第126話 GGG防衛チーム 三日目 東の空に散る
♢ ミーティア 東門 Abraham・A・Morgan ♢
鬼神化した黒鬼と能力を開放した吾輩は三度、衝突した。
そして理解する。
闇の如き黒く染められた体はそれまでの奴とは全くの別物であるということを。
まるで最初の攻撃を彷彿とさせる防御無視の右ストレートは、またも互いの顔に的確にヒットする。
だが、受けたダメージは明らかに異なっていた。
たった一撃で意識が吹き飛びそうになるほどの重い一撃。
なんとか持ちこたえるが、次の手は出ない。
否、出せなかった。
筋肉至上主義を発動していなければ、立っていることも敵わないだろう。
しかし、吾輩も一発くれてやったのだ。流石の奴とてただでは済むまい。
揺れる視線でなんとか前を向くと、そこにはグレンデルの真っ黒な拳がすぐ目の前まで迫ってきていた。
「なっ!?」
パッァンン
弾けるような左フックを顔面に喰らい後方へと吹き飛ぶ。
受け身をとることもままならずに地面を転がり、瓦礫にぶつかったところでようやく勢いが止まった。
「ぅぐ……。ぬうぅ……」
地面に這いつくばりながらも顔に手をやると、ぬらりとした生暖かい血が右手いっぱいに付着しぼたぼたと地面に滴り落ちていく。
どうやら鼻が折れたようである。
今更になってズキズキとした激痛が脳内を駆け巡り、鼻で呼吸が出来ず息苦しい。
口で呼吸をするにも口内に血が入り込んで鉄の味が広がっていく。
まさか、これほどとは……。
以前、別の鬼人族と手合わせしたとき同じように鬼神化してきたがここまで力の変化は無かった。
鬼人族といえど個体差があるようで、どうやらグレンデルは伸びしろが大きいらしい。
それでもなんとか身体を起こし、ゆっくりと近づいてくる奴を見据える。
「どうした? もう終わりか? まだやれるだろ?」
立てと言わんばかりに挑発してくる奴の顔は笑っていた。
折れた鼻を押さえ無理矢理、元の位置に荒療治し片方の穴を塞いでフンと鼻血を吹き飛ばす。
「無論、まだまだこれからだ。お主の変わりように少しばかり驚きはしたがな」
「いいぞぉ、そうだ。もっと、もっとだっ!」
「よかろうとも! 存分に楽しもうではないか!! ウホォォオオホホホホホォォオォォォッッ!!」
ありったけの雄叫びをあげながら突進し、腰を落として地面すれすれを走り全速力でしがみ付くようにタックルを喰らわせる。
正面から吾輩のタックルを喰らったにも関わらず倒れないとは流石と言わざるを得ない。
だが……。
「捕まえたぞ」
拳の打ち合いでは奴に軍配があがろうとも捉えてしまえばこちらのもの。
グレンデルの体は鋼のような凄まじく発達した筋肉で守られているが吾輩も負けてはいない。
メキメキと締め続け背骨を折ってくれよう。
能力を発動中での吾輩の締め上げは底知らず。
体中の筋肉に負荷が掛かることで逃がしもせず、密着しているため致命打も受けない。
そのまま奴の体を固定したまま宙に持ち上げ、尚も締め付ける。
かつてこの状態から逃げおおせた者は誰一人として存在しない。
逃げられるものなら逃げてみよっ!
「ぬぅううぅぅおおぉぉぉおおおっっっ!!」
ここを勝負所と見定め、一気に決めにかかる。
歯を食いしばり、息を止め、ありったけの力を腕に込めていく。
そうはさせまいと背中に幾多もの拳を打ち込まれるが、足腰の力が伝わっていない打撃など赤子のよう。 ここで手を放してしまえば勝機はなくなる。
絶対に離してなるものか!
「クソがぁぁあああああぁぁッッ!!」
苦しそうな声をあげるグレンデルは限界が近い。
あと少し、あと少しなのだ!
と、その時。
失念していた出来事が。
まさかの事態が巻き起こった。
「潰せ。【黒縄】」
黒鬼の能力が発動した瞬間だった。
そう。
グレンデルは鬼神化していたものの、自身の能力までは使用していなかったのだ。
奴がそう唱えると、すぐさま変化は訪れた。
それまで万力のように締め上げていた吾輩の両手を密着している体の内側から何かがこじ開けていく。
どれだけ強く抑え込もうとも、それ以上の力でこじ開けられいき次第に隙間が空いていく。
これでは締め上げることも動きを封じることもできない。
やがて、完全に拘束を解かれてしまったところでようやく押し戻す何かが目に入った。
それは、紛れもなく腕であった。
真っ黒な肌をした三本目と四本目の腕。
黒鬼は計、四つもの腕を持っていたのだ。
腕の拘束を解かれたことによって地面へと降り立った奴はガッチリと吾輩の手首を固定し、どれだけ振りほどこうともがいても離してはくれない。
「今のはだいぶヤバかったぜ。窒息するか背骨が折れちまうかと思ったぜ。だが、惜しかったなぁ」
荒い呼吸で胸部が伸縮を繰り返しながらも不敵に笑い、今度は吾輩の腕が奴の手に掴まれてしまっている。
そして、すぐに己の不吉な未来が目に浮かぶ。
「今度は、こっちの番だぜ」
ドドドッドドオドッドド、ドドッドオッ、ドドオッド
両腕を固定されたまま、もともと生えていた腕で滅多打ちにされる。
防御しようにも腕は使えない。
ならばと蹴りを振り上げたが、その前に雨のような拳の礫を打ち込まれた。
殴る。
殴る。
殴る。
がら空きの腹部や顔面をまるでサンドバッグかのように殴られ、もはや吾輩に抗う術は残されていなかった──。
♢ ミーティア 東門 左京 ♢
どうして僕はモーガンさんが黒鬼に殴れらているのを黙って見ているだけなのだろう?
どうして助けに行かないんだろう?
モーガンさんが手を出すなと言ったから?
……違う。
途中まではモーガンさんが有利で僕が加勢するまでもなく決着がつくと思っていたから?
……違う。
そんな自問自答に何の意味はなく、当然ながら分かりきっていた。
僕は怖かったんだ。
黒鬼に心の底から恐怖していた。
「……あ、あぁ、……ああぁ」
つい先日、植え付けられたトラウマがありありと思い起こされ殴られているのは自分ではないのに身体がズキズキと痛む。
はたまた痛むのは心か。
どちらにせよ黒鬼がモーガンさんを痛めつけている姿をただ見ているだけの僕はどうしようもなく弱い、弱虫だ。
この臆病者め。
お前なんか冒険者失格だ。
ドッ
ドドッ
ドン、ボグッ
震える体で聞こえてくるのは殴打の音だけ。
生々しい低音に耳を塞ぎたくなる。
目を覆いたくなる。
それすらも出来ずにただただ立ち尽くす。
いつの間にか恐怖のあまり涙が零れ、漏らしていることさえどうでもよかった。
……僕は戦う前から負けていた。
ひとしきり殴ることに気が済んだ黒鬼は、すでに意識のないモーガンさんを僕の方へと投げ飛ばしてきた。
反射的にビクッと体が反応するが、自分の体ではないかのようにその後は動いてくれない。
嗚咽を必死に噛み殺しながらモーガンさんを見ると、顔は別人のように腫れあがり血だらけで生きているかも疑わしかった。
変わり果てたその姿に、より一層恐怖が増していく。
「……う、あ、あぁ。……ああぁあ」
もはや立っていられず、自分で排泄して出来た水たまりの上にペタンとへたり込んでしまう。
そんな僕に構うことなく黒鬼は歩み寄ってくる。
「お前、森にいた奴だな」
バレている。
恐怖で呼吸もままならない口はハッハッ、と短い息を吐き出すだけで言葉を紡ぐことができない。溢れる涙は止まらない。
腰を下ろし顔を近づけ反応を窺っているが、何も言えない僕を見越してか返答を待たずに続けて話していく。
「いつもならお前みてぇな泣き虫野郎はボコボコにするが、今は最高に気分がいい。特別に見逃してやるよ」
「……う、あ。……ぁあ」
顔も直視できず、その言葉を聞いて僕は安堵してしまった。
情けない、情けない、情けない。
この役立たず。
薄情者。
お前なんか死んでしまえ。
頭では目まぐるしく感情が駆け巡るが、どうしても言葉にできない。
口をパクパクさせ一点を見つめたまま動かない僕に飽きたのか黒鬼は大きくため息をついた。
そして……、
「バアッッ!!」
「ひっ!」
いきなり大声で脅かしてきた。
「バッハッハ! なぁにビビってんだよ。お前みてぇなのは殴る価値もねぇ。泣いてばっかで、それでも男か? あぁ?」
「……うっ、うっ」
「この玉無しが。どおりでこのゴリラがお前を戦いに参加させなかったわけだ。お前がいたんじゃ足手まといにしかなんねぇからな! バッハッハッハッハ!」
そう言い残して立ち上がると、僕たちを残して倒壊した門へと戻っていく。
僕は何も言い返すことも出来ず、悔しくて情けなくて泣くことしかできなかった。
僕たちは……、東門を守ることができなかった。
ごめんなさい、ニコル様。
ごめんなさい、姉さん。
ごめんなさい、モーガンさん。
ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい。
これ以上、迷惑をかけないためにも僕はGGGを抜けます。
本当にごめんなさい。
東の地で一つの闘いが終わる頃、夜が明けたばかりの空には暗雲がゆっくりと立ち込め始めていた。