第23話 逃走
逃げまどう人の波を掻き分けながら港へと戻ると、辺りはいまだ混沌とし新たな爆発音が聞こえてくる。
視界が開け港を見渡すと多数の鎧ガザミを確認することができた。
餌を貪っているもの、出てきた帆船とは別の船に乗り込み荷物を荒らすもの、海へと飛び込むもの。
個体によって行動は違うようだ。
その中で鎧ガザミと戦っているものたちがいた。
船乗りだ。
6人ほどの船乗りたちは一塊となり銃や銛を手にガザミと応戦している。
発砲した銃弾は当たるものの固い甲殻には歯が立たず弾かれるばかりで効き目はない。
しかし、ガザミも不用意に近づくのを躊躇っているのか一定の距離をおき互いに睨み合っている。その均衡を崩したのはガザミのほうだった。
ガザミは口からぶくぶくと白い泡を吐き出していたが、その泡を体内にため込んでいた海水と共に船乗りに向け吐き出した。
まるで消防車の放水のような水流が船乗りの塊に向かって飛んでいき、虚を突かれた船乗りは防ぐ術もないまま噴射を受けてしまう。
泡には殺傷能力は無いが目くらましの効果は十分に果たしており一瞬の隙を突いて突撃し船乗りのバリケードを破壊した。
倒れる船乗りのうち二人を捉え、右の鋏で男の上半身と下半身を切断。
左の鋏で割腹の良い別の船乗りの左足首を断ち切った。
「ううあああぁあぁぁぁぁぁ!!!」
もはや船乗りたちの戦意は喪失武器を捨て逃げ去る。
ガザミは逃げる者には目もくれず新たに捉えた餌を貪りはじめた。
「待ってくれぇ!! 助けてくれ!!」
左足を切断された小太りの船乗りは這うように逃げるが痛みと恐怖からなかなか距離は開かない。
先ほどまで一緒に戦っていた船乗りが目の前で食べられる様を見せつけられ次は自分の番だと悟り、泣き叫ぶ。
「助けてくれぇ!! 置いてかないでくれーーー!!! ううぅ……」
ガザミは捕食に夢中になっているが、じりじりと距離が離れていく船乗りに気が付き逃げられぬよう止めの一撃を振り下ろした。
ザンッッ
鋭利な爪が地面に突き刺さる。
が、船乗りを捉えることはできなかった。間一髪で引っ張り出すように助けだしそばで寄り添う。
「ちょっと待っててくれ。仲間の仇をとってやる」
俺は刀を構えガザミと相対する。
「おい、コラ蟹野郎。今すぐ調理してやるから覚悟しろ」
虚勢だった。
口先だけの方便だが、自らを奮い立たせるべく口にしてみたが震えは止まりそうにない。
切っ先を向ける刃がカタカタと僅かに揺れている。
その間もむしゃむしゃと鋏を止めることなく上下に口に運び、無機質な目で俺を観察している。
ガザミは食事を続けながら思った。
(……奴は美味そうだ)
俺を新たな餌と認識したのか、ガザミはその手を止め鋏を大きく広げながら威嚇のポーズをとってくる。その高さは軽く俺の頭を越えている。
こいつやる気かよ。いや、大丈夫だ。さっきだって一匹殺せたんだ。ここでコイツを殺さなきゃ後ろの人は確実に殺される。俺が仕留めてみせる。
魔力を纏わせたまま刀を握りしめ、向かい合う両者。
先に動いたのはガザミのほうだった。
先刻、船乗りに浴びせた泡のブレスを再度、噴き出してきた。
直線的に向かってくる泡を見切りステップで左に躱し突進する。
左に構えた刀を右に振りぬく。狙うは右の鋏。
しかし、ガザミも迫りくる刃を挟もうと鋏を向けてくる。
音もなく振りぬかれる刃は鋏を捉え身体から切り離した。
よしっ! 右の鋏を潰した。次は左だ。
しかし、俺は気付いていなかった。
最初から右の鋏は囮だということに。
蟹などの甲殻類には危機的状況に陥った際に【自切】という自ら脚を切り離すことができる能力がある。
これによって身体への負担を少なくし、生命を守ることができる。
しばらくは脚がない状態で過ごさなければならないが、脱皮によっていずれは元通りに再生する。
俺を自身の生命が脅かされるほどの敵と認識したガザミは自切を行うことで隙を作り確実に仕留めようとする。
思惑通り右の鋏を囮として切り落とさせ優勢だと油断させた後に、勢いを失った刀を左の鋏でガッチリと挟まれた。
そして残された右脚の爪で俺の胸部目掛けて突き刺してきた。
ガッハァッ
普通の人間ならば胸を貫かれ即死する攻撃も魔力を纏ったこの身体を貫くことはできなかった。
しかし、強力な脚の突きを喰らった俺は刀を離して吹き飛び、港に積んであった木箱に激突した。
血液混じりの咳が出る。内臓もダメージを負っているようだ。
崩れ落ちる木箱の山から這い出るとようやく嵌められたことに気が付いた。
先ほど切り落とした鋏の脚を関節部分から、まるでプラモデルのパーツを外すかのように自ら外したのだった。
その切断面は綺麗に外れており、出血もない。
自切は何度も使える技ではないだろうが今回のケースでは大いに役立った。
「っぐ! クソっ、あの野郎自分の身体を囮に使いやがった……」
状況は極めて不利に陥った。
右の鋏を無力化したとは言え、霧一振は奪われ更にダメージを負ってしまった。
胸からは服を赤く染めるほどに出血している。
やべぇな。まんまとやられた。どうするか……。
万力のような鋏で刀を締め付けるも折れることのない霧一振を地面に叩きつけ、大きな鋏をハンマーのように何度も振り下ろしている。
それでも刃こぼれ一つしない刀に見切りをつけたのか俺の方へと迫ってくる。
胸を押さえながら立ち上がり考える。
奴の後ろに刀は落ちてるけど、素通りさせてくれるはずがない。なんとか隙を見て回収しないと。
思案している俺をよそにガザミは突如、近づき鋏を振り下ろしてくる。
地面を砕くほどの力で振り下ろされる鋏を転がるようにギリギリで躱し、拳での打撃に出るが多数の脚が更なる攻撃を仕掛けてくるため懐に潜り込むのは至難の業だ。
専ら奴は左右の下の両脚4本で移動し、残りの上4本の脚と1本の鋏で攻撃してくる。手数でも武器でも劣っている俺は防戦一方だった。
なんとか今は魔力を纏い攻撃を受け流しているが次第に傷が増えていく。
次々と迫る突きや鋏の攻撃に目が慣れてきた俺は反撃に出る。
先ほどよりも多くの魔力を練り込み俊敏なステップを刻み翻弄する。
そして、追いきれなくなったガザミの不用意な突きを見逃さず両手で掴みへし折った。
「どーだ! その邪魔な脚全部へし折ってやる!」
折った足を投げ捨て再度、構える。
弱っている極上の餌を前に最早逃げる気など毛頭ないガザミは尚も攻めてくる。
しかし俺はガザミに向かって大きくジャンプし真上から向かっていく。
身動きの取れない空中では悪手に思える一手だがある思惑があった。ぐんぐん近づき落下するなか叫んだ。
「今だ! 投げろ!」
それは先ほど左足を切り落とされた船乗りに向けて発した声。
船乗りは俺が戦っている間、這いずりながら落ちている霧一振までたどり着いていた。
戦いに夢中になっているガザミはそのことに気付くことはなく、後ろで何が起きているかなど知る由もなかった。
「ぅおおららぁぁーー!!」
船乗りは刀を力の限り投げる。
刃がむき出しの状態で投げられたが今の俺の動体視力では何の問題もなく、空中でしっかり受け取り全体重を乗せ振り下ろす。
ようやく現状を理解したガザミは左の鋏で挟もうと大きく開くがもはや勝敗は決していた。
固い外殻をものともせず鋏もろとも甲羅を一刀両断する。
刹那。
体液を撒き散らしながら左右に崩れるガザミが息絶えた。
刀に付着した体液を振り落とし鞘に納める。
緊張の糸が切れた俺は膝から崩れ落ち荒く息をした。
キツイ……、実戦だとこうも魔力の消費が激しいのか……。
戦闘時間は10分と満たなかったが修行中には経験したことがないほどの速さで消耗していた。
「おい、兄ちゃん大丈夫か?」
あまりの俺の疲労度合に心配した船乗りが声を掛けてくる。
「大丈夫です。まだ慣れてなくて……。それよりあなたのほうが重傷です。痛むと思いますが止血をするので我慢してください」
俺はつけていた腰のベルトを外し痛がる船乗りのふくらはぎをキツく縛る。
「いででででで!!」
「我慢して! 良し、これで止血はできたと思います。けどすぐ医者に見せないとこのままじゃ……」
「すまねぇ、あんた一人なら逃げられただろうに。 助けてくれてありがとう!! あんたは命の恩人だ!!」
「安心するのは早いですよ。早くここから逃げないと……」
応急処置を終え、顔を上げると絶句した。
血の匂いを嗅ぎつけた他の鎧ガザミたちがこちらに向け迫ってきていた。
「俺の刀を持って! 逃げるぞっ!」
俺より重そうな太った船乗りを背負い、すぐさま魔力を纏う。
寸でのところでガザミの攻撃を躱し走り出す。
だが走り始めたばかりなのにもう魔力が安定しなくなってきていた。額からは大粒の汗が流れ落ち、歯を食いしばる。
追ってくるガザミは他の死骸には目もくれずに追ってくる。
「ひええぇぇえぇ、兄ちゃん、あいつら追ってくるぞ!! どうなってやがる!?」
「……っ!!」
俺が目当てか!
自分が目当てだとわかっていたが俺が立ち止れば船乗りも助からない。
普段なら男一人背負って走ることなど造作もないことだが今の状態では余力も尽き、いつ魔力が切れてもおかしくなかった。
それでもぐんぐん距離を離していき100m程、間をあけることができた。
「兄ちゃん、やったぞ! あいつら陸は慣れてねぇんだ!! どんどん離れていく!! 俺たち助かるんだ!!」
「……っ!!」
「兄ちゃん?」
そして、ついにそのときが訪れた。
かろうじて繋ぎ止めていた魔力が切れたのだ。
突如、重さを増した身体は二人分の体重を支えきれずにバランスを崩し倒れ込む。
突然の出来事に受け身を取ることもできず、男を背負ったまま前のめりに地面に擦り付けられた。
その衝撃で顔、胸、腕、肘、膝に痛々しい擦過傷を作る。
転げ落ちた船乗りは落下し、衝撃に顔をしかめていた。
「っあたたた……、兄ちゃん大丈夫かい?」
もはや顔を上げる体力すら残っておらず、うつ伏せになったまま何も答えることができない。
今はただぜーぜー、呼吸をするだけで精一杯だった。
「兄ちゃん、起きろっ! すぐ奴らがくるぞ!!」
「………」
「頼む! 立ってくれ!! ここまで来て奴らに殺されてもいいのか!?」
「………」
なんだこれ?? 全然、力が入らない。自分の身体じゃないみたいだ。自分の身体じゃないけど……。
一度は距離を開けたガザミももうすぐそばまで近づいていた。
やばい。絶体絶命だ。マジで死ぬ。
と、そのときだった。
誰かに身体を持ち上げられる感覚を覚えた。
「ふんっぬおおおおぉぉぉぉっぉおぉぉ!!」
それは、先ほどまで背負っていた片足の船乗りだった。
「頑張れ!! もう少しで街だ!! 街に行きゃあ冒険者が助けてくれる!! 今度はおれっちが背負う番だ!!」
船乗りは左足を失いながらも俺を背負い、一歩。また一歩、前へと進む。左足を失っているため歩くたびに大きく左右に揺れる。
その顔は激痛を堪え苦悶の表情をしていた。
一歩進むたびに左足から血が溢れ、全身に電流が流れるような激痛が襲っているだろう。
それでも進むことを止めない船乗り。
その後ろには血の足跡が残っている。
それは背負うというにはあまりに不格好な姿であり、引きずっていると言ったほうが似合うほど弱弱しい姿。
「……逃……げろ。………死ぬ……ぞ……」
「兄ちゃんは黙ってなぁ!! 船乗りの底力見せてやるよ!!」
強がる船乗りであったが、現実は無常。
よろよろと進む二人だったがついに鎧ガザミは追いついた。
満身創痍の二人目掛けて無慈悲な鋏を振り下ろす。
バキッッ
グシャッッ
肉の潰れる音が鼓膜を揺らす。
しかし、二人は地面に倒れ込むばかりで潰されてはいなかった。
潰れたのは鎧ガザミの鋏。
潰した人物はライオンのような黄金の鬣を風になびかせながら紅い魔力を纏っている。
ガザミの鋏を左手一本で受け止め握りつぶしていた。
第24話は明日、18時に更新致します。