもん勝ちだ」
「なるほどね。で、俺の目利きのテストはどうするんだ?」
「もちろん今から始める。良し、まず魚から見てくか」
熊八は人の波を縫うように進み、とある魚屋の店で立ち止まる。
「おっ? いらっしゃい、はっつぁん。今日は遅いじゃないか」
気さくに話しかけてきた快活な魚屋の店主は、熊八のことを” はっつぁん ”と呼ぶ。
どうやら熊八はここの常連のようだ。
「ちと、寝坊しちまってな。まだいいのは残ってるかい?」
「もちろんだ。ここにあるもの全部、今朝採れたばかりの良いもんだぜ。どれでも好きなの選んできな」
店主との会話もほどほどに、熊八は鋭い目つきで商品を見て値踏みしている。俺も一緒に見てみると、地球の魚と比べるとどれもデカかった。
小さいものでも30センチほどはあり、大きなものでは黒マグロくらいはある。
並んでいる魚はどれも初めてみるものばかりで名前なんて分かるはずもなかったが、店主の言う通りどの魚も鮮度がいい。
少なくとも今朝採れたというのは本当だろう。
俺が普段、見た目で鮮度の良し悪しを決める基準としてはいくつか方法がある。
まずは目の濁り具合だ。時間が経っているものほど目がくすんできて、白く濁ってくる。血が混ざり赤っぽくなっているものもアウトだ。新鮮ならば澄んでいて無色透明。
次にエラの色。エラが赤ければ赤いほど鮮度が良く、褐色がかったものや白くなっているものは鮮度が落ちている証だ。
そして、肌のハリ。触ってみてピンと皮が張ったものは上物で、指が少し沈むようだと劣化している。ただし、この方法は魚の品種によって変わるので前知識が必要だ。
他に、体液が出ていないか。時間が経ったものは内臓もどんどん溶けるように内容物が外に出てくるのでお腹がしっかりしているかもポイントだ。
その他に、鱗やヒレの状態で見分けることも可能。
一番確実なのは食べることだが、商品であるためそうもいかない。なので大事なのは見た目で判断できるかどうかだ。
これらの条件を加味したうえで総合的に判断する。これが今まで俺が培ってきた技術。
大丈夫、俺ならできるさ。
「うし、そんじゃあ始めるか。アラタ、この魚とこっちの魚。どっちがいいと思う? 5秒以内に答えろ」
熊八は同じ種類の黒っぽい魚だが、別々の個体を右手と左手で指差し聞いてくる。それも制限時間付きで。
その魚は鯛に似ている魚でパッと見、差はないように見える。
「ちょ、なんだよ5秒って? 少し考えさせてくれよ」
「 5 」
「おい、聞いてんのか?」
「 4 」
「熊八っ!!」
「 3 」
もはや、問いかけてもカウントを止める気配はないので急いで目利きを始める。
指し示す魚を交互に見て、どちらがより良い状態か見定める。
「 2 」
「………」
「 1 」
「こっちだ!!」
俺は右手の魚を選択した。
「なんで、こっちにしたんだ? ちゃんとした理由を言わないと認めんぞ」
「一見、どっちも同じに見えるけど少し違う。それはここ。左の魚は右の魚に比べて尾ビレが小さくてお腹も膨らんでない。対して、右の魚は尾ビレが大きくてお腹も膨らんでる。
ここからは予想なんだけど、店主の言った通りどっちも今朝採れたばかりのものだ。だから鮮度に差はないと思う。
けど、この魚がまだ生きているとき、どちらが多く餌を食べていたかというと右の奴だと思う。
理由はさっき言った尾ビレの違い。その差は微々たるものだけど生存競争の激しい自然界ならこれは大きな武器だ。
体の大きさは同じくらいだけど生きてきた年数と筋肉量で言えばこっちのほうがいい。若いぶん身も締まってるし、筋肉が多ければ旨味も増すからな」
俺の説明を黙って聞いていた熊八はなかなか口を開かない。代わりに、魚屋の店主が尋ねてきた。
「そうかい? 俺も長い事この仕事をしているがヒレの大きさなんて変わんないように見えるぜ? まぁ、言われてみれば腹は右のほうが膨れてるか? あんた、目がいいね」
店主が俺を褒めてくれるが、今の俺にとってそれはどうでもいいことだった。
全ては、熊八のお眼鏡に適うかどうか。
しばらく何も話さない熊八だったがようやく話してくれた。
「いいだろう。 付け加えるならこの<トノサマダイ>はメスよりオスのほうが身が美味い。性別を見極めるにはオスのほうが少しだけオデコが出ているということだな。
それと、魚に限ったことじゃないんだが全ての生き物は長生きすればするほど美味くなる。若いからいいだろうって考えは今日限り止めるんだな。
大将、今選んだ奴と、それとこいつも頼む。あとそいつとそいつだな」
「はいよ、この4匹だな。まいどありっ!」
そう言って、熊八はトノサマダイなる魚を購入する。
俺は初めて聞く魚の名前と雄雌の違い年数についてを学習した。
「次はこの貝を選んでもらう。この中から10個選べ。30秒以内だ」
ちょっと、待て。なんださっきからの時間制限は?
熊八がそう言った貝は牡蠣に似た形で岩に張り付いているタイプだ。
だが大きさは大人の掌くらいだが、その継ぎ目が全く分からない。ここに商品として並び、貝だと言われなければ落ちている石と見分けがつかないだろう。
それにこの中から10個だって? ここに何個あると思ってやがる。目測だが200個以上はいるぞ。
しかも、海水に浸かっていて目利きし辛いじゃないか。
「 28 」
もうカウント始まってるのかよ。
いいさ、どうせ聞いたところで答えてくれないんだろ? やってやるさ。
俺は浅めに浸っている貝を両手で触っていき、その反応を探る。いかんせん、数が多いので持ち上げて調べる余裕がなく半ば直感も混じっているが。
次々に目ぼしい個体を取り出していき全ての貝を調べ終わった。
あとはこの中から更にいいものを10個に絞るだけだ。俺は一つ一つを軽くデコピンしていきその触感と音を確かめていく。
「 6 」
「もういい。これが俺の選んだものだ」
取り出した貝はどれも大きめのものばかりを選び、叩いた音から中身が詰まっているかどうかを確かめた。
もちろん、確証はないが仕方ない。なんせ時間が短すぎる。
「まぁ、いいだろう。だが、これとこれ、あとはコイツとコイツはダメだ。 こっちと交換する。大将、これも頼む」
「はいよ!」
「なんで、ダメだったんだ? これもオスのほうが美味いってことか?」
「違う。俺も中身を見なければ雌雄は見分けらんねぇ。ただ、大きさの他に確かなことがある。それは蝶番の大きさだ。ここにあるのがそれだ。分かるか?
ここが大きいと中身の貝柱もデカい。お前さんの選んだもんはちと、小さいのが混じってたな。だから交換した」
熊八はそう説明してくれたが、俺には蝶番がどこにあってその大きさの差が見分けられなかった。それに砂に潜るタイプじゃなくても蝶番があるのかよ。
増してや海水の中にある。一体どれだけ、観察眼が鋭いんだ。
「魚介はこんくらいにしとくか。大将、会計はいつも通りで頼む」
そう言って、熊八は店主が提示する金額を確認し小切手のようなものに金額を書きサインをすると破って渡した。
「あいよ! まいどあり! また、よろしくな」
店主に袋の中に海水を入れてもらい口を閉じてもらったものを台車に乗せていく。
貝はあれでよかったのか? 何個かミスがあったようだけど……。
そんな俺の思いを物ともせず、次の商店へと向かう熊八に着いていく。不安が残る目利きのテストはまだ続きそうだ。