第38話 天玉甲蟲と業火
イグ・ボアの死体を発見した俺達は一度、新たな拠点に戻ってきていた。
あれから右京は左京と一定の距離を保ち、一言も言葉を発していない。
右京が黙っているだけで随分静かに感じる。
拠点に戻ってからは状況整理と昼食を兼ねて休憩を取ることにした。しかし、昼食を食べているのは左京だけだった。
俺は水を口にするのが限界だ。
「……二人ともご飯食べないの?」
「ああ、気にしないで左京は食べてくれ。俺達はもう少し時間が掛かりそうだ……」
「……そう?」
右京はグリフォンに寄り添ったままピクリとも動かず足を抱え蹲っている。
心中察した俺は何も言わず、そっとしてあげた。
右京はしばらくあのままだろうから左京と二人でこれからの予定を立てる。
「左京から見てあの死体が意味するものはなんだと思う?」
「……森に異変が起きていることは確かだよ。オルバートの森の生態系で一番上位に位置するイグ・ボアが土還しに捕食されることなんて有り得ないから」
「イグ・ボアが何かしらの理由で死亡したあと土還しが集まってきたってことは無いのか? それなら自然に有り得ると思うんだが」
「……それも考えられるけど、僕は違うと思う。……あの死体は腐敗臭もしなかったし骨にまだ水分が残っていて新しすぎたんだ。
本来、土還しは時間が経って腐り始めたものを捕食し始めるんだよ。きっと、あの死体は昨日の夜から今日の早朝にかけて死んだんだと思う」
「そうか、なら死因はなんだと思う? 病気か怪我? それとも密猟者による殺害?」
「……これも予想になるんだけど、密猟者の可能性は低いと思う。密猟者なら高値で売れる棘や牙は持ち去っていくと思うし、なによりイグ・ボアの肉がすごく美味しいんだ」
「う~ん。確かにその通りだな。じゃあ、やっぱり病気か怪我ってことか?」
「……そこまでは分からない。けど、なんだか嫌な予感がするよ。土還しの異常行動はギルドや議会に報告するべきだと思う。できるだけ早急に」
「街に戻りましょう」
振り返ると右京が立ち上がり、げっそりした顔で静かに告げた。
「私も左京の意見に賛成。それに【第肆種絶滅危惧種】に指定されているモンスターが一匹、死亡したんだから報告が先よ。
私たちの調査任務はここまでね」
「あぁ、しまった。さっき死亡したモンスターのサンプルを持ってくるべきだったわ。それどころじゃなかったから気付けなかった。
左京、サンプルをとってきてちょうだい。私たちは荷物を纏めて左京が戻り次第、すぐにここを発つわよ」
「……わかった」
「左京、くれぐれも警戒は怠らないでね。脅威がどこに潜んでるか分からないわ。……いえ、やっぱり別行動は危険かしら。私たちも行くわ」
「……大丈夫だよ、姉さん。道は覚えてるし僕には【変幻自在の青】があるんだから。20分で戻るよ」
「そう、分かったわ。気を付けてね」
「……うん」
左京は右京に言われた通り、先ほどの死体の元へと向かっっていった。
そして俺達は左京が戻ってきたらすぐに森を発てるように荷を纏める。
まだ顔色の優れない右京が心配になってきたので声を掛けてみる。
「大丈夫か? 顔に血の気がないぞ。なにか飲むか?」
「平気よ。それより早く荷を纏めましょう。なんだか私もなにか起きるような気がしてきたわ。杞憂に終わればいいけれど……」
「ああ。急ごう」
それから三人分の荷物を各自のグリフォンの鞍に乗せ防寒の準備も整い、あとは左京の帰りを待つだけだ。
荷支度を終わらせた俺達はグリフォンを撫でながら待ち続ける。
しかし、左京はまだ帰らない。
「なぁ、もう20分は過ぎたよな。左京遅くないか?」
「ええ、そうね。やっぱり全員で行くべきだったわ。グリフォンに乗って! 迎えに行くわよ」
右京の指示通りグリフォンであるバーナードに跨り、左京の乗ってきたグリフォンの手綱を握り併走させる。
俺の準備ができたことを確認した右京は掛け声を発してグリフォンを走らせた。
僅かな助走ののち、空へと舞いあがり左京の元へと急がせる。
しかし、そこで誤算に気付く。
グリフォンに乗って空から進むと、深い森の葉に覆われているため地上が確認できなかったのだ。
これでは左京はおろか先ほどの死体の居場所さえも分からない。
完全に焦っていた。
空を駆けるグリフォンの羽音と風切音に負けない大声を右京に向け発する。
「右京!! これじゃ左京を見つけるのは無理だ!! 高度を下げるかさっきの拠点に戻ろう!!」
「チッ、分かったわ」
右京は自分の間違った選択が左京を危険な目に陥れているかもしれない不安から、苛立たっていた。
「でも、その前に!!」
右京は大きく息を吸い込み大声で叫んだ。
「っさああぁきょおおおおおっーーーーーーー!!! 聞こえたら返事しなさぁぁぁいっ!!!」
突然の馬鹿でかい声に驚くグリフォンは一瞬ふらつく。
しかし、響いた声も眼下の森からは何の変化もなかった。
諦めて方向転換しようとする、その時だった。
深い森の中から噴水のような水が突如、噴き出してきた。
「右京!! あそこだ!! 声が届いたぞ!!」
右京はすぐさまグリフォンを噴水のあった場所へと向ける。
俺は左京の乗ってきたグリフォンの手綱を伸ばし一列に並ばせ後ろをぴったりと付いてこさせる。
ぐんぐん高度を下げ滑空していき木々の切れ間から葉の下へと潜り込むとさらに地面スレスレを飛行する。
障害物のない上空とは違い、地上は木の枝や幹、傾斜などで真っ直ぐ飛ぶことは至難の業だ。
体の大きいグリフォンは枝や蔓に引っ掛かり傷を作りながらもなんとか飛行を続けている。
そして、前方で森の中を何かから逃げるように走る左京を見つけた。
左京の後ろから追ってくるものは黒い津波のようで地面を黒く染めている。
否、それは先ほど死体を覆っていた<天玉甲蟲>の大群だった。
「なんだこの数は!? さっきの比じゃないぞ」
先ほど見つけた死体に群がっていた虫はせいぜい数百匹程度だったが、地面を這う虫はもはや予測もつかない程の数だ。
左京は逃げながらも時折、振り返っては高圧の水の噴射を浴びせている。
だが、その効果は雀の涙程度でしかなく、群れの一部を吹き飛ばしてもすぐさま黒に染め追随してくる。
左京の【変幻自在の青】は水のないところで大技を使うには魔力を練る時間が必要だが、土還しの大群はその時間さえも与えてはくれない。
「左京!! 頑張れ!! 今行くぞ!!」
急いで近づこうとしたとき言葉が聞こえた。
「 邪魔よ 」
たった一言、右京が告げた。
右京は俺に警告したあとグリフォンから飛び降りる。その後ろ姿は練り上げた濃密な魔力を纏っていた。
【私だけの火遊び】 発動
「焼き払え< 紅孔雀 >」
まさに一瞬であった。
右手を広げた右京の右手が突如、炎で燃え盛ると同時に上から炎の鳥が現れた。
そのまま手を振り払うと翼を大きく広げた炎の鳥が黒い波を撫でるように飲み込んでいく。
火の鳥が飛び去った後には超高熱で焼き尽くされた虫が灰となり塵芥と化していた。あとには草一本も残さずに全てを焼き払う。
そのまま左京へと迫る先頭の天玉甲蟲を飲み込むと火の鳥は上空へと舞いあがり周りの木々を燃やしながらやがて消滅した。
たった一度の攻撃で何千何万匹はいたであろう虫を一瞬で消し去った。
「私の家族を傷つけるものは全て害虫よ」
業火に包まれた右手を掲げ右京の瞳は恐ろしく冷たい視線であった。
第39話は明日、18時に更新致します。